高嶺の花
朝、目を覚ますときの気分はとても晴れやか――
「タク、ねぇタク! 私、好きな人ができたの! 告白したいから手伝って!」
――なわけなかった。
「うるせえええええぇぇぇぇぇ!! 今何時だ!? 午前五時! あと三時間弱は寝れるじゃねぇかクソッ!! ていうかそんな報告昨日のうちにしとけよ、なんで朝にわざわざ部屋に押しかけて言いに来るんだよ! もううんざりだ、もううんざりだ! 俺は数えてたぞ、むしろいつ来るか待ち構えてたところだ、これで記念すべき二〇〇回目だ!! でも似たようなこと五回目と一〇回目二〇回目と五〇回目と一〇〇回目と一五〇回目にも言ったけどな! そんなことはどうでもいい! 俺はもう本当に知らん! 手伝わねぇ! 一人でやれ!!」
「よく一息で言えたね!」
「はぁっ、はぁっ、重要なのはそこじゃない!!」
ほぼ毎週のように繰り返される同じセリフ、『好きな人ができたから告白を手伝って』。高校三年生になっても彼女は何も変わらない。もうすぐ夏休み、そろそろ進路を考えて受験の準備をしていかなければならないというのにだ。
「でもどうせ手伝ってくれるんでしょ? 断りのセリフならアタシもう一六五回は聞いたけど、なんだかんだ言ってタクは優しいよね」
「いいか絶対に勘違いするなよ。俺は手伝いたくて手伝ってるんじゃない。手伝いたくないけど断った方が結局は時間の無駄になるから仕方なく手伝ってるんだ。これは優しさから来るんじゃなく諦めから来てる――」
「ま、結局は毎回手伝ってくれてるんだよね。ホント、そういうところ大好き」
「お前が口にする『好き』ほど軽いものはないんだよ!」
何が悲しくて朝っぱらから血管が切れそうなほど叫ばなければならないのか。しょっちゅうこんな目に合うので、いつか脳内出血を引き起こしてフラッと死ぬんじゃなかろうかと常に不安を抱えて生きている俺の気持ちがわかるか? あん?
しかしそんな考えは口に出さなければ届くはずもなく、我が家に不法侵入し目覚まし時計の代わりを担った少女、チヒロは満面の笑みを顔に浮かべてじっと俺を見ていた。
かわいい。幼稚園の頃からずっと見続けてきたが、一切飽きない。何度見ても、強烈にかわいい。見慣れているはずなのに見つめていると心臓がバクバクと鼓動を早める。彼女は年を重ねるごとに魅力が解放されていって進化している。アイドルをしていたら確実に学校に通っていないし、女優としてならおそらく四〇歳を超えても余裕で食っていけるだろう。
そんな少女に例え水素より軽くても、毛ほども気持ちがこもっていなくても、「好き」と言われて喜ばない男はいない。それは俺も含めてだ。
初恋の人なのだ。惚れた弱み、とでも言えばいいのだろうか。どれだけ拒絶しようとしても、最終的には絆されてしまう。
なにもかも、おそらく彼女と幼馴染だったことがすべての運の尽きだったのだろう。
チヒロの人気っぷりは幼稚園の頃からだ。当時からそれはもう男子という男子から好かれていた。
もう性格どうこう以前に、とにかく容姿が凄まじいのである。かわいいは正義、なんて言葉が存在するわけだが、チヒロはその体現ともいえる。何をどう行動しようが彼女のすることは許され、そして愛される。はっきり言ってメチャクチャなのだが、俺も容姿だけで惚れてしまった男子の中の一人であり、チヒロに群がっていた大勢に混じっていたので何も言えない。
ただ、家が隣ということで人一倍仲が良かったのは紛れもない事実だ。他の男子に唯一勝てるものを持っていた俺は、これ幸いにと特権を生かしてよく遊んでいた。
……今思い返せば、一番幸せだったのはこの頃だ。まだ物心がついておらず、人を好きになるということがどういう意味かもよくわかっていない無邪気な時期。
だが当然、人は成長する。成長すれば様々なことが変わってくる。小学生になってますます可愛く、少しそこに美しさまで混ざり始めた五年生の、忘れもしない五月一三日。事件は起きる。
「私、好きな人ができたの!」
俺の心は粉々に砕け散った。
幼稚園の頃からの初恋を背負い、しかしまだ小学生ということもあってからかわれるのが嫌で、告白など一切せずにやってきた俺はその瞬間に絶望した。
今なら冷静に自己分析できるが、当時の俺は愚かにもチヒロは自分と一番仲がいいから当然彼女も自分のことを好きなのだと思い込んでいた。なんならこのまま成長して大人になれば結婚もできるに決まってると勝手に決めつけていた。そんな期待、というか妄想でしかないのだが、それをぶっ壊されて我に返った。
そうか、チヒロにだって他の人を好きになる権利はあるのか、と。
権利ってなんだ、と頭を抱えてベッドにダイブしたくなるが、本当に当時はそう思い込んでいたので仕方がない。とにかくついに初めての恋心が撃沈したわけだが、それだけなら今のような状態にはならない。彼女は続けてこう言ったのだ。もうお分かりだろう。
「告白したいから手伝って!」
何が悲しくて、好きな人が知りもしない男にする告白を手伝わなければならないのか。傷心直後でただでさえ精神が死んでいたというのに、そんな状況でさらに傷を抉る真似などできるはずもない。
……だが、この言葉にはさらに続きがある。
「こんなこと頼めるのタクしかいないの!」
非常に単純な俺はこの言葉で蘇った。恋人にはなれない。でも友達として、チヒロと最も近くにいられる人間は俺だけ。気を良くした俺は、初恋を吹っ切るためにも前向きに告白を手伝うことにした。
