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第32話 ルカのはなし・お嬢様でもパンが作りたい

 学院の寮にある食堂は、事前に頼んでおけば生徒も厨房を使わせてもらえます。


「な……何ですの? この変なパン?」

「クリームパンていうんだよ」

 エプロン姿に腕まくりしたアイザックが、パンを整形しながら説明してくれます。背の高い彼の隣で、私は両手を後ろへ引っ込ませたまま、動くのを躊躇っていました。


『ディアベラお嬢様は、パン作り初心者』

 そこを前提にして動かなければなりません。伯爵令嬢とは、厨房なんて場所には本来近付きもしない生き物なのです。「全然わかりませんわー」という表情を貼り付けて、私は調理台の上を眺めていました。


 調理台に用意されていたのは、パン作りの道具の各種。整形するばかりになっているパン種。横にはカスタードクリームの入ったボウルがありました。


 学生寮の厨房には、赤髪犬獣人のアイザックと、私をここまで誘拐してきたセト。公爵令息のマキアムまでもが、エプロン姿で参戦しています。パンを焼くと聞いて来たのだそうです。戦巫女ディアベラちゃんと、フューゼンはいませんでした。そこだけは救いだったかも……。


「ディアベラ嬢も、パン作りに興味があるそうです」

 私は厨房へ連れてこられて、セトに紹介されてしまいました。他二名は飛び入りしてきた伯爵令嬢に最初は驚いていたものの、さほどの滞りも無く。私にも、ピンク色のエプロンが支給されました。

 セト……連れてきたことには、もう文句言わない。でも三角巾の着用の仕方が正し過ぎておかしいのだけ、気になるからどうにかしてほしい。


 という流れで、私も結局はパン作りに参加しました。作りました。作りましたとも、クリームパン。何か開き直ったというか。


 この異世界に、クリームパンを持ち込んだのはルカです。

 お菓子はあっても菓子パンは存在せず、甘いパンはブリオッシュとか、そんなのだけでした。流浪生活の長かったアイザックが、パン屋さんで働いた経験もあったと聞き、彼の力も借りて戦巫女ヴォルディシカのルカは、異世界でクリームパンの再現に成功したのです。


 ついでに、から揚げも持ち込みました。カレーとサンドイッチはあっても、ラーメンとから揚げはなかったのです。下味に使う醤油に該当するものが中々見つからず、クグロフ国から味の近い調味料を取り寄せてもらいました。男子四人のから揚げ争奪戦になってしまい、異世界で一番から揚げを欲していた人である私がほとんど食べられなかったという、皮肉な結果となりました。


「よーし、完成!」

 やがて、良いにおいがして焼き上がったパンが鉄板に乗って出てきました。焼き加減も良い感じです。

 形は色々。カメさん、ネコさん、ウサギさん、その他の何か。普通に丸く作るはずだったみたいなんですけど、私が何となくクマさんを作り始めたら、何だかみんなもアニマル系のパンを作り始めて、こうなってしまいました。


「ディアベラの作ったネズミ、けっこういいカンジに出来てるな?」

「ちがっ、……クマさんですわ!」

 私が自分の完成品を見ていると、手元を覗き込んだアイザックが大きな三角の耳をひょこひょこ動かしながら、失礼を言ってくれました。


 これはクマさんなんだ! シルエットが細長くなってネズミっぽいけど、クマ! 焼く寸前の第二発酵の時点で、クマから遠ざかっているのは大体わかっていたけどクマ!


 それに引き換えアイザックの作った、ネコさんウサギさんの完成度の高さが異常です。鼻やヒゲもちゃんとついてて、しかも可愛い……。剣士のアイザックは怪力で、無骨な手をしているから仕事も大雑把と思いきや、手先が器用で繊細な作業も得意なのです。たしか絵も上手かったような。


 すると私の隣でカメさんクリームパンを手に取ったマキアムが、さらさらの金髪の下の眉をひそめてセトに尋ねていました。


「ねぇ、セトのその丸いの、何? トマト?」

「クラゲです」

「わかりにく……」

 真顔で答えているセトが持っているパンは、丸くて、ちょんと何か付属品がついているという形でした。パンは膨らんで焼き上がると形が変わってしまいます。そこを考えてもクラゲって、そんな形だったっけセト……?


