恋人
「だから頼みますよベルトさん」
「その呼び方はやめろ」
メタルスケルトンは聖堂から去っていた。用が済んだ今、俺としては元の場所に戻してくれればそれでよかった。だがニッピオは何故かそれを拒否した。
「ここであったのも何かの縁ですし、もうちょっと一緒にいてくださいよ。千年ぶりの下界を見たいとか思いません?」
「……まあそれはあるが、おまえの目的は?」
「いや、あの鎧の力でモンスターを倒せば一躍有名人になれるかなって」
「……ハァ~ア」
俺はこれ見よがしにクソデカいため息をついてやった。
「なあ、そんなことで有名になっても、他の連中はおまえを便利なモンスター退治機としか見てくれないぞ」
「それが?」
「俺はおまえの全部をフォローしてやれるわけじゃない。咄嗟の判断力、スタミナ、相性……。強力な武器さえ手に入れればなんでも力押しで解決できるわけじゃないんだ」
「強い奴とは戦わなきゃいいじゃないですか」
「それですむわけねえだろうが。ザコを殺しまくって名を上げれば強い奴の方からこっちに向かってくるし、それで村に被害が出たらおまえの所為にされるからな?」
勇者と戦っていた時にも何度か経験したことだ。
『何の罪もない一般人』様の掌返しには心底ウンザリさせられる。あの勇者でさえ心が折れそうになったのだから、こいつには耐えられまい。
「じゃあいっそ山賊になりますか」
「俺は絶対手ェ貸さないからな!?」
と、奴はいきなり片手を挙げた。何をするつもりだと訊こうとしたとき、ナビ美が警告を発した。
<警告、接近する熱源1。脅威度B>
「おいニッピオ、何かヤバいモノが接近してくるぞ!」
俺はいつでも防御魔法を出せるように身構えた。だがニッピオはぼさっと突っ立っている。
「ニッピオ!」
接近する何かは目の前で止まった。
それは車だった。自動車。屋根の上に記号めいた字で「TAXI」と書かれた看板が載っている。
「『タキシー』ですよ、ルクスさん見たことないんですかぁ?」
ああ千年前の人ですもんね仕方ないかぁ、とニッピオが勝ち誇ったような目をしてきたので、ベルトを2段階ほどシメてやった。
どうやらこの世界には俺以外にも前世から記憶を引き継いで転生してきた奴がよく現れるらしい。ブースタロットの制作者もそうだろうし、魔王だってその正体は暇を持て余した転生者だった。
だからこのタクシーも考案したのは転生者なのだろう。
「しかし千年で自動車ができてるのにもビックリしたが、ベシク村がベシク市になってるとは思わなかった」
市の入口には「ようこそ勇者のふるさと ベシク市」と書かれている。たぶん勇者まんじゅうとかストラップとか売ってるに違いない。
その割に勇者の剣である俺の扱いが杜撰だったが、公には王都で保管されていることになっているからだろう。自分達が利用できないものに対しては扱いが雑になる住民性は相変わらずらしい。
「……ああ! 何かおかしいと思ったら空に浮遊大陸がない! 浮遊大陸はどうした!?」
「俺が生まれるずっと前の戦争で海に落ちました。えっと、だいたい800年前ですかね」
「そんな、マジか……。千年前も俺ら苦労して落下食い止めたのに、200年でっておまえ……」
街並みはすっかり様変わりしていた。ほぼ俺が暮らしていた日本そのままだ。異国情緒ゼロ。異世界要素はもうほとんどない。文明が進歩すればみな同じようなかたちに行き着くのか、それとも転生者によって軌道をねじ曲げられた結果なのかはわからない。
「でも、あんだけいた獣人はどうしたんだよ。市に入ってから1人も見てないぞ」
「え? ほら、右の花屋でワライバナ買ってる娘いるじゃないですか」
「ありゃただの猫っぽい娘だろうが」
「獣人ってそういうもんでしょ?」
話を詳しく聞くと、千年前に俺達が仲を取り持った人間の男と獣人娘の恋愛譚が芝居化され、それがヒットしてから混血が進んだという。優性遺伝子――人間族と獣人族の間にできた子供は圧倒的確率で人間側の特徴を持って生まれるそうだ。山奥で頑なに純血を守っている獣人達にしても、千年前に比べると人間化は著しいらしい。
「千年前、長老があれだけ反対してたわけだわ……。やべえ、軽い気持ちで数種族絶滅させてしまったか、もしかして」
「ま、嫌々カップルになったわけじゃないですし、いいんじゃないですか」
その時だった。
「きゃああああ!」
絹を裂くような女性の悲鳴。鳴り響く半鐘。メタルモンスターだ、と誰かが叫んだ。通行人達は一斉に同じ方向に向かって逃げ出した。こういう事態に慣れているのか、迅速な判断だ。
なのに何故かニッピオはぼんやり突っ立って避難の邪魔になっている。
「おまえ、逃げないのか?」
「今、女の人の悲鳴でしたよね?」
「……だったらなんだ」
「助けたらヤらせてくれるっすかね?」
「……ああそうかもな、自力で頑張れ」
「ちょ、冗談ですって。ヤらせてくれなくても助けますよ」
まだ向こうから避難してくるというのに、ニッピオはいきなり“運命の輪”のブースタロットを引き抜いた。
「ちょっと待て、おまえこんなところで変身するつもりなの? 人前で?」
「人前でやらなきゃ俺が鎧の中身だってみんなにわからないじゃないですか!」
