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君の描きたい物語  作者: 車輪
第1章 『夢を歩く』
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1−1 『コール』

 カタカタと、秀一の指がキーボードを叩く。指の一本一本が淀みなく這い回る姿には慣れがあった。

 一年間黙々と打ち込んできた結果は、微かではあるがそれなりのものをもたらしつつある。最初は物語に気を向けるどころか、キーボードを使って文字を打ち込むことに悪戦苦闘していたのだが、それは今では見る影もない。

 その他にも、できることは少しずつ増えてきている。

 自身の成長を重ねるように感じ取っていくことは面白く、それが、小説を書き続けることを選択する理由の一つと言えた。


 手帳を回収した秀一はそのまま真っ直ぐに帰路につき、風呂や夕飯を楽しんだ後、こうして部屋でパソコンを動かしている。そうせずにはいられなかったのだ。

 あの漫画ノートを覗いた時に考えたこと、感じたこと。

 教室で抱いた淡い敗北感をそのままに眠りにつく自分を、許せる性格はしていなかった。

 画面に開かれたのは文書編集のソフトウェア。その傍には、わざわざ学校まで取りに戻った、アイディアを書き留めるための小説手帳が開いている。机の隅にあるデジタル時計は日付を示す機能も持っていて、秀一に夜9時を知らせていた。


 手帳をめくりながら、大きく伸びをする。背中が心地よい音を鳴らし、遅れて、体を流れる血流の温度が脳に響いた。じんわりと温まる頭で手帳から使えそうなネタを拾いつつ、情景を文章に起こしていく。

 今秀一が書いているのは、一人の音楽家の物語だ。片田舎の駅で毎日ギターを鳴らして歌う、誰も名前を知らないような中年が、一生をかけて一人の女性の記憶に歌を残す。そんな話。

 今は、その女性と娘との会話のシーンに手を焼いている。


「…………ょ」

「ん?」


 窓の外から聞こえてくる、低く濁ったカエルの鳴き声に湿ったものを感じながら、数ページ分書き進んだ辺りで、階下から微かな声が聞こえてきた。

 ほとんど内容は聞き取れず、母親の声であることだけが、伝わってくる。


「秀一、キョウコちゃんから電話よ」


 くぐもっていて良く聞き取れなかった一声から、続けての二声目で、秀一は要件を把握した。

 響子から電話と聞いて、出ないわけにもいかないかと秀一は椅子から腰を浮かす。長時間座っていたからか、足が浮遊感によってふらつき気味だ。筋肉が、完全に固まってしまっている。


「わっ、とっと」


 そんな足で部屋を出、そのまま階段を何段か飛ばして駆け降りて、一階に出向く。ゆっくり降りるつもりが、足に力が入らず、ブレーキが効かなかった。半分は落下である。


 一階は、玄関へと続く廊下からいくつかの部屋に繋がっていて、枝分かれしている。

 電話が置いてあるのは、その中でもリビングルームだけなので、母親はそこから自分を呼んだのだろう。

 階下から聞こえてきた二声目の驚きの声量に、秀一は戦慄の念を禁じ得ない。歳いくつだよアンタ、と皺の増えた笑顔を脳裏に浮かべて呆れた。

 それでも、最初に思い浮かぶのが笑顔であるのだから、悪くはないのだろうとも思った。


 秀一が部屋に入ると、左手に並んでいるソファに母親がどっかりと腰掛け、電話の子機を耳に当てているのが見える。なにやらニコニコ顔で、上機嫌であることだけは伝わってきた。目元の皺も、いつもよりくっきり浮かんでいる。


「んー、そうなの? ああ、あの子そういうところあるわよねぇ。でも、それって大半が照れ隠しみたいなものだから、あんまり気にしなくていいのよ。ほら、あの子って、無表情なクセしてかなり恥ずかしがり屋でしょ? 

 うん、そうそう、そうなのよ。この前だって、授業参観に旦那と二人で行こうとしたら、『せめて片方にしてくれ』なんて、本当、そんなこと誰も気にしないのにね。親でこれなんだから、キョウコちゃんといる時なんて、もっと面白いんでしょう? 

 え、この前の話? うん、聞く聞く。聞かせてちょーだ、あちょっと!」言い切る前に受話器を掻っ攫うのはいい判断だったのではないだろうか。ネタを掴まれてしばらく弄られ続ける自分を予感して、秀一の額には冷や汗がベットリだ。


 こうして降りてくる前にも会話が行われていただろうから、その間にも母親が妙なことを口走ったかもしれない。いや、その点では響子も母親と同程度には信用できない性格だ。『カノジョ』然り『母親』然り、一般には味方とされる存在が、秀一の周囲に限ってはどうにもキナ臭かった。


「せっかく息子のカノジョちゃんと親交を深めてたのに、なにすんのよ」

「いや、いつ代わってくれるのかと黙ってたら、あまりにも俺に得がなさそーな話をしてたもんだから。ってか、途中から俺が来たの気付いてたでしょ? なんで素知らぬ顔であんな鳥肌大量生産的な会話を続けるかな」


 ジト目で不満を表す母親に態度と口で答えながら、受話器を耳に当てる。

 繋がれた向こう側には、恋人の息遣いがあった。

 睨みを利かせて、「じゃあ、部屋で話すからついてくんなよ」と母親を突き放すのも忘れない。


「へーいえーい」


 あからさまに投げやりな態度で手を挙げるパジャマ姿を尻目に、秀一は入室時に用いた扉からリビングルームを後にした。

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