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君の描きたい物語  作者: 車輪
第2章 『夢を見る』
23/32

3−5 『考え事なら風呂が良い』

 

 ベンチに腰掛けると、風が、秀一の髪を揺らした。

 最近————この夏前の季節にしては、やや強い風だ。

 葡萄のジュースを片手に顔を上げてみると、太陽を覆うようにして、厚い雲がかかっている。今の自分の心の在り方にそっくりだと思った。

 まだまだ緑の水稲が、ゆらゆらとしなって、リズムを取っている。簡単に折れそうなほど細いのに、中身は強靭だ。

 その奥の国道は、帰宅ラッシュだからか、車で埋まっている。葡萄ジュースをごくりと飲んだ。


 そろそろ帰ろう。秀一が最後の一滴を喉に流し込んだ頃には、もう六時半を回っている。

 空き缶を、店前に備え付けてあるゴミ箱に投擲し、カランと軽い音を立てたのを確認してから、走り出す。

 帰りは行きとは異なり、海とは反対側、街の山側を通って家を目指すことになる。山側は、海付近よりもさらに田舎で、森に埋まっているような民家も少なくない。小さく古ぼけた神社もある。

 店舗と言えるようなものはほとんどなく、大きな道路が一本通っている傍に、コンビニがいくつか建てられている程度だ。

 海側は、海水浴客を狙って多少は賑わっているのだが、山側はそのまま言葉通り、田舎である。


 秀一の家は、そこから海側へ少しだけ入ったところにあるので、どちらを通ってもほとんど距離は変わらない。それならば、行きと帰りにそれぞれ異なる景色を見られた方が、得だと思った。

 山側は山側で、綺麗な場所なのだ。


 その道を通ると、およそ二十分の時間をかけて、家にたどり着く。玄関から脱衣所に直行して、服を脱いだ。そのまま、風呂場に入る。

 ランニングを始めてから、秀一の日課に少しの変化が生じている。

 その変化の一つが、夕飯前に風呂に入るということだった。今までは、入浴は夕食後に行っていたのだが、さすがにランニング後の汗を長時間放置しておくのは気分が悪いので、家を出る前に風呂の準備をしておくようになった。

 湯を止めるのは、母親にお願いしている。

 普段は秀一の言うことなど気にも留めないのだが、ランニングを始めると言うと、意外と喜んでいた。彼女なりに、運動不足を気にかけてくれていたのだろうか。


 ともかく、約束通りに湯を張ってある浴槽を見て、一息つく。

 湯気が秀一の顔の前を行ったり来たりしていて、ふわふわした感覚にとらわれる。髪の毛が、湯気に巻かれて、一人でに揺れ出しそうだった。

 プラスチック製の風呂桶に湯をいっぱいにして、頭から一気に被る。ザブン、と耳の横を掠めて流れ落ちていく暖かい感触と、頭を軽く押さえつけてくる落下の圧力が、秀一の体を小さく前後に動かす。

 髪をかき上げると、ポタポタと滴がこぼれ落ちた。これだけで、妙に落ち着いた気分になるのを、秀一は感じた。


 やはり、物事を真剣に考えるのは、風呂場が良い。

 秀一は今までも、困った時は上せる直前まで湯船に浸かって、頭を働かせてきた。それで、必ず納得できるような答えが見つかるわけではなかったが、余分な力を抜くことができるというのは大きかった。

 秀一の性格上、気が付けば余計な部分に力が入ってしまっている、ということが多々有るからだ。


 ボディソープで体を洗い、汗を落とす。髪も、多分に汗を含んでいたので、念入りにシャンプーしておく。その際に、軽く足を揉んで、固まった筋肉をほぐした。

 まだまだランニングに慣れていないので、疲れがなかなか取れないのだ。

 体を洗い終えた後は、飛び込むようにして、湯船に浸る。やや熱めの湯に、肩まできっちりと。はふぅと、虚空に熱の篭った息を吐き出した。

 まず、五分ほどそのまま過ごした。体の芯がじんわりと温まっていき、秀一の肌が赤らむ。

 そうした後、今日のことを思い出してみることにした。


 なぜ、あそこまで住野千秋に怒りを覚えたのか、秀一自身にもわからなかった。

 赤城朱美に苛立つなら分かるが、あの時、秀一の感情は確かに、住野千秋に向かっていた。

 それは、何故なのだろう。

 考えてみても、それらしい理由には思い至らない。

 ただ、秀一の中に、そのままにしておくという考えはなかった。であれば、何らかの行動を起こす必要がある。知るために、どうすべきか。


 しばらく、目を瞑って、考えていた。

 考えれば考えるほど、深みにはまっていくような感覚だった。もっと素直に、感情的に捉えるべき問題であるように、秀一には思えた。が、今の秀一にそれをすることは難しく、結局時間だけが過ぎていく。

 ポタリと、髪から落ちた水滴が湯面を揺らして、その時にようやく、我に返ることができた。

 両手の平で湯を掬い上げ、バシャリと顔に叩きつける。湯船に波紋が広がって、静謐に光を跳ね返した。

 次いで、頭を振る。肩に飛び散ってくる冷たい粒子が、心地よく、程よい温度をくれた。

 次の瞬間、


「秀一、もうご飯できちゃったわよ。長風呂もいい加減にして、そろそろ出てきなさいよ」脱衣所から、母親の声が聞こえてきた。


「わかったー。もう、すぐ行くから」

「そう? じゃあ、できるだけ早くね。冷めちゃうから」


 母親が去っていくのを扉越しに感じてから、秀一は脱衣所に出る。

 用意しておいたタオルを手にとって、体に付着した水分を拭っていく。


感想等お待ちしております。

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