2−1 『不安定で不安』
ドリワまでは電車で二駅。近場にある遊園地ということで、中学の頃からチラホラとクラス内で話題になる。近くもなく遠くもないといった距離感は、背伸びしたい時期にはうってつけなのだ。
秀一もいつか行こうとは思っていたが、ついぞ訪れる機会はなく、こうして高校二年まで持ち越しとされたのだった。
得られる開放感という点では、全盛期を逃したといえる。今では遊園地自体よりも、響子と出かけることに対するワクワク感の比率の方が大きい。
と、自宅最寄りの駅に自転車で駆けつけてから数分ほどの待機時間を経て、構内に響子の姿が現れる。秀一が柱のあたりから手を上げて姿を強調すると、あちらも気付いたようで、小さく手を振ってから歩調を速めた。
「おはよう。いつも通り、集合が早いわね」
「まあね。響子も、いつも通り五分前だ」
ある程度距離が詰まったところで、響子と秀一は挨拶を交わす。
響子は、いつもの飾り気のない服装で、薄手のシャツに、ストレッチ系のジーンズという感じだ。ファッションとしては秀一とそこまで差異はない。
それでも目を惹くものがあるのだから、それはもう、素材がいいとしか言えないだろう。相変わらず敵が多そうな女性だと、秀一はこっそりその身を案じた。
「じゃあ、とりあえずホームにいきましょ」
響子が力強く歩き出す。
秀一は歩幅を合わせながら、カバンを受け取って肩に引っ掛けた。何が入っているのか大して重くはなく、秀一にとってはそこまでの負担にはならない。
売り場で切符を購入し、自動改札を通過。点字ブロックに沿うように歩くと、階段に続く。それを登り切ると、あとは電車を待つだけだ。
その電車も頻繁にやってくるので、そう待たされることはないだろう。秀一は、先に座った響子に倣って、ホーム横のベンチに腰掛けた。
呼気に、少々熱が溶け込んでいる。
「階段、思ったより長かったね」
「そんなことなかったけど。あなたが運動不足なだけじゃない?」
長い足を組んで座る響子は涼しい顔だ。運動部でもない女子に足腰の強度で負けるのは、いよいよヤバいのかもしれない。
小説書くより前に、ランニングくらい始めるべきか? 秀一はムムムと横目に、響子のしなやかな脚部を睨みつけた。
「あなたねぇ……わたしの足に対抗意識燃やしてどうするのよ」
響子が足を組み直しながら呆れの息を吐く。「それもそうだ」と秀一も視線を前に向けた。
運動不足の度合いを他人と競っても虚しくなる以外の成果は出ない。
そんなことよりも、ドリームワールドが楽しみだ。顔を上げて、秀一は電車を待つ。響子も隣で、いつも通り微笑んでいる。
ホームにアナウンスが響き、鼻先をくすぐるような風を取り巻いて、電車がホームへと滑り込んでくる。顔を見合わせて、歩み寄る二人。
なにかが勢い良く噴き出すような効果音とともに、扉が開く。
途端、やや蒸し暑い外の空気に、車内の冷涼な温度が飛び出してきた。
それは髪が揺れるほどの強風となって、響子の髪が、暴れているという表現が似合うほどになびいている。
そんな風だけで、車内の環境が容易に想像でき、秀一は、ほとんど吸い込まれるようにして、前へと歩を進めるのだった。
◁
車内はある程度席が空いている状態で、秀一は響子と二人用の座席を探して、そこに腰掛けた。
情けなくも階段で生成された熱は乗っている間に霧消して、今は秀一も、響子と変わらず涼しい表情を浮かべている。車内の温度にはそれほどに、夏の要素が欠けていた。
一駅目に停車した際にも何人か乗ってきて、その乗客全員の表情が見てわかるほどに生き返っていったのを思いだし、俺もあんな顔だったのかと、秀一は自らの顔をペチペチと弾く。
今は目的の二駅目まであと数分といったところで、辺りを見渡せば、確かに若者の比率が高い。高校生風も多いが、中学生らしき集団も目立つ。夏前にはしゃぎたくなる気持ちは秀一にもわかった。
念のためにもう一度見回すも、目的の集団は見つからない。どうやら同じ電車ではなかったらしい。もしかしたらくらいの期待値だったので、気にすることもない。
秀一が視線を戻すと、それを見計らったように、響子が口を開く。
「今日は楽しみね。私は、ドリワに行くのは中三の頃以来かしら」
その際の、黒の長髪を耳にかける仕草も妙に様になっていた。
「行ったことあるんだ?」
「受験勉強が本格化する前に友達とね。最後にパーっと楽しんで、あとは受験勉強に集中しようって感じのイベントだったわ」
あんまり効果がありそうには思えない行事だな、と秀一が心中でその効果を疑うと同時、「あんまり効果はなかったけどね」と響子が苦笑した。
そりゃあそうだ。中学生の口から出る『勉強』の九割は都合のいい口実として利用されているだけのでまかせなのだ。そもそも、本当にできる人間は、そんな機会を作らずともある程度のことは既に行っているものだ。
ただ、中学生たちの逃げ場として『夢の世界』が選ばれるのも必然かもしれない。夢の中は、昔から人間たちの逃げ場代表の一角なのだ。他に有力な逃げ場候補を挙げれば、『二次元』などがそれに該当する。考えてみれば、人とは、現実と異なる世界に逃げ場を見る存在なのかもしれない。
秀一は視線を窓の外に移す。流れる景色は砂の茶色とコンクリートの黒が大半で、このレールが『夢の世界』に続いているというのは現実味がなかった。
現実味がないということは、もしかすると、既に夢は始まっているのかもしれない。…………なわけないか。
「ドリワって具体的にどんな施設かとか、覚えてたりする?」
確実に近づいていることを実感すると、少し気になってくる。聞かずにいるほうが得られる驚きは大きいのかもしれないが、今気になるものは仕方がない。
「そうね……当然、アトラクションがメインなわけだけど、そのアトラクションそれぞれに『夢』の要素が含まれていて、それ以外にも、通路の飾り付けなんかも特徴的だった覚えがあるわ。今も、根本は変わっていないでしょう」
「なるほど。って、なんだか曖昧な感じだね」
「しょうがないでしょ、だいぶ前のことだもの。それにほら、こういうのは、あまり前知識がない方が楽しめるって言うじゃない」
どうやら、頼りになるほどの知識は響子も持ち合わせていないらしい。
記憶を引き出しておおざっぱな説明はしてくれたが、依然として、秀一には全体像がつかめなかった。
ただ、ここで情報を得られなかったことで、現地ではより楽しめるかもしれない。知りたいという思いも確かにあるが、どちらにしても損はないのだから、しばらくワクワクして待つのもいいだろう。
「着いてからが楽しみだー」
秀一が、伸びをしながら力の抜けた声で呟く。
電車は前向きに進んでいる。
まもなく、アナウンスが目的の駅への到着を告げた。
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