第30話 ルカのはなし・悪寒と共に去りぬ
その日も、『日課』のお祈りのために神殿へ向かいながら、私は悩みを深めていました。斜め後ろをついて来るロビンちゃんに覚られないよう注意は配っていますが、足取りは気持ち重いです。
ディアベラちゃんが辛いのはわかります。『断罪』に『国外追放』。王太子殿下との婚約も白紙撤回。そんな未来は出来るだけ遠ざけたいという心情は、察するに余りあります。
しかし悪役令嬢は、『邪なる神ソルト』と交信してしまうのです!
人類への裏切り行為であり、例えるなら壊滅的破壊力を持つ生物兵器を、個人で所持しようと企んだようなものです。これは仮に、極度の心神耗弱状態だったとしても怒られるに決まってます……。
それでもベテラン悪役令嬢は、入れ替わった私にも、邪神との接触を避けろとは言いませんでした。つまり『邪神にスカウトされる→断わる』というこの流れが、プロがオススメするシンプル且つベストな選択なのです!
そうして役目を終えることで、悪役令嬢が確実に生き残る『隠しルート』のエンディングへ進めます。十一回やってきた人が言うんだから、間違いないでしょう。乙女ゲームを知らない素人が、下手にルートへ干渉するのは危険すぎるし……。
(……あれ? でもそういえば今回って、『邪神ソルトの勧誘を断わる』んだよね?)
歩みは止めず、見た目は『金髪の絶世美少女ディアベラお嬢様』な私は、小さく首を捻りました。
『悪役令嬢ノート』にも書いてありました。『隠しルート』ならば、お嬢様は魔獣になりません。他のルートではディアベラちゃんは邪神の勧誘に引っ掛かり、魂を渡して魔獣化します。『クリムゾン・レディ』という完全なモンスターとなり、戦巫女に倒されてしまいます。
だけど十一回目の今回は、勧誘はされても、断わるのです。断わる予定です。国家や世界の敵にはなりません。
(それでも、一族まとめて国外追放なの? ちょっと処罰として重くないかな……?)
考えて、反対側にも首を捻りました。
乙女ゲームのストーリー云々はともかく。未成年の女の子が、人知を越える巨大な力によって心の隙を突かれ、悪事に手を染めてしまうのです。
たしかに邪神とのコンタクトは悪事です。馬鹿でかい悪事です。でも被害者は出ておらず、未遂に終わるんだし、もう少し酌量の余地があって良いんじゃないの?
そう思う、これは私がジャパン育ちの異世界人だからなの?
それに、『国外追放』という減刑も微妙に思えるのです。国外って、どこへ追放されるのでしょう。
ディアベラちゃんは魔力も相当に高く、超物騒な力を所有しようとした危険分子です。こんな人、どこの国も受け入れを拒否するのではないでしょうか。もし喜んで歓迎するとすれば、そこはアマンディーヌ王国に敵対する国家や地域です。そんな所へ物騒な存在をホイホイ送り込むほど、この国の上層部はお花畑ではなかったはずです。
(……ディアベラちゃん……パン屋さん出来るのかな……)
何となく心配になってきました。
追放された先が、無事にお店が開けて、お客さんの来る土地なら良いのです。でももし、オオアリクイしかいないような土地だったら、どうしたもんだろう?
「オオアリクイに……パンを売るか……」
「? おおあ……? 何か仰いましたか、お嬢様?」
ロビンちゃんが不思議そうに尋ねてきて、自分が脳内の呟きを声に出していたと気が付きました。アリクイはアリを食うので、パンにアリさんを練りこめばチャンスも……などと考えていたのでした。
「え? あ、ううん、何でもないわ! 考え事していただけ……!」
「はあ、そうですか……?」
慌てて誤魔化したお嬢様を、ミントグリーンの瞳が映していました。
気になるといえば、この子の行く末も気になります。
遠くない未来に、執事の仕事を解雇されて失業するとは知らないロビンちゃん……。今すぐ就職活動が出来て、次の展望が開ければ、この子の自殺を止められるかもしれません。でも他人の私が勝手に就職の斡旋をしたりするのは、どう考えても先走り過ぎです。本職のディアベラお嬢様なりに、救済策も準備しているらしいし。
そんなこんなを思いつつロビンちゃんと神殿へ入ると、魔法の白い灯火が照らす薄暗い祭壇の前に、先客がいました。
この世界の神様は三柱いらっしゃいますので、神殿内の祭壇も仲良く三つ並んでいます。
向かって左側から『正なる神シュガー』、真ん中が『機械仕掛けの神ペッパー』、右側が『邪なる神ソルト』です。
光のシュガーと、闇のソルトが主戦力の神様です。『転換』を司るペッパーさんは――私はこの名前を聞くたびに、前にいた世界の“目が怖くてスタイリッシュな白いアイツ”を思い出すのですが――両者を繋ぎバランスを取る、『鎹』のような役割だそうで、祭壇も一番小さいのです。
その三つ並んだ祭壇の、ちょうど真ん前でした。
「あら……?」
立ち止まった私は、つい目を瞠ってしまいます。思わぬ人の後ろ姿に、驚きました。
「え、ディアベラ様……!?」
私の声で振り向いたのは、フォッグブルーのゆるりふわりな長い髪をした女の子。パティでした。普段から生徒は殆ど来ない施設なので、他に学生の姿はなく、神官の方々もいません。
「ご、ごめんなさいお邪魔してしまって……! あの、ボク、いえ、私、もう帰りますので、どうぞ……!」
うろたえまくっているパティが、早口に言いました。潤んだピーコックグリーンの瞳は、おろおろしていました。顔はかわいそうなくらいに真っ赤になっています。別に神殿はディアベラちゃん専用の施設じゃないから遠慮しなくて良いのですよ。
ところで。
パトリシアお嬢様が人見知り気味だとは、以前から私も知っていました。人嫌いとも違うようで、一度打ち解ければ、無邪気で元気一杯です。明るくてよく喋ります。彼女は背が高くてスタイルも抜群で大人びているから、内面を知るとかえって幼く見えたりするくらいです。
ただ、気心知れた『お友達ゾーン』へ辿り着くまでの壁が、猛烈に高いのです。
それにしても、対ディアベラお嬢様のときのパティは赤面の具合が重症です。この前、一緒に課題をやろうと声をかけたときも、こんな感じでした。
(もしかして……キライじゃなくて、好きなの? お友達になりたいのですか?)
