第16話 ルカのはなし・辺境領土でつかまえて
ディアベラちゃんは五年前、隣国の若君ナキル様に、大恥をかかせていました。
この事案を知ったついでに、私もお隣さんについて自分でもう少し調べてみました。関連情報は、お屋敷の書庫で簡単に見つかりました。
ナキル様の名前は、『ナキル・ラゴ・グリオール』。
獣人、黒獅子族のガトー国、次期族長というお立場です。ガトー国を含む、ラングドシャ連邦の地域は広大です。獣人の多いこの国は統治構造だけでなく、文化習俗もアマンディーヌ王国や、クグロフ共和国とは異なります。
特にグリオール家は勇敢で知られた戦士であり、一族に伝わる帝王学のようなものがあるそうです。彼らは誇り高く、名誉を重んじ、戦いや死に方に美を見出すという思想があります。プライドも高いのです。しかし誇り高い黒獅子族は、寛容を旨としています。
それを怒らせた人がいます。ディアベラちゃんです。
返す返すも、何で余計なことしたよ……。ナキル少年が罪を犯していないのはみんな知っていて、お互い「ごめんなさい」しておけば、子供同士の失敗で片付いた話しだったのに。
でもあの場面で、同席していたパリス伯爵夫妻が揃って娘の擁護をしたのは、娘溺愛だけが理由だったわけでもないようです。
国境を接してきたパリス家とグリオール家は、昔から仲良しではありませんでした。二十年前には、軍事衝突しています。規模は小競り合いに近かったようですが、北西のスフレ領を有する伯爵は、長らく緩衝地帯とされていた場所を、この時のどさくさ紛れにさくっと併合してしまいました。これが辺境伯の本気。
当時内政などでゴタついていたグリオールさんは、屈辱的な講和を飲むしかありませんでした。
パリス伯爵の名が一気にアマンディーヌ国内に轟いたのは、この事件があって以降です。
由緒正しいとはいえ、一辺境伯に過ぎなかったクロード・パリス様が、中央政界でパワーを発揮する切欠となりました。
回転の速いパリス伯爵様は機会を逃さず、商人や軍人たちと連携します。国王陛下の寵も得ました。「国防は大事だろ」という全く正当な理由で、スフレ領へ潤沢に資金と軍事力が集まる仕組みも作りました。グリオールさんに絶妙にちょっかいをかけつつ、イイ感じにギスギスしながら二十年。
国中から元気(税金)を集める仕組み作りに成功した伯爵様は、今や屈指の有力貴族です。国王陛下の右腕となり、一人娘はアマンディーヌ王国の未来の王妃様です。
ついでに、この世界は最近になって魔物が急増したため、傭兵と冒険者も増えました。一攫千金を夢見る人達が、流れ込んだのです。自治体や冒険者ギルドや武器防具関連の商人たちが、無責任に「来たれ冒険者!」と煽ったのもあります。
しかし『戦巫女』が召喚され、正規の騎士団も増強された現在、需要はダブついています。
傭兵や冒険者がご飯を食べるためにどこへ向かうかといえば、緊張状態になっている場所です。北西の国境付近は、酒場や慰安のおねえさんのいるお店が大繁盛しています。みんなの夢と元気が大集合しています。
人がいっぱいいるから、建物が必要になります。資材も必要です、燃料も必要、食料が必要……。
利・権! 利・権! みんな大好き、利・権!
大体こういった流れで、今のパリス家は乗りに乗っています。領内の商売も、殆ど寡占です。順風満帆です。博打に勝っています。
そう、今は。
誰もが自分だけは、ジョーカーを引かないと信じています。伯爵様たちも同じだと思われます。
けれど絶対に、いつか誰かが引くのです。そして悪役令嬢の未来宣告によれば、ジョーカーを引いて転落するのは、パリス伯爵様なのです。
(それは困る! すっごく困るー……!)
と、私は声を大にして(しないけど)申し上げたいのです。
現在の『スフレ領』は、膨大なエネルギーが詰め込まれた箱のようなものです。エネルギーの詰まった箱を抑えているのが、『パリス辺境伯』という蓋です。それが外れたらどうなるのか? 辺境伯のいなくなった跡地で、再び『蓋』の役目をするのは誰でしょうか?
王国内で新しく『蓋』になりたい人たちが、「僕が!」「私が!」と椅子取りゲームを始めるのは確実です。箱の中に入っていた『エネルギー』の皆さんも、大人しく次の『蓋』が来るのを待っていないでしょう。何なら、「じゃあ俺が行っちゃう?」と、のし上がりたくなっちゃうのも人情です。
だからこそ、こんなに元気の集まった状態でパリス伯爵がジョーカーを引くと、とっても危ないのではないかと、私は懸念しているのであります! 『スフレ領』で紛争や内戦が勃発したら、アマンディーヌ王国の男爵の地位にある戦巫女も、無関係ではいられません。命にも関わってきます。
――てなわけで仲良くしよう! 求む世界平和!
せめてグリオールさんとの緊張状態だけでも、緩和する方へ持っていけないか?