かくして俺の初恋は終わり、告白の手伝いをし、ついにチヒロは俺の知らない男と付き合い始めた。
実際には友達の延長線のようなもので、俺と遊ぶ時間よりその男と遊ぶ時間の方が長くなったぐらいの変化しか起きなかったのだが、それでも他の男と仲良くしている様を見て嫉妬を抑えられなかったりした。
ところが、またしても事件が起きる。告白から二週間ほど経った頃の出来事だ。
「そういえば最近、あいつと遊んでないよな? なんで?」
「んー? だって別れたもん」
「は?」
聞いた話によれば、付き合い始めて一週間で二人の関係はすでに破綻していた。何が起きたんだと思ったが、本人曰く「なんか違った」らしい。
何が違ったんだ、俺が告白を手伝った意味は何だったんだ、でもこれでまた一緒に遊べる、良かった、など色々思った。ひとまずこれで俺の初恋は完全復活。再び元の日常が戻ってくる。
はずだった。
「ねぇタク、好きな人ができたから告白手伝って!」
二日後、またしてもこのセリフを聞いた俺は耳を疑った。どういうことだ、前に好きだった男は何だったんだ、今度は誰だ。
様々な考えがよぎったが、またしても初恋は砕け散った。しかし再び「こんなこと頼めるのタクしかいないの!」と言われてしまえば、チョロい俺はあっさりと告白を手伝い、そして告白は成功し、その男とチヒロは付き合い始めた。
「ねぇタク、好きな人ができたから告白を手伝ってほしいの!」
「もうやだよ!」
二回目の時点ですでに様子がおかしくはあったのだが、五回目にして俺はようやくチヒロがなにかおかしいことに気が付き拒絶を示した。
「お願い、こんなこと頼めるのタクしかいないの!」
相変わらず非常に心が揺れたが、それでもここでは踏みとどまった。
「だってさ、そんなにコロコロと好きな人が変わるなんて絶対におかしいって! 二週間持ったことが一度もないんだよ!? たぶんそれ、好きって言わないよ! なんか間違ってるって!」
「タクに私の気持ちなんてわかんないよ!」
真剣な顔でそう言われ、俺は心臓に釘を撃ち込まれた感覚だった。
その通りだ。ずっと俺のことが好きだと妄想していたが、事実は違った。チヒロにはチヒロの恋愛観があり、それに従っているだけなのだ。説得されてしまった俺は再び告白を手伝い、チヒロは成功させてまた知らない男と付き合い始めた。
一〇回にもなればもう確信していた。
チヒロの恋愛観は完全に壊れていると。
最初は小学生の恋愛はこんなものなのかもしれないという気持ちがどこかにあった。しかし、回数が重なるごとに疑念が強くなっていく。漫画やアニメを見るようになって少しずつ恋愛とは何ぞやというものがぼんやり形成されつつあった俺でも、間違いなくチヒロの恋愛観はおかしいということだけはわかった。
「絶対に手伝わないからな。そもそも俺の手伝いなんかなくても、チヒロなら成功させられるだろ」
「そんなこと言わないで、一人じゃ心細いんだってば!」
だが、いくら断ってもまとわりついてくるのである。それも私生活に支障が出てしまうほどにベタベタと。さすがにもうやっていられず、仕方なく告白を手伝った。
その男とは三日で別れていた。
中学に入って、チヒロが自分の中にルールを決めたことに俺は気が付いた。
付き合った男と一度でもデートしたら別れる、だ。
意図してやっているのかと一度訊ねたことがあるが、どうやら本人曰く別にそういうわけではないらしい。
だが付き合い始めた男が俺に対して「実は明日、初デートなんだ!」などとカミングアウトしてきたその翌日に振られて意気消沈したメッセージを送ってくるのを今までに何度も受け取っているので、これはもう確定事項だ。初デートはフラグ。それを聞いた瞬間に俺は「あーあ、終わったな」と思うことになる。
とまぁ、そんな感じで現在。
相も変わらずチヒロは校内で大人気だ。だが俺はチヒロが告白を受けたという噂などを今までに一度も聞いたことがない。触れることすら叶わない高嶺の花という扱いを受けており、男子からはよほどのことがない限り手を出せないのである。
しかしその逆ならばほぼ週一ペースで発生するわけで。今ではチヒロの御眼鏡にかない告白されると、初デートするまで至福の時を味わえるという完全に真実を捉えた噂が流れていて、男子は神に選ばれし者となるべく男を磨く毎日、といったところだ。ちなみにチヒロに対する尻軽ビッチだとかそういった系統の悪評が立ったことはない。理由はただ一つ、可愛いは正義だから。
学校での俺の立ち位置はチヒロとのコンタクトを可能とする唯一の人間という天の使いかなにかかと言いたくなるようなものだ。不思議なことに実はチヒロと付き合っているのではといった嫉妬や誤解の類は受けたことがない。嬉しいような悲しいような。
……そろそろ本題に入ろう。
記念すべき二〇〇回目の告白の手伝い。
さすがに。さすがにもう無理だ。むしろ今までよく頑張ったと自分を褒めてやりたい。
「わかった、じゃあこれを最後にしようよ。ほら、今回の手伝いを断ったら一九九回手伝ったってことになるわけでしょ? それじゃあキリが悪いと思わない?」
ふむ。確かにそれは言えているな。
「九九回目の時に同じこと言われたけどな」
「あれ? えへへ、そうだっけ」
あーもう! 照れた顔も可愛いなぁ! あざといだけなんだけどなぁ!
