鍋の進む季節とともに
毎度のごとく章の最初は短いですが
飲み屋街の路地裏にある小さな居酒屋で、ジョッキを打ち合わせる音がする。厚めのコートやダウンジャケットが壁にかかり、外から入ってくる客の頬は少しばかり赤く染まっている。店内の暖かさに表情が緩んでいく。
目の前には小さな土鍋が置かれ、ふつふつと煮立っていた。掘りごたつ式の席の向かいには、いつもの見慣れた顔がある。
ほくほく顔の藤は嬉しそうに肉を頬張り、酒で流し込んでいく。2人で他愛もない話をしながら料理を堪能すると、おもむろに口を開いた。
「で、準備は終わったのか?」
「ぎりぎりかな。正直間に合わないかと思ったよ」
藤が聞いているのは、今回のイベントのことではない。前回のイベントで破損、消費した俺の装備のことだ。
前回の緊急クエストをクリアし、マナウスから報酬をもらうことができたが、さすがに消費アイテム分の回収に少し届かないくらい限界の額だった。無報酬であることを理解し、納得した上での参加だから、むしろ報酬があったことが嬉しかったんだけどな。足りないものは足りないってことで、この1か月はひたすら素材集めと金策に駆けずり回っていた。
ようやくクエストや採集なんかの金策が軌道に乗ったと思ったら、最悪のタイミングで大型イベントの告知が重なり、準備のためにプレイヤーの動きが活発になってしまった。普段の狩場や採集ポイントにもプレイヤーが押し寄せた時には、運営を殴り飛ばしたい衝動にかられたほどだ。
正直イベントまでに準備が終わらないと思い始めた頃、ハンドメイドのメンバーが俺に金策向きの依頼を出してくれたことで、なんとか間に合わせることができた。
さすがは生産職の集団だ。俺が装備やアイテム制作の依頼をほぼ依存していることで、置かれた状況を把握していたことに加え、市場の動きから状況の変化を予測して助け舟を出してくれた。正直あれがなければ間に合わなかったな。本人たちは持ちつ持たれつなんて言っていたが、いずれなにかの形で報いたいものだ。
金策と並行していろいろな依頼を出していたが、大型イベント前で職人の争奪戦が起きたくらいだ。ハンドメイドとアズマ工房という繋がりに本当に助けられた。
この1か月を走馬灯のように振り返っていると、藤はおもむろにお猪口を持ち上げ一息に干した。満足げな表情で一息つくと、口角が上がる。
「色々あったみたいだが、参加できそうでなによりだ。で、海は今回はどうするんだ?」
「どこをメインにするかってこと?」
「ほかに何があるんだよ」
明日から、公式大型イベントである『北部侵攻作戦』が始まる。その参加の仕方については、最近まで悩んでいた。
「がっつり参加するんだろ?」
「そりゃね」
今回のイベントはこれまでで最大規模だ。進度もスタイルも異なる全プレイヤーが参加できると謳われ、2週間かけて少しずつ詳細が公開されていった。日増しに不安を煽るようなトレーラーが公開されたことで、考察サイトなんかでは連日激論が交わされていたし、有名クランはかなり綿密に作戦を立てているって噂を聞いている。
「正直海が俺達の所にいてくれると嬉しいんだけどよ。おまえは森ルートをメインにしたいんだろ?相棒のコボルトもいるしよ」
「そうだな。でも、せっかくだから他のルートにも参加してみようとは思ってるよ。中央の平原ルートなんて今回のイベントの花形だろうし。で藤は川辺ルートか」
「当たり前よ。とはいえ俺たちもずっと全員揃うわけじゃないからな。その時々のメンバーで色々顔出してく予定だから、ちょくちょく一緒になるだろ。まあどっちにしろ情報交換やら必要だろうしな」
侵攻してきた異種族を押し返し、逆侵攻を仕掛けるのが今回のイベントだが、プレイスタイルに合わせて3つのルートから好きなルートを選べる仕様になっている。1つ目はソロから1パーティー推奨の森ルート、2つ目は1パーティーから数パーティー推奨という最大がレイド規模の川辺ルート、そして3つ目は部隊数に制限のない超大規模戦闘を行うの平原ルートだ。
