やむにやまれず生きていく
先程までの謎の言語ではなく、はっきりと流暢な日本語だった。
彼の瞳は驚愕に満ちていた。
なんて返答していいのかわからなかったが、事実は事実だ。 躊躇いがちに二度三度頷いた。
「い、いや、そんなバカな話があるか。こんな異世界の果てに同郷がいるなんて……」
首肯を見届けた少年は小刻みに首を振り、
「騙されるか。……そうか。シェイプシフターだろ、お前の種族」
と刺々しく呟いた。
そう、なのである。
たしかに今現在は純粋な日本人であるとは言いがたい。
「実物を見るのは初めてだが、賢者に聞いたことがある。貴様らは、敵の思考を読み取って、習ってもいない言語をしゃべることも可能らしいな」
「……ちょっとなにいってるのかわからないです」
「いわば幻惑だ」
彼の瞳は疑惑で歪んでいた。
精悍な顔立ちをした少年だ。黒髪黒目でアジア人なのは間違いない。短く切られた髪に、くっきりとした目鼻立ち。きっとモテるに違いない。
「俺と同郷と偽って同情を引くつもりだろうが、そうはいかない」
おでこにピタリと切っ先が当てられる。
動いたらそのまま刺されそうだ。
再び訪れた死への恐怖に体温が上がっていくのがわかった。
そりゃ、死にたいと願ってはいたが、少なくとも痛いのは嫌だ。
「俺たちを全滅させる腹積もりだったのだろうが、考えが甘かったな。MPが無い状態でも、お前程度ならどうとでもなる」
体の底から滲み出る死への恐怖心。
「それにしても、この辺りの魔物は掃討したはずなのにどこに隠れていやがった」
ルルが周辺の危険度は低いと言っていたが、そういうことだったのかと得心がいった。
彼が狩り尽くしたのだ。
「まあ、いい。返り討ちにしてやる。MPなくても俺の剣筋が曇ることはない」
シェイプシフターはこちら世界ではモンスターという存在にカテゴライズされるらしいのだ。
モンスターが人に仇なす存在ならば、彼の警戒も当然だ。
本来ならば警戒を解きほぐすべきなのだろうが、それよりもいくつか気になる話題が出た。
「あの、MPって、なに?」
「マジックポイント。ようは魔力の総量だ。先ほどまでの戦いで俺の魔力はほぼ付きかけている。でもな、お前程度のモンスター相手なら、この剣で十分だ」
彼の手には西洋の剣が握られていた。映画や博物館でしか見たことのない片手剣だ。
周りの景色を刃が鋭く反射していた。
「に、日本人なら、それは銃刀方違反だぞ」
「だったらなんだ?」
激昂とともに、切っ先がおでこに当たる。ちょっと痛い。
「生きるか死ぬかにおいて法律なんて関係ない。それに治外法権だろ」
ごもっともだ。
ぐうの音も出せずにただ手を挙げ続けた。
少年は冷たい瞳のまま、立っていた。
「他の旅人を食らう前に俺が駆除しなければならない。それとも今さらになって死ぬのは怖いというのか? 散々人の命を食らってきただろうに」
「そんなの食べたことないよ。この体になったのはついさっきだし……。それに死ぬのが怖いのは当たり前だろ。前のような死にかたは二度としたくないって思ってるのに」
精一杯の虚勢を張って、吐き捨てる。
「……前……?」
少年の剣から力が抜けるのがわかったので、この身に降りかかった出来事の詳細を真っ正面からちゃんと伝えた。
話を聞き届けた少年はしばし黙りこんで、それからゆっくりと口を開いた。
「信じると思うのか」
声はどこまでも冷たかった。
湯煙が彼の表情を覆い隠す。
「嘘をついてもしょうがないし……」
「命乞いだろ。これだから言語を解する魔物を切るのは嫌なんだ」
鋭い刃が日の光を浴びて白く光った。
ちょいと彼が手を捻れば温泉は赤く染まる。
「一回死んだ身としては、死ぬのはそれほど怖くないけど、やっぱり、ちょっと痛いのはいやだ」
「死にたくないなら、貴様の言葉に嘘偽りが無いという証拠をみせろ」
「証拠?」
「お前が日本人だと言う証拠だ」
人種差別的な発言だ。
返事を誤れば死んでしまう可能性がある。
「そんなこと言われても……パスポートなんて持ってないし」
「答えろ」少年の短髪が秋風に撫でられふわりと浮かんだ。
日本語を話している以上、彼は日本人なのだろう。ならば故郷の思い出話に花でも咲かせれば納得するだろうか。