「あー、おなかすいた。食べちゃおっと」

 食いしん坊なマキアムが琥珀色の瞳を輝かせ、自作のカメさんクリームパンを二つに割ります。焼き立てパン特有の白い湯気が漂いました。同時にあふれ出す、とろけるカスタードとバニラの甘い匂い。


「まだ熱いぞ? 火傷すんなよ?」

「平気だよ、だいぶ冷めてきたし。ディアベラも食べたら?」

「え……」

 はむっとパンを頬張ってマキアムが笑顔で言いました。食べてから「あちちち!」と騒いでいます。やっぱりまだ中身のクリームは熱いのでしょう。そうだろうと思った……。


「おもしろい味っていうか……意外とおいしいよ?」

「意外とって何だ。俺が作ったんだから、うまいに決まってんだろーが」

 はむはむ食べ続けているマキアムを、アイザックが睨みつつ小突いていました。


(ううー、食べたい。食べたいけど……)


 おいしそうだし、おなかは減っているし、良い匂いはするし。でもここで食べていいの……? 生粋の伯爵令嬢ディアベラちゃんだったら、食べるでしょうか?

 考えた末に、私は物凄く遅ればせながらというか、安全運転を心がける事にしました。


「結構ですわ。匂いだけで、何だかもうおなかいっぱいですの。宜しければ召し上がって?」

 すました顔で私がクマさんパンを差し出すと、アイザックが黒い目を瞠りました。


「……え。俺にくれんの? マジで? やった!」

 パアッと音のしそうな笑顔を開き、クマさんクリームパンを手に入れた犬獣人の彼は、拳を握り締めていました。お菓子でも何でも、あげるといつも喜んでくれるよねアイザック、嬉しいよ私……!


「あー! 何でアイザックばっかりもらえるんだよ!?」

「材料揃えて下準備した人の権利だろ、これくらい当然……って食うなよ! クマの耳んトコ食うなよ! 俺より先に食うなよ!」

「うエーイ!」

 世話焼きお兄ちゃんなアイザックと、弟気質全開なマキアムは、わちゃわちゃ喧嘩しています。何だかんだで良いコンビなのです。


「お菓子に近いんです。一口だけでも、如何ですか? 毒なんて入っていませんよ?」

 結んでいた髪を解いている私に、セトが声をかけてきました。水色の瞳が、こちらを見つめています。

「そ、そこまで仰るなら……。一口だけ、いただきますわ」

 ぎくしゃく答えると、ナイフで一口大に切って差し出されたのは、自称クラゲさんクリームパンでした。


 口に入れると、いかにも手作りっぽい、でも一生懸命さの伝わる温かい味と食感が広がります。前にいた世界で私の知っていた小麦粉とは違います。製粉の違いなのか、風味が全粒粉ぽいのです。


――泣きたくなってきた……。


 久しぶりに食べたアイザックのパンは美味しくて、私は何故だか涙ぐみそうになりました。伯爵様のお屋敷で、スペシャルに美味しいものは毎日いただいていますが、そういうことじゃないのです。美味しいってそういうことだけじゃないと思ったのです。


「しかし、ディアベラ嬢とパン作りをご一緒する機会に恵まれるとは、思ってもいませんでした」

 ぐっすんごっくん、パンと涙を飲み込んでいる私の横でセトが言っています。ここに連れてきた張本人、何言ってる……白々しい。


「興味があるなら、また教えてやろうか? お屋敷じゃ、こんなもん作らせてもらえねぇんだろ?」

 調理台に手を置き、アイザックも申し出てくれました。彼はディアベラお嬢様が、お屋敷の厨房に入れないと思ったのでしょう。


「い、いいえ、お気持ちだけで充分ですわ! それにわたくし、もう帰らないと!」

 気付けば、一時間以上過ぎてしまっています。

 エプロンを外し髪を撫でつけ、慌ただしく片付けをして私はその場を後にしました。図書館の塔でロビンちゃんに会うのも、ギリギリで間に合って誤魔化せました。


 帰りの馬車の中、私はぼんやり外を見ていました。

 クリームパンの味も、今まで当たり前だった守護者の彼らとのお喋りも。

 何だかとても懐かしく思えました。

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