2−3 『夢と泡沫』
ばいーん、ぼいーん、ごろごろ。
と、泡ごと秀一が弾かれて転がった。
ドリームワールドオリジナルの『ドリームバブル』というアトラクション内での出来事だ。
あの泡状の物体は、『夢の泡』なる名前で呼ばれているらしく、それに入ってぶつかり合うのがこのアトラクションの大まかな概要といったところか。
秀一が、苦手とするジェットコースターを徹底的に避けた結果たどり着いたのがここで、最初は「どう見ても面白くなさそう」と乗り気ではなかったのだが、やってみれば存外楽しく、しばらく移動せずに遊び続けている。
響子にぶつかると、悲鳴をあげながら転がっていく。『夢の泡』のおかげで痛みはなく、中が非常に暑いこと以外は、激しい内容とは裏腹に安全そのものだ。しかし、ずっとやっていると熱中症が冗談に聞こえないくらいの汗を流失することになる。
開始数分でこのアトラクションの危険度を理解した二人だったが、なんだかんだでここまで続けているのは、すでに頭が茹っているからかもしれない。
泡がごろりと起き上がる。が、内部の響子はふらついているようだ。秀一は声を上げる。
「だーいじょーぶー?」
反響して声が通らないので、必要以上に大きな声を出す必要があった。対面の泡からも声が返ってくる。
「……もう……り、さいご…………」
「きぃーこえーないよー!」
響子の方は声量不足で、秀一には聞こえてこなかった。それを悟って、今度はジェスチャーで意思疎通を試みてくる。右手を上げて、左手を上げて、それを勢い良く交差させる。見事に×だった。
どうやら体力の限界らしい。秀一のほうも、度々意識の浮遊を感じるという異常っぷりなので、名残惜しいものの、さすがにそろそろ出ようかという気になる。
しかし、響子の腕はそこで終わらない。次は右手を上げて、一本指を立てる仕草だ。
それを理解することは容易い。『もうだめ。だから、最後にしましょう』だ。ふらつきながらももう一回を要求してくるあたり、彼女も完全にハマってしまっているらしい。
しかし、足腰もそうだが、暑さ耐性までも、秀一は響子に劣っていそうだった。
「……………………ん」
すでにいろいろと響子には負けているのだ。だからこそ、この遊びでまで勝ちを譲る気はない。秀一の腕に力が入って、目がギラリと尖る。
その変化を最終戦の始まりと見たのか、響子入りの泡が猛烈な勢いで突進してきた。それが思った以上に速い。避けるのは不可能とみて、迎え撃つために下半身に力がこもった。
次の瞬間、衝撃。
「っわ、わわわわ」秀一は、少しではあるが後方へと弾かれる。
泡の中でたたらを踏んでも、どう踏ん張ればいいのかもわかりはしない。ただ、追撃が想定できたので、勢いを殺さずに転がって逃れる。上下左右の反転に絶え間がない。地球の自転とも張り合えそうだ。
壁にぶつかって回転が止まると、景色が追いついてくる。ただ、目が回っていて、即座に行動に移すのは不可能だった。『夢の泡』やバルーンによる景色がブレて、いろいろなものの境界が曖昧だ。と、目の前に巨大な泡が見えぼいーーーん。吹き飛ばされた。
景色が回る。くるくる回る。思うように動くことすら困難な状態だった。先ほどまではいい勝負をしていたと思うのだが、最後だからか、響子がやけに強い。まさに、ギアを上げたという感じだ。
ただ、この遊びに勝利条件はない。つまり、降参しなければ負けない!
幸い、逆回転が加わったおかげで目の焦点は戻ったようで、今は視線の先に響子を正確に捉えている。やはり素早く向かってきていて余裕はないが、今度はギリギリ避けられる距離だ。
秀一が右に移動すると、泡と泡がかすめたものの、衝撃はこない。そのまま通り過ぎた響子に突進をかますと、綺麗にカウンターを決めることができた。ばいーんの後に、先の秀一同様にゴロゴロと転がっていき、壁で止まる。
さて、これからだと、立ち上がる響子を待ち構える。
が、立ち上がったとほぼ同時に、またもや響子が腕をクロスするのが見えた。降参。秀一からすれば最後に不完全燃焼な感じはあるが、先に響子の方に限界が来たらしい。熱中症で倒れるような事態は彼女の叔父も望んでいないだろうから、ここが潮時だろう。
秀一もジェスチャーで了解の意思を伝え、二人で隅にある『夢の泡着脱コーナー』に向かう。
『ドリームバブル』をここまで長時間利用していた客は珍しいのではないだろうか。秀一と響子が遊んでいる間、幾つかの組が入場してきたが、基本的には数分で引き上げていった。
着脱コーナーでは、秀一には男性スタッフ、響子には女性スタッフがついて、『夢の泡』を外してくれる。内部は汗でほとんどサウナ状態になっていて、出てみると、暖かかったはずの外が天国のように感じられた。『夢の泡』の中が地獄とはこれいかに。
秀一は預けていたカバンをスタッフから受け取り、タオルを二枚取り出す。一枚は響子に渡し、もう一枚で、自身の汗を拭き取っていく。
「お客さんたち、遊んだなぁ。こんなに汗だくになるまでやってく人は珍しいよ」
拭いても拭いても肌から染み出してくる汗に悪戦苦闘していると、男性スタッフ————五十代ほどの色黒の男————が秀一に話しかけてきた。
「いやぁ、やってみると案外、楽しかったんで」
答えると、彼は人当たりの良さそうなシワの目立つ頬を歪ませ、口の端を引き上げた。えらく上機嫌なのが伝わってくる。
「やっぱ、自分とこで楽しんでってくれるってのは嬉しいもんだ。ありがとうよ」
自分の『楽しい』が、他人にも伝染していく。それはありふれているが、秀一が小説に求めるものと同じで、思わず笑ってしまう。そういう小説が書きたくて、秀一は日々空想しているのだ。
隣を見ると、響子も笑っている。側の女性スタッフも同じだ。
「また来ます」
つい、秀一はそんな約束をしてしまう。
「おうよ」と、明るい声が返ってきた。
秀一と響子はスタッフ二人に頭を下げ、『ドリームバブル』を後にする。
心地よい雰囲気は、夢の中にいるようだった。
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