愚者
<パッシブサーモソナーに接近する熱源1。スリープモード強制解除>
「ン……よく寝たな」
<再起動による問題なしと判断。おはようございます主人格>
「何か来たのか……」
<人間である確率が80%。即時反射防衛の必要を認めず。指示を請う>
霊子AI『ナビ美』の警告で俺は永い眠りから目を覚ました。
俺は接近する物体や魔力、殺意といったものを感知する魔法を持つ。戦場にあっては有用なスキルだったが、俺はロボットではないのでそれを常に行使していると精神が疲弊してしまう。そこで常駐プログラム的な魔法の実行を肩代わりさせるため、魂の一部を切り取って作ったのがナビ美だ。
俺は周囲を見回した。剣に眼球も視神経も存在しないが、この世界に生まれたときから俺は人間と変わらない感覚で世界を見ることができた。音を聞くのも声を発するのも同様だ。人間だった頃の記憶が無意識に感覚系魔法を構築、起動させているらしい。
聖堂はすっかり荒れ果てていた。倒壊していないだけマシだと言うほかない惨状だ。いや、屋根が半分なくなって、夜空が覗いているくらいだ。もう倒壊しているとみなしていいのではないだろうか。
<室内の劣化と星空の位置から経過時間を算出しました。999年7ヶ月と推定>
「そのようだな」
侵入者を見て、俺はそう言った。
この聖堂は勇者の故郷であり始まりの地ベシク村に建てられたものだ。かつて魔王と戦っていた頃、村人達の服といえば麻袋に穴を開けただけの簡素なものだった。だが侵入者の服は当時の都市部住民の衣装よりしっかりと縫合されている。ユニクロに並んでいても違和感はないだろう。少なくとも服飾面は千年分、進歩しているのが見てとれた。
侵入者は日本でいえば大学生くらいか。見たところ武器は持っていない。魔力を感じないから魔法使いでもないだろう。脅威にはなりそうもない。ナビ美はなぜこんな奴のためにわざわざ俺を起こしたんだ?
<千年間で人類に起こった変化についての情報が不足しています。無害認定は早計と判断。より正確かつ多様な観点からの判断を下すため主人格の再起動を実行しました>
なるほど。用心深いのは結構なことだ。
ナビ美は俺の人格のごく一部で作ったものだ。単純作業は俺以上に手早く正確に不満も抱かず実行するが、代わりに複雑な思考を必要とする問題の対処には向いていない。
<補足。目標の脈拍、体温に異常あり。極度の興奮状態にあると推測>
そりゃ真夜中の廃墟探検なんてドキドキするに決まってるだろう、と思ったが、どうやら侵入者は肝試しに来たわけではないようだった。足をもつれさせながら、並んだ机の影に隠れ、入口をうかがう。
何かに追われているらしい。
「どうした坊主、オバケにでも出くわしたか?」
「ヒッ!?」
侵入者は飛び上がり、机に頭をぶつけた。いきなり声をかけたのはまずかったか。
「ど、どこ……?」
「ここだ、こっち。おまえの前に剣が刺さってるだろうが、それだよ」
千年経っても喋る武器というのは極めて異例の存在らしい。侵入者に俺の存在を納得させるまでの長いやりとりでそれがわかった。
「……あなたが聖剣ルクスキャリバー?」
ニッピオと名乗った侵入者は胡散臭い物を見る目で言った。
ちなみに聖剣ルクスキャリバーというのは俺が自分に付けた名前だ。ラテン語で光を意味する「ルークス」とアーサー王の剣「エクスカリバー」を合わせたものである。かっこいいだろう? 前世の名前をそのまま使えばいいのにと言われるかもしれないが、俺は名前入力可能なゲームをプレイするとき自分の名前を使わない派なのだ。
「嘘でしょう。聖剣ルクスキャリバーなら王都のペガルナ大神殿に拝観料2000ネマで展示されてますよ」
「ぼったくり詐欺じゃねえか。で、おまえは何に追われてるんだ?」
「それは――」
<警告、接近する魔力反応1。脅威度A>
ガシャンと何かが倒れる音がした。そちらに視覚魔法のピントを合わせると、1体の骸骨が入口に直立していた。
モンスター・スケルトン。人間の骨格標本そのままの形をしているが人骨が動いているのではなく、そういう擬態をしている別種の生物らしい。多くのモンスターと同様に人間に対して攻撃的だ。
スケルトン自体はどこにでもいる。いわゆるザコという奴だ。だがそいつは俺の知っているものとはどこか違っていた。
<鑑定完了。目標の主要構成素材は水銀です>
「メタルスケルトン……だと……?」
千年前にはいなかったモンスターだ。進化したというのか。
「400年くらい前です」ニッピオが言った。「モンスターが絶滅危惧種になって、保護しようって奴等が出てきて――」
保護したモンスターが狩られぬよう、新種の強化薬を投入したらしい。それが暴走、繁殖して、人類とモンスターのパワーバランスは魔王を倒す前に戻ってしまったという。
俺からすればなんでそんな命知らずな真似をするのか頭を抱えたくなる愚行だったが、モンスターの脅威を身近に感じずに育った世代というのは、そういうものなのかもしれなかった。
「そういうわけなんで助けてください! 無敵の聖剣でなんとかしてくださいよ!」
「なに俺に全投げしようとしてんだよ、剣がひとりでに動けるワケねえだろ、妖怪かよ」
「喋ってる時点で充分妖怪ですって! あと1歩頑張ったらやれます!」
「せめてギリギリまで自力でなんとかしようとする根性みせろや! 本当は勇者と美少女以外に抜かれたくなかったけど、出血大サービスでおまえにも抜けるようにしてやるから!」
