ヒロインなディアベラ・パリスの独白
――こういうのを、因果応報と言うのだったかしら?
前世の記憶を辿って、そう思った。
今の私は、『戦巫女キリュー・ルカ』。
乙女ゲーム【君のいる世界と戦巫女】のヒロイン。でも中身はヒロインの敵役、『悪役令嬢ディアベラ・パリス』。
ヒロインと入れ替わっている悪役令嬢を、女生徒三人が取り囲むようにして立っていた。
スカーレット、アニス、ゾフィーの三人。ディアベラお嬢様の取り巻き三人娘。私はこれまで自分を取り巻かせていた子たちに、またこうして取り巻かれている。ただし同じように取り巻かれていても、ちやほや持ち上げられていたお嬢様時代とは正反対の理由で。
「アナタ最近、ちょっと調子に乗り過ぎているんじゃありませんこと?」
「殿方を侍らせて、見苦しいったらないわ!」
「『戦巫女』の威光を笠に着て、学院の恥さらしですわよ」
放課後の廊下の隅で、三人娘から一方的に責め立てられていた。孤立無援。どう見ても、いじめられている構図だわ。
だけど
(やり方が、まずかったかしらね……)
黙って俯いたまま、ピンク髪の戦巫女となっている私は、別のことを考えていた。
謎の『障害』の発生により、本物の戦巫女ルカと入れ替わり『ヒロイン』となって以来。私はゲームの攻略対象達の好感度を上げるため、乙女ゲームのイベントを次々にこなしてきた。それもこれも、好感度を上げるため。これは嘘じゃない。
――ああ、とてもよく似合っていると思う。
――可愛いですよ。あなたが自覚しているよりも。
――慣れない場所も、一緒だと楽しいもんだな!
――たまには僕に頼ってくれてもいいじゃないか。
こんな台詞を浴びまくる毎日は楽しかったけど、嘘じゃない。甘い甘いお砂糖漬けのような日々で脳ミソ溶けそうだったけど、嘘じゃない。
嘘じゃないけど、私って今まで悪役令嬢が専門でしたの。ヒロインの仕事なんて長い間やってなかったから、大事な注意点を忘れていたのよ。
機械的に好感度操作をやり過ぎると、学院内でヒロインの『悪い噂』が立ち始める。『悪い噂』が出てくると、攻略対象たちの好感度も下がってしまう。彼らとの関係が悪化して、取得可能なアイテムや発生イベント、最終的にはルート選択やエンディングにまで響いてくる。
悪役令嬢ディアベラの取り巻き三人娘は、この『悪い噂』の発生をヒロインへ『忠告』に来るキャラクター。この子たちが『忠告』に来たら、いよいよ本格的に『悪い噂』が発生する前触れ。
トゥルーエンドはレベルを上げて、攻略対象達とシンプルに仲良くやっていれば、自然に辿り着く。
でも『隠しルート』は別。
『好感度』はステータスのように、数値化やパラメーター化されていないため、ユーザーには見えない。その好感度を、『悪い噂』が出ないよう注意しながら、攻略対象全て最高にするのは至難のわざ。だから『隠しルート』は、エンディングへ辿り着くのが猛烈に難しいと言われていた。
まずゲームでも何でも、他人の好感度を平等に上げまくるなんて、簡単じゃないのよね。
もっと注意して好感度を上げないと、九割決まったと思ったエンディングも変わってしまうかもしれない。『邪なる神ソルト』はまだ来ていないし、最後の戦いまで時間はある。今後の戦術を変えればいいわ。
(でも、この三人娘に絡まれるパターンは、他にも、何かイベントがあった気がするけど……何だったかしら?)
無抵抗に撤して下を向き続けて、私は上の空で考えていた。もう『忠告』はわかったから帰ってよと、小さく溜息をついていた。
「危険な戦巫女の使命を無事に果たして、どうぞ早く引退なさってね」
「どうせバカ丸出しに遊び呆けたいんでしょ?」
「戦巫女じゃなくなったら何の取り得もなさそうですけど、きっとうまくいきますわよ」
スカーレットたちは口々に言って、甲高い声のボルテージは上がり続ける。
(……ここまでの台詞、あったかしら?)
首を傾げたくなってきた。すでに十五分くらい、この状態が続いている。ゲームの『忠告』では、それぞれが一言二言嫌味を言って終わりだったと思うんだけど……。
もしかして、中身が本物のヒロインではなく、『悪役令嬢』だから? この子達も自然と触発されて、いつまで経っても悪口が止まらないのかしら?
あり得る……。ということは、まだまだ続くのこの悪口雑言?
