その後の彼らの会話
「それで、何かわかったのか?」
食堂の窓から夕景を眺め、クリームパンを頬張りながら、犬獣人のアイザックが尋ねた。学院の食堂はがらんとして、丸いテーブルを囲んでいるのも“彼ら”三人しかいない。
「結論から言うと、特にこれといって、何もわかりませんでした」
自分で淹れてきたお茶を飲み、セトがしらっと答える。
「は? 何だそれ? いきなりディアベラ連れてきて、何かと思えば……」
「まぁいいじゃん。おもしろかったし!」
頬杖を付き呆れるアイザックをよそに、悪戯っぽく笑ってマキアムも口を挟んだ。
パンを作っている途中で、突然セトが連れてきた『伯爵令嬢ディアベラ・パリス』。彼ら三人、食事さえ同席した経験が無い相手と、一足飛びにパン作りをご一緒することとなった。こんな珍しい体験は誰でも出来るものではない。
「あいつも、パン作りに興味持ったりするんだな? お嬢様の手遊びなんて、楽器や刺繍くらいかと思ってたよ」
燃えるような赤い髪の犬獣人は、腕を組んで高い天井を見上げる。流浪生活をしてきたアイザックは、アマンディーヌ王国の貴族令嬢の生活様式について、興味も無ければ詳しくもなかった。
「貴族の令嬢は、厨房に入らないのが基本だもん。アレじゃないの? 前にルカが、パン作ってたからさ」
「あー、対抗心的なやつか? 自分も負けてらんねーと、パン作りか」
公爵令息のマキアムが情報を捕捉すると、剣士は苦笑いする。静かにお茶を飲んでいたセトも、水色の前髪を揺らして頷いた。
「あり得るかもしれませんね」
「ディアベラは常に何かと競争してるからね。たまにちょっと疲れるよ」
頭の後ろで手を組み、マキアムが軽く毒づいた。淡い白金の髪に琥珀色の瞳という愛らしい顔立ちとは裏腹に、フォーサ公爵の第三子は辛らつなことを平然と言うときがある。
「そうなんだよなぁ。茶会だの何だの、大勢集めて派手にやってるあれも、他人に見せるために遊んでるみたいっつーか……」
選ばれた女生徒だけを引き連れて行われる、パリス伯爵令嬢の華やかで豪勢なお遊びの様子を思い出して語るアイザックも、首を傾げていた。
「『みたい』じゃなくて、見せるために遊んでるんだよ」
「え……? そんなの何が面白いんだ? 楽しいから遊ぶんじゃないのか?」
マキアムの言葉で、獣人の剣士は心底驚いたように顔を上げた。友達と出かけるのも遊ぶのも大好きなアイザックには、『他人に見せるために』遊ぶという考えが無い。
「わからないのが、アイザックの良いところでしょうね」
「うん、心が洗われたような気がするよ。ルカもだけど」
「お前ら、俺を馬鹿にしてません……?」
「いいえ、決してそんなことはありませんよ。ご心配なく」
大きな獣の耳を下げてしょげる守護者仲間へ、セトが微かに笑ってフォローした。
貴族的価値観では、遊びと諍いの間の機微のようなものまで含めて『楽しむ』のが、美意識の一部でもある。馬鹿馬鹿しいと言ってしまっては身も蓋もなかった。けれど実際には馬鹿馬鹿しいのである。
「女王蜂の席は、一つしかないんだよ。陥落したら終わり……と、ディアベラは思っているんじゃないの」
琥珀色の瞳でもって、お嬢様が使っていたピンク色のエプロンを眺めるマキアムが言った。
「何だそれ? 面倒くせーなぁ」
頼れるものは己の腕一本という一匹狼的に生きてきたアイザックは、精悍な顔を顰めて赤い髪を掻く。
ダックワーズ学院では、身分の上下を問われないのが原則だった。そういう場所にも、階級は自然発生する。しかし階級の発生は自然でも、どこの階級に配属されるかの力学は感情から発生し、いつだって不自然に働いた。そこには膨大な打算と計算と駆け引きと、多大な魂胆が含まれている。アイザックには、それが煩わしいのだった。
「“美貌もカリスマも、周囲の目が離れたら、たちまちくすんでしまうからね”……って、お爺様が言ってたよ」
あどけなさの残る顔でマキアムが言った。
