世界
「私は常々思っているのだよ。会話とは情報のギブアンドテイクであり、そしてそれは公平であるべきだと」
床も壁も黒一色で塗られた体育館ほどの広い部屋の中、俺は木製の小さなテーブルの上に置かれていた。
ここはDr.グルースのアジトだ。降伏した俺はニッピオと引き離され、此処に連れて来られた。ボディはブースタロット“吊られた男”の魔導縄によって拘束され、一切の抵抗ができなくされている。
それだけではなく、俺の身体には電極が取り付けてあった。コードは天井まで続いている。その先で何と繋がっているかはわからない。
「想像しているとおり、私は君が言うところの黒幕だ。22枚のブースタロットは今、全て私が所有している。私が何故ブースタロットを欲し、何をしようとしているか知りたいなら聞かせてあげよう。その代わり、君も私の知りたいことを教えてくれたまえ」
「ご希望に添えるかはわからんね」
「私が知りたいのは、君の故郷だ。君の記憶が始まった場所――それとも前世と言おうかな、転生者?」
「…………!」
カリカリカリ、と遠くで音がした。
「この世界は、俗に転生者と呼ばれる異界の記憶を持つ者達が生まれてきた。ブースタロットの開発者、千年前の魔王、そして君。君等に導かれて、この世界の文明は急速に進歩し続けてきた」
「…………」
「私は事情があって君等の世界の情報を必要としている。なに、ちょっと考えてくれればいい。それだけで今君が繋がっている機械は君の記憶から異世界の情報を読み取って記録する。その情報の対価として君の知りたがっていた真相を話そう」
「あんたから得られる情報による利益よりも、俺が流した情報で発生する被害の方がデカそうなんだが」
グルースは苦笑した。
カリカリカリ。外から聞こえる音はいっそう激しくなる。
「そうだね。だが実を言うともう記録は始まってるんだ。だからこの会話は取引というより私の自己満足に過ぎない。君の故郷を破壊する慰謝料を兼ねた、ね」
「破壊……だと……!?」
「まあいいだろう? 今生の君が生きていくのはこの世界以外のどこでもありえないんだから」
カリカリカリ。俺の記憶を読み取って、地球の情報が入力されていく。
――私も長い人生、何度か恋をした。その時の彼女は才気にあふれた研究者で、私はその助手だった。
彼女は大いなる研究に身を捧げていた。だが、敗れた。彼女の一世一代を賭けた発明は、他の場所で別の誰かもやっていたんだ。そして完成させたのはそいつの方が一足早かった。まあよくある話だ。だけどそいつはズルしていたんだ。カンニングだよ。
そう、そいつは転生者だった。
さっきも言ったように、転生者の存在がこの世界の文明を急速に発展させてきた。それは否めない。だがその影で、この世界でその発明者となるはずだった人間がどれだけ成功を奪われてきただろう。本来ならば歴史に名を残すはずだった偉人達が何人、無名の徒として一生を終えざるを得なくなっただろう。
ああ、可哀想なシェリー。あの子はすっかり自分の人生を見失ってしまった。
忌まわしいことに、転生者達がもたらした技術は当人が考案したものではなく、彼等が元いた世界で別の誰かが生み出したものだ。なのに転生者達はあたかも自分が発見したかのように騙る。
剽窃。パクリ。知的財産の窃盗。
君等は自分達をチート存在と名乗ることがあるらしいな。チートとはプログラム制作者の意図しない動作をさせる不正行為。不正は正されねばならない。おこなった者は報いを受けねばならない。
私は探したよ。転生者に一矢報いる方法を。そして私はブースタロット“世界”に目をつけたのだ。
“世界”の効果は時空干渉魔法。しかるべきデバイスを用意すれば、この世界と転生者の世界を繋ぐことが可能と判断した。そしてそのバイパスを通じて兵士を送り込む。
そうだよ、エフェクトルーパーだ。数はざっと1万を予定している。
エフェクトルーパーは私の持つ“皇帝”によって統御される魔造生命体だ。奴等の肉体の一部でもあるエフェクトルドライバーは私が持つブースタロットをコピーして使うことができる。そして全てのブースタロットは私の手の中だ。
それでも我々より進んだ文明を持つ異世界のこと、エフェクトルーパーなどすぐに殲滅させられるだろう。しかし痛みは与えられる。それでよいのだ。
残念ながら、私が最も憎んだ転生者はとっくの昔に死んでしまった。だからこれは君と君の故郷にとっては八つ当たりになるが、連帯責任ということで了承してくれたまえ。
いや、長い道のりだったよ。ざっと千年――。そう、君と勇者が魔王と戦うためにブースタロットを探し求めていたのと同時期から、私もブースタロットを集めていたんだ。
もちろん私は魔王討伐を邪魔する気はなかった。むしろこの世界の住人として手を貸すべきだと思っていたよ。そこで私が先に手に入れたカードに関しては“節制”の力でコピーを残しておいた。
わかったかな。1枚を除いて、君はカードを盗まれていない。最初から持ってなかったんだよ。
うんうん、そうだよ。その1枚が“世界”だ。
その後もいろんなアクシデントが重なって計画は難航した。浮遊大陸の墜落、メタルモンスター事件などその最たるものだ。
だが私はそれを乗り越えた。そして全ての装置が完成した今、君の持つ“世界”を手に入れようとした。
その辺の経緯はもう君にもわかってるんじゃないかな?