ニッピオは嫌そうに俺を岩から引き抜き、構えた。へっぴり腰だし腕は剣の重みにプルプル震えてるし、お世辞にも決まっているとはいえない。
勇者って本当に初期状態から勇者だったんだなと俺は感慨に囚われた。
「へいやあああ! せい、ばぁーッ!」
気の抜けた叫びと共にニッピオが俺を振り下ろす。
硬い金属音が響いた。刃の先端が明後日の方向へ飛んでいく。
「折れたぁー!?」
絶望の悲鳴をあげるニッピオ。そこへスケルトンがパンチを叩き込む。ニッピオは部屋の隅まで吹っ飛ばされる。それでも怪我1つせずに済んだのは、俺がバリアシールドを張ってやったおかげだ。
「あなたやっぱり偽聖剣でしょおおおお!? 折れたんですけどおおおおお!?」
「いや、ただの金属なら素でも斬れるはずだったんだがな……」
刀身を魔力で再生しながら、俺はニッピオのステータスを鑑定する。この世界には元々ゲームでいうようなステータスだのレベルだのの概念はない。俺が勝手に評価基準を設定し対象の魔力や体格の計測データを元に分析した結果の数値だ。いい加減なものだが、今までの戦いではそこそこ当たってたので的外れなものではないと思う。
そのルクスキャリバー式評価基準で言えば、ニッピオは『オール1』だった。年齢身長体重以外の数値が軒並み1。俺を扱うのに必要なスキル条件を、こいつは何一つ満たしていない。
だが仕方のないことだ。こいつは勇者でも戦士でも騎士見習いでもない。正真正銘のただの一般人なのだ。むしろさっきは攻撃を当てられただけでも褒めてやらなくてはならないところだろう。
「もう駄目です……ここで終わりなんですね……」
ニッピオはへなへなと崩れ落ちた。しめやかに失禁。だいぶメンタルの弱い奴らしい。
「ちくしょう……スケルトンに殺されるなんて……! どうせならもっと可愛い女の子モンスターに食べられたかったです……ッ! 性的な意味でッ!」
……いや、案外図太いんじゃないだろうか?
「仕方ねえな……」
俺は魔力を集中。刃を分割し延長する。鍔を90度回転――そしてニッピオの腰に巻き付く。
「ルクスキャリバーが、ベルトになった……!?」
はいニッピオ君説明ありがとう。そう、刀身はベルトに、鍔はバックルに。聖剣はちょっと派手なデザインの聖ベルトになったのだった。
「ルクスキャリバーさん……」
「せっかくだからこの形態の時は、ルクスドライバーとでも呼んでもらおうか」
ニッピオは困惑するばかりだ。一方スケルトンは警戒するような素振りを取っていた。ニッピオより頭がいいらしい。だが知能の高さ故の警戒心が逆に命取りだ。
「とりあえず立て。……腰、左横にカードホルダーがあるだろう?」
「あ、ああ、はい……」
「そこから一番外側のカードを引け。“運命の輪”のブースタロットだ」
ブースタロット。勇者と力を合わせて世界中から回収した超古代文明の遺産だ。各カードに応じた方向性のステータスを強化したり、マジックアイテムを召喚することができる。
各カードの絵と名前はタロットカードとそっくり同じだ。たぶん俺より前に転生してきた誰かが作ったものなのだろう。
「抜きました……このカードですよね」
「バックル上部に差し込み口があるだろう。そこにカードを挿入して、グリップを上に倒せ」
バックルから横方向に伸びた剣の柄を、90度上に折り畳む。
ガチャン、と音を立てて赤い蕾に似たバックルが彼岸花のように展開した。
その中心部でリング状の発光体が、光る、回る、ソニックウェーブが唸る!
<♪ホイール・オブ・フォーチュ~ン! ホーイホイホーイ! ウホホノフォ~イ!!>
「あ、あの、なんですかこの歌……」
「ただの呪文詠唱だ、気にするな! おまえは黙って――そうだな、なんかカッコイイポーズでも取ってろ!」
「こ、こうですか?」
「『変身』!」
廃墟が光に包まれる。閃光1色に塗り潰された世界が元に戻ったとき、ニッピオの全身はくまなく装甲で覆われていた。
ベルトのバックルに合わせ、彼岸花の意匠を各部にあしらったトリコロールの重装騎士。それが今のニッピオの姿だった。
「これは……鎧……?」
「おまえが戦うには、全ステータスを底上げする必要があったからな」
スケルトンが吠えた。今のニッピオを見ても逃げる様子はない。警戒心よりも元々の好戦性が勝ったのか。
「うわああ!」
飛びかかってきたスケルトンに気圧されて、ニッピオが後ろに飛び退いた。そのまま砲弾のように廃墟の外へすっ飛んでいく。廃墟があっという間に小さくなり、見えなくなったところでようやく着地する。
「な、なんだこれ、軽く跳んだだけなのに……?」
「おい気をつけろよ、おまえの身体能力は何倍にもパワーアップしてるんだぜ」
「マジですか……よおし!」
ニッピオは一丁前に空手の構えのようなポーズを取った。
「さあ、かかってこい!」
だが、スケルトンは一向にやってこなかった。
最初はシャドーボクシングをしながら身体を上下に揺らして敵を待ち構えていたニッピオも、途中からは体育座りで草をむしっている。
「まああれだ」
昇ってきた朝日を眺めながら俺は言った。
「さっきの後ろジャンプだけで500メートルくらい跳んだからな。普通に逃げられたと思って、あきらめたんだろう」
「……やっと戦う気になったのに……!?」
初陣は実質逃走。
そんな情けない醜態を晒したこの男が正式に俺の次なる相棒となり、この世界に新たな伝説を築くことになろうとは、この時の俺はこれっぽっちも予想していなかったのである――
――だったらよかったんだけどね。