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自動人形の秋 1


 目が覚めた。喉がカラカラだ。

 犬歯に舌が当たっていたらしく、小さな傷がついていた。口内に血の味が広がっていく。

 鈍い痛みに急かされるように、ぼんやりとした視界がやがてクリアになっていく。


「ここは」


 地面にうつ伏せになっているらしい。落ち葉がクッションのように体の右頬の下にあるのがわかった。

 栄養豊かな土の匂い。

 うっすら開けた瞼の隙間に倒木がうつる。見たことのないキノコや苔が繁っていた。

 森だ。

 なんで、こんなところにいるんだ。


 神様との対話が夢だとは思えなかったが、現実感は著しく乏しい。

 カサカサと耳元で落ち葉が擦れる音がした。


「オーナー、目を覚まして」


 鈴を転がしたように澄んだ声が響いた。

 寝ぼけ眼のまま、体を起き上がらせると、全身に積もった枯れ葉がパラパラと地面に落ちた。


「おーなー?」


 背後をみると、黒い瞳の女の子が立っていた。少し茶色がかった長い黒髪の幼さがまだ残る可愛らしい少女だった。ぷっくりと少し厚ぼったい唇で、肌にはシワもシミもなく、雪のように白い。

 見ていると、どこか懐かしさが込み上げてくる、面識はないはずなのに、そんな不思議な容姿をしていた。


「やっと起きた」


「な、あっ、つ」


 見ただけで分かるほど人気がない山奥だ。

 赤や黄色に染まった木々は太陽の光をセロハンのように色とりどりに透過していた。鮮やかな紅葉で、季節が秋だと理解できた。

 色づく木々の下、少女はあまりにも不釣り合いな格好をしていた。

 とんがり帽子に黒いローブ、まるっきしハロウィンの魔女のコスプレのような格好だった。

 羽織ったローブの下の格好は見えなかった。


「おはよう」


 突然のことで言葉が出て来ない。

 コミュ症で赤面症で場面緘黙症なのだ。

 肌を突き刺す寒気は季節をダイレクトに伝えてくれている。


「オーナー、指令をちょうだい。ルルはなにをアシストすればいいの?」


「……アシスト……? あ、と、君は」


「ルルは人間じゃない。万能(フレキシブル)フランクシリーズの一つ、端的にいうならアンドロイド」


 突然なにを言っているのだろうか。不思議ちゃんというやつだろうか。どちらかというとキャラ付けに迷ったお笑い芸人みたいな感じだが。


「神様が対人恐怖症のオーナーのために未来の地球の技術を先取りし、生活のアシスタントとして派遣した」


 一人で生きていける力を懇願したのは確かだが、


「アシスタントって……」


 見た目は完全に女の子だ。いくら機械と名乗っていてもそれは変わらない。

 はま寿司の入り口で頑張るロボットよりも幾らか人間的である。


「マネキンに緊張する人はいない。ルルはしゃべる自動人形(オートマトン)と理解して」


「いや、完全にヒトじゃないか……絶対嘘だろ。それにキミ、どこかで会ったことないか?」


「ブロトタイプはオーナーの時代に既に発表されている。ルルは百年進んだ未来の技術で作られた人造人間(アンドロイド)


「なにをバカな……ん?」


 自身の姿が半透明なことに気がついた。

 手のひらを太陽に透かしてみても、血潮すら見えない。モクモクと煙が上がっているようだった。


「オーナーはシェイプシフターに転生した」


 転生。

 にわかには信じがたいが、神との対話が夢でないなら、それを信じなければならない。

 ルルと名乗った少女はどうやら詳細を知っているようだ。

 シェイ……なんとかと言っていたな。

 聞きなれない言葉だ。生物の呼称だろうか。

 情報を仕入れなくてはならない。


「シェイプシフターは化けることができるモンスター。好みで姿形を変えることができる」


 訊ねたら教えてくれた。

 ナナフシやコノハムシのような擬態を得意とする生物だろうか。

 詳細を聞いてもよく分からなかったが、親から歩き方を教わる動物はいない。蝉は夏になれば鳴くようになるし、蛍は命令されなくてもお尻を光らせる。遺伝子で決められているのだ。

