コボルト捜索戦線
森は紅に黄にと染まっていた。時折木を離れた葉が不規則な動きで落ちていく。季節は現実と同期していることもあり、まさに秋真っ盛りといった様子だ。これで紅葉狩りでもしていれば様になったのかもしれないが、今の俺にそんな風情はかけらも感じられない。
重力に逆らい、体を持ち上げる。ロープの軋む音が鳴るがそうそう切れはしないだろうし気にしている余力もない。目指していた枝を掴み、勢いをつけて足を跳ね上げる、足は辛うじて枝に引っ掛かり、ようやく体を枝に乗せることができた。
「くそ、登攀スキルがあってもこんなにきついのか…」
思わずぼやきも漏れるが、登攀スキルは最近鍛え始めてまだレベルも低いし仕方のないところだ。幹に手をあてながら立ち上がる。そこはぎりぎり森の頭を抜け、それなりに遠くまでを見渡すことができる場所だった。風も抜けるようになり爽快な気分だ。
「もう少し高くまで行ければ、絶景を楽しめそうなんだけどなぁ」
見上げると、これからは一気に枝や幹が細くなり、これ以上は登れそうにない。ここまで登るのに2時間近くを費やしたことを考えると、これ以上はやりたくないけども。
アズマ工房での依頼から数日が経ち、俺はマナウスの森の中層入り口付近で木登りをしていた。当然だが、ある日突然クライマーとしての魂に目覚めたわけではなく、錦からもらったアドバイスを生かすためだ。
視線の先には鬱蒼と広がる森が見えているが、所々、俺がいる場所よりも背の高い樹が生えている。
「ウェンバーが日の光を浴びることができて、体を支えられるくらいのってことは、あれとかいい感じかもな」
見えるのは俺が登った樹よりも5メートルは高そうだ。しかし、方向的にはマナウスに寄っている。2回目に出会ったのが中層で、大した説明もなく気軽にメモだけを渡してきたってことは住処もあのあたりの可能性が高いはず。
記憶を頼りに、以前に出会った辺りを見てみると、そこには一際大きな樹が2本ほどある。
「よし、あの2本の中間地点辺りで待つとしますかね」
格好良く言いつつも、スルスルとロープを伝っていくなんて真似は出来ず、たっぷり40分はかけて地面に降り立つ。
「やばい、腕が重いな。これ今戦闘になったら狙いつけるどころじゃない」
苦笑いを浮かべながらスキル構成を隠密採取用のビルドに変更し、周辺を警戒しながらすすむ。お、季節が変わったせいか最近見当たらなかったアイテム発見、幸先良いなぁ。
寄り道をしながらも、さらに1時間程で目当てのポイントに到着し、そこからはひたすら待ちの時間だ。
ここからは他力本願も甚だしいが、見つけてもらうまでは待ちである。
過去に隠密行動用のスキルと技術をフル活用してもウェンバーを見つけることは難しかったが、向こうは簡単に俺を見つけていた。という事はもしここがあいつの周回ルートに入っていたとしても、視界に入らない限りは俺には見つけることはできないだろう。でも向こうからなら、簡単に俺に気付くことができ、気付いたならたぶん声を掛けてくるはずだ。あの時もそうだったし。
「周回ルート固定で、ここを通るのは毎日午前中とかだったら1週間待ちぼうけなんだよなぁ」
待っている間は特にやることもないので、インベントリの中身を整理し、銃の整備を行う。ここら辺ならもう感知スキルをとばしていれば敵の接近を見落とすこともないから気楽なものだ。
銃の整備が終わると飲み物や保存食を取り出し、ちょっとしたブレイクタイムだ。うん、アイラの保存食はちゃんと美味いな。ドライフルーツを練り込んだバーだけど、中期保存用だからしっとりしていて味わいも良い。紅茶テイストの飲み物との取り合わせもグッド。今度顔合わせた時にイベントに合わせた発注でもかけてみるか。
「これ全部食べ切るまでに見つからなかったら本当に手詰まりなんだよなぁ」
「え、それまだあるんですか?実はちょっと味が気になるっていうかフルーツが美味しそうっていうか」
「うい」
バーを求める声に短く返事をしながらインベントリから保存バーを取り出して放る。毛むくじゃらの手は器用に受け取ると一口齧りとった。
「ああ、これは素晴らしいですね。しっかりと森の恵みの味がします。これなら僕もちょっとほしいです。で、ところで何をそんなに探してるんです?」
「ん?いや、ちょっとな。意味をなさないメモだけを渡してきたはた迷惑な友人を探し、て」
流れでバーを渡していたが、違和感でそちらに目をやり、ああこいつかと納得して再び前を向く。
……え?いや、え?
