1−3 『夢を叫ぶ』
ハッと目を開ける。いつの間にか寝入ってしまっていた。
それも全部校長の話が長いのが悪い、と内心悪態を吐く。
周囲を見ると、どうやら校長の話は終わり、プログラムが進んだようだった。
秀一は、次の予定を記憶から引っ張り出す。ここで起きてよかったと安堵した。
次は校歌斉唱だ。当然、立ち上がる必要がある。その時に眠っていては、間違いなく叱られてしまうだろう。
今は、余計なことで感情を揺さぶられたくはない。
『校歌斉唱』
アナウンスがあって、生徒たちが一斉に腰をあげる。その音に驚いて跳び起きる者や、気付かずに眠り続けて教師に叩かれる者が、案の定いた。
秀一も立ち上がる。
校歌を歌い終えると、再び腰掛けて、話を聞く。
似たような繰り返しが長時間続くと、じっとしているのが苦痛になってくる。もっとサボっておけばよかったという響子の叔父の後悔も、少しだけ分かってしまう。
列の前の方に、住野千秋が見える。小柄な背中が度々動いて、周囲のクラスメートたちとヒソヒソ話でもしているようだ。
二つ隣の列には、秀一の場所からは見えないが、響子もいるはずだ。
いや、もしかすると、まだ放送部の仕事に回されているのかもしれない。
考え事に逃げつつ、しばらく時間をやり過ごす。途中、腰が痛み出した。
『閉式の言葉』
ようやく、式が終わりを迎えるようだった。
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式が終わると、大掃除や夏休みについての話があり、その後、昼食をとって解散となる。
元々は昼で解散だったはずだが、放送部の顧問が学校に申請して、昼休みまでは全校生徒が学校に拘束されることとなっているのだ。
何年くらい前からそうなっているのかは、秀一には分からない。
まだ大半の生徒が食事を楽しんでいるのだろう。抜け出してきた廊下には、ほとんど人影はなかった。
秀一は廊下を進んでいく。通り過ぎざまに窓を見ると、向こう側では、雲が重く静かに空を覆っている。雨は弱まっているようだった。
教員棟は渡り廊下の先にあり、その一階には放送室が設けられている。そこは、放送部の部室としても機能しているらしい。
溜まった雨水がしとしとと垂れる渡り廊下で、独特の閑静な雰囲気を浴びて、深呼吸を幾度も繰り返しながら、歩く。
もうすぐそこまで、迫っている。
何が変わるかは分からない。
ただ、何かは変わる。そういう予感があった。
そして。
「あら? どうしたの、こんなところで」
「響子」
放送室の前には響子がいた。
分厚い扉の前で、暇そうにしていた。長話が続いていたからか、いつもよりいくらか目つきが鋭くなっているように、秀一は感じた。
「どうした? 放送部の仕事は?」
「わたしの仕事は大体終わったわ。あとは放送終了まで待機。あまりにも暇だから、外に出てきちゃったの」
正直、ここに響子がいてくれたことは有難かった。
それだけでなんだか勇気が出るような気がしたし、話がわかってくれそうな人がいるだけで、事を運びやすい。
「そっちこそ、何をしに?」
響子が首を傾げて訪ねてくる。
秀一は、呆れられるのを覚悟で、言った。
「ドリワに行った時、言ってただろ? それを叶えに来たんだよ」
響子は最初、きょとんとした顔をしていたが、すぐに大声で笑い出す。
珍しい光景だった。
「っふ、あなた、ほんとに、最高だわ。最近、何か変だとは思ってたけど、本当におかしくなったみたいね」
「ちょっ、あんま大きな声出すなって」
慌てて止めようとするが、そっぽを向かれる。
しかし、何も言わなかったはずなのに、響子にも勘付かれていたようだ。
秀一の周囲が聡いのか、ただ単に隠し事が下手なだけなのか。
「コラ、廊下で騒ぐなよ」
腹がよじれるほど大笑いしていた響子が、廊下を歩いていた教員に注意される。それでようやく静かになった。口元を押さえて、あらいけない、と淑女ぶっている。そんな彼女が、大きく頷いた。
