そうして深い夜が来た
寝汗がすごいことになっていた。
臨場感と存在感がいまだにまとわりついている。
目覚めは最悪だが、夜の冷たい空気が頭を冷やしてくれた。
寝袋から這い出て、頭を抱える。
いま見たものは、夢ではないと断言できる。
恐らくマクシミリアンの今際の思い出だ。シェプシフターの能力が変化というなら、正確な変身のために、対象の記憶を読み取ることも可能なのだろう。化けるためには思い出が必要だから。
「ルル!」
アシスタントの名前を呼ぶと、少女が「焦らなくてもちゃんも持っていく」とテントの入り口を開いて顔を覗かせた。
「はい、オーナーの大好物のパンケーキ」
「ああ、ありがとう」
あれ好物って言ったっけ?
「じゃなくて、ルル。サワムラくんは!?」
「サワムラマクラ? 麓の町にいると思うけど、どうしたの?」
「彼に伝えないといけないことがあるんだ」
グーラはルゥナだ。
サワムラくんは一人でグーラを足止めするために残っていると言っていた。それは嘘だ。一人になれる時間を手に入れたルゥナが何をしでかすかは未知数だ。
このままではサワムラくんはなすすべなく全滅してしまうだろう。仲間の一人が敵側だと知ったとき、彼は悲しみに暮れるだろうか。わからないが、このまま真実を知らずに過ごすのは残酷だと思った。なんとしても伝えなくてはならない。
「そんなこと言われても連絡手段がない」
まさしくその通りだった。
体を起き上がらせてテントを這い出ると、まだ夜も明けきっていないようで、空にはいくつもの星が瞬いた。冷たい冷気が肌を刺す。
川のせせらぎだけが聞こえる。感覚的に真夜中だろう。どうでもいいが、邦楽の歌詞で一番使われるのは午前二時らしい。この時間はなんでもないのにセンチメンタルな気持ちになるから嫌いだった。
吐き出す息が白かった。タバコの煙のように月明かりを滲ませる。
ふと岸辺を見ると、土を掘り起こした跡があり、木の杭が十字にたてられていた。
「マクシミリアンの墓を作っておいた」
「ルル……」
「オーナーならきっと作るように命令するかな、って思って」
彼は被害者だった。
死んで、ルゥナに操られていただけだ。ひとまず魂を解放できたと信じることにしよう。
それにしてもアンドロイドが慈愛の心を持つなんて思えなかった。薄ぼんやりとしていた疑惑が確信に変わる。
「ルル、キミは」
「オーナー!」
ずっと思っていたことを口にしようとした時、遠くの暗闇からうなり声が聞こえた。
木々の隙間を風が通り抜けた時のような低く、それでいて不気味な雄叫びだった。
テントから飛び出して、新たな来訪者を見やる。
月明かりに大きな人影が照らされていた。いや、人影などではない。ところどころ歪に歪んだ影。
立っていたのは人ではなかった。身の丈三メートルはあろう、怪物だ。
泥人形のような茶色い物体だった。四肢はあるが、目鼻はなく、うつむきがちに、前に前にと足を動かしていた。
「ゴーレム」
ルルが呟いた。「土と死体をこねあげて操作する秘術」らしい。何者かに命令を受けた土人形はずりずりと片足を引きずりながら近づいてくる。
そうだ。本来の機械は命令されたことをたんたんとこなすだけの電化製品のはずなのだ。
「これの目的はなんだ?」
夜襲をするにしても、ゴーレムに機動力が皆無だった。逃げるのは容易いだろう。夜中だから眠りこけていると見越してけしかけたのだろうか。
ルゥナ・シゥイニー。あの少女にかんしてはほとんどわからない。数分論を交わしただけで、心情を推し量れるほど一緒にはいなかった。
彼女が遣わしたであろう土塊は何を思っているだろうか。
警戒しながら、ゴーレムを睨み付けているが、至近距離にも関わらずこちらに気づいていないのか、一切気に介した様子なくずりずりと牛歩の歩みを進ませている。
「わかった」
ルルがポツリと呟いた。
「グーラの目的はサワムラマクラが言っていた通り温泉を破壊すること。そうか。あのゴブリンも、マクシミリアンも死体だから気配を察知することが出来なかったんだ」
ルゥナの瞳が深く鋭くなっていく。
「温泉を潰すって……どうやって?」
「このゴーレム、体に毒が含まれている」
「毒!?」
赤茶色した土人形は四肢の長さがバラバラで、夏休み最終日、自由工作があることに気づいた小学生が急拵えでこね上げたような歪な姿をしていた。
「毒?」