流れるような二度見をすると、そこにはいつぶりかのコボルトの姿があった。
いやいや、これまで2か月くらいかけて見つからなかったんだよ?目途が立ったとはいえいくらなんでも3時間で出会うとは思わないでしょうよ。
「そっかぁ、今回は探し人の依頼とかなんですか。もしかしてついに会いに来てくれたのかもと思って声かけちゃったんですけど、邪魔しちゃいました」
先程までピンと立っていた尻尾が緩やかに下がっていく。相変わらず感情としっぽが連結しているんだなと感じながら、俺は一つのアイテムを取り出した。いかん、声が震えないように、逃げられないように気を付けないとな。
「いや、そもそも依頼じゃなくてな。俺はこいつを俺に渡した相手を探していたんだ」
メモ帳を手渡されたウェンバーは首をかしげながらそのメモに目をやっている。ふんふんと頷き、周囲を見回し、何かに気付いたようだった。たっぷり1分程してから発した声は、なにかから逃れるような白々しい声だった。
「あっれえ、これ僕の書いたやつですよねえ」
「そうだな」
「これ、間違ってます」
「そうだな、これじゃあなにもわからないよなぁ。俺がこれを貰ってからどうすりゃいいのかどれだけ考えさせられたと思う?落書き書いてこの近くってのはな、その絵と場所を共有できる奴が相手じゃないと伝わらないの。わかるかな?…ん?」
流れで文句を言っていたが、あれ?なんだかとてつもなく不穏な一言を聞いた気がする。いや、そんなことはないはずだからもう一回確認してみよう。
「えっと、間違えてたって?」
「はい」
「なにを?」
「これ、リゼル大木が生えてるところってありますけど、正しくは2本のリゼル古木です。このリゼル大木ってシンボルツリーみたいなものなので、普段はカモフラージュしていてカイさんからは見えないんですよね。」
「まじ?」
新しい発見だ。人は予想外の驚きが突き抜けると怒りを忘れてしまうらしい。ていうか前提条件からミスリードしてくるなんてさすがに思わないだろう。
「えっと、ごめんなさい」
「いや、なんかもう大丈夫。うん大丈夫」
「でも、表情がなにもなくなってますが」
「キニシナイキニシナイ」
ひとまず、すべてはなかったことにすることにした。なによりこれでウェンバーを探すという目標はクリアしたわけだしな。正直こんなにあっさり達成されるなんて思ってもみなかった。これならまだ時間に余裕もあるしな。
「さて、一応はあの時の秋に会うって約束は果たしたわけだけど、そっちの様子はどうなんだ?」
「う~ん、最近はちょっと不穏かも」
まさかウェンバーから不穏なんて言葉が出てくるとはな。どう考えても何かしらのクエスト発生のフラグのような気はするけど、そんな状態でウェンバーの村に行くことなんてできるのだろうか。
「なんといいますか、それについては今度相談するかもしれないので、それは今は置いておきましょう。それよりも、秋になって色んな物が美味しい時期になりまして!ぜひ!食べてもらいものがありまして!ということで、僕の村に行ってみませんか?」
「御呼ばれするために探していたしな、少しは一緒に遊べそうか?」
「はい!」
こうして俺はようやくウェンバーの村に向かう事が出来たのだった。
ウェンバーは何やら周囲を見回しながら進んでいく。そのルートは一直線ではなく、いくつかのチェックポイントを通過している様な、それでいて決められたルートとは違う道を進んでいる様な感覚を受ける。
これはあれだな。俺が新しいモンスターを狩るときに最初にやっている生息域と行動パターンの調査と、相手を撒くときのスニーク行動あたりに近い。そういえば突然現れた時のことを思い返すと、相変わらず感知もできず、草を踏みしだく音すらならない。スキルレベルとそもそもの技術が俺とはまだだいぶ差がある。それでもなお警戒が必要なレベルの相手がいるということか。
『ちょっと不穏かも』
これは少しばかり面倒なクエストでも起きるのかもしれないな。
