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君の描きたい物語  作者: 車輪
第4章 『夢が二つ』
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1−2 『バトンとは』

 

 秀一は響子の叔父の車に乗せて帰ってもらえることとなった。

 彼が、秀一が濡れているのを見かねて提案したのだ。最初は迷惑をかけるようで気が進まなかったが、遠慮しなくていいと勧められた上、よくよく考えると、断ったら断ったで再びどうしようもない状態に巻き戻るだけだと気付き、その提案を受けた。

 後部座席は荷物で埋まっているとのことだったので、助手席に座り、ようやくトンネルを脱する。

 車内は冷房が効いていたが、秀一の様子を見て、停止してくれた。


「どうして、こんな時間にこんな所に? まだ授業中だと思うんだけど」


 そんな、責められているように受け取られがちな言葉さえ、彼は自然に扱う。

 本当に、ただ疑問に思っているという感情だけが伝わってきて、誤解する余地がない。

 それは安井さんの微笑みと同じで、感情に不純物がないということなのだろうか。それとも、うまく感情を隠す術を知っているのかもしれない。それはそれで、凄いことだ。


「えっと、今日は学校を早退して、今はランニング中だったんです」

「学校を早退してランニングとは、元気なんだかどうなんだか、少し解りにくいね」


 秀一が話すと、彼はとぼけた顔になって、次いで苦笑した。頬を、人差し指でつつくように掻いている。


「別に、体調は悪いわけでは」

「じゃあ、サボっちゃったってこと?」

「率直に言うと、そうです」


 サボったことよりは、それに至るまでの自分の行動を思い返して、俯いて恥じ入る。詳細を話したわけではないが、なんだかもう、恥ずかしかった。同時に、響子の叔父に否定されるのを恐れている。

 が、悪い想像とは裏腹に、彼は上機嫌だった。


「いいねぇ。サボりが通用するのなんて学生の頃までなんだから、今のうちにどんどんサボると良いよ。『やらなきゃいけないことをしない』経験があるからこそ、やるべきことを頑張ってる自分が映えるんだから」

「じゃあ、おじさんも、昔は授業をサボったりしてたんですか?」


 上機嫌な彼に聞いてみる。この、響子の叔父のような人間でも、昔はやんちゃな頃があったのだろうか。

 憧れの大人筆頭である彼の様子から、それを想像することは、秀一には困難だった。


「いいや。僕は授業をサボったことがなかった」

「じゃあ、どうして?」

「もう少しサボってればよかったって、後悔してるからさ。やっぱり、ルールを破れるときにはとことん破っとくべきなんだよ。なんて、そんなこと大人が言ったらいけないね」


 彼はまた困ったような顔をして笑った。


「おじさんでも、後悔するようなことがあるんですね」


 それが、秀一には驚きだった。もちろん、そこら中の人間が後悔の塊として生きていることは知っている。ただ、そういうことを感じさせない人間も、世の中にはいるのだ。

 響子の叔父は苦笑いを深めて言う。


「後悔だらけだよ。僕は少し真面目すぎるところがあったんだ。だから、もう少し何も考えずに、もう少し周囲を気にせずに、もう少し他人の所為にしてればよかったな、なんて」

「もう少し、他人の所為に?」


 秀一の周囲には、こんなことを言う大人はいなかった。


「これは滅多に言わないことなんだけど、実のところ、最近、僕はそう考えて生きてるんだ」


 子供っぽい話になっちゃうんだけどね。響子の叔父は軽快に車を運転しながら、言った。

 左手に、『安井屋』の看板が見える。雨に打たれている姿は、今にも崩壊しそうなほど頼りなくも見えたし、雨粒など気にも留めていないようにも見えた。

 響子の叔父が小さく「懐かしいな」と呟くのが聞こえた。

 秀一が目を向けるとすぐに、開いた口を閉じて、取り繕う。


「世間では、失敗は人の所為にしない、成功はみんなのおかげ、だよね。でも僕は、失敗は他人の所為、成功は僕のおかげ、って感じに思ってるんだ。思うだけなら自由だからね」

「学校では、そういうのは自分勝手だって叩かれますけど」

「そう。自分勝手。他人勝手、なんて言葉が無いことから分かるように、『勝手』は『自分』の特権なんだよ。そのことに気付いて、学生の内に勝手しておけばよかったなって、今は後悔してるかな」


 そして、彼は、珍しくにっこりと笑って続けた。


「キミが勝手しなくて、誰がやるんだ、ってことだよ。参考になったかい?」


 秀一は、響子の叔父に、悩みを見抜かれていたことを察した。

 そして、相談するまでもなく、それを励まされていたことも。詳しい内容なんて知らないはずなのに、不思議と、彼の言葉は現状に即したものだった。

 笑みで細まったその瞳に、一体何が見えているというのか。気になって思わず見つめてしまうが、すぐに目の形が変わってしまう。口元も歪んで、再び苦笑いの表情になっていた。


「なんて、秀一くんが悩んでたみたいだから、ちょっと知り合いの真似をしてみただけなんだけどね」

「知り合いですか?」

「まあ、僕の先生みたいな人だよ」


 と言って、運転しながら一瞬だけ、後ろを振り向く。その方角には、『安井屋』があったはずだ。


「せっかくこっちに来たんだし、挨拶でも行っとこうかな」


 前に向き直った彼は、一度伸びをして、運転を続けた。

 久々の悩み相談を教え子に奪われたと知ったら、安井さんはどんな顔をするだろうか。悔しそうな顔をするにちがいない、と秀一は思った。

 そして、今回だけは、『他人』を全部無視してみようと、心に決めた。

 そうすると、悩みから解放されてフッと心が軽くなる。その心に任せるのが正しいことなのかはまだわからない。が、不安はなかった。


 響子の叔父が言っていたことが、なんとなく分かった気がした。

 大人になっても、心の中で好き勝手はできる。しかし、本当の意味で好き勝手できるのは、若い内だけだと。

 もしかすると、これが最後のチャンスなのかもしれない。

 そして、そんなチャンスを取りこぼすような奴が、小説家になるチャンスが訪れた時、それを掴み取れるだろうか。


 いいや、違うよな、と秀一は思う。

 完璧主義の自分が出てきて、やらないことが怖くなってくる。

 人間、変わるのは難しい。簡単に変われるようなら、それまでの人生でとっくにそうなっているはずなのだ。根本は絶対に、動かない。

 だったら、その“自分”と、上手くやるしかないのだ。

 そうだろう。


 

 ▼


 そして今、秀一はその“時”を待ち侘びている。


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