最終話 『重なる夢』
簡潔に夢を叫び、それから調子に乗ってもう一言付け加えようとした秀一だったが、そこで放送部顧問が止めに入った。
あっさりと捕まって、連れてこられたのは職員室横の小部屋だ。
そこは、生徒間では説教部屋と呼称される場所で、部屋について聞くのは悪評ばかり。問題行動を起こした生徒を叱りつけるという、そんな用途ばかりに利用されるそうな。
隣に目をやると、響子がいる。
スタジオ入り口にて笑い転げているところを共犯とみられたようで、道連れとなったのだ。
つい先ほどまで、笑いを堪えるのに四苦八苦していたが、今は空気を読んで能面のような表情になっている。
まだ笑いの波は抑えきれていないようで、たまに肩を震わせるのが秀一にはわかる。
そして正面には、放送を邪魔されて怒り心頭であろう、放送部顧問だ。
放送の企画を学校に通したのは彼であり、そこにはそれなりの苦労があったはずである。それを訳のわからないことでぶち壊されたのだ。怒っていないはずがなかった。
「あのなぁ……」
呆れと怒りが入り混じった表情で、放送部顧問が口を開く。
秀一は肩をカチカチに固めて、どうか無事終わりますようにと祈った。
予想に反して、まず叱られたのは響子の方だ。
放送部の部員として、先輩方の準備は見てきたはずだろう、と。
お前はそれを台無しにしたんだぞ、と。
響子の方も、それに関しては目を伏せるしかないようだった。当然、彼女にはそんなことはわかっていたはずだ。
もちろん、後で後悔することも。
その上で協力してくれたということが、不謹慎ではあるが、秀一には嬉しかった。
次に、秀一が首を縮める番だ。
そんなに夢を語りたい思いがあるんだったら、正々堂々放送に応募してくればよかったじゃないかと、まずはそこを責められた。
客観的に考えれば、まさにその通りですと平伏しそうなほどに正しい意見だった。
導火線に火がついたのが一昨日だとしても、ずっと、心の奥には燻っている思いがあったはずなのだから、気付かないふりをせずに、響子の提案に乗っていればよかったのだ。
次は、やはり、「放送部員たちがどれだけの準備を重ねてきたか」となる。
それについての話は長く続き、途中で再び響子にも飛び火した。
一時間にも感じられる時間が過ぎると、ようやく、説教の言葉が尽きたようになった。
叱るだけ叱るとスッキリしたのか、放送部顧問も一息つき、普段の優しげな表情に戻っている。
「吉野」
「は、はい」
「今言ったような諸々を抜きにすれば、俺は、お前の放送が一番好みだったよ」
「え」
秀一は、自分が狐につままれたような顔をしているのを自覚した。
放送部顧問が言うには、マイクに近付きすぎたせいで音割れは酷く、ノイズにまみれた放送になっていたらしいのだが、そんなのの何が良かったのだろう。
マイクが壊れたらどうする、とも叱られたばかりだ。
秀一の混乱をよそに、彼は続ける。
「あの放送で、本当の意味で夢について語っていたのは、お前だけだったからだよ」
「え、それだったら、田山のほうが」
プロ野球選手になりたいと言っていた彼は、実際にそれに見合うだけの評価を得ていて、自信もあり、実力もあった。
放送でも、最も細かく、近い位置から、夢について語っていたように思う。
「田山は、あいつは、このままいけばプロになれると、ある程度確信している。『夢』はとうに『目標』に変わっている。『夢』ってのはな、根拠があったらいけないんだよ。
その点、あいつには語れることが多すぎた。お前なんか、理由だとか筋道だとかすっ飛ばして、なってやるぞー、だもんな。笑っちまうよ」
まあ、俺がそれ以上言わせなかったんだが、と放送部顧問は笑った。
秀一も、あの時のことを話題にされると、笑うしかない。こちらは、空笑いだ。
「んじゃ、ま、小説家、頑張れよ」
説教おわりっ、とスキップで部屋を出て行く姿に、ついに響子が吹き出す。
ああ、もう全校生徒が俺の夢知ってんだな。
ようやく湧いてきた実感に、秀一の肌が、ぞわりと粟立った。
▼
カビ臭い小部屋から二人で抜け出して、渡り廊下を通って教室へ向かう。
とうに下校時刻は過ぎているが、カバンが置きっぱなしだ。明日から夏休みなので、忘れて帰るのはまずいだろう。
響子は能面をやめて、部屋を出てからずっとニヤニヤしている。かと思えば急に思い出し笑いを始めたりもする。
ちょうどこんな風に。
「あぁ、もう、最高! バタバタ駆け込む姿も良かったし、マイクに近付きすぎて音割れって、肝心なところが決まらないのも味があったわね。本当にどうしてそんなに面白いの、あなたって人は!」
「………………」
うるさいなぁ。