 シェイ……なんとかも、化けるのが生物的本能だとしたら、焦ることなく行えるようになるのだろうか。


 思考放棄するように手のひらを見る。

 実在する生物においては、おそらくアメーバーが近しい存在なのだろう。気を抜くと液体になってしまいそうだ。


「これが……」


 生前、影みたいに付きまとっていた気だるさが一切無い。ジャンプすれば飛べそうなほど、体が軽かった。

 これが健康。

 薄く体が光っているのがわかった。

 プロジェクターで壁に投影された映像みたいに透けて見える。きっと幽霊はこんなかんじなのだろう。

 しゃがんで足元の落ち葉を拾ってみたが、問題なく摘まむことができたので、実態はあるらしい。

 少なくともこんな生物、地球にはいなかった。未確認生物だって、もっと節度ある容姿をしている。

 神様が言っていた『異世界』という言葉が頭をよぎる。

 異世界、とは文字通り異なる世界を指す。


「なんで、こんな姿になったんだ……」


「オーナーが望んだから」


「望んでいない。断じて、生まれ変わりなんてものは」


「オーナーはたしかに神に『お風呂に入りたい』と祈った」


「……」


 あの時のことが幻覚でない限り、それは事実だ。


「だから実像が与えられ、お風呂に入れる環境が整えられた。ルルが派遣されたのはその為」


「ここがお風呂場に見える?」


 これ見よがしに訊ねてから、大袈裟に首を動かして辺りを見渡してみる。

 風呂桶も、たらいも、すのこも、

 黒かびに覆われ腐食したタイルも、髪の毛が溜まった排水溝も、水垢で少し薄暗い昭明も……。

 代わりに、色鮮やかな落ち葉のカーペットを広がっている。視界良好な秋の山の中だ。画家が見たら、本能的に絵筆を取るような美しい風景。

 それ以上も以下もない。


「神様はお風呂に入ったことない」


 汚っ。


「汚くはない。なぜなら神は精神体だから」


「心を読まないでくれ」


「お風呂に入ったことがない神はオーナーの願いがよくわからなかった。だから、アシスタントとしてルルを派遣した。オーナーを一番よく知っているであろうルルにアンドロイドとしての機能を加えて」


 彼女はこれ見よがしに胸に手を当てた。間違いなく初対面のはずなのに、よく知る、というのはどういう意味だろうか。発言の意図が読み取れず思わず首を捻ってしまったが、ルルは一切気にした風もなく続けた。


「でも、残念なことに半機械であるアンドロイドは防水加工が施されていない」


「キミもお風呂はいったことないの?」


「概念は理解している。湯を溜めて身体を浸らせること」


「入ったことないんだ……」


 汚っ。


「汚くはない。ルルには自動洗浄機能が搭載されている。それに二十二世紀の最新型アンドロイドは、お風呂のように長時間浸ることはできないけど、短時間のシャワー程度なら問題なく行える」


 めっちゃ早口で捲し立てられた。

 どうやらお風呂嫌いらしい。小さい子供にままあることだ。

 見たところ中学生ぐらいの少女だが、この年齢になるまでバスタブに浸かったことがないなんて不幸なことだ。

 きっと家庭がシャワーで済ませる文化だったのだろう。少女から、洗っていない子犬のような特徴的な体臭は一切なかったので、そう結論付けた。

 もちろんアンドロイドだというのは到底信じられる話ではない。


「でも入浴しないと疲れ取れないでしょ」


「理解不能。お風呂はいると疲れがとれる? なんで? 」


「体が芯から温まるからだよ」


「体が温まると凝りがほぐれ、血行がよくなるのは事実。でも、浴槽に水をいれ、湯をわかし、適温になるまで待つ、という作業は非常にストレスになると思われる」


「それは、まあ、たしかに……」


 働いていたときはシャワーばかりだった。

 泊まり込みでパソコンに向かうときなどは、ウェットティッシュで体を吹いて済ませることもしばしば。

 人間らしい生活を行えなかったので、怪物になってしまったのだとしたら、なんとも皮肉な話である。


「でも、お風呂に入ると本当に疲れがとれるんだ。おもわず『染みるわぁー』なんていっちゃうぐらいにね」


「なにが染みるの? 浸っている、の間違いではないの?」


「えーと、染みるのは、優しさかな」


「理解不能。湯を沸かす労力との不等号性と合わせて説明を求める」


「えーと、そう単純に答えを出すことは出来ないけど……」


 知らないことは当然説明できないが、知ってることを言葉にするのも難しい。

 学生の頃は、吃り癖が抜けず同級生にからかわれた。

 社会人になってからも変わらない。

 少しでも人前に出ると、上がってしまい、舌が上顎に貼り付いたみたいに動かなくなるのだ。だから前職みたいにずっとパソコンに向かう仕事はまさしく天職だったのだ。

 だからだろうか。

 自称とはいえアンドロイドのルルに対しては一切の緊張を感じることが無い。リラックスして会話ができている。

 少しでも否定や厳しいことを言われると、すぐに相手の意見に流されてしまった過去と決別出来たのだろうか。

 いや、もしかしたら、これこそが生まれ変わりの効果なのかもしれない。


「それに、自分で沸かすのが億劫なら銭湯にいけばいいし」


「銭湯のデータは入っている。入浴施設を備えた浴場のこと。……でも、残念ながら、こちらの世界には銭湯はない」


「えー」


 思わず悪態が口をついていた。


「スーパー銭湯もないの?」


「ない」


 短く言い放たれた。

 ルルは相変わらずの無表情だ。

 銭湯もないなんて、なんて不幸な世界だろうか。


「じゃあ、なんで神様はこんな転生させたのさ」


「この辺りは地熱が高く、沸きだす温水が所謂『温泉』になっているところがある」


「それって天然温泉ってこと!? なるほど、そういうことか!」


 お風呂に詳しくない神様が遣わしてくれたアシスタント役は一度ゆっくり瞬きをしてから続けた。


「さぁ、オーナー、温泉が涌き出ているところにいこう」



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