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君の描きたい物語  作者: 車輪
第1章 『夢を歩く』
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2−6 『浮かぶ恋人』


 あれ? いつの間に! 先ほどまで隣にいたはずの存在がいつの間にか前方に移動していることに、秀一はまず驚く。それから、何言ってんのと、内容にも目を見開いた。

 住野千秋と響子では、五、六センチは響子の方が長身だ。ジャンプ力も、おそらく勝っているとは思う。しかし、そんな少しの差でどうこうなる高度に、その風船はなかった。

 それは当然、響子もわかっているはずだ。


「ほら、あなた、ちょっと来て」


 戸惑っている秀一を手招きする響子。

 なるべく住野千秋たちの前に出たくはなかったのだが……と思いながらも、無視するわけにもいかず、秀一は風船に近づいた。


「あれ、宮永さん? 吉野くん?」


 案の定、住野千秋が気付いてオロオロとなる。周囲の、彼女の友人たちも似たような反応だ。

 さすがに、クラスメートである秀一の顔くらいは覚えていたらしい。響子に関しては言わずもがなだろう。彼女は有名人だ。

「おはよう、住野」なんて、当たり障りのない挨拶とともに手を挙げるが、それだけでも、秀一は内心、顔が引きつっていないか心配だった。賑やかな連中と関わるのはどうにも苦手だ。戸惑いからか、絡んではこないので救われる。

 響子は以前に会話をしたことがあるのか、それなりに親しげな様子で挨拶を交わしてから、膝下の女の子の頭を撫でる。

 それから、「おねーさんに任せなさい」と胸を張った。


「でも、あのおねーちゃんでも届かなかったんだよ?」

「大丈夫。ほら、こっちに来て、それからここに立って。あ、カバンは置いておいてね」

「へ、へーい」


 されるがままに腕を引かれ、立ち位置を調整される。秀一は戸惑いながらもそれに従った。響子が自信ありげに振る舞う時は、基本的には信じても大丈夫な時なのだ。


「そこで、こう、膝に手をついて。んー、ちょうど、野球選手の守備みたいな感じで」


 的確な説明を受けつつ、徐々に響子の求める体勢に近づいていく。

 風船を頭上に、背中を大きく広げるような感じだ。問題は、秀一の肩幅がやや狭いことだろう。それには響子も心配そうな表情になった。

 女の子の面倒は、風船を響子に任せた住野千秋のグループが見てくれている。

 それを見て、「準備完了ね」と響子は言って、屈伸運動を繰り返しながら、全身をラジオ体操のようにひねり始めた。


 さらに、低いヒールの付いた靴を脱ぎ始めたあたりで、周囲も、そして秀一もさすがに「おいおい」とざわめき出す。周囲の女性客は、この建物の廊下で靴を脱ぐという行為に対して、秀一は、これから行われるであろう彼女の行動に対してだ。


「ちょちょい、響子、なにする気で、」

「いいから。できる限り、動かないでちょうだい」

「あty!

     叫び切る直前に空気が変わり、あ、これはじっとしてた方がいいやつだと秀一は悟る。もっとも、今から動き出そうにも体は自然と固まってしまっていた。無理やり動かそうにも、すでに間に合わない。

 背後から、響子が駆けてくる音が聞こえる。当然、靴を脱いでいるのでペタペタと丸い音色なのだが、これからの予想がついている秀一にとっては、安心感は一つとして浮かんでこなかった。


 徐々に、足音は近く、強くなっていく。


「っっ!」


 ふとした途端に響子の足音は消え去り、その瞬間、秀一は膝に伸ばしている腕をガッチリ固定した。

 ずしりと、衝撃が来る。

 背中が強く押され、腕など何の意味もなく前のめりに崩れそうになるが、そこは、怪我をさせるわけにはいかないと、根性で持ちこたえる。歯が噛み合う音がやけに大きく聞こえた。


 その時間は一瞬で終わりを迎える。


「ぶはっ、あ」


 背中に残留する痛みに痺れながらも、秀一は上体を起こす。そこには影があった。

 秀一の背中を利用して信じられない高さまで跳び上がった彼女は、すでに風船の紐に手をかけているように見える。女の子や、住野千秋グループの女子たちのいる方向はもはや、静まり返っていた。

 一拍開いて、ゆっくりと、落下が始まる。


 秀一は、急激な緊張の反動で目を回しながらも、その中心になんとか響子を捉えて、思った。


————————あの足で着地したら、痛そうだな、と。


 靴下一枚しか足に纏っていない状態であの高度からの着地を試みれば、下手をすれば骨折くらいはあり得るかもしれない。

 そう考えたら、考えてしまったら、秀一は止まれなくなるのだ。

 やるべきことを、思いついてしまった。やらなければ、納得できない!


「響子!」落下を続ける恋人が気付いてくれるようにと、秀一は叫ぶ。


 馬鹿みたいに口を広げながら、よたよたと這うようなスピードで、秀一はようやくの一歩を踏み出した。

 響子はほぼ真上に跳躍しているのだが、どうやら、まだ一歩分ほど足りていないようだ。すぐに、もう一歩分を稼ごうと、足を……………………速さが足りない。


 この一歩は、間に合わない。


 背中を向けた響子は、秀一が咄嗟に伸ばした腕がギリギリ届かない範囲にいる。

 心の中で、あぁ、このまま落ちるんだなと諦めが渦を巻いた。納得できたとは言えないが、不可能というものはある。

 誰しも、そういうことを繰り返して年を取っていくのだ。

 諦念が、伸ばす腕から力を奪い去ろうと、絡みついてくる。そんな中、目線だけは、しっかりと響子の姿を捉えて離さない。

 追いついていないのは、体だけだった。


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