秀一は白目を剥いて不機嫌を顕にする。いつものことではあるが、どうして響子はこんなにもアンバランスなのだろうか。
と思いながら、いったん別れてそれぞれの教室へ向かい、荷物を持って廊下に戻る。
そうすると、今度は、真面目を絵に描いたような表情に変わっている。本当になんなんだ。今日はいつも以上だ。
「聞きたいことはいっぱいあるんだけど、まず、何があって、ああいう行動に出たの? なにか理由があるというのは、わかってるわ」
「それは…………」
答え辛い質問だが、相手が響子ということもあり、話さないという選択肢はない。
どうにかわかりやすく纏められないものかと、頭を回転させる。
そうしている内に廊下が終わり、下駄箱まできていた。
「あ……」
秀一は、無意識に声を漏らしてしまう。
下駄箱の前には、住野千秋がいた。
秀一の声に、彼女も気付き、目が合う。
二人の視線が、居心地悪く結ばれる。
「ふぅん。そう。千秋ちゃんが関係あるのね」
その様子から何かを見て取った響子が、途端に不機嫌そうになった。
住野千秋はそれでもまだ秀一を見つめていて、秀一も、なにか話があるのではと察する。そうなると、昨日の件もあり、どうしても気になってしまう。
そんな、微妙な時間をかき消すように、
「はああああああ」と長いため息が聞こえた。
そして、
「今日は先に帰るわ。夏休み、覚悟しておくことね」
響子がバシバシと床に音を立てながら、住野千秋を睨みつけて、靴を履いて、さっさと先に行ってしまう。
「あはは…………ありがと」
住野千秋が居心地悪そうに、けれど真剣に頭を下げた。
お返しのワザとらしい舌打ちに、さすがの住野千秋も可愛らしい笑顔を保てない。
力の入れ方が不安定で、こんにゃくみたいになっていた。
夏休みの最終日。
こうして二人は向かい合った。
「下駄箱で出待ち…………今度は俺が告白でもされそうなシチュエーションだ」
「告白、と言ったらそうなのかもしれない」
軽口の後で、住野千秋が続ける。
「私、吉野くんの放送の後でいろいろ考えた。それで、吉野くんみたいにみんなに、っていうのは難しいけど、たった一人くらいなら、って思ったの」
だから、私、言っちゃいます。
吉野くんに、これ以上差をつけられないためにも。
彼女の言葉はさらにそう続いて、締めくくりは一言だった。
「私、漫画家になるよ」
秀一は、どこか嬉しい気分になっていた。
あんな行動に見返りを求めるのはいいことではないのだろうが、それでも、影響を受けたあのノートの持ち主に、今度は自分が影響を与えているということが、嬉しかった。
あれだけの大口を叩いたものの、途端に実力が向上するわけでもなく、相変わらず実力差は月とスッポンのようなものだ。
そんな、何もかもが離れている相手と、今の一瞬は対等でいられる。
その喜びを知ってしまったから。
だから。
「だから、吉野くんも小説家になってよ」
本当の意味で対等になることを目指すため、その言葉にはこう答えるほかなかった。
「もちろん」
自信なんて欠片も篭っていない言葉だった。ただ、去勢を張ることは覚えていた。
全校生徒の前で出来たのだ。たった一人の前で出来ないはずがない。
これは約束だ。
秀一は、約束を破るのが怖い。だからきっと、この約束だって守れる。
それが唯一、自分の信じられるところだった。
そんな後ろ向きな自信を携えて、生きていくしかないのだ。
自分とうまく付き合うしかないのだ。
「よかった」
「俺が小説家になったら、住野は嬉しいのか?」
「だって、吉野くんって変わってるじゃん? そんな人がこれから、どんな小説を書くのかなって、気になるし」
「どんな小説を書くのかなぁ」
そんなこと、自分でもはっきりとしなかった。
「きっと、変わった小説だよ」
「俺って、そんなに変なのかよ」
「変だと思うなー」
変、変、と言われても、秀一本人にはそんな自覚はない。どころか、住野千秋の方が何倍も変であるように思えた。
「それで、変な吉野くんが書いた変な小説を、私がコミカライズするの。それ以上におもしろそうな仕事って、なかなか無いと思わない?」
住野千秋は自信ありげな表情を作って、不敵に笑った。
秀一もそれを真似るように、歪な笑みを作る。
二人の夢が重なって、新しい夢が生まれる。
了
文章もなかなか安定しないような作品に最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。
次作の話含め、この作品についても活動報告でなにか書くかと思います。気になる方はそちらをご覧ください。
のんびり文章の手直しをして、それから完結マークをつけようと思います。
その際に、後日談を書くかもしれません。一応、構想はあるので。




