第35話 ルカのはなし・嘘つきヒロインと壊れた執事ちゃん
『邪神ソルトと戦わせるために召喚された異世界の鉄砲玉』
それが私、桐生瑠花です。この世界の人から見れば、よそから来たお客さんです。
一応は人間扱いされているとはいえ、選挙権は無い感じです。当然、国家権力なんかに関わらせてもらえるはずがなく、殆ど蚊帳の外側にいました。
が、思いっきり権力中枢の詳しいゴニャゴニャを知ってしまいました。
迂闊に首を突っ込んで、一時は怖い想像が駆け巡ったりもしたのですけれど、ちょっと落ち着いてきました。自室でロビンちゃんが淹れてくれた午後のお茶を飲んでいたら、思い出したのです。
ベテラン悪役令嬢ディアベラちゃんの未来予告によれば、何がどうなっても破滅するのはパリス伯爵家でした!
寸分の狂いも無いクロードお父様の完璧な計画です。でもその寸分の狂いを発生させるのは、伯爵様の愛娘なのでした。
ディアベラちゃんが『邪神に関わる』という、特大の悪事をやらかします。
そこからパリス家の失脚と破滅への転落が一気に始まるのでしょう。
恨みは買えるだけ買いこんでいるし、疑惑も実績も積み重ねてきました。爵位が剥奪されるくらいは想像に難くありません。ディアベラちゃんの国外追放は重過ぎるのではと思っていましたが、そうでもなさそうです、適量です。没落に備えて、お嬢様はパン屋さんの準備もしています。
(あれこれ調べたけど……結論は『放置』で良いのかもしれない)
パステルカラーなお部屋の窓辺で、気持ちの良い陽光とそよ風に包まれながら、私はそんなことを考えていました。
蜂蜜色の金の髪も甘やかな美少女として、空を写し取ったような瞳で外の景色を眺めていました。たとえ魑魅魍魎が跋扈する世界を垣間見て、心がどれほど荒んでいようと、姿だけは美しい絵画になっていることでしょう。
(でも……この入れ替わりとか、『障害』のこととかもあるしなぁ)
今日もロビンちゃんの淹れてくれるお茶は、とても美味しいです。一口飲んだ後カップを置いて、私は再び黙考に沈みました。
ディアベラちゃんは『悪役令嬢』を十一回もループしています。そこに加えて今は、戦巫女である私と入れ替わるという、別の異常も重なっています。すでに乙女ゲームのシナリオが歪んでいる可能性があります。
となれば、本当にゲームのエンディングの通りになるかどうか、不確定と考えておくべきでしょう。
ゲームでは起こりえなかった、クーデターや王族の暗殺が実行されてしまう可能性が、ゼロではないということです。
(フューゼンが暗殺されるのは……イヤだな)
考えたくもなくて軽く頭を振りました。でも考えたくないからこそ、先に考えておかなきゃいけない。死ななくて良い人が、死ぬ事になるかもしれない。
そうなると、さっき私が考えた『クーデター計画の放置』は、やはり安全策とは言えないようです。
――内部告発を……するか?
『密告』。何てスパイシーな響き……。
楽しくはないです。気が乗らない! 性に合わない! 向いてない! それに密告するにしても、相手をよくよく選ばなきゃいけません!
密告相手を間違えて、国外追放で済むはずのパリス伯爵家が、三族皆殺しにバージョンアップしちゃったら嫌過ぎます。後味悪いってレベルじゃない! ここはディアベラちゃんが唯一生き延びる『隠しルート』なのに! そこへ辿り着くのが、私としても現時点で考え得る被害最小限のルートだったのに!
おまけに戦巫女と悪役令嬢の入れ変わりがバレるのも、慎重に避ける必要があります。
それじゃ一体誰に、どうやって……と、指先で額を押さえ悶々としていたときです。
「お嬢様。今日はもう……お休みになられた方がよろしいのでは?」
「え?」
横から遠慮がちにロビンちゃんが声をかけてきて、私は顔を上げました。
傍らで、澄んだミントグリーンの瞳がこちらを見つめています。滅多にお嬢様へ意見などしてこないロビンちゃんが進言するほど、私はきっつい顔をしていたみたいです。
「お顔の色が優れません……少しお疲れのご様子です。近頃、ご領地やお后教育のお勉強に集中していらっしゃいますし」
凛々しくも可憐さのある面立ちに、気遣う気配を浮かべて執事さんは心配してくれました。
私は「領地運営を学びたいの!」「お父様の偉大な功績を知りたいの!」といった建前で、伯爵家の内部と周辺の情報を集めていました。もし『ディアベラお嬢様』のポジションじゃなかったら、私がパリス伯爵家のこんな最深部エリアに目を通すことは不可能だったでしょう。ロビンちゃんの協力と功績は計り知れません。ありがとう。そして実質的に騙してゴメンなさいです……。
「そうね、今日はこれくらいにしようかしら。ダンスのレッスンが終わったら、もう休むわ」
何食わぬ顔で、ディアベラお嬢様として優雅に紅茶をまた一口飲んで言いました。
「かしこまりました。では感謝祭用ドレスの仮縫いは、明日ということで連絡を」
「そうしてちょうだい」
ロビンちゃんにスケジュール調整を任せ、傍らのお茶菓子を摘んで口へ運びます。真っ白な粉砂糖をかけた丸いスノークッキーは、アーモンドの風味で美味しいです。これから一踊りしなきゃいけないから、エネルギーを補給しないとやってられません。
近々開催されるダックワーズ学院の感謝祭に備えて、ダンスのレッスンは外せないのです。一番やりたくないレッスンですけど、気掛かりと苦手は潰しておかなければなりません。何せダンスの相手が王太子殿下だから、足でも踏みつけたら大事件になってしまう……。
なんて考えがてらちろっと横を見ると、ロビンちゃんは馴れた動作で茶器を片付けていました。
どうしても気になってしまう…… この子の先行き、どうなるんだろう?
