第36話 ルカのはなし・悪役令嬢はどこルートの夢を見ているのか?
ダックワーズ学院には不定期で、特別な許可を得た移動販売のお店がやってきます。
セレブ育ちが多い学院の生徒たちにとってストリートフードは珍しいので、皆楽しみにしています。
今日来たのは流行(と噂)の、ジェラート屋さんでした。
仮設の白いテントの下には、さっそく人だかりが出来ていました。
流行に敏感な『ディアベラお嬢様』となっている私も、放課後にお供の三人娘とロビンちゃんを引き連れてお参りしてきました。販売許可を得るための厳しい競争を勝ち抜いてくるお店だけあって、厳選された食材と情熱が注ぎ込まれたジェラートです。フレーバーも三十種類あり、選ぶだけでも楽しかったです。
薔薇園の近くに設営された、臨時のカフェスペース。その青空の下で頂くジェラートは美味しかったです。レモンとピスタチオ、美味しかったです。でも精神的に最近ヤラれているのもあって、お喋りの最中も私が若干上の空だったのは否めません。でも美味しかったです。
そして取り巻きちゃんたちと楽しくジェラートを食べて、解散した後でした。
「それじゃ、ロビン。ちょっと読書をしたいから、しばらく外してちょうだい」
「かしこまりました」
私は万能の執事ちゃんにそう言って、小冊子を片手に薔薇園の中へ向かいました。
ロビンちゃんはお嬢様を邪魔したりしません。でも考え事の内容が『密告』だったりすると気が散るのですよ。この前の、『ロビンちゃん人格豹変事件』のこともあります。
(ううーん……内部告発の文章なんて、どうやって書いたら良いんだろう?)
(まず渡す相手も、どんな基準で選んだら……?)
といった物騒な案件について、私は薔薇園で本を読んでいる格好をしながら考えるつもりでいました。
しかしよく考えたら、ここは薔薇園でした。よく考えなくても薔薇園でした。陽射しも眩い、午後の薔薇園でした。生徒達の憩いの場であり、デートスポットだったのです。
(あ、やばい、忘れてた……)
迷路のように入り組んだ薔薇園の中ほどまできて、ディアベラお嬢様の私は本を片手に固まりました。
ここには、あちこちにベンチがあります。その三つ目くらいで気がつきました。どこもカップルだらけなのです。しかも今日はジェラート屋さんが来ています。
彼氏彼女や、彼氏彼氏や、彼女彼女が仲良くジェラートを食べて
「おいしいね」
「あなたと一緒だから美味しいの」
「君の方が美味しそうだな」
「食べちゃいたいわ」
という感じに仲良くしていたのでした。普段からそういう場所に使われがちですが、余計に満室状態でした。
前にいた世界で、学校の近くにあるカラオケがこんな感じだったっけ……。間違えて別室の扉を開けてしまってカップルが試合中で気まずさが物凄かった思い出が蘇りました。
(来る場所を間違えたー……! 圧倒的に間違えたー!)
(アイザックがいたら楽しくニヤニヤ出来たかもしれないけど、今日は一人だー!)
街へ遊びに行って暇潰しでエロスポットの近くに寄って建物から漏れてくる喘ぎ声だけ聞いて帰ってくるなんていう、くだらない遊びが出来る友達はアイザックくらいでした。あのわんこがいなくて、こんなに寂しい日が来るなんて思ってもいなかったよ……!
私は薔薇園で本を読もう(ポーズですが)と思っただけなので、遠慮することはありません。
でもこんな幸せそうにしている人達の横で、クーデターや密告のことなんて考えちゃいけません。防音になってないから色んなことが聞こえすぎます。
というわけで場違いを反省し、私がこそこそ薔薇園を出ようと生垣の通路を進んで、とある角を曲がったときでした。
「ナキル! こっちだよ、こっち!」
耳になじみのある声が聞こえてきたのです。
――んん……!?
と、思わず足が止まりました。こんなの止まっても仕方ない。
反射的に身をかがめて声のした方へ近付き、薔薇の繁みの隙間からこっそり覗くとそこにいたのは
――……はい? え? ディアベラちゃんと、ナキル様!!?