そうだ、私は持てるカードの全てを使って君の防衛機構を突破し“世界”を盗んだ。その際、ついでに残りのカードを奪っておかなかったのは、君に対する敬意だった。
知識を右から左に流すだけでふんぞり返っている転生者と違い、君は我が身を粉としてこの世界を救ってくれたからね。だから私を追ってこなければそのままにしておくつもりだったし、最初のターゲットに君の故郷を選ぶこともなかっただろう。だが君はしつこく追いかけてきた。放置しておけばきっと私を妨害する。
こんなことになって本当に残念だよ、英雄。
いつしか、カリカリという音はやんでいた。
「君の知る限りの君の故郷のデータを取り終わったようだ」とDr.グルース。「ではお見せしよう。私の千年越しの悲願が結実する瞬間を。――変身」
<♪……エンペラー>
グルースの身体がきらびやかな魔力光に包まれる。現れたのは、黒いマントを羽織った黄金の魔導甲冑だ。右手にはやはり黄金に輝く錫杖。その先端にあるカードホルダーから1枚のブースタロットを引き出す。
<♪……ワールド>
何もない空間に、円形の穴が開いた。俺は息を呑む。トンネルの向こうに、よく知った光景が広がっていた。
「……東京」
千年経ったこの世界の風景は日本とそう変わらない。だけど実際の日本の風景と比べれば、やはり決定的に違っていた。この世界はこの世界、地球は地球。お互いに代わりにはならない。
もし、涙を流すことができたなら、俺はきっと泣いていただろう。それくらい懐かしさで胸がいっぱいになっていた。日本。何もかも懐かしい。
だが感傷に浸っている場合ではない。
<♪……デビル>
部屋を埋め尽くすほどの魔法陣が現れ、そこから無数のエフェクトルーパーが出現する。そしてその1人1人が“戦車”のカードを使用。魔導二輪を召喚する。
エンジン音を噴かせつつ号令を待つ兵士達。グルースは杖の先端を時空間ゲートに向け、高らかに叫んだ。
「苦難の道程にもかかわらず、私はついにこの境地に達した。つまりこれは天が私を祝福しているということである。この鉄槌の正義は保証され、勝利は約束されたのである! 裁きの時は来たれり! ――さあ、征くのだ、我が『処刑人の軍勢』よ!」
放たれた矢のように、悪魔の軍勢はゲートの先に広がる東京の街に降り注いだ。
上空に空いた穴から舞い降りる来訪者を訝しげに見上げる人々。そんな彼等に、“太陽”が、“月”が、“星”が“塔”が“恋人”が“力”が“審判”が襲いかかる。
高層ビルが真ん中から折れ、電車が脱線し踏切を突き破って家々を薙ぎ倒す。車が次々に爆発する。人々の悲鳴が、嘆きが、助けを求める声が世界を超えて部屋に響く。
「やめろ……やめてくれ!」
「千年経っても、やはり故郷は恋しいかな、聖剣の? それが君達の許せないところだ。この世界に生まれながら、君達が帰る場所として恋い焦がれるのはあくまで前世の世界。生まれついての裏切り者なのだよ、転生者という奴は!」
「この世界をないがしろにしちゃいない。どっちの世界も大切だ!」
俺はせめて刀身に炎、あるいは電撃を発生させて拘束から逃れようとした。しかし“吊られた男”による拘束から自力脱出は無理だ。
それでも抵抗を繰り返す俺に、グルースは嘲笑うように肩を震わせる。
「千年分の知性の研鑽を感じさせない無駄な足掻きはやめたまえ。それに、どっちつかずはモテないぞ、聖剣の!」
「あら、最近は包容力がある方がモテるのよ?」
「!?」
ドアから疾風のように飛び出してきた2つの影が、Dr.グルースを両脇から押さえ込む。
「こんにちわ、ヒッポの父ヨ★」ヒッポをそのまま老けさせたような筋肉の塊が言った。