いつしかどこかで、恋愛は惚れた方の負けという言葉を聞いたことがあるが、完全にそれだった。一九九回屍を積み上げている例が目の前にいるわけだし。もしかしていつかチヒロが結婚するまで俺はこんな状態で居続けるのだろうか。さすがに結婚して一週間で離婚した、なんてことはあり得ない……と思いたい。
「最後だからな。ほんっっっっっとうに、最後だからな!」
「ありがとう! やっぱりタクは優しいね!」
この笑顔を見れば無限に何でもできると思える当たり、俺はまだコイツへの思いを断ち切れていないのかもしれない。
心の内を打ち明けることができる親友というのは持っていて損はない。
「お前の悩みはな、俺らみたいなモテない男にはうらやましすぎるんだよ。千尋さんは本来なら指一本触れることも許されず、会話するのにもメッセージで許可をいただき、さらには直前に完全手洗いとうがいをした上でヘアネットとマスク着用が義務付けられるような方なんだから」
さすがにヘアネットと完全手洗いは意味が分からない。というかそのままSNSで会話してろ。
「そうは言うけどな、こっちはまだ未練たらたらなんだよ。その状態で繰り返される告白の手伝い。もう俺の精神はボロボロだ」
「ライダーシステムに欠陥があったんだなぁ」
「なんの話だ」
たまにカズキの話は脱線する。
「特撮の話だよわからなくていい。ていうかさ、不思議に思ったんだけど巧は千尋さんに告白しねーの?」
「なんでそうなるんだ? あいつは色んな男を好きになってきたけど、俺のことだけは一度も好きにならなかったんだ。告白したって断られて終わりだろ」
「うーん。じゃあさ、お前が理想の男になるってのはどうよ」
「……意味が分からん」
「巧は今までに一九九回、千尋さんが好きになった男を見て来たわけだろ? それをもとに千尋さんの求める理想を追求するわけ。おお、これ名案じゃね?」
「残念ながらやろうとしたことはある」
「えっマジ? どうだった?」
「あまりにも傾向にばらつきが多すぎて絞れなかった」
俺だってチヒロに好かれたいと何度も思ってきた。その程度のことは二〇回目ぐらいのときから試みている。だが、チヒロが好きになる男に何か共通点があるのかと言えばこれが全く分からない。
頭脳明晰のイケメン眼鏡先輩、野球部エースのさわやか短髪男といった男に嫉妬されるほどモテモテの人物から、教室の隅でおとなしく読書を続ける根暗ヒョロガリ、アニメエロゲーサブカル大好きキモオタデブといったスクールカーストまで、統一性がなさすぎるのだ。性格面で言っても、優しい、不良、臆病、かまってなど多種多様。どの傾向が一番多い、とかではなく、まさしく十人十色の様々な男を好きになっているのである。
「つまり容姿を磨くとか、内面を綺麗にするとか、そういう努力にあんまり意味はないんだよ。本当に、チヒロが好きになるかどうかだけがポイントでな」
「まさしく神に選ばれし者って感じだな」
ほぼ一週間で捨てられるわけだがな。ちなみに今までの最長記録は一八日だったりする。ただしこれには理由があり、付き合った男が初デートをしたら別れるというジンクスを信じて全力でデートを拒んだからだ。しかしあれだけの美少女から何度もデートに誘われて断り切れるはずもなく、耐えることができたのは三週間弱だった、というだけで何か特別な理由があったわけではない。
「天姿国色ってやつね。生まれながらの絶世の美女。うらやましいったらありゃしない」
親友との雑談に横やりが入る。中学からの腐れ縁であるキリエだった。彼女はスカートのまま机に腰かけ、足を組みながら言った。
「女子の間でも実はあんまり評判悪くなかったりするのよ。好きな人を盗られたって喚く奴もいるけど、一週間そこらで別れちゃうでしょ? そこで傷心した男を慰めてちゃっかりゲット、みたいなことがよくあるみたいだから」
「誰よりも知ってるよ、それぐらい」
チヒロは高嶺の花だ。それを手に入れた男は当然ながら発狂レベルで喜ぶ。そして一週間ほど至福の時を過ごし、初デートを終えて絶望のどん底に叩き落とされる。だが、不思議なことに男はその傷ついた心をあっさりと修復してしまう。
それは、高嶺の花を一瞬とはいえ自分のものにすることができたという満足感からだ。もともと分不相応だとわかっていた場合はこれが顕著である。失礼な言い方にはなってしまうが、自分にはこれぐらいが丁度いい、というある種の妥協というか、身の丈に合った恋愛をするようになるのだ。
ある意味においてチヒロは男を成長させている面も無きにしも非ずだ。
「命短し恋せよ乙女、なんて言うけれどあれは度が過ぎてるわよね。恋に恋してるとでも言えばいいの? 本当に心から人を好きなったことがあるのかも怪しい」
「本人からすれば全部真剣に好きになってるらしいぞ。極端に熱しやすく冷めやすいって感じだろうな」
