クラスメイトとゆるーく平和に過ごす方法 - 1
早朝、紅楼寮の裏庭。
「はっ!」
気合一閃、宙に浮く黒い穴から火炎球が飛び出した。
「よっ、と」
しかし、緒織はその射線から難なく身を逸らしてこれをかわす。
「ほら、昨日も言ったけど、発動は早くても軌道が直線的すぎ。スピードは少し上がってるけど、単調さをフォロー出来るほどじゃないよ!」
「ならっ! これは、どう!?」
緒織の指摘に紅潮しながら、ティアは角を輝かせ新たに三つの穴を開く。
緒織を中心に立体的な三角を描くように、また一つは背後という死角を取るように展開されたそれらから、先程より一回り小さい火炎球が同時に放たれる。
「だから、初撃が避けられたら背後を取るのも昨日までと同じなんだ、って!」
地面すれすれまで身体を屈める。火炎球はその頭上を通り抜けていった。
「同じ――じゃない!」
しかしティアは落ち着いた様子で、パチンと指を鳴らす。
すると緒織の真上に四つ目の穴が開き、完全に開ききるのとほぼ同時に、槍状の火炎が吹き出した。
今しがた緒織の指摘に激昂したのは演技。本命はこの槍の一撃。
「なるほど――だけど!」
殆ど伏せた姿勢から、右手に体重を預けて地面を蹴る。火炎が緒織の胴を貫くよりも先に、緒織は数メートル先へ走り去っていた。
「それもお見通し!」
「――ッ!」
ティアが腕を振ると、火炎の槍は地面に突き刺さる寸前で緒織の方へとほぼ直角に曲がった。
さすがに予想外だった緒織の反応が一瞬遅れる。
貰った――そう勝利を確信したティアだったが。
「――せいっ!」
走る勢いそのままに、緒織はスライディングの要領で地に伏せた。
「え、えぇっ!?」
目標を見失った槍は緒織の上を素通りし、その先――ティア目掛け一直線に飛翔を続ける。
大慌てで【神威】を解く。間一髪、直撃の寸前で槍は空中に霞むように消えたが、恐怖からティアは目を瞑ってしまい――
「はい、ここまで」
「あたっ」
その額に緒織の軽い手刀が入った。
◇◆◇
「むー」
「なんだティア。今朝も緒織に負けたのか?」
軽く汗を流して、朝食時。
むくれながらたっぷりとジャムを塗ったトーストを頬張るティアに、その隣で綺麗な箸遣いで茄子のお浸しを持ち上げながら十亜が尋ねた。
ちなみに紅楼の食堂は基本的に地球の料理が大半で、洋食と和食を選べるようになっている。ティアは殆ど洋食で反対に十亜は必ず和食、緒織はその時の気分で選んでいる。今朝は和食だ。
「わ、私が弱いんじゃない。オーリが強すぎるの」
「そんなことないと思うんだけど……」
二日前に緒織の秘密を守る引き換えに出されたティアの提案。それは【神威】を使った組手の相手だった。
片角ということや特例で一年半も住んでいるということもあって、ティアは他の生徒とあまり交流がない。加えてティア自身も外交的な性格ではない。
なので先日のように一人で【神威】の練習をしていたわけだが、それでも練習相手がいた方が実になるのは明白。
緒織にしても、いざとなればティアの【神威】を封じることで安全に、全力を出すことが出来る。そう判断した上での提案で、緒織も快諾した。
だが緒織も実際に手合わせしてわかったが、緒織とティアの間には厳然たる力量差が横たわっていた。
「どうせ私はがり勉で、頭でっかちな引きこもり影女ですよー、だ」
「誰もそこまで言ってないってば」
卑屈になったティアを宥める。
「そもそも、なんでオーリは一般人なのにそんなに強いの? 納得がいかない」
「って言われてもね……」
ティアはすっかり不満そうにひねくれている。最初こそティアのことを無感情だと思っていた緒織だが、この三日間でそれが間違いだったと認識を改めた。
それにむくれるティアに反して、緒織自身はティアの成長に目覚ましいものを感じていた。
一日目は、スタミナが尽きるまでひたすら火炎を召喚するだけで戦術もまるでなかった。
二日目は、攻撃を組み合わせて複雑化させられるようになった。
三日目の今日は、先の二日から緒織の行動を先読みしブラフをかけるという戦術も独力で立てられていた。
まだ荒削りではあるもののセンスはあるようだ。特に一度に四つも召喚し、簡易式ながら追尾の特性まで付与するなど、出力がない分イメージや制御といった技巧に優れている。
「やっぱり地道な鍛練、かなぁ」
「なにそれ」
「基本が一番大事ってことだよ、何事も」
納得いかないと顔に出ているティアだが、緒織も嘘は吐いていない。
