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七つの樹に七つの果

私をサカナと呼んだあなたに

作者: 七ツ樹七香

<作中方言 注>

そおな:たいそう、とっても、大変に

例文:そうな嬉しか=大変に嬉しい







「よか魚」


 わたしを眺めて、あなたは言った。

 小さなわたしは、わからなくて首をかしげる。

 

 けれど、「魚、魚」と、笑っている。

 その顔はとても嬉しそうだったから、わたしはもう、それでよかった。


 わたしはナナ。

 ちょっとサカナに似ているかしらと、首をひねっていた幼い日。

 

 冒険心あふれるわたしは、六歳になると月に二度は八〇円を握って家出した。

 母に行き先を告げて駅まで送らせ、また降りる駅に誰かに迎えに来てもらう。

 四十五分の電車の旅。

 誰かの手から手へ、至れり尽くせりの家出だ。

 子どもには長く遠くに思われた旅に鼻息荒く、わたしは見聞きしたことを誇らしげにまくし立てる。

 しわしわの手に、引かれ歩いて、わたしはその日、魚になる。 


「ナナ、今日もよか魚のあるばい」

 

 味噌汁に焼き魚、簡単な手料理を褒めながらコップ酒を握り、その日の夕食ものんびりと始まった。 

 しかし、不思議なことに、食卓にのぼる魚だけでなく、わたしもやっぱり魚であるらしかった。


 しかも、魚の数は年々増えた。


 十年をかけて七匹になり、あなたはますます喜んだ。

 みんな魚かと尋ねたら、そうだと笑われ、わたしはもっとわからなくなる。


 魚はケンカをする。時にはつつき合って取っ組み合うこともある。

 誰かが泣いたり、怒ったり、ふくれたり、むくれたり。

 一番大きな魚のわたしは、なだめてすかして、それをまとめるのに忙しかった。 

 背の順に並んだ魚たちを眺めて、


「サカナたい、そおな、よかサカナたい」


 糸のように細めた目で、あなたがハハハと天を仰ぐ。


 小さい頃は、月に二度ほどあったそれも。

 いつしか、お祭りの日やお正月だけになり、あなたの隣で「魚」になることも少なくなっていった。

 

 生い立つ中で、わたしは知った。

 

「よか(さかな)なぁ。あたたちば見よっとな、そおな酒のうまかとたい」


 それは、わたしがお酒を飲めるようになった頃。

 なるほど、我々七人のいとこたちは、『じいちゃん』の美味しいおつまみだったんだと。 


 祖父は多分「嬉しかった」のだと、ひとり得心して、おぼえたばかりのかわいい酒をたしなんだ。

 お酒のあてに、たいそう美味しいなんて、うれしいような、ジロジロ見られてるようでいごこち悪いような、ちょっと複雑な気持ちだった。



 綺麗に白髪をなでつけて、外に出るときは粋にジャケットを羽織る、大正生まれにしては背高で、骨太のがっしりとした体つき。

 力持ちの職人気質、でも、孫の相手をするのが大好きで、自転車の後ろに乗っけては、城に公園に博物館に。

 七人の魚たちはみんな、みんな――。



 いつしか足を悪くして、祖父は立ち歩くのに不自由するようになった。

 けれど、大好きな日本酒は欠かさずに、孫たちが酒席に同席するのを、泣きださんばかりに喜んだ。


「ああ、ナナ。よーお、来たな。今日もな、よか肴がある。ああ! 嬉しか!」


 ――嬉しか!


 ゆっくりゆっくりと衰えながら、枯れ落ちるように、最後まで燃やし尽くされた命の傍らで。

 

 わたしはひとり、思い出す。

 少し赤らめた頬のまま、満面に笑ったあなたを思い出す。


 じいちゃん、わたしは酒飲みになった。あなたと同じ、日本酒が好きになった。


 口に含んだ酒と肴が、口の中で花ひらくような、えもいわれぬ香気を放つあの時。

 ジンと沁みる。そのひとしずくの味が失せていくのが、名残惜しく、愛しい。

 そんな風に、その細めた目で、味わっていたんでしょう。



『そおなそおな、よか肴』


 お酒を口に含み。

 他愛ない話を山ほど投げかけてくる孫たちにかわるがわる頷いて。

 天を仰ぎ、大口をあけて笑ったじいちゃんは――。 


「幸せだ」


 って、そう言っていたんだ。


 




私をサカナと呼んだ、あなたに献ず。





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