女帝
「そこまでよ!」
ドアを吹き飛ばして入ってきた者は、女性の声で言った。その身は乳袋のついた紅色の甲冑に包まれている。
「なんじゃあああああ、おまええええええ!」
おばさんが吠える。まずい、若い女はおばさんにとって敵だ。
「なに、新種のモンスター?」
「だっっっれがモンスターじゃあああああ!?」
それで、おばさんの最優先ターゲットは甲冑の女になった。
「――焼き肉ううううううううう!」
「やるってんなら容赦はしないんだから!」
甲冑の女が腰からカードを引き抜き、ベルトのバックルに挿入する。
俺と同じシステムだが、驚くことはない。マジックアイテムを接続することで訓練なしで魔法を使ったり魔法鎧を形成したりするアイテム自体は千年前から存在する。現代ではほぼオーパーツ化しているようだが。ルクスドライバーとしての俺の姿はそれらを元にしたものだ。
<♪スター! スタタタタタタタタタッ!>
無数の星形手裏剣が女の背後に浮かんだ魔法陣から発射される。
だが複雑な軌道を描いて迫るそれに、おばさんは臆せず突っ込んだ。
「温泉んんんんんん!」
ひとつひとつの手裏剣のダメージは小さいことを、野生の本能アグレッシブモードなおばさんは本能で察したのだろう。最低限、顔だけガードすれば充分というわけだ。弾幕を突破すると、おばさんは勝利の笑みを浮かべた。
「あら、勝った気になるのは早いんじゃないの?」
「!?」
刹那、背後から放たれたレーザー光がおばさんの足を撃ち抜いた。
倒れながら振り返ったおばさんは見た。彼方へ飛び去ったはずの手裏剣が、彼女を囲むように浮いているのを。
五芒星の中心にある砲口から、一斉にレーザーが放たれる。
おばさんは懸命に回避しようとしたが、流石に無理だった。
もし彼女にビームライフル的な飛び道具があれば、曲芸撃ちで全て叩き落としていたかもしれない。けれどおばさんにあるのは包丁だけだ。それももう1本のみ。オールレンジから迫るレーザーには為す術もない。
「ひゃ……ひゃく……まんんん……」
眉間を撃ち抜かれ、おばさんは完全に沈黙した。
――半時間後、全ては決着した。
爆弾チョーカーは無事に外され、この事件を仕組んだ者達も甲冑の女の鉄拳によって股間を潰されるという凄惨な制裁を受けた。
結局最後まで俺達に出る幕はなかった。
「危ないところだったわね。法外な賞金で人を集め、殺し合わせて楽しむ金持ちがこの街にはいたのよ」
「はあ……」
甲冑の女を見たとき、ついにおれの人生にもヒロイン登場かと浮かれていたニッピオの姿はもうない。あるのはうちひしがれた哀れな青年の姿だけだ。
「元気出しなさいよ。あんただって、アタシと同じくらい強くなれるわ」
勇気づけるように太い腕でニッピオの背を叩く『彼女』の頬には、青い髭剃り痕がまざまざと残っている。
そう、甲冑の女は、正確には女ではなかったのだった。
身体は男、精神は女。彼女の名は――。
「アタシはヒッポ・ポタマスよ。よろしくね」
ヒッポ・ポタマスは世界を旅する武闘家である。旅の目的は2つ。1つは『女』を磨くため。そしてもう1つは両親の仇を討つためである。
「2人は“死神”のブースタロットを持つ男に殺されたの……。奴を斃し、死んだ両親の魂の安息を得ることがアタシの使命よ」
「そうですか」
「この“女帝”のカードと変身ベルトはその過程で手に入れた物なの。悔しいけど、アタシの拳法『金玉絶潰拳』だけじゃ奴には勝てないからね……」
「いや、その拳法なら大抵の男は殺せると思います」
「ありがと。で、奴はディークフリート・ヴァン・ツヴァルフィラッケン……いや、ジークリンド・フォン・ツヴァインベルク……それとも山田太郎だったかしら……そんな感じの名前よ。聞いたことはあるかしら」
「ないというか、あるというか……」
「あるのかッ!?」
急に男声に戻ったヒッポがニッピオの肩をつかんで揺さぶる。
「お、俺は知らないです、ルクスさんに聞いてください!」
「……おまえの仇かは知らないが、“死神”の持ち主ならそこに倒れてる」
「なんですって!?」