「逆にタチが悪くないか? それ」
そう、タチが悪い。わざとやっているのではなく、すべて本気だから。迷惑が掛かっているのはせいぜい俺だけだが、容姿端麗、文武両道の完璧な少女の唯一の欠点と言えばおそらくそこだ。
要するにチヒロはどうしようもなく天然なのである。
カズキは学食で購入していたパック牛乳にストローを突き刺して口に含み、一気に中身を飲み込んでから言う。
「つっても、さすがにそろそろ落ち着くんじゃないか? 今年は大学受験なりなんなりあるわけだし」
「確かに中学三年の時は自重してたのか受験前に一時的に収まったな。高校入った瞬間に戻ったけど」
「……大学生になっても同じ生活が続きそうね」
キリエがあきれたようにそうこぼしたが、マジでその可能性が高いのが辛い。だが、俺には秘策があった。
「今度こそ未練を断ち切るためにも、それだけは断固阻止だ。それにまず学力が違う。もともと同じ大学なんて入れっこない」
チヒロは天然でありながら学力が高い。校内トップクラスだ。一方で俺は中の上程度。偏差値で言うならかなりの差がある。同じ大学に行くことはまずないだろう。
「断ち切る? もう千尋のことは諦めるってこと?」
「未だに諦められないから、別々の大学に行って無理やり断ち切るってことだよ。高校ではダメだったけど、もう選挙権もある大人だしな」
高校受験の時も、別の学校に行こうとしたが結局は無理だった。チヒロの傍から離れたくないと心のどこかで思ってしまったのである。しかし今回は違う。あれから三年、俺だって少しは成長したはずなのだ。
「ねぇ巧。手っ取り早く未練を断ち切らせてあげよっか?」
「……ん? そんな方法あるのか?」
問いかけるとキリエはポケットから飴を取り出し、包みをはがして口の中に放り込む。舌の上で飴玉を転がしながら、何気なく言った。
「私と付き合おうよ。今フリーだし」
「「え?」」
俺とカズキの声が見事にハモった。
キリエとは中学一年の時に同じクラスになって出会った。ちなみにカズキとの出会いもその時だ。
キリエとカズキとは言ってみれば、腐れ縁だった。一年の時はさほど仲良くもなかったのだが、二年でまた同じクラスになり話すようになった。そのまま三年、高一、高二、高三とすべてにおいてクラスが同じになる。自然に仲良くなり、いつの間にか気の置けない関係になっていた。いつも一緒にいる三人組で、昼休みなどは常に行動を共にしている。
チヒロとは同じクラスになったことが一度もないのだが、俺の幼馴染ということもあってそれなりに面識がある。四人で遊びに行ったこともしばしばだ。
さて、キリエがどんな人物なのかと言えば――元気っ子だろうか。いつもテンションが高く、三人組の引っ張り役。中学時代は休日にあちこち連れまわされた記憶がある。今でも放課後に寄り道したり色々するが、すべては彼女の提案だ。
男友達とつるんでいるのと同じ感覚でいられるため、いい意味で女の子らしくない。外見はチヒロにどうあがいても劣ってしまうが、だからといってかわいくないわけでもない。実際、今までに何度か男と付き合っている。一時期はカズキとも付き合っていたしな。まぁチヒロと違って最低でも二か月は続いていたので実に常識的だ。というのは俺の感覚がバグっているのか? 二か月は続いてる方だよな? たぶん。
とにかく今までずっと友達感覚でいたため、いきなり付き合おうと言われても戸惑いの方が大きいわけだ。
そしてどうやら冗談ではないらしい。
放課後、チヒロの告白を手伝おうとしたところでキリエが話しかけてきた。
「ねね、どっか遊び行こうよ」
「……昼の話、まさか本気なのか?」
「千尋には負けるけど、私らもなんやかんやで五年以上の付き合いなわけじゃん? 高校生活最後の年ぐらい、こういうことがあってもいいと思う」
「はぁ……?」
よくわからなかった。そもそも俺は何度も言っているが、チヒロのことが好きなのだ。なのに別の人と付き合うのはおかしい。
という思考を読んだのか、キリエは再び口を開く。
「本当のところ、私も巧のことが好きかどうかはわかんないよ。一緒にいて楽しいなーとは思ってたけど、それが恋なのかどうかは判断できない」
「待ってくれ、今俺はとんでもないカミングアウトを受けている気がする」
「自分の気持ちを確かめたいのよ。ほら、私たちって二人っきりで遊んだこととかないっしょ? だから試しに付き合ってみたいわけ。もしかしたら巧も、千尋への思いを断ち切るきっかけになるかも? 付き合ってるうちに本当に私のことを好きになったり」
「う、ん……?」
叶わない恋をしている自覚はある。おかげで今まで大変な目に逢ってきた(自分から首を突っ込んでいるのだが)。だからチヒロへの思いを断ち切りたいのだ。かといってそのために別の人と付き合っていいものなのか?
