第31話 ルカのはなし・静かなる攻防
クレーマーみたいで嫌だから、出来るだけ言いたくありません。
それにしても、『邪なる神ソルト』よ。いつになったら来るのですか。断わる前提で勧誘待ってるっていうのも変なお話ですけど、こっちはそろそろ待ちくたびれているのですよ。
しかし神殿の一件の後で改めて考えているうちに、私の中で一つの仮説が浮上しました。
――『入れ替わり』が解消しないと、来ないんじゃないの……?
戦巫女と悪役令嬢が元に戻らなければ、乙女ゲーム的に次の役者も舞台へ出るに出られないのではないかと……。
ありそうな気もします。でもこれは、ただの勘です。それに私はゲームを知らない上に、神官様でもないため邪神について基本情報しか知りません。
てなわけで、『邪なる神ソルト』のことを、本腰入れて調べようと思ったのでした。入れ替わりが解消して戦巫女に戻った後には、私が闘う相手でもあります。詳しく知っておくのは、無駄にはなりません。関連書籍なら学院内にある図書館の塔に、たんまりあります。
今日は試験で、授業は午前中のみでした。
調べる内容がアレなため、勘付かれたくないのと心配させたくないのとで、万能の執事ロビンちゃんには
「図書館へ行きたくなったの。帰りは遅くなりますって、お母様たちに伝えてきて。お食事もいらないわ」
と、急に思いついた感じのワガママを言い予定を変更することで、しばらく身辺を離れてもらいました。
そして
(よし……今回はセトいないな……?)
午後の図書館に来て館内をそれとなく見回し、一人で身軽な私はひそかに確認しました。前回と同じ轍は踏みたくありません。
ダックワーズ学院の図書館は、巨大な塔です。螺旋階段と梯子が縦横に並ぶ、知の迷宮です。館内は魔法の使用禁止。地上十六階建てで、上層階へ行くエレベーターみたいなものが設置されています。手すりのついた、大きな白い石版? に魔法陣が描かれていて、乗ると、ふよーっと運んでくれるのです。
その広大な建物内で目当ての書架へ向かおうと歩き出し、数歩進んだかどうかという地点でした。
「お久しぶりです。また小説ですか?」
本棚の前を通り過ぎる私へ、さらっと声をかけてきた野郎がいました。吹きそうになるわ……。
避けたかった遭遇は、避けられませんでした。そこで本を片手に立っていたのは、柔らかそうな水色の髪に、すらりとした体型の理知的な青年、セトでした。
最初に戦巫女の仲間になってくれた守護者なので、付き合いも長いセトです。信頼しています。私、キミの抜け目が無くて若干面倒くさい性格とかも結構好きなんだけど、今なら嫌いになれそうな気がするよ……。
「いいえ、ちょっと調べものをしようかと思って……」
素知らぬ顔で、離脱を試みた伯爵令嬢ディアベラ様だったのですが
「調べものですか。お手伝いしましょう。何をお探しですか? こう見えて図書館には詳しいんです」
優等生のセト・ペングリーヴ君は、持っていた本を棚へ戻しながら言ってきました。
(知ってるよ! 司書か館長かってくらい詳しいもんね!)
お腹の中で、そう言い返しておきました。今こそ呼ばれても聞こえないフリをすれば良かったと後悔しましたが、覆水は盆に返らないのです……。
未だに表情が読みきれない、『水の精霊の守護者』の彼です。たとえ顔は笑っていても、透き通った水色の瞳が笑っていない場合がある人です。
大体、何でこんなに伯爵令嬢へ話しかけてくるの? それほど親しくなかったですよね? どこかしら怪しんでいるの? やっぱりそうなの……?
「まぁ、ご親切にありがとう。でも本くらいは自分で探せますわ」
何とかして離れようと、お嬢様がせっかくお断りの文句を捻り出したのに
「失礼ですが、見つけても届かないんじゃありませんか?」
セトには涼しい声で指摘されました。こんちくしょー!
ディアベラお嬢様は小柄です。梯子はたくさん準備されていても、本来のこのお嬢様はよじ登ったりしません。まず梯子を使っても、三メートル近くある本棚の上まで手が届くか怪しいです。それはわかっているのです。
司書を通せば、該当する書籍を探して持って来てくれます。頼むべきだと、私も思っていました。前回の調べものの際も、司書を通したのでした。しかし「『邪なる神ソルト』に関する本が読みたいの」と口に出すのは、デンジャーに過ぎる気がして避けたのです。
(こっそり本を探そうとしていたのに! 私の計画を粉砕するな……!)
気位の高いお嬢様として、思いっきり「失礼ねッ!」と言ってしまおうかと迷いました。だけどたとえ断ったところで、既にこちらはマークされているのです。これで迂闊に調べものを続行すると、どんな形で捕捉追撃されるかわかりません。
ていうか、どうして仲間とこんな敵対関係の臨戦態勢にならなければいけないの……。
ちろっと見上げると、邪魔してくれてる冷静な水色の瞳が、こちらの反応を待っていました。これはダメそう。見逃してくれない……。私もだんだん、諦めモードになってきました。
(セトにお願い出来たら、確実なんだろうなぁ……聞ければいいのに……)
溜息をつきたい気分で、そう思いました。
少し前まで。入れ替わるまで。戦巫女だった時には、パティと並んでセトに何でも相談できました。
向学心が強くて好奇心旺盛なセトは、異世界人の私の話しにも興味津々です。畳とコタツについて一時間近く説明したのも、イイ思い出です。邪神の神話や伝説に関するオススメの本など尋ねたら、この将来有望な魔導師候補は、きっと丁寧に教えてくれます。
でも勘の鋭いセトを相手に、今それを実行するのは、あまりに危険度が高いです……。脱出が最優先と、私は予定を変更しました。
「大丈夫ですわ。パン作りの本を探しに来ただけですもの」
「パン作り?」
くるりと態度を改めた私の発言で、セトは意表をつかれたように目を瞬かせていました。ディアベラちゃんは、パン屋さんを目指しています。これなら全体の帳尻も合います。調理系の書籍は、ここから少し離れた書架の下にあったはずだからお嬢様でも届くし!
ほら見ろ! セトでも、さすがにこれ以上は口出しできないでしょ! 料理や裁縫、一切出来ない不器用さんだもんね! イエエエェェーイ、これで無事に終了!
……と思ったらそうでもありませんでした。
「それなら、アイザックが知っていますよ」
「え?」
「ああ、そうだ。ちょうど午後からパンを作るって言っていたな」
「は?」
「今頃、寮の厨房を借りて作っていますよ。素人のパン作りですけれど、良い機会ですからディアベラ嬢も是非一度ご覧になって下さい。王国のご令嬢は厨房へ入らないと聞いていましたが、幅広い方面に興味をお持ちになるのは、素晴らしいことだと思いますよ。俺たちにも協力させて下さい。本で勉強するのも大切ですが、やはりこういうのは実地で触れてみるのが一番ですから。たぶんマキアムも来ていると思いますし……」
やたら饒舌なセトに引っ張られる……なんてことはないです。そこら辺は弁えている人です。でも、そこはかとなく押し出される感じで、私は図書館から連れ去られてしまいます。
護衛のロビンちゃんを身辺から離したのを悔やんでも、悔やみきれません。
おかしな方向へ、事態が転がり始めました。