「いいわ。面白いから、特別に手伝ってあげる」
思惑に加われば、響子に迷惑がかかるかもしれない。しかしそんなことは、今日の秀一は気にしないのだ。今日は、自分勝手するんだ。
いろいろ気にしすぎていた自分を、一時的に解放する。
だから、つべこべ言わずに「ありがとう」とだけ伝えた。
「言っておくけど、あなたを変えたのがわたしじゃなかったことに関しては、わたしは結構悔しがってるの。だから、後でいろいろと話を聞かせてもらうわよ」
「わかってるって」
一度言いかけた時には、まだ説明できるほど、自分の感情に自覚がなかった。ただ、今なら話せるような気がした。何もやましいことなどないのだから、響子には話してもいい。
他の人にだったら、口が裂けても嫌だが。
「じゃあ、着いてきて」
響子が放送室の分厚い防音扉を開く。床に緑のマットが這っていて、一歩踏み込んだ瞬間から埃の匂いがする。
中間にもう一つ扉があり、小窓から向こう側が覗けた。どうやらスタジオになっているらしい。
放送室の入り口からスタジオまでの間には物置等があるが、人の気配はなかった。
それだけで、秀一は息を吐きたくなる。思った以上に緊張してしまっている。
しかし、響子まで巻き込んだのだから、なおさら中断などありえなかった。そんなことをすれば、上機嫌な彼女はたちまち不機嫌になるだろう。どんな目に合わされるか分かったものではない。
それでも、響子の背中に隠れることくらいは許して欲しい。
そんな心理でビクビクと縮こまっている秀一に、響子から冷たい視線が刺さった。
亀が歩くようなスピードで、じわりじわりと前進していく。
スタジオ前の扉に、ピタリと付いた。
「もうすぐ放送が始まるはずよ」響子が言った。
その言葉で、一気に、現実感が湧き上がってくる。
住野千秋を思う。彼女と同じにはなりたくなかった。
努力だとか、結果だとか、最も信用できるものを信用しないで、勝手に限界を決めるような奴に、なりたくない。
でも、今現在、秀一は彼女に負けている。
悔しくて。しかし、そんな『納得できない』感情はエネルギーになる。
俺がお前なんかとは違うってことを、証明してやる。手を強く握ると、気合が入った。
音楽が流れ始める。放送開始の音楽だ。
秀一は、響子を見つめる。最後に背中を押してはくれないものかと、期待する。
「大丈夫。ここで見ててあげるわ」
思わず、「母さんかよ」と吹き出してしまう。
でも、調子に乗るのには十分な、安心感を貰った。
勢いよく、スタジオの扉を開け放ち、なだれ込むように、腰を低くして駆けていく。
なんだか戦争の映画みたいだった。こんな無茶をするのは初めてだな、と秀一は思った。案外、調子に乗るのも楽しいじゃないか。
『今日のゲストは————』
丁度、放送部の先輩がゲストを紹介しようとしているところだった。
物音には気付かれただろうから、あとは勢いでゴリ押すだけだ。
放送部の顧問らしき人物が部屋の隅に座っていて、いきなり入ってきた秀一に目を白黒させるが、関係ない。むしろ、反応が遅れてくれて万々歳。
あっという間に、スタジオ奥の、放送器具が並んでいるところに迫る。
マイクの前に座った二つの人影が、驚いた顔でゆっくりと振り返った。司会の先輩と、もう一人。
なんだお前か、丁度いい。
秀一は内心ほくそ笑みながら、もう一人、ゲストの方に用意されたマイクの前に飛び込む。
いいか、赤城朱美。お前はあれだけ住野千秋の夢をコケにしたんだ。今更そこで語る権利はない! 俺と代われ!
いいか、全校生徒諸君! 一度しか言わんぞ!
スッと息を吸い込んで、止めようと動き出す周囲を全て無視して、ひたすら自分勝手に。
「よおおおしの、お、しゅうううううっいちいいいいいいぃいいいい!
俺は絶対! 小説家になって、やるぞぉおぉおおおおおおおおおおおおおお!」
秀一は叫んだ。
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