そりゃ、キリエのことは嫌いじゃない。彼女と同じく、一緒にいると楽しいし普通に好きだ。それを恋心とは呼べないが……。
「お試しだよお試し。別にキスとかセックスしようって言ってるんじゃないんだし」
「ちょっ、さらっとそういうこと言うのやめてくれないか!?」
「おお、すごい童貞っぽいセリフだ! はははっ」
からかわれても不快にはならない。そういう距離感は本当にありがたいのだが、やはり納得はいかなかった。
「確かお前、高一の時にカズキと付き合ってたよな。半年ぐらいだっけ?」
「あれは本当に好きだったよ。でも、やっぱりなんか違うなって思って」
またこれか。「なんか違う」。チヒロの常套句である。でもキリエが言うとそうだったんだろうなと思えるのが不思議だ。
「別に無理にとは言わないけどさ。付き合いたくないなら容赦なく振ってくれて構わないし」
「振るってなんか感じ悪い言い方だな」
「事実でしょ」
でも、そうか。俺はチヒロへの思いを断ち切りたいと思っている。理由はどうあれ、俺だって男なのでキリエに付き合おうと言われてうれしくなかったわけでもない。つまりまんざらでもないと思っている。
お試し、か。それなら……。
「わかったよ。じゃあ試しに付き合ってみるか」
「そう来なくっちゃ! じゃ今日はカラオケね!」
「うわっ、引っ張んな! 服が伸びる!」
という軽いノリで、俺には人生で初めて彼女ができるのだった。
「告白! 手伝って! くれるって! 言ったのに! なんで! どっか! 行っちゃうの!」
「あー……」
カラオケで喉が枯れるまで歌い、帰宅して部屋に入ると怒髪天のチヒロが待ち構えていた。ナチュラルに不法侵入だがいつものことなので気にすることではない。
そうだよなぁ、一応は先約だったもんな。キリエの強引さに負けてしまった俺が悪い。ここは素直に謝っておこう。
「すまん、キリエに連れていかれてな。断るに断れず」
「んん……? らしくないね。いつも絶対に約束は破らないのに」
「一応、彼女の頼みだったし卑下にできないだろ?」
「…………」
急に黙り込んでしまった。な、なんだ?
キョトンとしたお人形さんのように可愛らしい表情で、首をコテンと横に倒し、チヒロは言った。
「タク、彼女ができたの?」
「え? ああ、まあ」
「そっか。そうなんだ」
「なんだよ」
「おめでとう!!」
チヒロは今までに一度も見たこともないようなとびっきりの笑顔を見せた。
「ずっと心配してたの! タクからはそういう恋愛がらみの話、全く聞かなかったから! でもそっか、ついに彼女ができたんだ! 良かった、本当に良かった!」
嬉しそうに言われれば言われるほど。
心の中に黒い何かが渦巻いていくのを感じた。
今の今まで、チヒロが決まった人と付き合い続けなかったことには安心していた。なぜなら、万が一だったとしても俺と付き合う可能性が残っていたからだ。逆に言えばそれが未練にもつながっていたのだろう。
それをたった今、完膚なきまでに叩きのめされた。
脈があるとかないとか、そういう次元じゃない。
この言い方なら、元から対象外だった。
またしても俺は妄想していたのだ。彼女ができたらチヒロは悲しんで、本当は俺のことが好きだったことに気が付くとか、そういう展開を。
「馬鹿だなぁ……」
「えっ、なにが?」
「いや、なんでもない。今日のことは悪かった、また今度手伝うよ。うまくいくといいな」
「もうっ、絶対だよ!? 今度こそ約束破っちゃ嫌だからね!」
プリプリ起こりながら窓から出ていく幼馴染を見送る。
俺はベッドに倒れた。チヒロがしばらくここに寝転がっていたのだろう、柑橘系のいい香りがしてそれを拒絶するように跳ね起きる。
「なんなんだよ、いったい……」
とてもではないがしばらくは立ち直れそうにない、そんな傷を負ったのだと自覚させられるのだった。
朝、眼をさました時の気分は最悪だった。
時刻は八時過ぎ。全速力で学校に向かわなければとても間に合わない時間だ。
……いつもチヒロが窓からやってきて、起こしてきたことを思い出す。今日は玄関も窓もカギをかけていたので、侵入できなかったのだ。だから朝、俺を起こすことは叶わなかったのである。
ふと充電中のスマホに手を伸ばすと、チヒロから大量のメッセージと不在着信が届いていた。最初は今日こそ告白を手伝ってもらうという内容だったのが、次第に遅刻の警告をする文面に変わり、体調不良を心配するようになっていく。サイレントモードにしていたので全く気が付かなかった。
苦笑いしか浮かんでこない。これだけ心配してくれていても、別に俺のことが好きなわけじゃない。ただの幼馴染としての言葉なのだ。
一瞬ブロックしようとしたが思いとどまり、「今起きた、すぐに行く」とだけ返信してベッドから降りた。
昼休み、購買で購入した昼ご飯を教室で食べながら。
「何かあったのか? 遅刻なんて初めてだろ。体調不良か? 健康なのが自慢だって言ってたのに」
「別に。わずかな希望が断たれたというか、自業自得というか、大爆死というか」
「?」
「なんとなくわかったかも」
カズキは首をひねっていたが、キリエは察したらしい。
「いつかはこうなるって、自覚はあったんじゃない? 気にしすぎない方がいいって」
キリエは俺の後ろに立つと首から腕を回して抱き着いてくる。
「なんだよ」
「彼女が抱きしめて慰めてやってるんじゃん。友達から一歩踏み込んだわけだし、スキンシップも少し過激になるからそのつもりでいた方がいいわよ」
「やっべ、すごい気まずい。巧もこんな気分を味わってたのか……早く慣れないと結構きついな」
カズキが以前の俺と同じ立場になって四苦八苦していた。しかも今回の場合は、向こうからすれば元カノが親友とイチャついているように見えるわけだ。おそらく俺よりさらに複雑な心境だろう。