「こんにちわ、ヒッポの母ヨ★」おっとりした印象の女性――ただし首から下は性別を超越した筋肉の塊が言った。
「大丈夫、ルクス!?」
遅れて入ってきたヒッポが、魔力拘束を素手で引き千切る。
「ヒッポ、おまえ死んだはずじゃ……。それに両親も殺されたって言ってなかったか?」
「金玉絶潰拳には伝統的な戦いの発想法があってね」とヒッポの父。
「それは……『死んだふり』」とヒッポの母。
「父と母の死んだふりは完璧だったわ。一週間も墓の下で呼吸を止めてたんだもの。アタシでさえ、すっかり騙されちゃった」
「……1つ質問していい? あんたら、人間?」
「ルクスさん!」
ヒッポの背中から顔を見せたのはニッピオだった。
「戻ってきたのか、ニッピオ。正直、あのままリタイヤかと思ってたぜ」
「まだ誰からも感謝されてないのに、ここで逃げたら今までの苦労が水の泡じゃないですか」
「違いない」
ニッピオが俺を腰に巻きつける。
「おい、カードはみんな奴の杖の中だぞ!?」
「だったら取り返します!」
「生意気な若造め、命ばかりは見逃してやったものを……」
グルースは気合と共にヒッポの父と母を弾き飛ばした。間髪入れずカードを引き抜く。
<♪……サン>
グルースの鎧が炎に包まれる。これでは、ニッピオはもちろんヒッポ達でさえ触れることすらできない。部屋の中には武器になりそうなものもない。万事休す。というか君達なんで丸腰で来たの?
「大人げねえぞ、Dr.グルース!」
「千年の悲願、邪魔させるわけにはいかんのだ!」
「ニッピオちゃん! ここに来るまでの車の中で練習した、あの技よ!」
「はい!」
ニッピオが腰を沈める。呼吸を整え、舞うように腕を動かす。右手の指を1本1本しっかりと折り曲げ、弓を引くように引き絞る。
「ニッピオ、その構えは……!?」
「金玉絶潰拳、最終奥義……『アタシの最終奥義・第1部完』」
そしてニッピオはおもむろにグルースの前まで歩いて行くと、
「えい」
力いっぱい、股間を蹴り上げた。
グルースの身体から炎が消えた。震えながら崩れ落ちる。その手から杖が離れ、床を転がった。
「ふはは、痛かろう、辛かろう。いくら炎を纏おうと」とヒッポの父。
「股間の弱さは守れないのだ!」とヒッポの母。
「デリケートな股間を炎で熱するなんてできるわけないじゃない。どうしたって火勢を緩めざるを得なくなる。全身を炎で包んだという安心感が逆に弱点への防御をおろそかにする結果となった――。フィールドワークが足りなかったようね、ドクター?」
「……いや、俺、金玉絶潰拳が本当に金玉絶潰拳だったのにビックリなんだけど。え、いいの、これ?」
ニッピオはグルースの杖から、使用中の“皇帝”と“世界”、“悪魔”を除く全てのカードを奪い取った。
「お、おのれ、よくもやったわね……?」
ガクガクと震えながらも、Dr.グルースは立ち上がった。何故か女言葉になっている。
「だけど、あたし……私の『レクスドライバー』に“皇帝”のブースタロットが入っている限り、エフェクトルーパー達を止めることはできないわ……できん……」
「なら、そのベルトを破壊させてもらうわ!」
「させるものか!」
ヒッポのジャンピング頭突きが届くよりも速くグルースは身を翻し、なんと自らゲートの中に飛び込んだ。
「来るんじゃあないッ! 生身の人間では次元の狭間は超えられんぞ?」
「クッ……」
「1つ試したいことがあった。“世界”の時空間ゲートは時間すら超える。もし、転生前の聖剣を捕らえ、永遠の牢獄の中に閉じ込めればどうなるか……知りたくはないかね?」
そう言い残し、グルースは東京の街に消えた。