普段より少しウェンバーが周囲を警戒していることと意図的に遠回りをしていることを除けば、道中は安全なものだった。
「ねえねえカイさん。このキノコ食べたことありますかね。これ毒キノコなんですけど熱を通せば毒が消えるんです。天ぷらおいしいですよ、こっちにもありますね」
「あ、そういえば昨日仕掛けた罠を見ていってもいいですかね。もしかしたらモクモが掛かってるかもしれませんよ」
訂正しよう。安全なんてものじゃあない。これは森での最高のガイドがついているのと変わらない。俺がこれまで見つける事すらできていない、初めてならためらって採取をしないような山菜を見つけ、これまた見たこともないような生き物を生け捕りにしている。
そもそも仕掛けた罠っていうのが一切金属を使用しない、自然の木と蔦を使ったような代物だ。
「この罠は初めて見たんだけど、そもそもアイテム名の反応すらしないのだが」
「これですか?木魔法で作ってますからね。あなたたちでも中々見破れないと思いますよ」
簡単そうに答えながら、ウェンバーは手に入れた物をどんどん俺に渡してくる。こんなことを延々1時間はしているものだから、俺のインベントリはそろそろ満杯に近かった。生け捕りの獲物はインベントリには入らないから、それも考えたらかなりの大荷物になってきている。
「なあ、そろそろ持ち切れなくなりそうなんだけど、まだかかりそうか?」
「いいえ、もうそろそろですよ。ほら、ここです」
そう言って案内されたのは、木がこんもりと茂り密集している場所だった。周囲と様子の変わったところはなく、村がある気配すらない。つまりは、だ。
「結界ってところか」
「おお、博識ですねえ。これは細かく分けるなら結界の中でも隠蔽系になりますね。僕たちは“逃れた者達”であり“伏せる者達”ですから。簡単に見つかるような場所には住めないんですよ」
そう言うと、ウェンバーは茂みに向かって手をかざし、何やら呟いている。少し、森の音が遠のいたような感覚を覚えると、目の前の茂みが音もなく動き出し、小さな木のトンネルを作り出した。
「合言葉は」
小さな声はトンネルの奥から聞こえてくる。最早今更ではあるけど、気配感知にはなにも引っ掛かることはなかった。
「木漏れ日、くじけぬ意思、すべては…」
「無事で戻ってなによりだ。道を閉じる前に入られよ」
ウェンバーは当たり前に進んでいくが、ヒューマンたる俺には少々小さなトンネルだ。身を屈め、四つ這いに近いような姿勢でトンネルを進んでいく。俺が進んだ後は音もなくトンネルが消え、ただの茂みに戻っているようだった。
トンネルはそこまで長くはないようだ。それでも途中でいくつか道が分かれていて、これも迎撃用のトラップの1つなんだろう。間違えた時に何が起きるのか気にはなるけど、こんなところでいきなり試すのはさすがに怖い。変な冒険心は出さず、ひたすら先導の姿を追っていくだけだ。
そうして数分進むと、視界は突然開けた。大きな広場のような場所で、一番奥にはそれは大きな樹が見える。ここがウェンバーの村、かなりの時間が掛かったけど、ついにたどり着いたなあ。
「それでは改めまして。ようこそカイさん。ここがコボルトの隠れ里、リゼルバームです。とても美味しい時期に来てくれましたからね、歓迎しますよ」
先程までの周囲の警戒はどこへやら、尻尾を振りながら頭をぴょこりと下げ、どうだと言わんばかりに顔を挙げた。自慢の村を紹介出来てご満悦のようだ。
「いや、村じゃなくて里なのでは?」
「はうあ」
簡単にウェンバーをいじりながらも、先に宿泊用の場所を教えてくれるというので移動をすることになった。ここの案内はその後だ。
「ふむ、ウェンバーよ。この御仁が以前話しておった冒険者ということかな?」
そこには、全身が真っ白な毛のコボルトが立っていた。いや、誰もかれも気配殺すの上手すぎなのでは?
しばらくほのぼの森ライフにしたいような、さくっと次に進めたいような