しかしそんなことはお構いなしに、キリエは頭まで撫でてきた。
「ふふっ、失恋した男ってかわいいかも」
「他人事だと思って……」
温かい体温を背中に感じつつ、優しく頭を撫でられ続けると、心に広がっていた黒いモヤモヤが少しずつ晴れていく。
そして次第に、心の隙間を埋めるようにキリエの存在が大きくなっていく。
単純すぎる自分に嫌になるが、チヒロとの関係が終わった男たちもこんな気持ちだったのだろう。全くもって馬鹿にできない。
チヒロがダメなら次はキリエ。まるで乗り換えているように感じて、自己嫌悪に陥るが、
「クソッ、本当にお前のこと好きになるぞ」
「いいよー? その方が彼女する甲斐があるし」
ニシシ、と笑うキリエの笑顔は、いつの間にかチヒロよりもかわいく見えていた。
結局、分不相応な恋だったのだ。まさしく、絶対に手の届かない高嶺の花。幼馴染という関係はアドバンテージでもなんでもなかった。
「ありがとう! 告白成功したよ!」
「そりゃよかったな」
放課後、中庭で好きな男子に告白したチヒロは見事に付き合うこととなっていた。教室に戻ってくるなり今日は一緒に帰るんだと報告してくる。いつもなら少し複雑な気分になったというのに、今は何も思うことがない。それにどうせ一週間もすれば破局してしまうことは目に見えている。
「それじゃ、約束はこれで守ったぞ。チヒロも守れよ?」
「え、なんの?」
「これで告白を手伝うのは最後だってことだよ。そもそもチヒロの容姿があれば手伝わなくたって間違いなく成功するんだ。俺の手助けなんかいらないだろ」
「うん、わかった!」
このやり取りも何度繰り返しただろうか。でも、もう本当に最後だ。俺の初恋は終わった。未練はない。だから、ダラダラとこの関係を続ける理由はもうない。
すると、わざわざ待ってくれていたキリエが立ち上がる。
「じゃあ今日はどこ行く?」
「割と腹減ってるし、なんか食いたいな」
「ならクレープね! ちょうど近くの公園に来てるらしいし!」
「クレープ!? いいなぁ、アタシも行きたい!」
すると話を聞いていたチヒロが割り込んでくる。
「こらこら、デートの邪魔しないでよ。それに今日はあの人と帰るんでしょ?」
親指で差した方には、チヒロが告白したばかりの男子がドアの傍で顔を赤くしながら待っていた。
「むー、じゃあ今度、カズも入れて四人で行こう!」
「それならいいけど」
「約束ね!」
チヒロは鞄を持つと手を振りながら男の元へと走っていく。
「超幸せそうな顔してんね、あの男子」
「? 俺も幸せなんだけど」
「やだ、ちょっとドキッとしたじゃん。やるなー巧」
肘で脇をどつかれる。正直な感想を述べただけなのだが、キリエは少し頬を赤らめていた。
「顔赤くなってる」
「あ、ぅ。じゃあアンタのこと、好きなのかもね。なんならキスでもする? 誰もいないし。私はいいよ」
「ばッ、それは!」
「はい赤くなった、お互い様―! ほらクレープ食べるんでしょ、行こっ!」
しばらく立ち直れないほどの傷を受けたと思ったのだが、もう完治しているようだった。
楽しい。昨日の今日だが、今は心の底からそう言えた。
俺は十数年ぶりに、平和な朝を堪能した。
チヒロは例え彼氏がいようとも容赦なく朝に俺を叩き起こしに来る。今まではそれを鬱陶しく思いつつも少しうれしく感じていたため、窓のカギを開けっぱなしにしていた。しかし今はもう鬱陶しいだけだ。家全体のカギを締め切り、きちんと戸締りをした。本来ならそれが普通なのだが。
目覚ましのアラームで目を覚ませば、時刻は午前七時半。十分授業に間に合う。チヒロから侵入できなかったことに対するお怒りのメッセージが大量に届いていたが「すまん」とだけ返しておく。
服を着替え、朝食をとり、学校へ行こうと家のドアを開けると、見知った少女が手を振っていた。
「ハロー、巧!」
「キリエ? なんでこんなとこに」
「ちょっと驚かせようと思って。遊びに来たことあるし、場所は知ってたから。せっかく付き合ってるんだし、一緒に登校しようぜってわけ」
すごい彼女っぽい。メチャクチャ嬉しい。
「こっちまでくると遠回りじゃなかったか?」
「そんなの別に気にしないって」
「俺が気にするっての。次からは俺がそっちに行くからな」
「巧やっさしー! じゃあお言葉に甘えよっと。少しでも待たせたら罰金ね」
「ジュースぐらいならおごってやるよ」
「あれっ。なんか本当に優しい……」
「どうにも俺は好きな子に尽くすタイプらしい」
「……今、好きな子って言った?」
あー、そういえばちゃんと言ってなかったな。
「ああ。俺、キリエのことが好きになったみたいだ。一応はっきりさせとかないとだな」
途端にキリエの顔がボッと赤くなる。
「なんだよその反応。お前らしくもない」
「いやー……なんと言いますか、その。今まで何人かと付き合ったことあるけど、面と向かって堂々と好きって言われたことはよく考えたらなかったなーと。たはは、すっごい恥ずかしいわねこれ」
「そうなのか? というか俺は自分で言ってて違和感が拭えない。だって一昨日までチヒロのことが好きだったんだぞ」
「切り替えが早いのはいいことだよ。おかげで私もおいしい思いができるし。……おいしいって思ってる時点でやっぱり私も好きなのかなぁ」
「え? なんだって?」
「絶対に今の聞こえてたでしょ!!」
とまあ、そんな感じで。
俺たちはいつものように駄弁りながら、初めて一緒に登校するのだった。
◇◇◇◇
タクがとても冷たい。
おかげでアタシの心は冷え切って凍り付いていた。
そりゃ、彼女ができたならそっちを優先する気持ちはわかるよ? でもさ、アタシの扱い酷すぎない?
