1−3 『レール』
「……ただ」
ただ、どれだけ時間がかかったとして、諦める理由にはならない。そう続く。
『ただ?』
「……なんでもないですよー」
間延びした声でとぼける。それっぽいことを口にするのは気恥ずかしかったし、言わずとも、諦めるつもりがないことくらいは察しているはずだ。
『まあ、満足出来る話をかけたら真っ先にわたしに見せてくれるって約束したものね。あなた、約束は破ったことないから。いつかその日が来るって信じておくわ』
以前に、ほぼ言質をとられるような形でかわした約束をここで引き出してくる。その声が楽しげに揺れている辺り、響子も諦めさせる気はさらさらなさそうだ。
それに、そんな言われ方をしたら、裏切れない。秀一の中で、諦めと裏切りを同一のものとして、脅す。うまい扱い方だと客観視して、秀一は舌を巻いた。
『それで、夢の話から本題にリンクすると……もうおわかり? そう、それは夢の国!』
「いや何を言ってるのかさっぱり……」
珍しく真面目な話をしていたというのに、突如会話を捻じ曲げて本題? に入る響子。しかし、明らかに話の転換が上手くいっておらず、秀一も微妙な表情だ。
夢の国? なにか面白い夢でも見たのだろうか。それとも、何か特殊な電波を受信したのか?
今の言動は普段とはまた異なる理解不能具合だ。そう考えると、夢の国という単語にも妙に怪しげなものを感じてしまう。
詐欺とか、頭がスッキリするアレみたいな……『あなたバカ? わたしがそんなものに被害を被るわけがないでしょう』秀一が微妙な表情で唸っていると響子から冷たい声が飛んだ。
「あれ、声に出てた? ちょっと脳裏に浮かべた冗談くらいのつもりだったんだけど」
『バリバリ出てたわね。で、そんなミステリー作家への道が端から潰えてそうな頭脳のあなたにわかりやすく説明すると、土日のどちらか、一緒にドリワに行かない? ということよ』
「頭が良くないのは否定しないけどひどい!」
ドリワ……ドリームワールドの略称で、県内にある一番大きな遊園地、と秀一が知っているのはそれくらいまでだ。
だが一つ言えるのは、明らかにこちらの頭脳より響子の説明の方が悪質ではないかということだ。
そもそも、ヒントのつもりだったのかもしれないが、夢の国はドリームカントリーなはず(英語が不得意なため若干不安)で、ドリームワールドは夢の世界だろう。最初から色々と間違いだらけだった。
秀一はそれを指摘するが、響子からは『そんなの、全然導き出せる範囲内でしょう』と、力強い声で返ってくる。そこまで自信ありげだと自分の正しさを疑いそうになってしまう。自信のごり押しはなかなかに強力だ。
「まあ、ドリワ? に行くのには賛成なんだけど。土日ってのは随分急な話だね」
カノジョから遊園地に誘われて、進んで断りにいく男がいるだろうか。いや、いない。と、秀一の中では、最初の時点で断るという選択肢は埋められている。
部活動も行っていないため、土日は基本的に暇だというのもあった。
しかし、土日の話を金曜の夜に持ちかけてくるというのは珍しい。平時の響子であれば、最短でも三日は猶予を与えるように、余裕を持って伝えるはずだ。
『ええ。実は、昨日から家に叔父さんが来てて、それでチケットをもらったの。昨日伝えても良かったんだけど、外食に出かけたりで落ち着けなかったから、結局今日になったのよ』
「なるほど、昨日チケットをもらったんだ。叔父さんからだったら、なおさら楽しんで来ないとね」
楽しむことは強制されるべきことではなくて、偶然の中に滑り込むものだとは思うが、それを享受するための努力は無駄ではない。他人の好意が関わってくることならなおさらだ。
秀一は、会ったこともない響子の叔父に感謝する。
ドリームワールドに行くのは初めてなので、どんなものなのかと、今から楽しみだった。
『で、土曜と日曜ならどっちがいいのよ?』
改めて、響子が聞いてくる。
「んー……」
正直、どちらでもいいというのが本音だが、それならそれで少し迷ってしまう。秀一は、顎に手を当てて目を瞑って、考える。響子は「どっちでも」という曖昧な答えを酷く嫌う性格なので、こういう時にはできるだけハッキリと答えることにしていた。
また、そういった考えを理解してくれているのか、響子も口を出すことはしない。声もなく、静寂にも似た通話時特有のノイズが、少し遠ざけた受話器から秀一の鼓膜を鈍く震わせる。
そんな時間がいくらか続いた。
ふと、教室での出来事が思い浮かぶ。視界の隅にあるような滲んだ記憶の中心に、住野千秋がいる。
「じゃあ、日曜で」
間もなく、秀一の頷きながらの声で沈黙が終わる。
何か考えがあるわけじゃない。ただ、土曜よりは日曜の方が面白そうだと、そう直感した。
「…………」
もちろん、理由はカノジョには内緒だった。
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