第10話 ルカのはなし・置かれた場所で成りすまします
「『邪なる神ソルト』が、何月何日の何時何分何秒に来るかはわかりませんわ。それでも進行状況から考えて、そんなに遠くないのは確実よ。毎日欠かさず神殿でお祈りをしていれば、必ず来ますわ。ちゃんと神殿で出待ちしててちょうだい! いいわね!?」
私と入れ替わったディアベラちゃんはそう言い残し、保健室を出て行きました。その足取りは意外と軽かったです。
私もしばらくしてから、先生方に挨拶をして部屋を出ました。結界の外に出たら何か状態に変化が出るかもしれないと不安でしたが、何も起こりませんでした。適切な処置のおかげでしょう。
(うん、一応は無事っぽい……)
そう思いつつ待合室まで行くと、薄暗い待合室の椅子で、ロビンちゃんが待っていました。
「お嬢様……!」
こちらに気付いたロビンちゃんは弾かれたように立ち上がり、小走りで駆け寄ってきました。先生達に指示され、ずっと彼女はここで待っていたのです。
『ロビンちゃん』と私が勝手に呼んでいる彼女の名前は、『ロビン・クーシー』。
綺麗に切りそろえられたセミロングの亜麻色髪と、ミントグリーンの瞳も可憐な美少女です。お嬢様専属の侍女であり、護衛もしています。すらりと背も高い、凛々しい系の女の子です。戦巫女とは同じクラスですが、絶対的ディアベラちゃんグループの彼女と、今まで喋ったことはありませんでした。
(は、話しづらい……! 何を話せばいいんだろ……?)
慣れない距離間で、やや固まっていた私に
「お嬢様、もう起きて宜しいのですか? お加減は……!?」
お嬢様の荷物も抱えたロビンちゃんは、身を屈めて尋ねてきました。いつも沈着冷静で冷たいほど表情が変わらない子なのですけれど、事態が事態です。かなり動揺しているのが見て取れます。
私は私で、この状況でどこに視線を向けて話せば良いのかさえわかりませんでした。
「え、ええ、大丈夫よ。まだ少し頭が痛いけれど……」
開き直り気味に、美貌の金髪の伯爵令嬢として、思い切って返事をしました。声も口調も慣れないながら、お嬢様としてお答えしました。
「そうでしたか。良かった……心配で、生きた心地がしませんでした」
お嬢様の中身が別人と入れ替わっているなんて、思っていないロビンちゃんです。疑う様子もなく、安堵の声で返事をして頷いてくれました。む、胸が痛みます……!
「お屋敷に、かかりつけのお医者様も……セシル先生も、お呼びいたしましょうか?」
気配りと真心から、ロビンちゃんがヤバい提案をしてくれました。そのお心遣いは、お嬢様的にピンチが襲来しそうです。
「え!? い、いいえ! そ、そこまでの必要は無いわ! それより、遅くなってしまいましたわね。早く帰らないと……!」
出来るだけこの事件的事案を、『ちょっとした事故でしたのよ、オホホ!』という方向へ持っていきたい私が平静を装いつつ大急ぎで打ち消すと、ロビンちゃんはこれも素直に頷きました。
「かしこまりました。ではお嬢様もお疲れでしょうし、今日は『日課』はお休みに……」
「日課?」
と、そこで出てきたロビンちゃんの言葉を聞いて、先ほどお嬢様に言われた『悪役令嬢のお祈り』のことだと察しました。
「ああ……いえ、それは行くわ!」
私が言うとロビンちゃんは少し驚いたようでしたが、了解してくれました。かなりの前言撤回ですが、これまでもお嬢様の毎日の日課だったわけで、おかしくはなかったのだと思われます。
――お嬢様から託された重大な悪役令嬢の任務! 完遂のためならば、やらねばなるまい!