アタシは自分の容姿が優れてる自覚がある。タクも、幼稚園の頃からずーっと私のことが間違いなく好きだった。タイプじゃないけど。
それがなに? 失恋した途端に乗り換えるなんて! 普通電車で大きな駅まで行って快速に乗り換えるみたいな軽さであっさり! 変わり身早すぎでしょ!?
別に、他の男ならわかるのよね。私の容姿に一瞬で絆されて、でも私が冷めて振ったら次の子に乗り換える。ほぼ初対面で告白した相手にそれほど未練なんてないと思うし。
でもタクは違うでしょ! 十年以上は私のことをずっと好きでい続けたわけじゃない! ちょっと嬉しくなって口が滑って傷つけちゃったけど、それならそれで普通もっともっと深く落ち込むものじゃないの!?
何々……? 「ああ。俺、キリエのことが好きになったみたいだ。一応はっきりさせとかないとだな」……?
ムカつく! 超ムカつく! ホント男ってバカ! 単純!
いや、一〇〇歩――一〇〇〇歩譲ってリエちゃんのことを好きになるのはいいとして。
幼馴染だよ、アタシ! もはや両親を超えて人生で一番長く一緒にいた自身もある人間だよ!? なのに彼女できた途端に完全シャットアウトってそれ悲しすぎない!? 窓も玄関も何もかも完全にカギ閉まってて入る隙間ないし! ……あれっ、それが普通か。でもこっちは普通に仲良くしたいのに、酷いよ!
あとリエちゃんもチョロすぎない!? いや、そんなこともないか。昔からなーんかタクのことだけ見る目が違ったし。恋の自覚がなかっただけで、一気に爆発したみたいな感じなのかな。
あーあー、なに手をつないで笑いあいながら歩いてるのよおめでとう! でももうちょっと私を大切に扱ってほしいな! 今までそこにいたのはずっとアタシなのに! 悔しくないけど腹立つ!
もうなんか彼氏とかどうでもよくなった。まだデートしてないけど彼のことは振ろう。こんな気持ちで付き合ってても楽しくないし。
でもなー。二人のことは純粋に応援したいんだよね。リエちゃんとタクならベストカップルだよ。カズとリエちゃんはどう考えても彼氏彼女って感じはしなかったけどね。そりゃ「なんか違う」に決まってるよ、あの時の好きは間違いなく恋じゃなかっただろうし。まぁそれはいいとして。
この憂さ晴らし、いったいどうしてくれようか。
それにしても、幼馴染なのに小学校から高校まで一度もクラスが一緒にならないってどういうことなんだろう。神様に見放されてるのかな? 天は二物を与えずっていうけど、やっぱりしわ寄せが来ちゃうのかな。
とりあえず今朝のうちに彼を振って身持ちはスッキリ。これでタクのことだけを考えられる。
んー。
んんー。
よし。全力で二人の仲を応援しよう。
なんだかんだ、五年以上の付き合いはもう積み上げてるわけでしょ? なら、きっかけさえあれば一気に関係は進展するはず。たぶんキスぐらいならすぐにしちゃうんじゃないかな。うん、それをからかったら絶対に面白い。
……いや、自分で言っててやっぱり腹立ってきた! タクはずっとアタシのこと好きだったのに、とんでもない手のひら返しだよ! 行動としては間違ってないよ、アタシは別に好きじゃないもの!
こうなったらファーストキスを奪ってしまおうか。タクのファーストキスはリエではない、このチヒロだー! みたいな。おお、これ楽しそう。よし、やろう!
そうだ、せっかく昼休みなんだしみんなの目がある中でやろうかな。たぶんすごい噂になるけど知ったことじゃない。このアタシを無碍にした天罰だと思ってもらう! もちろんあとでフォローして、二人の関係が壊れないように配慮はするけどね!
「っておいキリエ、冗談だろ!?」
「負けたら罰ゲームってちゃんと言ったじゃん。いいから観念しなさい!」
「ま、待て、んぐ!?」
ズキュウウウウウウウン!
や、やった! アタシがいざやろうと思ったら怖気づいてできなかったことを平然とやってのける! そこに痺れる憧れるぅ!
だってよく考えたらアタシ、キスしたことないし。さんざん色んな男と付き合ってきたけど、せいぜいボディタッチが関の山だったし。
教室内でヒューヒューとはやし立てる声が湧き上がる。もう完全に隠す気ゼロ。リエちゃんの恋が本当に爆発してるみたい。
なんなのあの二人。バカップルなの? もはやちょっとうらやましいんですけど。おとなしく受験勉強したらどうなの。
とにかくキスの話はもうなし。あんなの見てからできるはずない。仕方なく二人の関係を後押しする方向で行こう。
さて、ならキスの次はセックスね!何をどうしたらそういう雰囲気になるんだろう? 精力剤と媚薬?
