第14話 ルカのはなし・不倶戴天の黒獅子
色々と考えて資料を集めた私は、精霊魔法についてのレポートを仕上げました。
ディアベラお嬢様としては、こんなテーマが模範的でしょう。個人として調べたかった、『アッパーカットとフックの連撃を最も効率的に成功させる方法』については、また別の機会に挑戦することにしました。
こうして課題を終わらせた私とロビンちゃんが、北館と南館を繋ぐ渡り廊下を歩いていた時です。
向こうから、知らない男子生徒がやってきました。少なくとも、『私』は知らない人でした。
褐色の肌と、やや長めの灰色の髪。とても背が高く、制服の上からでもわかる、良いパンチが出来そうな体型。隙の無い動きと雰囲気からして、たぶん何か武芸をやっているだろうと思いました。硬そうな灰色髪から覗く、黒い獣の耳。先端だけふさふさな黒い尻尾が床の付近で揺れています。獣人さんだな、と思いました。
その彫りの深い顔立ちの人が私を見つけた瞬間、ぴたっと足を止めたのです。
綺麗な赤紫の瞳が真っ直ぐに、射抜くようにこちらを見つめてきます。
三メートルほどの距離を保ったまま、初対面の男子生徒と私。突然に、こう着状態になってしまいました。
どうやらあちら様は、『ディアベラ様』を知っているようです。しかし一体、どこのどちら様でしょうか?
――? な、何だろう……?
水族館みたいな、ガラスの天井も美しい渡り廊下に漂う、異様な緊張感。
私は『ディアベラお嬢様』として、どう対応するべきか迷いました。知り合いなら尚更、うかつなことは言えないし……と困惑していると。
「グリオール家の、ナキル様です。最近、学院に短期留学されたとか……」
左斜め後ろでロビンちゃんが囁き、カンニングしてくれました。ロビンちゃんナイスー。
「グリオール……?」
少し考えて、やっと手掛かりを掴めました。
この世界には、三大国家と呼ばれる国があります。
いわゆる普通の人間が多く暮らし、レクス王家と貴族が治める、王政のアマンディーヌ王国。
魔導師達による議会制立憲法治国家にして魔法大国、クグロフ共和国。
『族長』と呼ばれる首長をそれぞれ頂く、数百の獣人国家で構成された、ラングドシャ連邦。
『グリオール家』は、ラングドシャ連邦にある『ガトー国』の族長です。
黒獅子族という、獣人の一族です。ガトー国は、ディアベラちゃんのパリス伯爵家が治める北西の『スフレ領』と、国境を接しています。伯爵令嬢になったために大急ぎで詰め込んだ、私の知識で知る範囲は、ここまででした。
要するに今、目の前にいらっしゃるナキル様は、お隣さんです。
(……ということは、これは普段以上にご無礼の無いよう、丁寧にご挨拶をしなければ!)
私はそう判断したのです。
もしかしたらディアベラちゃんと知り合いだったりするかも? とか思ったんです。
誤解でした。
「御機嫌よう、ナキル様」
伯爵令嬢ディアベラ・パリスの名を汚さぬよう、気品と優雅さをもってご挨拶を申し上げました。きっとディアベラちゃん本人が見たら、ダメ出し連発するだろうとは思います。そしてどうせなら、ダメ出しの方が良かったかもしれません。
私が全力の可愛い微笑を添えてご挨拶をした途端、ナキル様の顔が強張ったのです。
口の端から牙が覗き、赤紫の瞳に、ぎろっと睨まれました。彼は背が高い上に大柄なのです。その人から睨みつけられるのは、まぁまぁな迫力です。普通の女の子だったら、涙ぐんだかもしれません。
ごめんね、異世界から召喚される程度には普通じゃないんだ!
しかし何だろう。彼から感じるこの猛烈な、圧倒的に、大空一杯に広がっていく嫌悪感は。
(ん……? 何? 挨拶のお作法、間違った……?)
渡り廊下に、真冬のアラスカかという極寒の空気が張り詰めて、ディアベラちゃんの私は焦りました。他国の文化習俗まで手が回っていない勉強不足の、偽伯爵令嬢でございます。
そういえばジャパンでも昔、『生麦事件』というのがあってじゃな……とか考えていたら。
「ああ、機嫌なら最悪だ! 到着早々、お前に出くわすとはな。だからここに留学なんて嫌だと言ったんだ……!」
憎々しげに吐き捨てて、グリオール家の若様は足早に通り過ぎて行ってしまいました。
明らかに険悪です。決して仲良しさんではありません。
こそっと後ろにいたロビンちゃんの様子を伺うと、万能メイドさんは俯いて青褪めています。怯えているというより、ドン引いています。
ダメだったのか! お嬢様の態度は、アウトなやつだったのか!
(え!? えええー、挨拶しただけなのに何でー!? どうしてダメなの……!?)
やっちまった感に打ちのめされ、私は遠ざかっていくナキル様の後姿を見送るしかありませんでした。
そしてこの後に、大変な事実が判明したのです。ナキル様がディアベラちゃんと知り合いだなんて、とんでもなかったのでした。
不倶戴天と言って良さそうな間柄だったのです。
先に教えておいてよ、そういうのは!