自動人形の秋 2
ルルのあとに続いて、獣道を行くと、やがて拓けた空間に出た。ゴツゴツとした岩場が広がり、崖のようになっている。どうやら渓谷らしい。真ん中を分断するように雄大な川が流れている。流れは穏やかで、水鳥が飛んでいた。
「ここは」
せせらぎが鼓膜を震わせる。吹き抜ける冷たい風が、背の高い枯れた草を優しく揺する。
「キンドラー渓谷。真ん中を流れる川はオアンバー川。ノースライト、ヌッルセボルデン領の一級河川」
「外国?」
「オーナーやルルの故郷である【地球】から見ると、他の惑星と言った方が正しい。
惑星シュッムルテンネン、ホネユヨ大陸、ノースライト、ヌルッセボルデン領、テモメノ区セベス」
「もう一回言ってみろ」
「惑星シュッムルテンネン、ホネユヨ大陸、ノースライト、ヌルッセボルデン領、テモメノ区セベス」
どうやらテキトーにでっち上げたものではないらしい。
改めて河川敷を観察してみるが、生態系は地元の小川と差異はない。
鴨やカラスに、アキアカネにヌートリア。
「! ヌートリアだっ!」
すげぇ、初めて見た。
テンションが上がる。ルルはそれを涼しい目で見てから「行こう」と声をかけてきた。
「行くってどこに?」
「オーナーが望んだこと。すなわち温泉」
もう少しヌートリアを観察していたかったが、こんなところで置いてけぼりにされるのは寂しいので大人しく少女に続く。
上流に向かって歩く。岩場は歩きづらいはずなのに、新しい体は効率良く動いてくれ、躓くことなく前に進めた。
川の両サイドは、壁のような崖が続き、渓谷の雄大さを物語っているようだった。
温泉地特有の硫黄の臭いなどはしなかった。改めて断崖の上を眺めてみると、日本の片田舎といった風な山が裾野を広げているのがわかった。
巨岩などがゴロゴロ転がってはいるものの、変わったところは特にない。
「温泉どこだよ」
「オーナー、落ち着いて。恋と温泉は焦っちゃだめ」
「やかましいわ」
知った風な口を利く年下の女の子に嗜められながら、川に沿って上流に向かう。
紅葉に染まる景色は鮮やかだったが、気温から推察するに初冬なのだろう。
体が震えることは無かったが、寒いのは確かだ。
自宅アパートで逝った時、首都圏は交通機能が麻痺するほどの大雪だった。
改めて手のひらに目を落としてみるがぼんやりと滲んで実体があるようには思えなかった。
「火山とか無さそうなのに温泉なんてあるの?」
ふと感じた疑問を口に出すと、ルルが答えてくれた。
「この辺りは火山地帯」
「どこがだよ。硫黄の匂いはしないし、活火山なんてないぞ」
「ここは火山岩がオアンバー川の流れによって侵食してできた渓谷。八千年前、近くのアフレ山が噴火した記録が残っている」
ルルが遠くの山を指差した。青空の先に小さな山が見えた。
「それにオーナーは勘違いしてる。温泉はなにも火山地帯だけに出来るものじゃない」
「え、違うの?」
「温泉は火山性と非火山性のものとに分けられる。地下水がマグマ溜まりの熱で温められたものが火山性温泉。火山がなくても涌き出る温泉を非火山性温泉という」
「涌き出るって……どうやって?」
「掘ればいい。地下では深度が増すごとに温度が上昇していく。地下増温率と呼ばれ、およそ百メートルにつき、三度ずつ上がっていく。つまりどこであろうと掘りまくれば温泉は湧き出る。オーナーの時代でも千メートルは余裕でボーリングできた」
「でもそんな地下で温められた水がどうやって冷めずに地上まで来るんだ?」
「人工的に汲み上げたり、割れ目に沿って噴出したり。仕組みは火山性といっしょ」
ルルはそういってキョロキョロと辺りを見渡した。
「なんにしても、今は非火山性の話は関係ない。なぜなら、この辺りは火山性温泉だから、掘る必要もなく温泉が涌き出ているはず、……なんだけど……」
温泉の気配なんてない。長閑な河川敷が広がるだけだ。
ススキが風に吹かれて一斉に頭を垂れていた。