そしてヒッポは仇の死体を発見した。
「奴ほどの手練れが一突きで殺されているぞッ! いったい誰が……!?」
「あんたがさっき倒したおばさんだよ」
「敵の目の前でのんびり変身しようとしてたそうじゃないですか。馬鹿なことしますよね」
「おまえが言うなニッピオ」
しばらく呆然としていたヒッポだが、すっくと顔を上げる。
「こいつを殺したおばさんをアタシが仕留めた……それってつまり、アタシがこいつを殺したって考えていいわよね?」
「ま、まあ、いいんじゃないですか」
「……仇討ちの旅、終ぅぅぅぅっ了ぉぉぉぉぉぉ!」
大きく伸びをしたヒッポはブースタロットをニッピオに握らせた。
「じゃあアタシはこれから『女』を磨く旅に専念するわね。このカード、もう要らないからあ・げ・る★」
晴れやかな顔で彼女は去って行く。引き留めるべきか引き留めざるべきか決められず、俺達はただ黙って見送ることしかできなかった。
世界は広く、そして1人1人が自分を主人公にした物語を持つ。
今日もどこかで新しい物語が始まり、知らないところで終わっていく。つまりはそういうことだ。そういうことなのだ。
「新たに手に入ったのは“死神”、“女帝”、“星”、“正義”、そして“女教皇”か……」
宿屋で、今回手に入れたカードを確認する。
これで失われた12枚のうち5枚が戻ってきたわけだ。残りは7枚。
「かっこいいですね、“正義”ってまた! どんな効果なんですか?」
「自分の目が見えなくなる」
「駄目じゃないですか!」
「正義は己の目を曇らせるって教訓らしい……。手に入れるのに1番苦労した割に1番使えないカードだ」
嫌ですねそれ、とニッピオはカードをホルダーに仕舞った。
「ヒッポさんは“女帝”のカードで変身してましたけど、俺もそれを使ったらあの鎧になるんですか」
「いいや。ブースタロットの使用で発生する魔法は方向性こそ同じだが、発動の仕方や規模には個人差がある。発動機にもよる。だからおまえが使えば別の効果になるだろう。逆にヒッポが“女帝”を使った状態で“運命の輪”を使っても、発動するのは魔導鎧じゃなくて別の魔法だ」
「そうですか。俺が“女帝”を使ったら実際どうなるか興味がありますけど、明日にしましょう。……なんか何もしてないのにどっと疲れました」
「俺もだ」
横になったニッピオはすぐに寝てしまった。
俺の方はこの身体になって以来、特に寝る必要はない。
「……状況を整理してみよう」
3ヶ月前、何者か――あるいは何者達か――がブースタロットを欲した。
そいつは犯罪派遣会社を通じて強盗団に、大神殿に安置されている聖剣ルクスキャリバーからブースタロットを盗んでくるよう依頼した。
しかしその結果、大神殿のルクスキャリバーは偽物であることが判明した。
そこで黒幕は本物のルクスキャリバー、つまり俺を捜索し、発見した。そして何らかの手段を用いてナビ美を出し抜き、首尾よくブースタロットを抜き取ったのだ。
だが、何故そこで全部盗っていかなかったのだろう。
ヒッポが手に入れたカードは敵の手下が持っていたのを回収したものだ。部下に気前よく与えていたあたり、盗ったものも全部が必要ではなかったらしい。
「本当に必要なのは1枚だけで、他はその目的に気づかせないためのダミー? なら全部奪っていけばよかったのに……。いや、奪えなかった……? わからない……わからないな……」
結局、親玉を追い詰めて、相手がペラペラ喋ってくれるのを待つしかないらしい。
「うう……来る……なまはげが……!」
ニッピオはあのおばさんの悪夢を見ているらしい。
「しかし、まいったな」
武闘大会を仕組んだ連中と“死神”の男は無関係だった。そして奴は俺達と一言も会話することなく殺されてしまった。
つまり、次に続く手がかりがない。
ヒッポからもっと話を聞いておくんだった。
「女を磨く旅って言ってたな……。この街のエステやブティックにまだいるかもしれない」
結果的に言うと、その考えは当たっていた。
俺達はヒッポに再会する。
ただし彼女は瀕死で、その前には見たこともないモンスターが立っていたのだった。