第18話 ルカのはなし・水蛇の魔導師
この私、桐生瑠花は『戦巫女』となるべく、この世界に召喚されました。
自発的に来たわけではありません。スポーツや芸術の教育を受けてきた子が、「将来○○になりたいんです!」というような、そういう意欲で戦巫女になったのとも違います。
私が『伝説の戦巫女』という役目と肩書きを引き受けた理由は、異世界が大変そうだったからというのと、元の世界に戻れないとわかったからです。
召喚された場所は、ダックワーズ学院の神殿でした。その中に設えられた特殊大魔法陣の中央で、先様の事情と異世界召喚の説明を聞いた後、最初の最初に、私は確認しました。
「あのー、私これが終わったら、帰ることは出来るんですか?」
高校入学のときだって説明会がありました。『戦巫女』という、未知の役目に抜擢されたのです。まずこれくらいは、聞いておく必要があると思いました。
「そうでしょう、帰りたいでしょうね……。非常に言いにくいんですが、帰還は出来ません」
優しそうなおじ様の宮廷大魔導師様からは、言いにくいと言いつつ、割と簡単に宣告されました。
もし『帰還が可能』と教えてしまうと、戦巫女が世界を救うよりも、帰還する方向へ全力投球する可能性も考えられます。そのため伏せられているということも、あり得なくはないです。でもどちらにせよ現状として、私には帰る手段がわかりません。
生存のため、まずは『戦巫女』を目指すより他に道がありません。
ただし帰れない代わりに、戦いの後も『戦巫女』として決して不遇に扱わないこと。更に一定の衣食住と、アマンディーヌ王国の爵位(男爵)を約束してくれました。わー、アリガトー。
爵位の位置づけとか価値とか、それ以前にこちらの世界観からして、来たばかりで見当が付きません。『男爵』とやらの衣食住がどんな程度か、お品書きだけ見せてもらいました。生活レベル的に、そこそこ生きていけるかなと思われたので、お役目を了承した経緯があります。ついでに口約束だけだとアレなので、一筆書いていただきました。
保険でも契約書でも、ダメな時はただの紙切れになるんだよと、いつか兄一が言っていました。それでも、何も無いより良いかと思います。紙切れ一枚でも、あればあったで損はしないかと思ったのです。
私は『戦巫女』を前向きにやっていく気でいました。
こうなったら何が何でも戦巫女になる以外、生きていく術がないじゃないか! しかし急にその任務が、『悪役令嬢』に変わってしまいました!
そしてまず悪役令嬢をするにしても、私は『悪役』を詳しく知らないと気付いたのです!
――……悪役令嬢とは何ぞや!?
天啓のようにひらめいた私は、昼休みに学院の図書館の塔へ行き、それっぽい本を探してみる事にしました。乙女なゲームは無くても、悪役の出てくる本ならあるはずだし。
「悪役な令嬢の出てくるお話が読みたいのですけれど……どれが良いかしら?」
司書にお尋ねしたら、オススメしてくれたのがこちらでした。
『ハテナの国のジョゼット』。作者はクビジュスディブ・トブッキュプスという方。すごい名前ですね。こちらの世界で、有名な小説だそうです。主な対象読者は、十代前半の女の子。重要な部分があったら書き出そうとノートの支度もしたのですが、そこまで難しくありませんでした。
主役の女の子の名前はジョゼット。何不自由ない公爵家に生まれた、雪のように白い髪も美しいお嬢様。生まれつき神にも等しい、飛びぬけた魔法の素質があります。しかしある日、大親友の女の子ロザリーンが、悪い魔王に攫われてしまいました。そこで彼女は『時の糸車』という、時間移動の出来るスペシャルなアイテムを使い、歴史を改変したりしながら親友を救うために冒険をします。
ここで主人公を邪魔するのが、メリーベルというお嬢様です。美人で品行方正なのですけれど、プライドの高さに若干問題があり、自分が中心にいないと怒り出します。恋愛問題もあって、何かとジョゼットの邪魔をします。これが悪役令嬢……後学になりました。
「うーん、ところで、どの辺が『ハテナの国』だったんだろ……?」
小説を途中まで読んだ私が、ペンを片手にごちゃごちゃ考えていたときです。
「珍しいですね、お一人とは」
男子の綺麗な声が聞こえました。聞いただけで、誰かわかりました。
そー……っと視線を横へ動かすと、やっぱり。予想通りの人がいました。
――……ぎゃあーーーーッ! セト……!?