いやいや、そういう直接的なのじゃないよね。やっぱりムードかな。そういう雰囲気を出すのが重要なんだと思う、たぶん。
……アタシにどうこうできることじゃないなこれ。
というかよく考えたらセックスの後押しって何。意味不明。煽るの? 「えーマジ童貞!? キモーイ、童貞が許されるのは小学生までだよねーキャハハハハハハ」とか言えばいいの?
それでムードができたら奇跡だな。
もういい。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねばいいというのは本当かもしれない。変に手出ししたらおかしなことになりそう。もう二人のことはそっとしておこう。でも巧には絶対にかまってもらうんだから!
「待って、ちょっと待って! ほら、確かすぐそこの部屋って千尋の部屋なんでしょ!? あっ」
「クラスメイトがいる中で堂々とキスしてきたくせに随分としおらしいな。可愛いけどさ」
「かわっ、目を見ながら言うな! ていうか絶対ヤバイって、声とか聞こえちゃうかも……」
攻守交替してるううううううぅぅぅぅぅぅ!? リニアモーターもびっくりの速さで関係が進展しているううううううぅぅぅぅぅぅ!?
なんなのこれどういうことなの! 家で遊ぶことになったのは何となく想像つくけど、これはおかしいでしょ! 昼にファーストキスしたばっかりなんだよね!? その放課後にもうそこまで進むの!? 馬鹿じゃないの、馬鹿じゃないの! タクは十年以上アタシのことが好きだったんじゃないの!!
窓もカーテンも閉め切ってるけど、声が漏れてる。ちょっと聞こえてくる。あわわわわわ。
アタシはヘッドフォンを装着して、音楽をガンガン鳴らしながら期末テストの勉強をすることにした。
◇◇◇◇
最近、チヒロの様子がおかしい。
彼女との関係を断ち切ってからというもの、どうにも落ち着きがないようなのだ。彼氏と二四時間以内に別れるという最速記録を叩き出し、学校でもウザがらみしてきたのに最近はめっぽうなくなった。代わりにキリエと俺が一緒にいる場面でよく登場し、「仲良さそうだね!」とか「ラブラブなんだね!」とか言ってくる。
気味が悪かった。
新しく誰かを好きになるかと言えばおそらくなっているのだが告白はしていない模様。俺が手伝わないとそれすらできないのだろうか。まぁ、どうせそのうち別の人を好きになって、また別の人を好きになって……の繰り返しになるだけだろう。付き合うという工程がなくなっただけで、その辺はいつもと変わらないチヒロなのだろう。
「んお、このクレープうんま」
「でしょ」
「前に食べたイチゴのやつも良かったけど、チョコバナナもうまいな」
「タクはチョコレート好きだもんね」
今日は前にチヒロが言っていた、四人でクレープを食べに行く約束を果たしていた。
「あれっ、でも私と行った時は頼まなかったじゃない」
「キリエが欲しそうにしてたからな。あとで食べ比べとか言って食わせてやれば両方の味を楽しませられると思って」
「そんなの私がチョコのやつ頼めばよかっただけじゃない!」
「でもお前、マンゴーを死ぬほどおいしそうに見つめてただろ」
「そうだけど……うぅ」
「愛されてんなー霧江は。俺の時とは大違いだ」
「アンタは黙ってて」
「へーい。俺は千尋さんと会話できるだけで十分幸せですよっと」
「あはは、話すだけでいいの?」
「もちろんですとも! あーでも彼女にはしたくないかな。高嶺の花って遠くから見てるだけで充分。近くに置いてたらありがたみが薄れる気がしてさ。やっぱ育てるならサボテンとかがいいよな。愛着湧くし」
「それは私がサボテンだったって言いたいの?」
「霧江は朝顔かな。夏休みの課題で持ち帰ったら育てるのに飽きて枯らしちゃった的な」
「どういう意味よそれ!」
「なははははー!」
つられて俺も笑ってしまい、キリエににらまれる。いつもの冗談を言い合う楽しい時間。しかし、一人だけ笑っていない人物がいた。
「彼女に、したくない……?」
「は――……えっと。千尋、さん?」
「どういう意味かな? 私ってそんなに魅力ないかな?」
こ、これは……最近は全く見ていなかったが、ブチギレモードだ。チヒロは自分の容姿を悪く言われることを極端に嫌う。なぜならそこに誇りを持っているからだ。過去に一度だけ、チヒロは告白して振られたことがあるのだが、その時も同じようにキレた。
「ち、違うって。ほら、人にも好みがあるって話。美人すぎると敷居が高くてはなから諦めちゃうみたいな。お分かりいただけます?」
「じゃあアタシが告白したら、付き合ってくれる?」
「えっと」
「タク、手伝って!!」
「ヤだね、自分で何とかしろ」
「タクぅ! ええいもう知らない! カズ、私と付き合いなさい!」
「おい巧、どうすればいいのか教えろ! 幼馴染なら知ってんだろ!?」
「さーて、どうだったかね」
「巧、意地悪ね」
キリエに半笑いでそう言われてしまう。
簡単な話だ。チヒロは付き合ってもすぐに冷める。今は形だけOKすれば、一週間ほどすると勝手に離れてくれることだろう。逆に断ったりすればしつこくまとわりつかれることになる。
そう、今までの俺みたいにな。
読んでくださってありがとうございます。