3−1 『水曜日。始まりの始まり』
学校に行き、授業を聞く。なにか思い浮かべば、手帳に記録する。
夏休み前だからか、クラスメートたちにはやはり、どこか浮ついたところがある。休み時間には、夏休みの予定について話し合ったりもしているようだ。
秀一は、そんな中でも、いつもとほとんど変わらず過ごしていた。
夏休みの話し合いももちろんしたいのだが、お相手筆頭である響子は別のクラスであるし、そもそも、夏休み前から夏休みのことを思い浮かべても、きっと気が変わってしまう。
秀一が、ではなく、響子が、である。
響子もそれを自覚しているのか、夏休みのことはほとんど言ってこない。
であれば、普段通り過ごす他はないのであった。
休み時間は本を読んで過ごし、度々住野千秋を観察する。授業中も似たようなものだ。本の代わりに、読み物は教科書になるが。
住野千秋は、度々の私語が目立つものの、授業自体はしっかりと聞いているようだった。
そんな様子を見ている限り、彼女は、秀一よりも集中力がある。普段の感じから馬鹿なのかと錯覚しそうだが、実はそういうわけではない。学校の成績もかなりいい方だ。
逆に秀一は、普段から本を読んでいるし、外見も優等生風であることから、周囲からは真面目な生徒だと思われているのだが、授業中は案外気を抜いている。
興味のない授業は積極的に受ける気分にならない。意外とワガママなのだ。それでもじっと座っているのだから、『真面目風』ではあるのだろうが。
〜
昼休みになれば、今日も放送が始まる。
今日はまた男子で、今度はサッカー部員だった。
田山涼とは異なり、サッカーで金を稼げるとは思っていないようで、大学に行き、高校の教師になりたいらしい。
そこで、サッカー部の顧問として、サッカーに関わっていきたいと語っていた。
大人に近づくにつれ、夢の範囲は狭まっていく。彼も、中学生くらいの年頃の時は、プロのサッカー選手を夢見ていたらしいのだが、実力不足を自覚したらしい。
田山涼のように、小さな頃からの夢を追い続けることができるのは、一定以上の才能がある者だけなのだ。その田山だって、もう一度怪我をしたり、高校で結果を出せなかったりすれば、どうなるかはわからない。
夢を見るのにも才能がいるのだ。
秀一には、正直、自分に才能があるのかどうかがわかっていない。
自分が納得できるものを書けていないのに、才能の有無を判断しようがないのだ。納得できるものを書けたとして、それでもダメなら、それはダメなのだろう。そういう考え方だった。
とある本の著者は、
『自分が納得できるものを書くのにも、才能がいる。最後まで、自分の作品に納得できずに死んでいく者は、死ぬほど多い』
との考えを述べていたが、秀一の大嫌いな作家が彼である。聞く耳を持つ必要はない。
おまけに、彼自身は、自分の作品に納得したことはないというのだ。それでいてそれなりに売れている。
…………くたばっちまえ。
それはともかく、サッカー部の男子生徒は、サッカーで食べていけないことは自覚していて、それでもサッカーに縋り付く思いなのだ。
言い方は悪いが、そうはなりたくないな、というのが秀一の本心だった。
さらに悪い言い方をすれば、彼がしているのは単なる妥協なのだ。そう考えると、彼が夢としてそれを語るのは、誤魔化しのようにも思える。
秀一は、目を瞑って自分に言い聞かせた。絶対に、ああはならないと。
自分の満足ラインを自分で下げたら、おしまいだ。
◎
いたって平凡な1日だった。そう、ここまでは。
しかし、次の出来事で、普段通りとは言えなくなる。
この日、秀一はとある感情を見に宿す。
先に言っておけば、その感情は ”怒り” であるのだが、それは、今までの秀一の人生の中で、最も汚く、心の奥底から溢れ出るような ”怒り” なのだ。
感情の炎と言い換えてもいい。
◎
五時限と六時限の間の休み時間。
相変わらず、秀一は、周囲のざわめきに顔をしかめそうになりながらも、本を読み進めていた。
もちろん、度々住野千秋の方向を見るのも忘れない。
彼女は、今は数人の仲間の少女たちと歓談に励んでいるようだ。
そろそろ、秀一もさすがに疲れている。
ただでさえ、昨日はランニングまで決行したのだ。やはり、ランニングは足腰にくる。そんな状態で長時間授業を受ければ、当然疲れは溜まる。
今日も、帰ったらランニングをしなければならない。
べぇっと舌が伸びそうになるが、自分で決めたことである。グッとこらえた。
そんな頃だった。
秀一は、住野千秋の方向をチラリと眺めていた。
その、彼女の引き出しから、こぼれるように大学ノートが滑り落ちたのだ。
青い表紙の大学ノート。それは、先週末、秀一が目にしたものと同じものに見えた。
いや、住野千秋が何かこだわりを持って同じようなノートばかりを使用している可能性ももちろんあるのだが、少なくとも秀一には、それ以外には見えなかった。
途端、端から見てもわかるほどに、住野千秋が慌てふためく。手を大げさに振りながら、目を見開いて、顔を一瞬硬直させて、普段からは想像もつかないほどの素早さをもって、ノートを拾いにかかった。
拾えば、そのまま引き出しに戻そうとする。そこまで上手くいけば、周囲の友人たちも上手く誤魔化せただろう。冗談めかして、引き出しを死守すればいいのだから。
ただ、上手くいかなかった。
住野千秋がノートを引き出しに戻す直前、彼女の友人の一人、赤城朱美の手が、摘むようにノートを引き止めていた。
彼女の口が動く。
「ねえ、これ何のノートなの?」
ギリギリではあるが、秀一の元まで声は届いた。
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