素質という『輝く原石』を持つだけでは、無価値に等しいのである。文字通り身を削り、磨き上げ、様々な鑑定書と専門家の評価がついて、ようやく栄冠に輝ける。必要とされ、誉めそやされる。そういう世界を、今は亡き王弟フォーサ公爵の三男坊は肌身に感じて育ってきた。
「なぁ……マキアムのじいさんて、先代の国王だよな?」
アイザックに小声で尋ねられると
「ええ、ユーグ陛下も、何かと御苦労されたらしいですよ。不審死したりとか」
「怖えーよ」
セトが小声で答え、聞いた側は後悔した顔になって俯く。この世界で特殊な位置を占める、ダックワーズ学院内だからこそ聞こえてくる、秘密の『噂』だった。無論、先代のアマンディーヌ国王が崩御した際の公の発表は『病死』であり、世間一般も病死に納得している。
「ルカが目立ってて忘れがちだけど、他の生徒だってディアベラより目立ったら、攻撃対象にされるもんね。入学前から騒がれていた天才魔導師令嬢も、あっという間に派閥を作られて、一人ぼっちにされちゃったんでしょ?」
「パトリシアか」
マキアムの話しに、赤髪の先輩も呟いた。伝説の『戦巫女』が入学するまで、一人ぼっちだったサフォー侯爵令嬢である。
「まぁ、パトリシア嬢の場合は、好き嫌いの激しい性格も理由だと思いますよ」
「そうかぁ? 人見知りだとは思ったけどな……」
冷静なセトの意見に、アイザックはわからないという風に眉を寄せる。
腰より長い、フォッグブルーの髪をした侯爵令嬢。『サフォー家の蒼い宝石』と呼ばれる美貌のお嬢様とは、炎の剣士も何度か話した経験があった。毎度彼女と会話が弾まなかったのは事実として、気性が激しいとは考えていなかったのである。
しかし水色の髪の優等生は、異なった見解を示した。
「執着も強い方でしょうね」
「そーそー。ルカと友達になったら、ルカ以外とは関わろうともしないもん」
「夢中になりやすいのでしょう。一度没頭し始めると、寝食も忘れて魔法の研究をしているそうですよ。研究者にありがちですが」
「へー、すげえな……」
セトだけでなくマキアムも解説に加わり、聞き役のアイザックは素直な感心を覗かせる。
美貌と才能と家柄の三拍子が揃っていたパトリシアお嬢様だったが、大方の予想に反して学院内では輝かなかった。特殊で稀有な才能があろうとも、大勢の憧れや学院のカリスマになるかどうかは別問題だったのである。
そして敵にならなかったパトリシア様の代わりのように、戦巫女が伯爵令嬢の標的となっていた。
「兎も角、女王の座を守るのは大変てことなんだろうね。今のところ、僕らは守護者で特別扱いだとしても、いつこっちへ矛先が向くかわかったもんじゃないよ」
明るい口調でマキアムが言った。それを聞くと
「そうですね……クグロフ国の魔法の天才少女なども、噂を聞いただけで牽制していましたからね」
ふっと、セトの声の温度が下がる。
殆どわからない微妙な変化に気付いたのは、公爵令息よりも苦労人の流浪の剣士だった。アイザックが、小柄な少年の制服の袖を引っ張って囁く。
「マキアム。もうこの話題やめろ。セトは妹を悪く言われてから、ディアベラが潜在敵国だろ」
「あ、そうだった。たしか『優秀過ぎて、将来お嫁に行く先も無いんじゃありません?』とか言われたんだっけ?」
「そうだよ。言ったのがディアベラじゃなかったら、とっくに消されてたぞ……」
忘れていたマキアムも少し青褪め、急いで口を閉じた。セトは変わらないペースでお茶を飲んでいるものの、周辺の空気が若干ピリピリと張り詰めている。
魔導師の国クグロフ国は古来より、血族間の絆が強かった。家族を侮辱されるのは氏族全体の問題であり、『冗談』ではすまされないのである。とりわけ妹を溺愛する兄の内面において、問題は巨大化していた。ディアベラが王太子殿下の婚約者でなければ、暗殺されていたかもしれない。
「それにしても、今日のディアベラ嬢は比較的穏健でしたね」
空になったカップを置いた水の精霊の守護者が、件の伯爵令嬢への感想を洩らした。