ディアベラちゃんの取り巻き娘その三である、ゾフィーと同じような状態か? と考えました。これほどパティがうろたえているのも、大ファンで雲の上な存在だったアイドルとお近づきになったときのファンみたいな心理状態なのではないかと、そう考えればわかる気がします。
お友達になれば良いじゃないか! まぁこのヒト、国外追放されるらしいけどな!
ディアベラ様の方としても、アマンディーヌ王国の侯爵令嬢と親しくなっておいたら、コネを使えて減刑してもらえる可能性もあります。パン屋さんの出来る土地を選んで追放してもらえるかもしれません。
「パトリシア様が神殿へいらっしゃるなんて、お珍しいですわね。何かお祈りしていらっしゃったの?」
私が声をかけると、立ち去ろうとしていたパティの足が止まりました。
尚、私は毎日邪神に『勧誘を断りたいので早く来てください』と祈っています。
「い……いえ、ただ、ちょっと、考えていただけで……」
「考え事?」
震えるような小さな声で、返事がありました。色々と考え事をしているのは、私だけではなかったようです。
「ボク……どうしていつも、こうなっちゃうのかなって。彼に怒られてるのかな……」
それは返事というより、虚ろな独り言みたいでした。
俯いているパティの顔は、よく見えません。神殿内の微かな白い光が、ゆるく波打つ青い髪を艶やかに照らし出していました。
「彼? ……お友達ですの?」
サフォー侯爵家のお嬢様の口から『彼』という言葉が出てきて、私は少々意外な気がしました。一応は親友ポジションだった私の知る限りで、パティの周辺に男性の影やそれっぽい噂はなかったのです。
まず『美人』、『名家』、『超天才』の逆三重苦なお嬢さんに、のこのこ近づいてくる勇者はいません。ステータスの高過ぎるパティ様に、二の足を踏んでしまうのだと思います。縁談や婚約の話も知りません。まぁそこはいくら友達とはいえ、私は異世界人の部外者に過ぎませんから、知らなくても当たり前ですけども。
そんなパティに恋の予感? 神殿で神様に恋のお悩み相談か……? とか、考えていたらですね。ハッと気付いたようにパティは顔を上げ、微かに首を振ったのです。
「あ、いいえ、何でもないんです! それじゃ、御機嫌よう……!」
そして挨拶もそこそこに、侯爵令嬢は小走りで祈りの間から出て行ってしまいました。
「何なのかしら?」
「さ、さあ……?」
取り残された私の呟きに、ロビンちゃんが小声で答えました。何気なく見たロビンちゃんの顔が、緊張して微妙に青褪めているのに気がつきました。
「ロビン……? どうしたの?」
固く厳しい表情をしている万能の執事さんに驚いて尋ねると
「……実は、神殿に入ったときから、妙な悪寒のようなものがありまして……」
「え? どこか具合が悪いの?」
急な体調不良かと思った私に、ロビンちゃんは微かに首を振りました。
「いいえ、そうではなく……何か、悪い予感というか。もしもまたお嬢様に、危険があってはと思うと気が気ではなくて……。でも、何も異常は無さそうですね。おそらく私の勘違いです。余計な事を言って申し訳ありません」
護衛として鋭く光るミントグリーンの瞳で周囲を警戒しながら、まだロビンちゃんは不安そうな声で言いました。私が見た限りでも、祭壇も部屋全体も、別にこれという異常や不審者の気配は無さそうです。
と、なると
――悪寒て……も、もしかして今日こそ、邪なる神ソルトが現れるんじゃ!?
いよいよ悪役令嬢の出番ですか!? なのですか!?
そう思い、私は急いで祭壇の前で跪き、普段より気合を入れて長めにお祈りをしました。しかし期待は、脆くも打ち砕かれました。私の祈りが届かなかったのかタイミングが合わなかったのか、邪神は来なかったのです。
(何なの、もー……期待させるだけさせといてー……!)
気合を無駄に消費した分、帰路につく私の気分と足取りは神殿へ来るときよりも更に重かったです。