第一章 傭兵業(1)
「旦那、起きてください」
軽く肩を叩かれ、かけられた声にフィルははっと目を開ける。
目の前の地面には焚き火がぱちぱちと音を立てながら揺れ、フィルの横には先ほど声をかけてきた小男が立っていた。
くせのついた短髪の赤毛をぐしゃぐしゃとかき上げながら声がかかった方にフィルが目線をやると、小男は呆れたように言う。
「こんな時に寝ちまうんですか? 全く肝が太い方ですな……」
おどおどとした様子で汗を拭う小男の名前はオズモンドと言う。
「ゴーシェの旦那が戻ってきました。近くに奴らのキャンプがあるみたいです」
オズモンドが続けて言うと、フィルはその奥にいる男に気付いて目をやる。
フィルにの視線に気付いた男が、こちらに気付いて少し呆れたように苦笑いを返してくる。
男の名前はゴーシェと言い、少し長めの黒髪を後ろに流した髪型で細目のシルエットを持つ優男だ。
周りの反応を気にもしない素振りでフィルはふっと立ち上がる。
「じゃ、支度するか」
焚き火を囲んでこの場にいるのは、フィル、ゴーシェ、オズモンドの三人。
目的地の村まで半日という所だったが、日が暮れてきたこともあり三人は野営の準備をしていた。
その準備をオズモンドによろしくと丸投げし、木に寄りかかってウトウトとしていたフィルだったが、ゴーシェも少しの間単独で行動していた。
元々、狩人を生業としていた彼――ゴーシェはここまでの行程での森の様子が気になると言い、周辺の様子を見て戻ったところだった。
そして彼の予想通り、近くに敵のキャンプがあることが分かった。
「道なりに少し進んだ森の中にキャンプがあった。遠目で見た感じだが、数は十程度ってとこだな」
ゴーシェがそう言うと、依然おどおどとして目を泳がせているオズモンドが念を押すように言う。
「雇っていただいた時にも言いましたが、旦那方でよろしくお願いしますよ」
案内役の非戦闘員として雇っていただけのオズモンドだった。
端から戦闘の要員に数えようという考えはなかったフィルは、彼を一瞥し淡々とした様子で言う。
「戦わないにしても付いて来い。単独のやつが近くにいないとも限らない」
「……分かりました」
出立の準備のために、肩の部分までを保護する胸当ての鎧をつけながら言い放つフィルに対して、オズモンドは諦めたように返し、そうして三人は移動を開始した。
***
木の枝葉で音を立てないように身をかがめながらフィルとゴーシェが森の中を進む。
少し遅れるようにしてオズモンドが続くが、ちゃんと付いてきているようだった。
森の外からは分からなかったが、進むにつれて奥の方の少し開けた場所に火の灯りが見えてきた。
焚き火の周りにギャギャギャと笑う魔物――数体のゴブリンが、何が楽しいのか馬鹿騒ぎをしている。
地面に突き立てた細長い木にボロボロの布を乱暴にかぶせたような粗末なテントが四つあり、それぞれのテントの中心に焚き火。火の周りに六体、テントの更に外側となる手前、そして奥にそれぞれ一体ずつのゴブリンがいた。
テントの外側で周囲を警戒している二体は、歩哨の役割ということだろう。
足音を忍ばせながら共に進んでいたゴーシェが敵のキャンプの手前で静止の合図を出し、フィルも了解の意を返した。
月が出ている夜だが、森の中であるため月明かりは届かず辺りは真っ暗だ。
そのためフィルとゴーシェの二人は、暗闇の中でもお互いの動きが分かる程の近い距離にいる。
オズモンドも前を進む両名が止まったことに気付いたようで、フィルが後ろを見やると目の届く範囲で木の後ろに隠れていた。
フィルが腰に付けていた小盾を持ち、音もなく剣を抜き放つ。
柄に紫に輝く装飾を持った短めの直剣で、前方を示す仕草でゴーシェに合図を出す。
背負っていた弓を静かに構えたゴーシェが、フィルの合図を確認した後、ひゅっと矢を放った。
矢は風を切りながら真っ直ぐに飛んでいく。
