Hello, island. - 5
「よいしょ、っと」
背中に背負ったリュックを下ろし、緒織は自室に宛がわれた部屋を眺める。
二人分のベッドにクローゼット、机とサイドボードが置かれた部屋。大浴場はあるらしいが部屋にも浴室とトイレが備え付けられてあるようで、正直に言って緒織が施設で使っていた部屋よりも充実している。
家具も質素ながら緒織でもわかる程度には質の良いものを選んであり、ちょっとしたホテルのようだというのが緒織の感想だった。
緒織が来るまでは空き部屋だったらしく、同居人はいない。もっともそれが今の緒織には都合がよかった。
「とりあえず、座ろうか」
二つある椅子の片方を、未だに裾を掴んで離さない赤毛の少女に示す。
「ん」
短く頷くと、ようやく緒織を解放してティアは腰を下ろした。
「さて……」
それを見て緒織も自分の椅子を引き、向かい合うように座る。
しかし、まず何を話したものかと考えて言葉が途切れてしまった。
そもそも同年代の、それもよく知らない女子と二人きりということもあって、色恋沙汰と無縁に育ってきた緒織はすっかり緊張してしまっていた。
「………」
ティアも自分からは口を開かず、ただただじっと緒織を見つめている。
そんな無言の時間がしばらく続き――
「えっと」
先に話しかけたのは緒織だった。
「まず、自己紹介から。僕は緒織、上倉緒織。よろしく」
「……オーリ?」
その名前を聞いて、ティアは何度か目を瞬かせた。
「僕の名前が何か?」
「……何でもない」
先程の反応は明らかに何かありそうだったが、ティアの拒絶するような態度に緒織はそれ以上追及はしなかった。
「で、君は……プロセルピナさん、だっけ?」
微妙に日本人には馴染みのない響きの名前を、緒織がしどろもどろに言うと。
「発音しにくいなら、名前でもいい。私は気にしないから」
「……それじゃあ、ティアさんで」
言い直し、しかしそれでも白衣の少女は頭を振った。
「ティアでいい」
「え? いや、でも……」
「ティアでいい」
「その……」
「ティ、ア、で、い、い」
三回も言われて、緒織はその小柄な体躯が放つプレッシャーに屈した。
「……ティア」
「ん。よろしい」
妹とライラを除いて女性を名前で呼んだことのない緒織は、どうにも落ち着かない。
一方のティアは、相変わらず目元の隠れた無表情ながらどこか満足げだった。
「私の名前、学園長に聞いたの?」
「あぁ、うん。学園長……ライラとは古い知り合いでね」
名前と一緒にスリーサイズまで教えられかけたことに内心で謝りながら、そのことは墓まで持っていこうと本人を前に改めて決心した。
「じゃあ、私のこれについても聞かされたのかしら……それに、私が親に棄てられたことも」
そう言って、ティアは自分の右側頭部――赤毛を掻き分けて伸びる暗色の角にそっと触れた。
「ごめん」
「あなたが謝ることじゃない。ただの事実」
ティアの言葉は淡々としていて、本当に他人事のような口振りだった。
しかし、緒織にはあまりに冷たすぎるその声が、逆に意識してそう演じているような気がして。
「……ごめん」
「いいって言ってるのに……」
やはりもう一度、頭を下げた。
繰り返し謝罪されたティアも、呆れながらどこか緊張が解けたように、柔らかく吐息を漏らした。
「ところで、どうして今朝は僕を追いかけたのか、訊いてもいいかい?」
「それは……ん、ちょっと見てて」
そう言ってティアは立ち上がると、緒織から距離を取った。
「――っ」
目を瞑り、深く呼吸して集中力を高める。するとティアの角が淡い輝きを帯び始めた。
「これ、【神威】……?」
彼女たち【魔人種】の角はただの飾りではなく、【神威】を使うための触媒でもある。そのため大きく雄々しい角を持つ者は相応の実力者として尊敬を集めるのだという。
そして逆に、極稀に生まれるというティアのように片方の角を持たないものは行使出来る【神威】も弱く、女神の寵愛から零れた存在として差別されるのだとか。
緒織が見守る中、ティアのすぐ前の床に黒い穴が開いた。
始めは拳大だったその穴は、やがて一抱えはあるだろう大きさに広がり。
「っ!」
何かが飛び出し、直後穴は砕けるように消滅した。
「これが私たち【魔人種】の【召喚】。実際に見たのは初めて?」
「あ、あぁ……うん」
その肩に翼を持つ小さなドラゴンを乗せて、ティアは再び椅子に座った。
「確か、女神が世界を創造した『無限の闇』の残滓に、望む形を与えて呼び寄せる……だっけ?」
「そう。あとはこの子みたいな『闇』の中に住む生き物を喚んだり」
竜の顎を優しく撫でるティア。竜は気持ちよさげに『ギー』と小さく鳴いた。
「この子はギィ。私の召喚出来る中で一番のお気に入り。ギィ、ごあいさつ」
主人に促され頭を下げる竜に、「ご丁寧に、どうも」と緒織も返した。
「召喚は術者の制御能力とイメージに大きく左右される。だからイメージの元になる知識の収集は、技量を磨く上で何より大事なの。それがたとえ、赤の能力でないとしても」
ようやく、緒織はなぜ彼女が自分に執着したのかを理解した。
そしてライラが言っていた『知識欲が旺盛』の意味も。
「つまり、僕の能力が珍しかったから、知りたくて仕方がなかった?」
こくり、とティアは頷く。
触媒たる角が半分というハンデを負うティアは、出力での不足分を精度を高めることでカバーしようとしたのだろう。その結果『知りたがり』という人格を形成したのだ。
「なるほど、ね……」
ようやく合点がいき、そして同時に下手に誤魔化したり言い繕うべき相手ではないことを理解して、緒織は困ったように頭を掻いた。