「……最近コナンの黒幕の名前が出たらしいよ」
「なんだと!?」
「漫画、あんまり詳しくないけど、犯人の名前はみつ……」
「言うなっ! 元の世界に戻ったときの楽しみなんだ! って、そんなのは証拠になら無い。あってるかどうかわからないからな」
まさしくその通りだった。やはり足りない頭で考えても妙案は浮かばない。賢ければ、今ごろはもとの世界で大成しているはずだ。
「自分の証明なんてできるはずがない」
つまるところそれなのだ。
生まれ変わった段階で答えなんて持ち合わせているはずがない。
自分の証明をしようとすればするほど、自分からは遠くかけ離れていってしまう。
「……」
少年の目が少し柔らかくなった。
「それは確かにそうだな」
もしかしたらそれが彼の求めていた回答だったのかもしれない。
一人ごちる様に呟くと、彼は腰に吊るした鞘に剣をしまった。鋭い殺気は無くなっていた。
「服が濡れたな」
人懐っこい柔らかな笑みだった。
きっと元来はそういう性格なのだろう。
殺気だった雰囲気がなくなり、幼さが残る瞳を細める。
「乾かしていけば?」
「そういうわけにもいかない。仲間がグーラを引き留めてるんだ」
「グーラ……?」
「この辺りを支配している魔王だ」
少年は湯から上がると、岸辺に流れ着いた流木に手のひらを向け「火」と呟いた。途端、彼の手のひらから赤い火の玉が飛び出て、乾燥した流木を燃やし始める。
なにそれすごい、と言葉を失ってしまう。
「何も知らないんだな……」
少年はしばし無言になると、服を脱ぎ始めた。思ったよりも細マッチョだった。
薪で服を乾かしている間、二人で湯船に浸かりながら遠くの青空を見やる。ゆったりとした時間が過ぎていく。
まさか、先ほどまで殺す殺さないの問答をした少年と並んで温泉に浸かることになるとは思わなかった。
薄く立ち上る霧のような湯気は、秋風に撫でられ渦を作っていた。
「そうだったのか」
ただ無言でつかっていても気まずいだけなので、暇潰しがてら事情を正直に話すと、少年は一度深く頷いた。
コミュ障でも打ち解けやすい雰囲気を作るのが上手な少年だった。
彼の事情も伺った。
少年の名前はサワムラマクラ。
高校二年生の夏、自宅のお風呂場から、こちらの世界に転移させられた被害者らしい。
一刻も早く戻りたいが、世界を闇に染めようとしているエルキングとかいう魔王の討伐を依頼されて、困っているそうだ。
初めは直接魔王を叩こうと画策したらしいが、どうにもうまくいかず将を射るにはまず馬からと周りの敵から排除することにしたらしいのだが
「強力な魔物は自らを『魔王』と称して各地を支配しているんだ。人類はそいつらに生息圏を侵食され続けている。エルキングは最も強大な勢力を誇っている」
「それを倒せばめでたしめでたしなんでしょ?」
「そう単純な話じゃないんだ。例えばここは『屍奏者のグーラ』ってのがいてな」
「サワムラくんの目的はエルキングなんじゃないの? 無視すればいいじゃん、他のやつのことは」
「ここを無視してエルキングを攻めると、配置的に挟み撃ちあうんだ」
温泉に浸かり、少し上気した顔をしているにも関わらず、彼の語気は険しかった。
「それにグーラは墓暴きとも言われるネクロマンサーで死者の軍団を率いて夜な夜な麓の町を襲う非人道的な奴なんだ。どのみちほっとくわけにはいかない。そう思っていざ勇んで来たものの……」
呟いて彼はちらりと川辺に置かれた一つの棺桶を見た。
「想像以上に強く、返り討ちにあってしまった」
「そういえば、あの棺桶はなんなの?」
「仲間だ」
棺桶が仲間ってそうとう病んでるな、と思い、言葉に詰まっていたら、サワムラくんは少し吹き出してから「違う違う」と首を振った。
「一定以上のダメージを負うと、一切の攻撃を受け付けないシェルター代わりの棺桶を作り出す魔法があってな。それを発動させたんだ。どうしても死なせられない仲間がいてな。そいつを守るためにちょっと苦労してるんだよ」
そんな裏設定があったのか。
「ただ発動中は一切の身動きが取れなくなり、生き残ったものが棺桶状態を解除できる『教会』に仲間を連れていかないといけない」