手前側に立っていた一体の見張り役のゴブリンの首元に放った矢が吸い込まれるように刺さると、一瞬の静止の後、声を上げることもなくゴブリンが崩れ落ちた。
地面に倒れたそれが動き出さないことを確認し、フィルはゴーシェに対して目線の合図を送ると、キャンプの中心に向かって走り出した。
フィルは静かに、そして無駄のない動きでキャンプの中央に向かっていく。
新たな矢が、走るフィルを追い抜いていき、焚き火の周りにいる別の一体のゴブリンの首に突き刺さる。
フィルは真っ直ぐ敵に向かわず、立ち並ぶ一つのテントの後ろに周りこむ。
テントの裏から飛び出す格好で、急な矢の襲撃を受けたことで慌てて立ち上がったゴブリンの一群の前に出る。
柄を握る力を強めると、後ろ向きに立っているゴブリンに対して躊躇なく横殴りの斬撃を振るう。
一閃で首を飛ばされたゴブリンから鮮血があがり、目の前に突如現れた襲撃者に残りのゴブリンが対峙する。
体の外側に剣を振り抜いた姿勢のフィルは、盾を突き出すような形で残った敵に向かって構えた。
首をなくしたゴブリンの体が崩れ落ち、警戒を露にフィルに対峙するゴブリンは四体。
先ほど矢を受けた一体はぴくぴくと動きながらも倒れたままである。
襲撃に応対しようとする四体のゴブリンは自らの獲物――刃渡りが三十センチほどの短剣やそれより一回り大きい直剣を構えるが、臨戦態勢を取ってすぐ、フィルの右方向から再度襲ってきた矢がまた一体のゴブリンの首に突き刺さる。
矢が刺さったゴブリンは衝撃にひるむものの倒れはせず、攻撃を受けた方に怒号を上げて走り出した。
「ギアアアアアアアアアア!!」
一体のゴブリンがフィルの視界から出ていく。
目の前に対峙した三体は、ギギギと警戒の声と荒々しい呼吸音でこちらを威嚇している。
フィルは一番手前にいる固体に向かって間合いをつめると、体の内側に引いた小盾で裏拳を叩き込むように殴りつけた。
構えていた短剣ごと顔をぶちかまされたゴブリンはひるむんで後方に下がるが、小盾に追いつくように上段から切り下ろされる直剣により、体を斜めに分断される。
片半身を失ったゴブリンはそのまま崩れ落ち、吹き出した返り血が再びフィルに降り注ぐ。
すかさず残った二体を見ると依然こちらに注意を向けているが、攻めあぐねているのか警戒の態勢のままだ。
改めて対峙した後、一瞬の静止があるものの、右方の視界の外から飛び込むように襲い掛かるゴーシェの刺突により一体が首を貫かれた。
ゴーシェは前蹴りの勢いで刺さった剣を引き抜き、そのままの勢いでもう一方のゴブリンを上段から切り落とす。
フィルの左方から別のゴブリンが単体で走ってくるのが見え、敵が片付いたことでそちらに向き直ると、突き出すように盾を構える。
少し引いた剣をこちらに向かってくる敵のタイミングに合わせて大きく振り下ろし、その体を断ち切った。
先ほど敵と対峙していた後方に向き直ると、ゴーシェが逆手に持ち直した直剣で矢を受けたゴブリンに止めを刺していた。
「これで全部か?」
剣についた血を振り払いながらフィルが聞くと、ゴーシェも同様に乱暴に剣を振って血を払い、「多分な」と笑いながら剣を収めた。
念のためにと警戒を解かぬまま、フィルたちがゴブリンたちの左耳を削いでいると、オズモンドが怯えた様子できょろきょろとしつつ森から出てきた。
「いやあ旦那方、流石ですね……。 旦那方が走り出したと思ったら終わってましたよ」
「小規模なキャンプだったからな。村に巣食ってる連中の規模だとこうはいかないだろう」
削いだ耳を皮の小袋に収めながら、フィルがそう返す。
ゴーシェは薄汚れたテントの一つ一つの中を見て回っているが、金目のものがなかったのかテントの支柱を蹴っ飛ばしている。
「さて、戻るか。明日は目的地の村を見つけるぞ」
そうして三人は野営の準備をしていた場所まで戻っていった。