俺は森ルートをメインに参加することにしている。せっかく緊急クエストにも参加して、コボルトとの絆も深まったんだ。思い入れのある場所で、仲良くなった奴らと一緒に戦いたい。自分のスキルビルド的もソロ向きだし、単発で入るならともかく、長期間一緒に組むパーティーはそれこそウェンバーくらいだし、仲良くなったのも初心者支援イベントや緊急クエストで知り合ったメンバーが多い。あいつらも俺と同じで大体ソロだからな。
ちなみに森ルートはウェンバーと一緒に参加することにしている。ウェンバーはいくつか極秘任務に就く予定があるようで、一緒に森に出れない時には俺が他ルートに顔を出し、他のルートの情報を共有していくということで話がまとまった。
対して藤は6人の小規模クランを結成していることもあり、川辺ルートメインでの参加だ。まあお祭り大好き人間こと、藤が率いるクランだ。どうせ我慢できなくなって、平原や森ルートにも嬉々として片足突っ込むんだろうな。いつでもだれとでも親しくなり、柔軟に連携をとっていけるという、藤の強みが前面にでるイベントのような気がするのだ。
「あとはなに聞こうとしたんだったっけな。公式の公開情報、じゃないか。そうだ、栄枯の馬留で戦ったプレイヤーの報告は見てるか?」
「さすがにな。ゲーム内で騎士団に報告書あげたら、出来が良すぎて公式の情報ページにプレイヤーのイベント考察例として載ったやつだろ?」
今回の経緯やら、栄枯の馬留での戦闘の詳細やら、大陸の勢力間のパワーバランスやら今後の予想と希望する対策やら、いろいろな情報が載っている報告書だ。これを読めば明日からのイベントのストーリー的な流れが網羅できるとまで言われている。イベントの予想について一言で言ってしまえば、異世界ファンタジー世界で戦争規模の戦闘をする。これに尽きる内容だ。その後に発表された公式情報によってこの報告書の説得力が増したとまで言われている。まとめた奴はよほど丁寧に考察を繰り返したに違いないだろう。
熱燗の注文を済ませた藤は、賑わう店内を見回し、視線を戻した。
「海はコボルトと仲良くしてるけど、敵として出てきても問題なく戦える派か?」
「そりゃな」
今回のトレーラーで話題になった一つに、敵の情報があった。ゴブリンや巨人、ホークマンなどのこれまでに出てきた種族だけでなく、コボルトやドワーフなんかもそれなりに紛れていたからだ。中には見たことのない亜人種もいて、亜人種考察をメインにしたサイトじゃトレーラー公開後から相当の盛り上がりを見せているらしい。
森を主戦場にするなら、森で真価を発揮するコボルトが対面にいることだろう。森特化といってもいいくらいの種族にどう立ち向かうか、悩ましいが楽しみでもある。
唐揚げをつつきながら、最近連絡を取る頻度が増えた妹の姿が思い浮かんだ。
「そうだ、伝言あるんだった。妹が商人プレイしてて今回のイベントに参加するから、もしかしたら連絡するかもって言ってたわ」
「お、ついにちゃんと連絡とったのか」
まるで交流断絶した兄妹みたいな物言いに苦笑がもれる。別に正月や盆には顔合わすし、家族仲は特に悪くないんだけどな。
「少し前にゲーム内で会ってクエスト手伝ったよ。人手が足りなかったらしい」
「なによりだ」
「なにがだよ」
その後はゲームに関係のない話で盛り上がり、解散が近くなった頃、カウンターで飲んでいた客の会話が聞こえてきた。
「明日からか、じゃあよろしく頼むな」
「忙しかったのはわかるけど、顔合わせは事前が良かったなあ。ああ、緊張する」
ゲーム内は誰もが忙しく過ごした1か月だった。そんなこともあるだろう。かくいう俺たちも同じだ。会計を済ませて出ていく客を尻目に藤に声をかけた。
「明日は8時集合で大丈夫だな」
「おう、マジで楽しみだな。ガキの頃に秘密基地つくって作戦会議したの思い出すぜ」
「わかるようなわからないような。まあここまで気心知れたメンバーで連携とれるのはありがたい限りだよ」
特に連合を組むといった話ではない。エンジョイ勢が集まった上で、それぞれの専門性を生かしながらイベントに参加し、情報を共有して楽しみつくす。そんな緩くもあり本気でもありという仲間達と協力することになっている。
店を出て、藤と別れる。冷たい風は身を切るようにすら感じる。しかし、かくいう俺の気持ちも、遠足の前日にした子どものように浮き立っていた。