無理やり設定を詰め込んだみたいな話だが、ひとまずは納得できる話だ。
「残された仲間がグーラを引き留めてくれ、なんとか命からがら逃げたはいいが、この辺りは魔物が強くてな。一刻も早く、迎えに行かないと……」
「こんなところで温泉浸かってていいの……?」
「文字通り丸裸の赤ん坊をほっとけないだろ」
そう言って彼ははにかんだ。
たしかに彼のおかげだいぶこっちの世界の事情に詳しくなれた。感謝しなければならない。
「それにあいつらなら大丈夫さ。あらゆる魔術を体得した大賢者に人間界一の剣士だ。簡単にはやられないさ。隙をみて身を隠す手はずになってるし、心配はしていない。だが、身動きできない状態でな。迎えに行かないといけない」
疲れたように彼は息をついた。
「なんにせよ満身創痍なのには変わらないな」
疲労困憊といった様子だ。目の下にはくまがあり、若干やつれているようにも見える。
「それは大変だね……」
ただ何となく漠然と生まれ変わったヤツと違い、明確な目標を持たされた彼は重圧に押し潰されそうなのだろう。
なにかしてあげられることはないかと考えたがとくに思い浮かばない。
生きる意味が見いだせず、流れ着いた異世界で、若者に道を示せず燻っているのが、悔しくて堪らなかった。
「はふー」
サワムラくんは年相応のため息をつくと、体勢をずらして、温泉に身を預けるように、肩まで浸かった。自然と息を吐いていたらしい。
「生き返るわー」
無邪気にはにかむ。
幸福を体現したポーズだった。
「それはよかった」と微笑みかけるが、ぶっちゃけなにもしていない。
精々温泉を発見してルルと一緒に形を整えただけだ。
それでもここまで喜ばれると、こっちまで幸せな気持ちになってくる。
「……あんたはこの先どうするんだ?」
サワムラくんがちらりとこちらをみて聞いてきた。
「さあ。なにも考えてないよ。ひとまずお風呂に入りたいって目標は叶ったし、これから先は、特に……」
「そうか。そういう生き方もいいかもな……」
高校二年生の少年は誰よりも達観した表情で呟いて、遠くの山の稜線を見た。景色は良好。秋に染まる山々は絵画の風景のように画になった。
しばらくそうしていた。
二人で移り行く景色を眺める。
今日は風が強く、日差しは柔らかい。
水温は少し温めで、のぼせることもなかった。
秋は静かに過ぎていく。
「それじゃあ、邪魔したな」
数分たって、話題が下らない雑談に変わり、初対面の気まずさが無くなったころ、サワムラくんはお礼を告げて立ち上がった。ちらりと見せた手のひらはすっかりふやけて老人みたいになっていた。
表情は晴れやかだった。先ほどから、乾かしている衣服も十分着れる頃だろう。
「色々と話せて面白かったよ。それじゃあ、道中気をつけて」
と、軽く手をあげる。種族が違うからか自身の手のひらにはシワは一つも出来ていなかった。
「……ああ。ん?」
サワムラくんは小さく呟くと自身の手のひらをジッと見つめた。
「回復してる……」
驚いたように呟き、額に滲んだ汗をぬぐう。
「この温泉、回復スポットだったのかっ!」
意味が分からなかったので首を捻っていると、サワムラくんはテンション高く説明してくれた。
「つまりこの温泉で体力を回復させることができるんだ。なるほど、そういうことだったのか。この温泉に浸かりさえすれば、グーラとの対決を万全な状態で迎えることができる!」
「そ、そうなんだ」
「活路が見えたぞ!」
なにがそこまで嬉しいのか不明だが、とりあえず「おめでとう」と言って拍手をしてあげる。
現在地の地形と地理がよく分からないが、ここはグーラとやらの居住に近いらしい。
サワムラくんいわく、この辺りの野生モンスターは一筋縄じゃいかないくらい強く、グーラに挑むときはすでにボロボロで、勝てる見込みがなかったらしいが、温泉で体力を回復出来さえすれば、討伐も夢ではないらしい。
「また来る!」
ぱぱぱっと着替えると彼は足早に去って行った。顔色は明るく、はつらつとしていた。棺桶も軽そうだ。
なんだかよくわからないが嵐のような少年だった。
小さくなっていく背中を見送ってから、温泉を上がることにした。