第22話 ルカのはなし・パン屋にラブコールを
緑の葉を揺らす風がやさしく流れ、輝く青空も眩しい、休日の午後でした。
私は翌日に昼食会をかねて開催される、お母様の『ちょっとしたパーティー』のため、お屋敷でドレスやアクセサリー、髪形などの打ち合わせをしていました。内々のパーティーで、奥様方やお嬢様方が八十人ほどいらっしゃるというお話しでした。皆さま軍の関係者や文豪、富豪、芸術家といったお家の方々です。『ちょっと』が何であったか、私はもう見失いかけています。
『ディアベラお嬢様』として、私は相変わらずトリミングされるトイプードル状態でお母様と侍女たちに、されるがままになっていました。最近のお嬢様方の間では膨らませたフリフリのドレスが主流だそうですが、「次に来るのはハイウェストのシンプルなドレスです」と、凄腕らしい仕立て屋さんが言っていましたので、それにしました。
でも少しくらいは自己主張知らないと『らしく』ないので、アクセサリー選びだけはしておきました。ベージュに近いオフホワイトのドレスと、お花を模したデザインの、でっかいエメラルドの首輪……いえ、首飾りです。
「あぁーあ……つかれたぁ……」
長い打ち合わせが一区切り付いて、普段着のドレスに着替え自室へ戻り、一息ついた頃でした。ソファーでぐったりしていたら、銀のお盆に載せられて、私宛に大き目の封書が届いたのです。
手に取って差出人を見てみると
(フレデリック・メルセデス? 建築家の……?)
アマンディーヌ王国で有名な、建築家さんからでした。
お金持ちが、こぞって別荘やお屋敷の設計を依頼する有名人です。有名なので、名前だけは私も聞き知っていました。
(どうして建築家の人が、お嬢様にお手紙を? お父様か、お母様の間違いじゃないの?)
と思いましたが、宛先はたしかに『ディアベラ・パリス様』。言うまでもなく、お嬢様と中身の入れ替わっている『私』個人に、関係はありません。
他人の手紙ですけど、もしも返事が必要な急ぎの案件だったりすると困るので、開いてみました。
中に入っていたのは何かの設計図でした。そしてフレデリックさん本人からの
――ご依頼の品。直接お渡しするべきところ、まことに申し訳ないのですが、どうしても他の予定との折り合いが付かなくなったため、郵送させて頂きます――
という旨の手紙が一通。お気遣いありがとうございます。
ひとまずソファーから立ち上がり設計図を机の上へ広げてみると、何かの建物でした。バカンス用の別荘という感じでもありません。別荘ならもう各地に十七軒もあるしね……。
木造二階建てで、大きな三角屋根と、可愛い煙突。花壇に囲まれたエントランス。全体の外観はわざと少々野暮ったく、ほのぼのとした『田舎風』にデザインされています。内部には、一階部分の殆どを占める調理場。かまど。売台。ショーケース。倉庫。
「何だろこれ……? パン屋さんみたいな……?」
設計図を眺めるうち自分の口から何気なく漏れ出た呟きで、ショックが稲妻のように駆け抜けました。
慌てて机へ駆け寄り、魔法の引き出しを開けてディアベラちゃんの『悪役令嬢ノート』を取り出します。
真っ先に開いたのは、例の『ラーメン屋さん』のページです。そこには他にも『靴屋さん』、『魔法雑貨屋さん』、『アクセサリーショップ』、『鍛冶屋さん』、『絵描き』、『宿屋さん』、『田園牧場』、『お弁当屋さん』、その他諸々。
そしてあの『パン屋さん』の、赤丸。
(これだああーー! やっぱり『パン屋さん』だあああーーーーッ!!)
私はノートを握って机に突っ伏し、雨に打たれた子犬状態でぶるぶる震えていました。パン屋さんみたいと思った設計図は本当に、『パン屋さん』の設計図だったのです。イメージ図というか。『悪役令嬢ノート』の最後にあった意味不明なページ。これは何だろうと思っていたのですが、謎が解けました。
ディアベラお嬢様の、『今後の人生計画』が書いてあったのです。
『隠しルート』のエンディング後、パリス家は断罪されて国外追放です。そこでディアベラちゃんは、『没落対策』を講じていたのでした。
ゲームの悪役が無事終了し、めでたくエンドロールを迎えた暁にやりたい、あんな事こんな事。色々と考えた末に、ディアベラちゃんは『パン屋さん』に行き着いたのでした。
それにしても私にはまず一つ、引っかかる部分がありました。領地財産を没収された状態で、こんなエンジョイライフでハッピースマイルな建物を建造できるのかとか、そんなつまらない問題以前にですね!
『パン屋さん』をするにしても、まずディアベラちゃんが、肝心のパンを作っていた形跡が無いのです。
必要な道具、関連書籍なども、どこにも無いのです。
(そうか……スタイルから入っていくスタイルだな? まず建物の準備から入ったんだな……!?)
白とピンクに統一されたお部屋で、私は理由無き苦しみを耐え忍んでいました。ディアベラちゃんの行動力の使い道は、何か違う気がする。
(あ、でももしかしたらディアベラちゃん、前世でパン屋さんだったのかも……)
そう前向きに考え直そうとして顔を上げ
(んなわけないじゃん! パン屋の経験あるならそれ一択でしょ! 『靴屋さん』とか『ラーメン屋』とか寄り道してる場合じゃないよ……!)
己の浅はかさに脳内で往復ビンタされ、また机に突っ伏しました。
それにしても何故『パン屋さん』へ辿り着いたのですか伯爵令嬢。『お菓子屋さん』じゃないところが、余計に本気っぽいです。そんなにパン好きお嬢様でもなかったのに……?
そこで私がハタと思い出したのは、元いた世界での知り合い三人でした。
一人は私の従兄です。優秀な頭脳の持ち主で、裁判官として失敗知らずで大体ルンルンに生きてきたのですが、「最高裁判所の裁判官になれなかった」という人生初の挫折体験によるショックから引き篭ってしまいました。
もう一人は隣家のお姉さん。類稀な美人さんだったのですけれど、結婚式の日に新郎が音信普通となり、結婚詐欺だったとわかって寝込んでしまいました。
最後の一人は私の兄の同級生。幼馴染と会社を立ち上げたものの、その幼馴染がすぐ同業他社へ引き抜かれて倒産し、心が折れてしまいました。
みんな、その後にパンを作っていました。人は何故、道に迷うとパンを作り始めるのでしょう。
答えはわかりませんが、とりあえずパンは裏切りません。基本工程はそれほど複雑ではなく、間違えず材料を揃え、分量を量り、温度管理をすれば、ちゃんとおいしく出来上がってくれます。努力が報われます。
悪役令嬢十一周目のベテラン、ディアベラちゃんの本心は不明です。
私の浅はかな頭と薄い経験値では、何故パン屋の結論に至ったのか、理解が追いつきません。
でもパンに秘められし偉大な癒し効果に、無意識で惹かれるものがあったのかもしれません。私もパン作りは好きです。こちらの世界へ来てからも、学生寮の厨房を借りて、アイザック達とちょいちょい作っていました。パン作り、楽しいよね!
『パン屋さん』の設計図は、『悪役令嬢ノート』と一緒に、机の魔法の引き出しに仕舞っておきました。