「ロビン……貴方、将来の夢なんてあるの?」
私からの質問に、振り向いた美少女系クール執事さんは、僅かに首を傾げたようでした。
「夢、ですか? ……全てを完璧に取り計らえる、立派な執事になること、でしょうか」
きちんとした真顔でお答えがありました。予想以上に聞いたことのない夢……というか、目標でした。
やはりロビンちゃんは、執事の職務に誇りがあるのでしょう。パリス家を解雇された後でも、執事として再び雇ってもらえれば、『エンディング』後の運命も変わってくるのでしょうか。
「好きな人なんていないの?」
「へッ!?」
私が何気なく言った質問に、ロビンちゃんから素っ頓狂な声と反応が返ってきました。
ヒロインに選ばれなければ死の道へまっしぐらという、超薄幸な万能の執事ロビンちゃんです。好きな人でもいれば、引き止め要素になるかと思ったんですけど。
「い、いませんが……」
珍しく動揺した様子で、色白の頬が薄く朱色になっています。どうしたんだろうと不思議に思って
(あ……そういえば?)
と、気がつきました。
奥ゆかしく繊細で、根が暗い性格(ディアベラちゃん曰く)のロビンちゃんは、お嬢様のライバルである戦巫女に、ひっそり好意を寄せてくれていたのでした。
ごめん忘れてた。何度もゴメン、ホントにごめんなさい……反省する。ごめんなさい。
別に私も、ロビンちゃんが嫌いというわけじゃないのです。
ただ好き嫌いの前に、私が『桐生瑠花』だった頃には、接触どころか会話さえ無かったのです。絶対的ディアベラちゃんグループのこの子には、嫌われているとすら思っていました。実は密かに想いを寄せられていましたと聞かされても、現実味が無いのですよ!
しかも本人の口から打ち明けられたのではなく、お嬢様に言われただけです。元に戻ったとき、この子が本当に瑠花と喋ってくれるのか、どうにもまだ信じ切れないでいます。
すると、変な感じで部屋に広がった沈黙を破って
「そ、それに……私のような者に好意を抱いてくれる人なんて、いるはずがありませんから」
ロビンちゃんが呟きました。
微かにコトリと音を立ててティーポットを置きながら、淡く溜息を零しています。肩の上で切り揃えられた真っ直ぐな亜麻色の髪が揺れて、俯く姿はどことなく寂しそうで儚げでした。
「え……そ、そんなことないと思うわ。絶対にいるわよ!」
思わず私は前のめりになって、断言してしまいました。
無責任かもしれません。でもロビンちゃんはこれだけ万能で、外見だって充分に美形と言って良い子です。女装だけど。性格も健気だし、愛してくれる人はきっといると思います。戦巫女ではないとしてもです。
しかし何故でしょう。突然ロビンちゃんの透き通ったミントグリーンの瞳から、光りが消えたのです。
「ええ……世界は広いですから、もしかしたら、どこかにそんな人もいるのかもしれませんね……でも、しょせんは私ですから……。好かれたとしても、『コレに好かれたこと自体が人生の汚点』とか……『こんなゴミに求愛されるなら、死を選ぶ方がマシだ』と言いたくなるような、そんなのに決まっていて……」
死んだ魚みたいな目で空中を見つめ、一人でぶつぶつ囁いています。
――ど、どうしちゃったの……? そんな人じゃなかったよねロビンちゃん……?
豹変にたじろいでいる私にも気付いていない様子です。お嬢様最優先のこの子が、自分の世界に没頭しているのが非常事態です。
「ろ、ロビン……?」
「……ハッ! わ、私は今一体何を? 何か、おそろしい夢を見ていたような……!?」
「ロビン……? な、何かあったの……?」
「? いいえ、何も問題はございませんよお嬢様」
魔法が解けたみたいに普段の顔へ切り替わり、万能の執事さんは業務へ戻りました。その戻り方が、逆に問題を感じさせるんですが。
(そこまで過剰に反応するほど、物凄い嫌悪対象でもいるの……?)
今までの心配に加えて、違う方向でもこの子の行く末が心配になってきました。そういえばロビンちゃんは、元は道端に捨てられていた子です。
(もしかして、触れてはいけない真っ黒な過去に触れてしまった……? それか私には見えない現在進行形で、トラウマになるような事案が発生している……? 可愛いから、どこかでヤバイ変態に絡まれていたりして……)
めくるめく不穏な可能性で、アタマがぐるぐるしてきました。……何か、とんでもない闇を垣間見てしまった気がする……。手の付けようがなくなってきました。
と、とりあえず、棚上げ! 棚上げー!
「ま、まぁ……別に良いのよ、うん」
あえて素っ気ない口調で返して私はそれきり、この不毛な会話を終わらせました。