変身ヒーローは正体を隠すものという暗黙の了解は、この世界の人間には通用しなかった。
「いや、待て馬鹿、馬鹿待て」
別にお約束だから人前で変身するなと言ってるわけじゃない。正体がバレるのは単純にリスクが大きいのだ。殺し殺される世界で生きるなら尚更である。
魔王と戦っていた頃だってそうだ。魔王が手配した人相書きのおかげで、勇者は何度も賞金稼ぎと戦う羽目になった。下手糞な人相書きでさえそうだったのだ。この世界にカメラが登場していたら。それどころかインターネット的なものが普及していたら。
「――正体を知られたら、おまえを殺してでも俺を奪おうって奴が絶対出てくるぞ。顔がバレればいずれ名前も住所もバレる。寝込みを襲われたらどうするつもりだ」
「ルクスさんが寝ないで見張ってくれれば大丈夫です」
「なんで俺が全面サポートするの前提なんだ? とにかく、人前で変身するならカード突っ込んだって協力しないからな!」
ニッピオはがっくりと肩を落とした。しぶしぶ裏路地に移動する。
<検索完了。周囲に人影及び魔導カメラありません>
「よし、いいぞ」
「変身!」
ニッピオは律儀にカッコイイポーズを取る。余計なこと言っちゃったかな、と少し悪い気がした。
<♪ホイール・オブ・フォーチュ~ン! ホーイホイホーイ! ウホホノフォ~イ!!>
ニッピオの身体がトリコロールの魔導甲冑に包まれる。
「よっしゃっ! 待っててお嬢さん!」
いつの間にかニッピオの頭の中で襲われた人間は若い御令嬢になっているらしい。まあ夢を見るのは勝手だ。
「俺が指定する場所まで屋根を跳んで移動しろ」
「わかりました!」
避難する人々は頭上を横切る影に気がつかなかった。
やがて俺達は敵の姿を視認する。トラックほどの大きさがある金属製のカタツムリ――メタルスネイル――が広場で暴れていた。その周囲を、槍を持った軽装鎧の兵士達が取り囲む。軍隊か警察か自警団か。統制が取れているから常設組織なのだろう。千年前には大きな都にしかなかったものだ。
「とはいっても、だいぶ苦戦しているようだな」
「普通のモンスターならまだしも、メタルモンスターですからね。さ、行きますか!」
「いやいやいや、なんでそんな強気なの。おまえ前回はジャンプして逃げただけだよね。突っ込んでいけば勝てるっていう、その自信の根拠は何?」
「あんなすごいジャンプできるんだから、他もすごいに決まってます!」
頭があったら抱えたい。
「俺はすごいけどおまえがすごくないの自覚しろよ。もっと慎重に戦え。まずは小手調べだ。“恋人”のカード出して」
「恋人? おっ、もしかしておれにもヒロイン登場っすか?」
ニッピオは嬉々としてタロットを装填した。疑いもしない。いちいち疑ってかかられるのも困るが、何も聞かずに従われるとそれはそれでこいつの将来が心配だ。
<♪ラッバ~ズ! バラバラバラーバ! アモ~~~レ!>
足元に魔法陣が現れ、そこから鉄の筒が現れる。
「……なんですか、これ?」
「スナイパーライフルだよ。……コラ馬鹿、銃口を覗くな」
ニッピオが無知なのでなければ、どうやら銃器の類はまだこの世界に現れていないらしい。
「はいそこのスコープ――上についてる筒を覗いて……はい、そこに指をかけて……まだ動かすなよ、絶対に動かすなよ」
兵士達がカタツムリに蹴散らされていくなか、俺はニッピオに銃の扱いをレクチャーする。
「よし、はい撃って」
魔力で強化された弾丸がカタツムリの頭部を粉砕した。残った身体は横倒しになり、街を揺らす。
銃の概念を知らない兵士達からすれば、敵が突然自爆したように見えただろう。しばらく呆然としていたが、やがて勝利の喝采を上げはじめた。
「……なんか、この『すないぱぁらいふる』って奴、卑怯臭くないですか?」
ニッピオがまた銃口を覗こうとしたので慌てて止める。
「それにみんな、おれの活躍に気がついてないみたいなんですけど」
それはそうだ。俺達が今いる場所と兵士達のいる場所は遠く隔てられている。とても人間が肉眼で互いを確認できる距離ではなかった。今の自分の視力が鎧によって強化されているのに気づいていないらしいニッピオはそれがわからない。アホである。
「……それでいいんだよ。今出ていったって信用されない。最初はみんな神様の仕業とか言うだろうけど、そのうち誰かの手によるものだって気付く。そしたらちょっとずつ姿を見せていくんだ。そうやって段階を踏むことで、こう、信頼値がエヴォリューションでイノベーションでマスターベーションなんだ」
俺は適当なことを言った。
「そうなんすね、わかりました!」
ニッピオは信じた。絶対わかってない。
「それより、なんで“恋人”のカードで武器が出てくるのか、そっちの方が意味不明なんですけど!」
「それは俺も知らん」
ニッピオがバックルから“運命の輪”を引き抜く。鎧は蛍のような魔力光となって分解し、散った。
ふと、俺はニッピオがタロットをホルダーに仕舞うのを見た。違和感に襲われる。
「ちょっとニッピオ、カードを全部見せてくれないか?」
「いいですけど?」
数えるまでもなかった。明らかにカードの枚数が足りない。
ブースタロットの枚数もタロットカードの大アルカナに準拠する。つまり全部で22枚存在するのだが、
「……10枚しかない……?」