そもそも毎朝のランニングにその他筋トレとストレッチ、それらを一〇年近く続けている緒織とティアでは身体スペックに差があって当然なのだ。
「まぁあの学園長の秘蔵っ子だ。弱いはずもないだろうさ」
「そういうのともちょっと違うんですけどね……」
確かにライラとはたまに手合わせもしていたし、戦い方の師という意味なら間違いなくライラは緒織の師匠だ。
けれど身体を鍛えようと思ったのは緒織自身の意志だ。能力に頼らずとも、むしろこんな不安定で不明瞭な能力が役に立たない時にこそ妹や身近な人を守れるようになろう。子供ながらにそう思って、走り込みを続けたからこそ今の緒織がある。
「ティアは頭もいいし飲み込みも早いから、すぐに強くなるよ。あとは体力も付けないと」
「それはいい。昨日でもう懲りたから……」
昨日は緒織の日課のランニングにティアも同行したものの、島を半周するより先にティアはギブアップしてしまった。
【神威】の鍛錬以外は引きこもりがちなティアの体力の改善はコーチである緒織にとって最重要課題でもある。
「そんなことじゃ紅楼祭の優勝なんて夢のまた夢だよ?」
「う……努力は、する」
痛いところを突かれて、ティアは渋々ながら頷いた。
八衢学園では校内における【神威】の使用は大幅に制限されている。不用意に使うことで起こるだろう無用な混乱を避け、また地球の社会に馴染むための訓練の一環だ。
しかし、それだけでは少なからずフラストレーションが溜まるのは必定。【人類種】で例えるなら手足の一本の使用を禁止されているようなものなのだから。
そこで年に四回、各寮の持ち回りで【神威】の使用を解禁した競技会が行われる。競技内容は毎回異なり、公平を期しながらも概ね担当寮の得意分野が選ばれる。
今年の春は紅楼の担当。内容は近く公表されるため、ティアを含め一部の生徒は既に自身の【神威】を鍛練し始めている。
「ご馳走さまでした」
「……ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
三人揃って手を合わせる。その皿に食べ残しは一つとしてない。
食事の準備から寮内の清掃、さらに経理まですべて十亜独りで行っているそうだが、料理に一切の手抜きはなくどれも非常に美味しかった。
「それじゃ、ちょっと早いけど行ってきます」
「行ってきます、十亜さん」
食器を返却口に置き、真新しい淡いブラウンの制服を着た緒織と、既に見慣れた制服と白衣の組み合わせのティアは寮母を振り返る。
「うむ。初登校だが二人とも、あまり気負わないようにな」
腕を抱えて優しい眼差しで新入生を見送る十亜に、二人は笑顔で応えて寮を後にした。
「……それにしても」
地下鉄への道すがら、隣を歩くティアを見る。
「なに?」
「いや、さ。ティアって意外と普通だよなー、って」
「どういう意味、それ」
「あ、別に馬鹿にしてるんじゃなくて」
睨むティアの誤解を解こうと、頭を掻きながら言葉をまとめる。
「最初にティアと会った時はさ、なんか変な子に絡まれたなって、そう思ったよ」
「……否定はしないけど、そんなにはっきり言わなくても……」
どうやら自身の奇行に自覚はあったらしい。
「まぁまぁ。けど、いろいろ事情を聞いたり、直接話したら案外普通の女の子だな、って」
組手だけでなく、緒織は自分からも積極的にティアと関わっていった。今朝のように一緒に食事をしたり、本島の街を案内してもらったりなどだ。
そうしているうちに、余り感情が表に出ないティアも歳相応な面があることは分かってきた。
それに、時々鬱陶しがられてはいるがティアも自分に対しては段々と素を見せ始めてくれている――と、緒織は確信を持っていた。
「……普通? 私が?」
「うん。ちょっと不器用だけど、真面目で努力家などこにでもいる子だと僕は思うよ?」
「………」
緒織の評に、ティアは押し黙る。顔色が見辛いこともあって不安になった緒織は慌ててさらに付け足す。
「あ、あと妹に似てるような気がしたから、なんか放っておけなかったってのもあるかな! あはははは……」
「いやそこまで聞いてないけど……妹がいるの?」
「うん。といっても似てるのは顔じゃなくて、雰囲気が、だけど」
親しい人物に対してはふてぶてしいところがあるが、基本小心者という小動物っぽさはそっくりだ。
緒織はそう思っていたが、言うと怒られそうなので口に出しはしなかった。
「そう……妹、ね」
緒織にも聞こえないほどの小声で、ティアはぽつりと呟いた。