そう思ったのです。千里の道も一歩から。塵も積もれば山となる。個人の力に限界はあります。でも同時に、努力には可能性もあるものです。
ディアベラちゃんには「余計なことしないで」と言われています。隣国との関係に無防備は有り得ないのかもしれません。でも安定しているに越したことはないでしょう。
(仲良くするのは悪くないよね! スフレ領に無駄にパワーが集まり過ぎているし)
(分散すれば魔物の襲撃で被害損害を受けた、他の地域の復興にも注力出来るのではありますまいか!?)
お嬢様の可愛いお部屋で、白とピンクに取り囲まれながら、私は一人で荒んだことを考えていました。
そして、そのチャンスが到来したのは、数日後の放課後でした。
いつも通り、学院の神殿へ『日課』に向かう途中でした。
また廊下で、ナキル様と遭遇したのです。偶然にも前回と同じように、他の生徒やギャラリーはいませんでした(ロビンちゃんを除く)。
堂々と、しかし足早に歩いてくるナキル様は、すれ違う相手が誰で、位置と距離まで絶対に把握していたはずです。
でもパリス伯爵令嬢の姿など、見たくもなかったのでしょう。
思いっきり素通りされました。うん、そうなると思った……。
それを「ナキル様」と、私はあえて呼び止めたのです。
傍らでは、ロビンちゃんが顔を白くして硬直しています。
通り過ぎかけたところで立ち止まったナキル様は、少しだけ横目で振り向いてくれました。
――すっげえ睨んでるうー。
ガタイの良い、灰色の髪のお兄さんに見下ろされる圧迫感。つい黙った私に
「……何だ」
敵意を隠さず、ナキル様が尋ねてきました。
声をかけておいて今更ですが、ここでもう一度迷いました。
私は、『ディアベラ・パリス』本人ではありません。中身は別の人間です。私が何を言っても、『ディアベラ』の言葉ではありません。しかし
「……ナキル様。五年前の、その節の事なのですけれど」
私は入れ替わっている小柄な伯爵令嬢の空色の瞳で、彼の目を見上げて言いました。
「あの時、幼いわたくしの過ちを許してくださいましたわね。今のわたくしは貴方様の寛容と気高さに、感謝と尊敬の念を抱いておりますわ。ですが、そのご様子ですと、まだ怒っていらっしゃいますのね。当然のことと存じますわ。でも……もし可能でしたら、ここであの時の無礼を、お詫びさせては頂けませんかしら?」
私が言うと、ロビンちゃんが僅かに目を瞠ってこちらを見ます。ちょっとだけ、ナキル様の表情も動きました。
隣国関係の緊張を、緩和させたいのは事実です。でも政治とか今の役割とか、抜きにしてもですよ。
単純に素朴に考えても、五年前の十三歳のナキル様は、無茶苦茶を言って泣く女の子を守ってあげました。彼はたしかに勇敢で、犠牲的なまでに寛容だったのです。
部外者である私個人としても、そこに敬意を抱いていたのです。
そんな方と学院内で顔を合わせるたびに、荒んだ空気を醸したくなかったのです。
そうは言っても、向こうが受け入れる心境じゃないかもしれません。都合もあるでしょう。
ダメかなー? と思いながらの発言でした。
「……そこまでしてくれなくても良い。昔のことだ」
やがてナキル様から、不機嫌顔でお返事をいただけました。
本心は氷解しておらず、わだかまりもあるでしょう。でも黒獅子族は敵であろうと、相手に謝罪を示されたら許さなければなりません。それ以上、相手を痛めつけてはいけないとされています。ナキル様は愚直にも、戦士の美学と模範に従っているようでした。
「あら……お詫びはさせてくださらないの? では、お礼を申し上げなければなりませんわね」
小首を傾げて私が微笑むと、赤紫色の瞳が改めてこちらを見ます。ナキル様の表情にまだ多少の警戒はありましたが、気配の刺々しさは和らいでいました。
「パリスの娘も、少しは淑女になったということか」
先程よりは格段に、おだやかな口調の答えもいただけました。
おお、やった! 関係改善か!? ……と、私の方も気がゆるんだ次の瞬間です。
「しかし……それにしても、妙だな。お前、まるで別人だ」
黒獅子の若様は、赤紫の目を細めて言いました。
(うええあーーー!? 会って三回目で、そういうこと言います!?)
ナキル様、そんなところで鋭くなくて良いです! むしろ鈍感であってくれたまえよ! どんだけディアベラちゃん本体の記憶が、フレッシュに維持されてたんですか! 調べたかぎり、五年前から会ってないはずですけど!?
目がバッシャンバッシャン泳ぎまくりましたが、ここまで来たらやり切るしかないさ!
「ま、まぁいやですわ! そんな、何も怪しさなんてございませんのことよ!? わたくしこう見えて、未来のアマンディーヌ王妃でございますですし! グリオール様とは過去にも色々ございましたけれど、今後は良好な間柄になれたらと思ったまでですわ! も、もし何か学院内でお困りごとなどございましたら、何なりとおっしゃってくださりませね! あらこんな時間!? ロビン、お祈りに行きますわよ!」
「は、はい、お嬢様……!」
言葉使いがおかしかったところは、それこそ寛容の精神でお見逃しください。
大急ぎで御辞儀して、ロビンちゃんを連れた私は神殿方面へ逃げました。あちらのお気持ちが和んで、緊張が僅かなり緩和される切欠になれば、一応は目標達成です!
危なっかしいので、今後の下手な接近はやめる方針でいくことにしました。