ピンク髪の戦巫女(中身は伯爵令嬢)と、黒獅子族の若様でした。
他に人はいなくて二人きりです。
「こんな場所があったのか……知らなかったな」
「キレイだよね。とりあえず座ろっか?」
薔薇園の中を知らなかったナキル様は戦巫女に促され、並んでベンチに腰掛けます。
二人の手にはそれぞれジェラートがあります。デートスポットで、ジェラートを食べています。何あれ何あれ、何だアレええええーーーー!
「ありがとうナキル。すっごく美味しい!」
赤いベリーのジェラートを頬張ったディアベラちゃんが、花が咲き零れるような笑顔でお礼を言っています。それを見てちょっと照れた感じに赤くなったナキル様は「そうか」と答えると、後は自分のバニラのジェラートを食べています。
「あ、そっか……ナキル様の、お礼か」
ようやく私も事態がわかって呟きました。
この前の『手作りクッキー事件』のお礼で、ナキル様は戦巫女に、ジェラートをご馳走していたのです。
ああ、そうでした。相談してきたナキル様に「お菓子にはお菓子でお返しするくらいが、宜しいかと思いますわ」と言ったのは私でした。私のバカ! 私のバカ!
「ん……! 何か元気出てきた。また戦巫女のお務め、がんばるね!」
ジェラートを食べ終わったディアベラちゃんが、隣のナキル様を見上げて嬉しそうに言っています。
戦巫女がんばるんだ……ディアベラちゃん。そうか、がんばるんだ……うん、がんばろう。私も悪役令嬢がんばるよ! 薔薇の木陰で私はやり場のない思いを抱え、胸が張り裂けそうになりながら懸命に耐えていました。
「向上心があるのは良いが、あまり無理はするなよ」
「うん、がんばる!」
「……」
「あ、また言っちゃった……あはは、癖みたいなものだから気にしないで」
「まぁ、いいんだけどな、そういうところが」
慌てて口を押さえるディアベラちゃん(見た目は戦巫女ルカ)に、普段は厳しいナキル様の目が和らいでいます。何その穏やかな眼差しい……。
二人は二人の世界に没頭していて、薔薇と一緒に背景と化している私の存在など見えていないのは明らかです。
(めちゃめちゃ仲良しじゃないですか……)
軽く茫然として、密告もクーデターも頭から飛んでしまったというか、そんな心境じゃなくなってしまいます。私はしゃがみ込んだまま、ふわふわな金髪の頭を抱えていました。
ジェラートのこれは『ヒロインの好感度』を上げる、役目とも考えられます。『隠しルート』攻略には、攻略対象達の『好感度』が大事なんだよね、そうだよね! 最大限まで好感度を上げなければいけないんだもんね! ゲーム抜きだとしても、仲良くするのは良いことだよね!
そう納得しようとしたのです! ……ですが!
「そろそろ戻るか」
黒獅子族の若様が、立ち上がったときです。
「ねぇ、ナキル……お願い」
戦巫女ちゃんが呼びかけたのです。ナキル様が「うん?」と振り返ると、ベンチの彼女は右手を差し出しました。
「引っ張って」
彼を見上げ、おねだりして笑いかけます。
「……仕方ないな」
ナキル様は褐色の大きな手で、差し出された手を取り、いつもがんばって無理をし過ぎている(らしい)『戦巫女キリュー・ルカ』を立ち上がらせてくれました。綺麗な赤紫色の瞳を見上げた戦巫女は、ピンク色の長い髪を陽射しに煌かせて、嬉しそうに微笑みかけています。
見つめあう二人。縮まる距離。女の子の方は私(中身だけ別の人)です。
(これ絶対『隠しルート』じゃないよね……!? 『ナキル様ルート』一直線ですよね!!?)
今すぐ乗り込んで伯爵令嬢へ問い質したかった衝動は、ギリギリで抑えました。抑えた衝動で、右手で握り締めた薔薇の枝が一本折れたけど許してください庭師さん。
私だったら、ナキル様を相手にこの行動はしなかったと思います。彼からお礼を受け取るにしても、こうはならないです。私が今まで、自分の心に素直に真っ正直に選んできたルートが『隠しルート』であったというならば、ディアベラちゃんはルートを外れ始めています。
ていうか
――元に戻った後、私はどうすれば……。
あんなテンションで彼と仲良く出来る自信がないです。これではナキル様の心を弄ぶことになるのではありますまいか……?
絶望みたいな気分を引き摺って、私はよろよろと現場を後にしました。