「ゴーレムの体が構成されている土に、カビ性の自然毒が含まれているのを確認した。おそらくアレの目的はそのまま温泉に溶けること。泥水にすることで勇者の体力回復の手段を無くそうとしている」
鋭い目付きのまま、ルルが手をつきだす。
「オーナー離れて」と言うと同時に彼女の手のひらから火の玉が飛び出し、ゴーレムに顔面に命中した。サワムラくんが薪の着火のときにやっていたやつだ。
花火のように火の玉が弾け、轟音が響き、辺りが一瞬明るくなった。間違いなく命中したのだが、動きを止めるに至っていない。ブスブスと煙をあげながらも、ゆっくりと温泉に近づいていく。
ルルは続けて三発、火の玉を打ち出し、いずれも命中したが、ゴーレムが止まることはなかった。
「ごめん、オーナー」
ルルが悔しそうに呟いた。
「ルルは戦闘用に作られていない。使用可能魔法も四大元素の初級のものだけ。止める手段がない」
「……」
「あのゴーレムは敏捷性と攻撃力が低い代わりに著しく防御力が高められている。通常の攻撃や魔法じゃびくともしない」
心底悔しそうに呟く。ルルに感情がないなんて信じられるわけがなかった。
「大丈夫、なんとかなるさ」
感覚として漠然と理解していた。
いまの自分が負けるわけがないと。
戦闘経験は皆無。モンスターなんて会ったこともないし、会いたいとも思わない。怖いし、痛いのはいやだ。
だけど、いま自分が成っている人物は、こと戦闘においてはプロフェッショナルだ。
だからだろうか。
頭が冴え渡っていた。
躁病の人が深夜にやる気が出るようにアイデアが溢れて止まらなかった。
こうすればいい、とか、ああすればいいとか、幾手にも活路が見える。そのなかでも確実なものを一つ選択をし、行動することにした。
「オーナー?」
ルルの怪訝な瞳を背中で受けながら、テントの横に置いてあった魚籠を持って、川の水を汲む。
ゴーレムは相変わらず鈍い。どうとでも対処できる距離だ。
川の水で満タンになった魚籠をもって、ゴーレムの前にたつ。巨大な体躯を前に足がすくむことはなかった。
「あぶない。下がって!」
それでも、ルルは心配そうな声をあげた。
汲んだ水をぶちまけた。
ダメージなんてない。ただ水をかけただけだ。言ってしまえば泥人形だから、表面くらいは少しは溶けたかもしれないが根本的な解決には至っていない。
ルルはついにとっち狂ったか、と心配そうな視線を送っているがそうではない。
手のひらを突き出し、浅く息を吐く。
川のせせらぎ、木々のざわめき……集中がすべての音を遠ざける。
初めてだ。初めてだけど、絶対うまくいく。
いまの自分は勇者で、
発動はしていないけど、一度その魔法を目の前で見ている。
浅く息を吐いて唱えた。
「大氷結……っ!」
呪文がカタチをなして、今まさに温泉に身を投げようとしていたゴーレムにぶち当たる。
「おおおおお……」
ピキピキとフローリングの床を引っ掻いたような音が響く。焦げ茶色したゴーレムの全身が一瞬で白くなり、冷気が辺りに充満した。霜柱のような氷の結晶がソイツの全身を包み込むとやがて分厚い氷となって、閉じ込めた。
「すごい……っ!」
ルルが喉を震わせた。
称賛に得意気になるほど愚かではない。
「すごいのはサワムラくんだよ」
水平に伸ばしていた手を下ろす。
「サワムラくんが覚えていた魔法だ」
「うん。いまのは水の最上位魔法。空気中の水分の分子振動を減衰させ、対象を凍らせる」
理屈はよくわからなかったがともかくすごい魔法らしい。
氷付けになったゴーレムの氷像を見てルルが感嘆の息を吐く。
「オーナーは最強なのかもしれない」
何度も言うが、最強なのはサワムラくんだ。
ルルは勘違いしている。借り物の力で得意気にはなれない。むしろ惨めさがつのるだけだ。
天才画家の作品を自分のと偽って発表したところで、自らの承認欲求が満たされることはない。
惨めさと罪悪感がつのるだけだ。
ルルは首をコキリをならして、「危機は去った」と呟いた。月明かりに反射した氷がキラキラと輝いている。
「いや、まだ近くに驚異が残っている。放っておくとスローライフとは程遠い惨劇に見舞われそうだ」
きょとんとするルルより一歩前に出て、新たに現れた人物を睨み付ける。
足音もなく忍び寄った彼女は気づかれていると思っていなかったのだろう、目が合うと照れたように鼻の頭を掻いた。
来訪者が多い夜だった。