てなわけで。
謎の使命感に燃えつつ、ちょっとわくわくしながら私がロビンちゃんと二人で歩いて向かったのは、広大な神域の森を背景に建つ、学院の最も東に位置する大神殿でした。ここは誰でもいつでも入れます。でも祭事のとき以外、生徒は滅多に来ません。戦巫女の私も、それほど用事のなかった建物です。
でもいつ来るかわからない、邪神ソルトです。
もしかしたら今日来るかもしれないと思ったのです。
邪神、カモオオオおおおーーーーンッ!! と念じたのですが。
――……やっぱ無理か……。
壮麗な神殿の奥で、五分ほど『お祈り』をした後。
外に出た悪役令嬢ディアベラちゃん、こと私は神殿の入口に一人で佇み、暮れていく空を眺めていました。オレンジから藍色へ変わってきた空の縁には、一番星が見えます。
ロビンちゃんは先に帰りの馬車の支度を整えに行っていて、私はぼけっと神殿の前で待っていました。荷物は全て、ロビンちゃんが当然の如く持って行ってくれています。ディアベラちゃんには、「くれぐれも他に余計な真似しないで」と言われました。
ではお嬢様はこういうとき、何をしていれば良いのか。一人で移動するべきなのか、どうなのか。
「まぁ、校門まで移動するのはいいよね……?」
私が外套を羽織って神殿の階段を降り、歩き出したときです。
しつこいようですが、名門ダックワーズ学院には各国の王侯貴族の子女が集まっています。王子様やお姫様や、おセレブさんやエリートさんが、ひょいひょい通りすがります。
だからたまたま神殿の前を通り過ぎた、黒髪で背の高いその人も、王子様でした。
アマンディーヌ王国の王太子殿下でした。
「あ、フューゼン……」
つい普段通りに呼びかけてしまって、頭から血が引きました。自分が今、『伯爵令嬢ディアベラ・パリス』になっているのを忘れていました。
「……殿下」
付け足し感満載で、『殿下』の称を付け足すと、呼ばれたそのお方が振り返りました。
風の精霊シルフに加護されし『守護者』。
『フューゼン・ソール・ド・レクス』。
無駄なく引き締まった体躯と、活動的に動く長い手足。堂々と伸びた背筋。艶やかな黒髪に、落ち着いた光を宿す翡翠色の瞳。他人の顔が整ってるか散らかってるか、いちいち考えていない私も、これだけ整っていればわかります。生きた人の体の上に乗っている顔としては、最上級と言われるのもわかります。
洗練された所作振る舞いから雰囲気まで。華やかで気品が漂い、いわゆる高貴な佇まい。弓の名手で、仲間になった最初からデタラメに強い王子様。負け知らずで生きてきたのが丸出しです。一歩間違えたら悪趣味になりそうですが、王者然として憚らないのがフューゼンの良いところでもあります。
それでも意外と趣味が『鉱石集め』と、オタクっぽかったりします。鉱石コレクションの説明が熱い。地層談義が長い。基本的に冷静なんだけど、好きな事を延々と熱弁している姿は楽しそうで、憎めない奴なのです。
「? ……珍しいな。君が名前で呼ぶなんて」
フューゼンが不思議そうに言って、こちらへ近付いてきました。
そうなのです。この人はレクス王家の王太子です。王国内の人々はもちろん、他所の国や異種族の人達にまで『殿下』と呼ばれています。
ですが、戦巫女の私はジャパン育ちの異世界人でした。それも特権とか身分だとか不敬罪だとか、そういう概念の無い階層で生きてきた人間です。
異世界の戦巫女となるべく召喚されて、初めて会った日でした。
『フューゼン・ソール・ド・レクスだ』
と、王子様に名乗られましたので
『フューゼンさんですか。桐生瑠花と申します、宜しくお願いします』
と、私は頭を下げて挨拶してしまいました。
『フューゼンさん』発言に、周囲はびっくりしたそうですが、気付きませんでした。私としては王子様に敬意を表し、三割り増しに丁寧にご挨拶したつもりだったのです。フューゼンも異世界人の無作法を、咎めないでいてくれました。
この二日後くらいに、私も周囲が彼を『殿下』と呼んでいるのに気付いたのです。マズイのかもと、『殿下』に改めようとしました。でもフューゼン自身が、改めなくて良いと言ったのです。
――他の生徒と同じように、呼び捨てで構わない。名前で呼ばれるのも、意外と気に入っていたところだ。
ということでした。彼の言葉や態度は真面目で、嫌味や冗談で言ってる風でもなさそうでした。学院内は実力主義です。身分の上下は考慮されず、出自や種族なども無関係です。本人もそのままで良いと言ってるわけだし……ということで、いつの間にか名前呼び捨てが定着してしまったのです。
それはそれとして、今の私は、彼の婚約者であり、パリス伯爵令嬢です。
そして呼びかけたは良いが、ディアベラちゃんとして何をお話すれば良いのか、会話材料が少なすぎる……! 記憶にある限り、ディアベラちゃんは戦巫女には厳しくても、フューゼン殿下の前では可憐で清楚でお行儀の良いお嬢様でした。
うっわ、どうしよーどうしよー!……と考えているうちに
「何かあったのか?」
尋ねてくる、いつも以上に高い位置にある彼の顔を見上げると、こちらの焦りはバレていないようです。セーフティ! ぎりぎりセーフ……!
「あ……いえ! お見掛けしたのでご挨拶をと思ったんですの。では御免あそばせ、御機嫌よう殿下!」
お嬢様らしくなるよう、可憐な笑顔と俄仕込みのお作法でもって、可能な限り優雅に御辞儀をした私は、その場から逃げ出しました。