Hello, island. - 4
神門島の主な移動手段は徒歩と自転車、それから外縁部を走る路面電車の環状線である。
島の中心にある八衢学園から放射状に伸びる五本の大通り。そのうち真北へと続く赤砂通りを二〇分ほど歩くと、レンガ造りのレトロな街並みに合わせたデザインの駅舎が見えた。
しかし、緒織は路面電車には乗らずに地下へ向かう階段を降りる。
地下は地上に比べると近代的で、内地のそれと似ている。
ライラに渡された学生証を翳して改札を通り、ちょうどホームへ入ってきた地下鉄に乗り込む。
「はぁ……」
ほとんど乗客のいない車内で、緒織は座った途端に深く溜め息を吐いた。
「こっちから飛び込めって、そう言われてもねぇ」
ライラの言い分もわかる。逃げて騒ぎになるのだから逃げなければいい。
「だからって、本当のことを話すわけにも……」
出来ることなら誰にも知られずに、という目的でやってきた緒織にとっては矛盾する思考だ。ライラもなるべくなら知られない方がいいという点は同意している。
しかし、どうしてか緒織はなんとなく上手くいきそうな予感もしていた。
「……ティア・プロセルピナ、か」
ぽつりと、同じくライラに救われた孤児だという赤毛の少女の名を呟く。
結局五分ほどの短い乗車時間では、上手い言い訳を思いつくことが出来なかった。
地下鉄を下り、地上に出た緒織の目の前に広がるのは鬱蒼とした雑木林とその間に伸びる一本の道。
道の先には赤いレンガで組まれた洋館が見える。
「あれが【赤の世界】用の学生寮、紅楼か……」
歩道は思っていた以上の距離があり、辿り着いたときには想像以上に寮が大きかったことを思い知らされた。
五階建て、全体に赤く左右対称の造りをした赤の洋館。入り口の前庭には広々とした菜園があり、花壇では緒織の見たことがあるものから明らかに異世界の品種まで様々な花が咲き誇っている。
「まずは、管理人さんに会わないとだよな……あ、ちょうどいいや」
どうしたものかと考えていると、菜園に人影が見えたので訊いてみることにする。
「あの、すみません。ちょっと管理人さんのところ、に……」
「はい、なんでしょう……あ」
緒織も声をかけられた人物も、互いの顔を見て固まった。
炎のようにも見える伸び放題の暗めの赤毛に、右側にだけ生えた角。
八衢学園の制服の上に羽織った大きめの白衣。その右手には如雨露が握られている。
間違いなく、今朝出会った少女――ティア・プロセルピナだった。
「っ……!」
先に動いたのはティア。
如雨露を放り出し、少女は緒織の服の裾をぎゅっと握りしめた。
「え、と……とりあえず逃げないから、放してくれると嬉しいんだけど、な?」
緒織の提案にぶんぶんと頭を振るティア。
困った、と思うと同時に、そういえば小さい頃は妹もこんな感じだったよなぁと思い出す。
二人きりの兄妹。施設の人間は皆優しかったとはいえ、幼い妹は兄の姿がほんの数分でも見えなくなると泣き出してしまうほど緒織にべったりだった。
今、目の前にいる少女が、緒織の目にはそんなかつての妹を思い出させるような、どこか迷子のように見えて。
「……はぁ、しょうがない。そのままでいいからとりあえず管理人さんのところまで案内してもらっていい?」
「ん、わかった。こっち」
緒織の尋ねに、ティアは小声で頷くと裾から袖に持ち替えて緒織を引っ張っていった。
◇◆◇
「十亜さん」
玄関ホールを真っ直ぐ突っ切り、ティアが開いた扉の先は食堂だった。
四人掛けのテーブルが並ぶそこで、ティアが呼びかけると、
「なんだティアか。花壇の水やりご苦労。だが昼食にはまだ早いぞ」
厨房から、長身の女性が姿を見せた。
二〇半ばほどだろうか。足首まで届きそうな桜色の髪を先端近くで結んだ、夏空のような蒼い瞳が魅力的なライラにも負けず劣らずの美女だ。
その背中には折りたたまれてなお存在感を放つ赤銅色の竜翼があり、彼女が【竜人種】であることを誇示している。
だが、それよりも特徴的なのは――
「違う。お昼じゃなくて、えっと……」
「む? そういえばその少年は?」
女性の視線がティアから緒織に移る。
「その、よくお似合いです、ね?」
「あぁ、これか? 疑問形なのが気になるが、ありがとう」
緒織の褒め言葉に、女性は口元を綻ばせた。
黒い丈長のワンピースに、白のエプロン。頭には白いフリルがついたカチューシャ、所謂ホワイトブリム。
その恰好は、どこからどう見てもメイドのそれだった。それもコスプレ風ではない正統派。
「ふむ、もしかして少年があれか? さっき学園長から話があった……」
「あ、たぶんそれで間違いないです」
どうやらライラが連絡してくれていたらしい。緒織が部屋を出るまでゲームをしていたのだが、一応学園長らしい対応はしてくれていたようだ。
「上倉緒織です。これからお世話になります」
「ここの寮母をしている入音十亜だ。こちらこそ、よろしく頼む」
十亜の差し出した右手を緒織はおずおずと握り返す。ほっそりとしていてそれでどこか力強い、不思議な感触だった。
「名前、日本風なんですね」
「あぁ。こちらに来てから日本の文化に魅了されてしまってな。今ではすっかり日本かぶれというわけさ」
異世界は文化は勿論のこと、言語体系も文字も地球とは全く異なる。こちらで生活するにあたって【異邦人】の中には日本的な表記を選ぶ者も少なからず存在する。
しかしとなるとなおさらメイド服であることが気になる緒織ではあるが。
「今言った通り昼食まで時間がある。その間に軽く片付けでもしておいてくれ」
「えーっと、それなんですけど……」
ちら、と緒織はティアを見る。
「先に彼女と話しがしたいんですけど。出来れば、その……二人きりで」
尻すぼみになりながら緒織はそう頼んでみた。
今日会ったばかりの女の子と二人きりになりたいなど、非常識だとは自覚しているがことがことなので仕方がない。
「ん? 別に構わないが?」
「へ?」
ところが緒織の予想に反して、十亜の返事は軽いものだった。
「男子の部屋に女子が行ってはいけないという規則もないしな。その逆も然り」
「え、いやでも防犯とか、公序良俗とかそういう……」
「と思うだろう? だがそういう不逞な輩は――」
と、十亜が言いかけたところで、
――ドゴォオオオオオン!
轟音とともに黒い影が食堂の壁を突き破り、勢いそのままに三人の後ろを転がり反対の壁に激突して停止した。
土煙が収まると、一人の男子がエジプトの壁画のようなポーズで壁にめり込んでいる。
恐る恐る緒織が穴から向こう側を見てみると、顔を真っ赤にした女子が膝に手をつき肩で息をしていた。
「――まぁ、大体の場合はこうなる。っしょ、と」
こともなげに男子生徒を壁から引きずり出しながら言う十亜に、
「……りょ、了解です」
緒織は冷や汗を流しながら頷いた。