1−4 →火曜日へ続く』
秀一と響子は軽く頭を下げて見送ってから、アイスクリームの封を開ける。
ちょうど溶け出したといったところで、響子はカップ型だから良かったが、秀一の方は、早く食べ終えてしまう必要があった。
ガブリと焦って歯を立てて、そして沁みてくる氷の感触は、どうにも夢の風景に似ている。固いようで柔らかく、冷たい熱が溶け込む。秀一の目が細まる。
響子はレジで受け取ったスプーンで表面を剥ぐようにすくい取って、口に運んでいる。
アイスを食す。夏だからこそ輝く行動だった。
コンビニの裏手には、鮮やかな海がある。
それを眺めながら、アイスクリームを食べ進める。時折垂れてくる白色の雫に戸惑いながらも、一滴たりとも地面に落とすことがない。
こういうところにも秀一の性格が現れていた。
「あ」
食べ終えた結果、想定していなかった事が訪れたことに目が丸まる。手元に残った、薄く広がったような形状の木の棒に、『あたり』の文字が見える。
「当たってるじゃない」
カップアイスをまだ半分弱ほど残しながらも、響子が覗き込んできて言う。
秀一としては、早く食べてしまった方がいいぞ、と注意を促したいところだった。というか、既にかなり溶けてしまっているように見える。
「当たってるね」
秀一は、手遅れである事を察して、素直に驚いておくことにした。
自分がそこそこに捻くれた人間であることは自覚しているが、それでも、素直になれる時は素直になろうと、秀一は思っている。
小学生たちを見て当たることはないだろうと決めつけていたが、その自分が当たりを引くことも、同様に想定していないことだった。
「どうするの? もう一度店に入る?」
響子は人差し指をくるりと入り口の方へ向けて、首をかしげる。もう一方の手では、液状になったアイスが、カップの中で揺れている。
「いや、今日は、アイスはもういいかな。予定通り帰ろう」
また寄ることになるだろうから、明日の帰りにでも交換してもらうのがいいだろう。
そして、響子の手元を指差して、秀一は続ける。
「それよりそれ、どうすんのさ」
「……………………」
響子は沈黙を返す。
その様子をじっと見つめていると、ババっと効果音がつきそうな速度で腕が動いて、カップが持ち上がった。波打つ液面が太陽を反射して、歪む。
響子はそのままの体勢で顎を持ち上げて、白い喉が伸びた。
一拍置いて、ごくり、とその喉が鳴る。
溶けきったアイスクリームを、一息で飲み干したのだ。
なんとも色気のない光景だった。酒でも煽っているのかと思うほどの豪快な飲みっぷりに、秀一は呆れてしまう。
「はふぅ」
口の端から息が漏れ出て、流れのままに、カップを据え置きのゴミ箱に放り込む。
「さて、帰りましょうか」
飛び込んだゴミを見送ってから、どこぞの令嬢のごとく澄ました表情で、響子は言った。
秀一は無言で頷いた。
▷
「叔父さんって、しばらくこっちにいるの?」
潮の香りのする街を歩いて、ちょっとした橋を越えて住宅街に入ったあたりで、秀一はふと尋ねた。
ここらまでくると、逆に店がほとんど目に入らなくなる。海水浴場周辺に店舗が集まった反動のようなものかもしれない。
小さな公園で子供がはしゃいでいる。
「そうね、来月あたりまでって言ってたかしら。今の仕事が終われば、また本社の方に戻るらしいわ」
「じゃあまた会うかもしれないね。今日みたいにさ」
「さあ…………なんだか、すっかり気に入っちゃったみたいね」
響子に笑われてしまう。
態度自体には盛り上がったものは見えないが、そもそも、秀一がここまで他人のことを気にすること自体が珍しいのだ。
付き合いが長く、そして誰よりも近い響子には、当然見破られてしまう。
だってかっこいいじゃないか、と小さく呟く。
尖った魅力でも大らかな魅力でもなく、細い魅力といった感じだろうか。大人にしか出せない雰囲気のようなものが、彼の身にはあった。
そして、『格好いい大人』に憧れるのが、男というものである。
憧れるあまりに、タバコを吸ってみたり酒を飲んでみたりと、形だけ大人を体現しようとする若者も多いが、それも仕方ないと思えるほどに、『格好いい大人』というものは格好いいのだ。
「まあ、確かに格好いい人だとは思うわよ。ああいうのは華があるというより、むしろ栄養のある肥料みたいな…………」
「それって褒めてるんだよね?」
響子の表現に、秀一は素直に頷けない。
確かに方向性としては正しいとは思うのだが、もうちょっと、華のある表現がなかったものだろうか。とはいえ、全く性質の異なるものに華のある表現を当てはめるのも、難しいことなのかもしれない。
そんなことを思いながら、気付けば、二人は分岐路に立っている。
「それじゃあ、また明日」
「うん。あ、詳しいことは知らないけど、放送部、頑張ってね」
そこで別れると、もう間も無く秀一の自宅だ。
犬を連れた老婆、やる気のない音を立てて走る郵便バイク、古びた民家に、未だ沈む気配は見られない、夏の太陽。綺麗な夏の風景だった。
秀一の家の瓦が、太陽に照らされて、輝いている。
▽
夕飯を食べ、秀一は普段通りに、パソコンに向かって小説を考える。
『優れた小説は日常の中から生まれる』と言った小説家がいた。
世間はそれを、何か深い意味を持った格言であるように捉えて持て囃していたが、秀一には、ただ単に『優れた小説を書きたければ、小説を書くことを日常にしろ』と言っているように思えた。
そういった格言じみた言葉の『意味』というものは、発信者の意図よりもむしろ、受け取る側の心持ち次第なところがある。つまりは、秀一の受け取り方も、それはそれで正しいものなのだ。
『言葉に意味はない。言葉に意味を作れ』
秀一は毎日決まった時刻に、小説を書く。
△
一時間ほどそうした後に、風呂に入った。普段通りのテンポだった。
体を洗い、頭をシャンプーして、湯に肩まで浸かって堪らず息を吐く。そして思い出す。
『あたりの棒』を、袋に入れたまま放ったらかしにしてしまっていたことを。
明日交換してもらう時のために、洗っておくべきだろうと、秀一は思った。
思いながら、未だにハリの残る足をマッサージする。マッサージに対するまともな知識など持ち合わせていないが、風呂の温かさの中では、何をしてもそれなりの効果がありそうだった。
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