1−1 『終業式と昨日のその後』
証明してやる!
…………なんて意気込んだは良いものの、そう一足飛びに物事が進むわけもなく、秀一は翌日の体育館にいる。終業式があるのだ。
いよいよ、今学期も終わろうとしていた。
壇上で、校長先生が何やら長話をしている。その声をマイクが拾って、放送部員が用意した音響設備によって、大音量で響かせている。
響子も、開式前に先輩部員に呼ばれて仕事に駆り出されていた。あの内の誰かが、昼の放送の進行をしているのかもしれない。そう思うと、決意が揺らぎそうになってしまうが、すぐに鉄の心で、迷いを弾き返した。
秀一は校長の話を軽く聞き流しながら、館内に並べられたパイプ椅子に腰掛けている。伸ばした背筋が若干硬直していた。昨日のランニングで、雨に濡れたからかもしれない。
そう。昨日の夕方頃から、気になっていた曇り空がやる気になったようで、一帯に大雨を降らせていた。今日も雨は継続している。今にも体育館の天井を突き破って、頭から貫かれてしまいそうな、そんな雨だ。
しかし、本当に話が長い。
『校長からの話』が始まってから、一体何分が経っているのか。夏休みだからといって勉学を怠るなだとか、体に気をつけろだとか、新学期みんな揃ってだとかを伝えるために、そこまで言葉を費やす必要があるのだろうか。
引きのばしの参考になりそうだ。と秀一は心中で皮肉った。
実際、長編の小説を書くのはそれなりに骨が折れる。ただ言葉を増やせば良いわけではないが、必ず調整は必要になってくるものだ。なんて、脳裏で色々と考えてみた。
意味もない思考に没頭している時は、時が早く進む。
迷いはもうほとんど無かった。校長の長話以外には、精神を揺さぶるものは一切ない。ただ、一点を目指して、火柱が上がっていた。
昨日のことが無ければ、とっくに諦めてしまっていたのかもしれない。
昨日の、住野千秋とのやりとりの、その後を思い返す。
午後の授業を丸ごとサボって家に帰り、早めにランニングに出た先で、響子の叔父と出会った時のことを。
思い出そうとすると、記憶が汲み上げられるようにゆっくりと、持ち上がってくる。
秀一には、既に、校長の声など聞こえてはいなかった。
▼ 昨日。
秀一は、住野千秋と一悶着あった後、2時には家に帰っていた。
教室に、何やら神妙な顔つきとなった住野千秋と共に戻り、響子を探して早退する旨を伝えて、午後の授業を全てすっぽかしたのだ。
思えば、風邪以外での早退など初めてだったが、もはや秀一には、そんなことはどうでもよくなっていた。
早足で家に帰ってきて、住野千秋に見せた小説手帳を感慨深く眺めた。それは、恋人である響子にも見せたことのないものだった。
そう考えると、自分がとんでもないことをしてしまったのではないかと、不安になる。
その感情に導かれるまま、秀一は、つい先ほどの出来事を思い返す。
「俺は何を、デカい口叩いてんだよおおおおおお」
すぐに、ベッドに飛び込んでジタバタと悶えることとなった。
一方的にとは言ったが、あまりにも度が過ぎてないか。住野千秋からすれば、訳のわからない理由でいきなり宣戦布告されたという状況だろう。これではほとんど変人だ。
ゴロゴロと、ベッドの上を高速で転がる。ホコリとともに、感情が巻き上げられるようだった。
しかし、あんなに怒ったのは今までで初めてだったかもしれない。あの時は完全に、頭に血が上っていた。
時間が経てば経つほど、感情の昂りは収まっていき、秀一の決意は揺らぐ。
本当に正しいのか、どころではなく、絶対に間違っているとすら、今では思ってしまう。
ベッドがギシギシと鳴っている。
このままではいけないと、秀一は玄関へと向かった。
タオルを手に取り、シューズを履き、外へと出る。普段よりは数時間早いランニングだ。しかし、居てもたってもいられないのだから仕方がない。
空は相変わらず雲に覆われていたが、雨はギリギリ降っていなかった。以外と、今の内に走っておくことが正解なのかもしれない。
外に出ると、湿気がぬるま湯のように秀一を包んだ。まだ何もしていないというのに、汗が滲んでくるような気がした。髪の毛が湿気を吸って、心なしか重量を増している。
庭を出て、左の道を行く。ホームセンターの前を通り、河口の脇を進む。目の前には海が広がっている。
海上ではすでに天気が荒れているのか、波が高く、激しい音を立てて堤防にぶつかっている。これは急いだ方がいいかと思い、秀一は走るペースを上げた。
しかし、現実は非情なり。
海道をあと少しで抜けるというところで、パラパラと雨が降り出してしまった。最初は秀一も気にせず走り続けていたのだが、雨は徐々に勢いを増し、地を打つ音が周囲に木霊するほどに強くなる。
雨から逃れるように、目と鼻の先にあったトンネルに駆け込んだ。『安井屋』への途中にある、いつものトンネルだ。
そこで、雨が弱まるのを待とうと思った。トンネルの隅には溝があり、凄まじい速度で雨水が流れている。
タオルを持ってきていて良かった。秀一は、頭をガシガシと掻き毟るようにして拭った。
ポタポタと髪から雫が垂れる。
火照った体が雨によって急速に冷えていくのを、苦い顔で感じていた。風が生温いのが救いだが、それでも、早く体を温めなければ風邪を引いてしまうかもしれない。
もう少し雨が弱まってくれたなら、と思う。小雨程度であれば、ランニングを継続できるのに。
とにかく、体を冷やしてしまうのは良くない。
アキレス腱を伸ばしたり、軽くジャンプを繰り返したりと、トンネルの中で体をできる限り動かしておく。雨が弱まればすぐにでも出発し、家に帰り、そして温かい風呂にでも入ろう。
そこで秀一は、急に飛び出してきたせいでまだ風呂の支度はできていないということに気付いた。
勢いで行動するのはやはり、ロクな結果をもたらさないのかもしれない。
途端、ただ待っているのが怖くなった。しかし、雨が弱まるのを待つこと以外に、秀一にできることがあるかといえば、それもない。
度々運動を挟みつつ、鈍色の空に祈るばかりであった。
10分ほどが瞬く間に過ぎ去った。既に体は冷め始めていた。
少し体を動かすと蒸し暑く、動きを止めると肌寒い。そんな、中間地点が欠けてしまったような温度の中、このまま待っていて本当に雨が弱まるのだろうかと、不安が生じてくる。このまま動くことができずに、夜になってしまうかもしれない。
そんな時だった。
秀一のいるトンネルに、一筋の光が届いた。
車のライトだ、と判断した秀一は、トンネルの隅に寄り、邪魔にならないように気を遣う。光が差し込んできた方向を見やると、丁度、一台の車がライトで雨粒を映しながら、トンネルに入ってくるところだった。
そのまま通り過ぎようとするので、なんとなく、秀一もそれを見送った。
突如、ピタッと音がしそうなほど急激に、車が停止する。
その窓が開いた。秀一は、なんだなんだ、と身を硬くした。
窓から声がする。
「もしかして、秀一くんじゃないか?」
「え」
「ほら、僕だよ。響子ちゃんの叔父の」
以前コンビニで、と言いながら顔を突き出してくるので、そこでようやく緊張がほぐれた。
それは、相手が知り合いだったというのももちろんあるが、それ以上に、彼の纏う雰囲気によるところが大きい。
響子の叔父が、微笑んでいた。
「どうしたんだい?」
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