「あ、オーナー、あれ」
突如として、ルルは青空に浮かぶ白い雲を指差した。
そちらに目線をやると、猛烈な勢いで物体が動いているのが確認できた。
「あれは……」
いや、雲じゃない。
白い馬だ。たてがみまでもが白一色の美しい毛並みと翼を持つ馬だった。
「……」
普通馬には羽なんて生えていないと思ったが……。
馬は優雅に青空を駆けていた。羽ばたきの音が渓谷にこだましていた。
「……」
言葉を失う。
地球では見たことがない生物なのは間違いなかった。
「天馬だ」
たしかに子ども頃、図書室の幻想生物図鑑で見た生き物がたてがみを靡かせて飛んでいた。
混乱していた。自分の身に起こった非現実的な出来事を改めて認識させられた。
そうだ、ここは地球ではない。
「怪我しているみたい」
「え」言われて目を凝らして見てみると、ペガサスの臀部に黒い矢のようなものが刺さっていた。
血が滴り、とても痛そうだった。
「ヒヒーンッ!」
ペガサスは一度大きく嘶くと、青空を旋回し、翼を羽ばたかせながら、ゆっくりと地上に降下していった。
その優雅な動作に心惹かれ、思わず足を進ませる。
「オーナー、ペガサスはとても臆病な生き物。怖がらせるのは可哀想」
そっとルルに手首を捕まれた。
「……近づけるところまで行って見てみよう」
かなり好奇心がうずいていた。見たこともない幻想生物が目の前にいたら、観察してみたいと思うのは人のサガじゃないか。
ルルも「それならば仕方ない」と呆れたように呟いて、ついてきてくれた。
地面に降り立ったペガサスは蹄を鳴らしながら、器用に河川敷の岩場を歩くと、小さく枝分かれした支流のたまりに浸かり、膝を折って座り込んだ。
リラックスしたように「ぶふぅ」と息をつくと川の流れが気持ちいいのか目を閉じた。
「かわいいな……」
水浴び風景にほっこりしてしまい、思わず呟いていた。
両親が離婚する前に、父親に「動物園に行きたい」とねだって連れていかれたのが競馬場だった。当時はなんの疑問を持たなかったが、しなやかな肢体と迫力にただただ圧倒されたことだけは覚えている。
「アっ!」
ルルが すっとんきょうな声をあげた。
「!!」その声にペガサスは大きく目を見開くと歯をむき出しにし、威嚇の鳴き声をあげた。
翼を大きく広げる。滴が広がり、あたりに虹を作った。
バッサバッサと羽ばたいて、川から飛び上がるペガサス。空を蹴る力強い蹄に見とれてしまった。川の滴が辺りに広がり、頬についた水滴が静かに流れ落ちた。
「あ」
温かかった。
「オーナー、ごめんなさい。思わず声をあげてしまった。ペガサスに逃げられてしまった」
遠く、天を駆けていくペガサスの臀部から、筋肉に押されたらしい、矢がポロリと落下した。岩に当たった矢じりの先が鋭い金属音を警告にこだまさせた。
遠くになったペガサスの後ろ足を目を細めて眺める。先程まで血が滴っていたのに、いまはなにもない。完治していた。
「……」
そんなバカなと思い直す。
矢傷がそんな直ぐに癒えるはずがない。
きっと見間違えだろう。
地面に落下した矢じりにはハートのようなエンブレムが刻まれている。血糊はついていない。
ペガサスが使っていた溜まりから、白い湯気が立ち上っていた。
「オーナー、本当にごめんなさい……ルルが声をあげなければ、ペガサスが逃げることも無かった」
「いや、いいよ。そんなことは気にしてない。それよりも、ほら」
「うん。見つけた」
たしかに温泉が湧いていた。
川のほとりの支流の溜まりから、もうもうと湯気が上っている。先ほどまでは風が強く気づくのが遅れたが、凪いだ今ははっきりと見て分かるほど湯気が立ち上っていた。
源泉のお湯はすぐに川に合流しているために、いままで誰にも発見されてこなかったのだろう。
「すごい!」
慌ててかけよって手のひらを浸してみる。たしかに温かい。
まごうことなく、天然温泉だ。
年甲斐もなくテンションが上がっていた。