「あら? まさか貴女、自分が人気者だなんて勘違いしていらっしゃるの?」
「やぁね、普通ならあなたみたいな子、誰にも相手にされるわけないじゃない!」
「守護者の皆さまが優しくしてくださるのも、あなたが戦巫女だからに決まっているでしょ?」
侮蔑の笑い声を浴びて無意識に手を握り締めると、爪が掌を噛んだ。
――言われなくたって、そんなの知ってる。うるさいわね、早くいなくなってよ。
今の私は『戦巫女』。
血眼にならなくたって仲間たちと仲良くなれる。頑張れば報われて、大きなミスさえしなければ何をやってもうまくいく。出会うほとんど誰もが、ヒロインを大好きになるのが前提で回っている世界だもの。
――みんな嫌い。こんな世界大っ嫌い。
誰がしおらしく消えてやるもんですか。意地でもゲームのシナリオの、先の世界へ辿り着いてやるのよ。
国外追放が楽しみだわ。準備だってしてあるんだから平気。この世界の『真実』を知っている上に、美貌と魔力と財力の、三拍子揃っている私ですもの。その気になれば、女神や英雄にだってなれちゃうわ。貴族のお嬢様暮らしは長いことやったから、もう結構。お后競争でも何でも、狭いところで勝手にやればいいのよ、可哀想なおバカさんたち。
私はくだらないゲーム世界の、尊い犠牲者なの。
この役目だけ果たしたら、後は好き勝手やらせていただきますので、みんなせいぜい後悔してね。後で謝って泣きついてきたって、絶対に助けてなんかあげないんだから。私を虐げてきた世界を、今度は私が安全で幸せな場所から、高笑いして見下ろしてあげるわ。
心の中であらんかぎりの罵倒を並べて、自分を励ましていた、その時だった。
「一対三か……潔くないな」
低い声と、近付く人の気配がした。
ハッと横を見上げると、いつの間にか、灰色の髪をした背の高い男子生徒が立っていた。彫りの深い顔立ちと、髪の間から覗く黒い獣の耳が見えた。
「な、ナキル様……!?」
三人娘が小声で叫ぶように言った。私も息をのんだ。
そうだ。思い出した。
ナキルは二周目以降のゲーム終盤、ヒロインを助けてくれるイベントで初登場するんだった。登場イベントのパターンは複数あって、三人娘が絡むパターンもあったんだわ。
ナキルはイベント数は少ないけど結構人気のあるキャラクターだった。ゲームのファンの間では「もっと早く出せ」と言われていたのよね。
「これ以上の見苦しい振る舞いは慎むことだ。帰れ」
厳しい口調でナキルに言われると、スカーレット達は揃って大人しくなる。
それでも許さないナキルが鋭い眼光で睨みつけると、三人娘は気まずそうな顔を見合わせて退場して行った。
『悪役令嬢』の私には関係無いし、坊主憎けりゃ何とかというやつで、顔を見るのも嫌だったナキル。でも今は、いじめられている女の子を助けてくれる、ヒーローな黒獅子族の若君だった。
廊下で二人きりになった後、赤紫の瞳が、ちらっとこっちを見下ろした。
「……戦巫女も大変だな」
助けたのは良いけれど、何を言えば良いのかわからないという表情で、ぽつりと言われた。
そうそう、これよ、これ。こんな台詞あったわ。
「ありがとう……」
ゲームのシナリオに沿って、私も台詞を言った。
小さな同情は『戦巫女』へ向けたものであって、悪役令嬢じゃない。だけどナキルも一応、攻略対象なんですもの。これが最も好感度が上がる台詞なの。
ヒロインとして振る舞った。
そこで、ぽろっと涙がこぼれた。別に悲しくなんかなかったから、これも今の私がヒロインだからだわ。
「お、おい?」
突然、戦巫女に泣かれて、黒獅子族の若君は焦っている。
ナキルは口下手で不器用なキャラクター。ゲームの中でも、ヒロイン相手にナキルが慌てる、こんなやり取りがあった気がするわ。
「大丈夫か……?」
少し困ったような口調でナキルに声をかけられ、私はこくんと頷いた。
目の前で涙を見せている、ベビーピンクの長い髪をした可愛い女の子。実はこの子の中身が、貴方の大っ嫌いな伯爵令嬢だと知ったら、一体どんな顔をするでしょうね。
「何故だろうな? …………初めて会った気がしない」
私を見つめて、ナキルが呟いた。乙女ゲームに相応しい、歯の浮くような台詞で笑ってしまった。健気なヒロインの流す美しい涙を見て、慰めてくれる王子様。
これでこそ乙女ゲーム【君のいる世界と戦巫女】よ。
やっぱりここはゲームの世界なのねと、強くなる確信の裏側で。
――こんな台詞も、ゲームにあったかしら?
ほんの少し、そうも思った。