表情には出しませんでしたが、鳥肌が立つのがわかりました。
私の左側に、セトが本を持って立っていたのです。いつ来たのか、気付きませんでした。
『セト・ペングリーヴ』。
柔らかそうな水色の髪と、色白の肌。透き通った水色の瞳をした彼は、水の精霊ウンディーネに加護されし『守護者』の一人です。最初に私の仲間になってくれたのも、この人でした。
細身の体型に、知性と教養が滲み出る理知的な顔立ち。見るからに脇目もふらず、エリート街道まっしぐらで生きてきた俊英です。それもそのはずで彼は魔法の国クグロフ国の五大魔導家、『水蛇の魔導師』と呼ばれるペングリーヴ家の出身。ペングリーヴ家は水の精霊の加護を代々世襲しているという、規格外野郎です。ダックワーズ学院においても、座学成績トップの座を譲ったことは一度もありません。
ちょっと冷めていて、行儀や作法には結構うるさいツッコミ担当な人です。でも最近は冗談も言って、笑ってくれるようになりました。仲良くなると、意外と人懐こいのです。
まだ私が普通にルカだった頃。教室で居眠りしていたセトのおでこに、『にんげんだもの』と落書きしてダッシュで逃げたら超速で追いかけてきて、めっちゃ叱られました。「やって良いことと悪いことってありますよね? わかりますよね?」と言いながら、本の角で頭をゴッ! とやられました。それくらい仲良しです。
そして色素の薄い儚げな外見とクールな態度にだまされそうになりますが、実は腹が黒いのを戦巫女の私は知っております。
――気をつけろ! これは訓練ではない! 繰り返す、これは訓練ではない……!
頭の中で警報が鳴り響き、自分に言い聞かせていましたら
「こちらの席、もし空いているなら宜しいでしょうか?」
落ち着いた柔和な物腰で、語り掛けられてしまいました。
「え? ええ……どうぞ」
お断りしたいのが本音でしたが他の席はほとんど埋まっていて、極端に嫌がるのも変です。伯爵令嬢が了承すると、近付き過ぎず彼はきっちり一人分、間を空けて椅子にかけました。セトの持っていた本は、『精霊魔法特性分析学』という本でした。難しそうというのはわかりました。以上です。
「それ、『ハテナの国のジョゼット』ですか。俺の妹も読んでいましたよ」
私の手元にある本を目ざとく見つけて、小さな声でセトが言いました。
「まぁそうでしたの。わたくしもちょっと懐かしくなって、読んでいたところですわ」
大嘘で答えると
「ああ、わかります。俺も昔読んだ本が、ときどき急に読みたくなったりしますよ」
本のページを捲る微かな音と共に、セトが微笑んで囁きました。
どうにか誤魔化せた……と胸を撫で下ろしつつ。
――そういえば、ネムちゃん元気にしてるかな?
セトの妹、ネムちゃんのことを、ふと思い出しました。
物語のジョゼットちゃんではありませんけど、ネムちゃんも魔法の天才少女なのです。
常々、セト自身が「うちの妹は可愛い上に超天才」と自慢して言い触らし、妹ちゃん案件になると甘いのを通り越して、少し様子がおかしくなるほど溺愛しています。可愛い女の子で、私にも「お姉さま!」と懐いてくれるお嬢さんでした。お兄ちゃんと違って、腹も黒くない良い子です。
……と、そんなことを考えて、私は油断していたのです。
自分がディアベラちゃんになっているのを、一瞬忘れていました。
私はペンを持って考え事をしていると、右手に持ったペンを、左手の指先でつまんでくるくる回してしまう癖があるのです。
彼の水色の瞳に、じっと手元を見られていると気付きませんでした。