パン作りに参加している間、『ディアベラ』は不本意そうで、とても緊張した顔をして口数も多くは無かった。だが作業を拒否せず、手が汚れても嫌がる素振りもなく、そこが思ったより穏健であったと彼らは認識しているのである。
「他の人の視線が無ければ、ディアベラも自然でいられるのかなぁ?」
「大富豪の伯爵令嬢なんて、身体に悪そうだよな」
頂点に君臨するため、常に己を磨り減らし続ける運命のお嬢様を思い、マキアムとアイザックも呟いた。
「とはいえ、あまり俺たちの勝手な想像で、ディアベラ嬢を判断をするのも如何なものかと」
「じゃあ、セトは何でだと思うの? ……最近のディアベラの変化。ルカもだけどさ」
憶測を止めたセトに、マキアムが小首を傾げて囁く。
「あいつら、裏で組んで何かやってるんじゃねぇのか?」
常に直感と嗅覚で世渡りしてきたアイザックが、パンの残りを口へ押し込んで適当なことを言った。
「何かって何?」
「んーむー……、感謝祭の出し物に向けての、仕込み?」
琥珀の瞳の公爵令息から出た問いに、犬獣人はパンを飲み込んで返事をする。
「努力が足りないね。却下」
「想像力が残念です」
捻り出した回答は落第の印を押され、マキアムとセトが真面目くさって首を横に振った。
「それじゃ何なんだよ! お前らだって理由わかんねぇんだろ!? ルカの様子が何となく変なのも、ディアベラの違和感も!」
口から牙を覗かせ、アイザックが怒鳴る。それを聞きながら水色の髪の魔導師は目を伏せがちに、細く長く息を吐いた。
「引っ掛かりも違和感も、ただの偶然かもしれません。しかし……『何も怪しくはない』と、ずっと主張している点は、両者に共通しています」
「そこなんだよねぇ」
マキアムも頬杖を付いて「むーん」と考え込んだ。
ここしばらく、守護者の四人全員が感じ取っている『違和感』があった。そのため、セトが厨房へディアベラを連れてきたとき、咄嗟に何かあると二人も察して合わせたのである。
「殿下は? 何て言ってるんだ?」
「ルカとディアベラから……微かにだが、異常な魔力の波動を感じるそうです。異常と言っても、『魔力雑音』のようなものだったそうですが」
アイザックの質問へ、静かにセトが答えた。先日、王太子殿下から言われたその言葉が、図書館で『ディアベラお嬢様』を見つけた優等生を動かす切欠になったのである。
「ねぇ、殿下に言われるまで、セトは気付かなかったの?」
マキアムが尋ねた。からかいの色は無く、単純に不思議そうな顔をしている。純粋な魔法の知識と能力だけを取り出せば、セトは王太子殿下をも凌駕しているのを承知しての質問だった。
将来有望の魔導師候補は、小さく頭を振る。
「俺はアマンディーヌ王国の伯爵令嬢に、ベタベタ触るわけにいきませんよ。ルカは触れるけど」
「ずるいぞ」
「いつどこを触った」
ベビーピンクの髪をした戦巫女に触り、何か確認していたらしい『水蛇の魔導師』に、他二名が苦情を申し立てる。
「まぁパン作りの最中なら、お嬢様とも距離を縮められるので、調べていたんですが」
「そんなことしてたのかよ」
「変態っぽい」
口々に非難されようと、セトは気にしない顔をしていた。直接接触をせずとも、至近距離で時間をかければ、セトは相手の魔力の程度や使用している魔法を『調べる』ことが出来た。
「俺の調べた印象としても、日常で発生する範囲の微弱な魔力雑音でした。よくありますよ。魔力の乱れは寝不足や風邪をひいただけでも発生します。だから結論としては、わからない」
「そういうことか」
最初にセトが言った結論の意味を理解して、アイザックが溜息をついた。
「しかし……彼女達の魔力雑音の波長は、非常によく似ていた」
色白の指を顎に当て、品行方正な優等生が洩らした言葉に、公爵令息が「え?」と目を瞠る。
「何故、ルカとディアベラから、同じ魔力雑音がするのでしょう? 天敵のような二人なのに?」
囁いてセトは微笑していた。




