森の奥に潜む獣
中に入ると、そこはこれまでと同じ森が広がっていた。目の前には牙狼の姿は見られない。
無限に広がる森なのかと背後を見ると、そこには水面のような揺らめきが帯になって続いていた。ざっと見てみると大体50メートル範囲くらいの囲みになっているのか。フィールドが限定されていることを確認してすぐに身を隠すと“気配察知”で牙狼を探す。
「グルルルル」
森の奥、木が密集した茂みの陰にいるな。頭の位置や距離を把握すると黒壇の背負箱を背からおろし、素早く背後から回り込む。この銃ならそうそう接近しなくても当たるはずだ。姿が見えるところまで進むと静かにニードル銃を構えた。風上にいるはずなんだけど一向に気付かれることがない。これはアイラに感謝だな。
一度気持ちを落ち着けると静かに銃弾を放った。放たれた銃弾は、吸い込まれるようにして牙狼の腹に直撃した。
「ギャインッ」
「当たったけど、やっぱり一撃ってわけにはいかないか」
さすがにパーティー推奨のイベントモンスター、俺が1人だから相当に弱体化されているはずなのに、それでも一撃確殺ってわけにはいかないな。位置がばれないように静かに場所を変えるとそこで装填を済まして様子を窺った。
牙狼は森の中を転がりまわった後に立ち上がると怒り狂ったような咆哮を挙げる。しかし俺のことは見つけられていないようだ。風上にいる俺に気付かないくらいだし、どうやらそこまでの索敵能力はないらしい。
今回みたいな制限されたフィールドであれば、銃使いなら姿さえ見えればすべてが有効射程だ。これはニードル銃のいい練習台になるかもしれない。
すぐさま2撃目を打ち込むと今度は少し右に外れ、牙狼は唸り声をあげながら、こちらをしっかりと睨みつけている。これは完全に見つかってしまった。
「この状態からもう一度身を隠せさえすれば、かなり安全に戦えそうだな」
腰に括ったままにしていた竹筒に手を入れる。牙狼がこっちに走り出す前に煙玉を取り出すと目前で炸裂させた。それでも牙狼は猛然と突き進んできたが、横跳びで躱すとすぐに茂みの陰に姿を隠す。煙が晴れた時には姿を見失った牙狼が吠えるのみだ。
すかさず装填をして3撃目、今度は狼が転がり込んだ。どうやら後ろ脚に当たったらしく、赤いエフェクトが光っている。これはかなり相性の良いモンスターかもしれないな。
出来る限り見つからないように撃ったらすぐに立ち位置を常に変えながら、見つかったら煙玉でもう一度隠れる。戦闘方法が確立されてからは一方的な展開になっていき、最終的には7発打ち込んだところで牙狼は動かなくなった。6発外したのは内緒だ。
「よしよし、これは良い相手がいたな」
1人でそう呟くと、周囲に展開されていた帯がひび割れ、砕け散った。最初から森は同じだったこともあってそれ以外の変化は特に何もなく、最初に立っていた場所まで戻ると、黒壇の背負箱が何も変わらず佇んでいる。
「これってエリア内に別のプレイヤーがいたら、俺が突然現れたように見えるんだろうか」
的外れな感想は置いておくとして、難易度的にはバイソンリーダーの取り巻きのワンランク上って感じかな。牙だろうが爪だろうが、まず間違いなく一撃を食らったらひとたまりもないんだろうけど、森にいる分俺は姿を隠しやすい。適当に振り回したラッキーパンチが当たるなんてことがない限りは俺に分がある。今後の戦闘に確信を持てると、すぐに次の封印を探しに行くことにした。
封印を探す途中、いくつかのパーティーがホーンラビットと戦闘しているところに出くわした。中には同じクエストを請けたパーティーもいたけど、モンスターが邪魔で思うように進めていないようだ。森では視界が悪くなるから、突発的にモンスターに遭遇したり、音や気配察知で敵に見つかってしまっているらしい。
それでも俺からしたら複数のモンスターをああも簡単に倒していけるってのが驚きだけど。
その後も封印を見つけること3度、俺は牙狼を3体仕留めていた。これで大体1時間くらいってところか。残り時間は半分となり、封印が少なくなってきたことで大分森の奥まで入ってしまっていた。
そして俺は完全に忘れていた。ここは森の中で、本来のモンスターもいるという事を。そしてそれはなんとフィールドではなく、封印の先にいたのだ。
一応の備えとして猟師の糧食を食べ、見つけた封印に入るとそこは明らかに様子が違っていた。フィールドの大きさは変わらないのに明らかに小さく感じる。それは視界の隅にいるモンスターの大きさのせいか、はたまたその威圧感のせいなのか。
巨大な樹木の陰にいる茶色の巨体を持つそれは、狼ではなく熊だった。
≪キャプテングリズリー 状態:激昂≫
いや、なんだあれは。見た目からしてもあれは駄目だ、勝てる気がしない。というよりこれはイベントモンスターなのだろうか。それとも森の奥に生息するモンスターなのか。さすがにこれに事前情報なしで飛び込むのは危険すぎると背負箱を隅に降ろすと錦に連絡を取った。
「そろそろこちらからも連絡を取ろうとしていたところだったよ。牙狼狩りは順調に進んでいるか」
「そっちは後回しでいいか。それよりもキャプテングリズリーってモンスターの情報が欲しい」
いったい何が起きたのか、錦の方では把握できていないのだろう。何やら紙をめくって調べているような音が聞こえるが、その時間すら今は惜しい。見つからないよう身を隠しながら情報を待った。
「なぜだ?あれはマナウスの森の中層のエリアボスだぞ。まさか奥地までいってちょっかいでも出したのかな」
「封印の先にいた。情報を早くくれ、いつ戦闘が始まるかもわからない状態なんだ」
その言葉に錦は一度話すことをやめた。恐らくは伝えるべき情報をまとめているのだろう。1分と経たずに錦は再び口を開いた。
「簡潔に説明する。まずは攻撃パターンだ。基本的な組み立ては発達した両腕での振り回しと握り潰し、それと噛みつきだ。威力の高いこれらの攻撃を注意して、躱すか捌きながら真正面から戦おうとするプレイヤーもいたそうだが、何があっても奴の前方には入るな。どうも風属性への適性が高いらしくてな。風魔法で伸ばした射程は奴の身長の2倍近いらしい。それと体力が減っていくと後半には身体能力を生かした飛び込みが増えてくるから注意してくれ」
「助かる」
「健闘を祈る」
最後は短く挨拶をかわし、チャットを切るとようやく戦闘だ。
牙狼では温存出来ていたけど、今度ばかりは鉄心からのアイテムの出番があるかもしれないな。それも展開次第といったところではあるけど。
戦闘が開始してからどれだけの余裕があるかは分からない。そこで、確実に当てられるであろう初撃を撃ち込みたかったのだが、それよりも早くにキャプテングリズリーがこちらに気付いていた。
3メートルにまで届きそうな巨体とは思えない動きで銃弾を躱すと、牙狼よりも素早く駆けてくる。あまりの速さに呆気にとられ、煙玉の用意を忘れてしまった。
大きく口を開け、鋭い牙で食いちぎろうと、突進してくるキャプテングリズリーに対し、何とか横に飛び込み、転がって避けると頭を挙げて様子の確認をした。すでにキャプテングリズリーは態勢を整えている。
「グゥファアア」
唸り声が体に響く。これは今までとは本格的にレベルが違うモンスターだ。バイソンリーダーと単独で戦うようなものか。救いは封印空間にいる分増援の心配がないことくらいだな。
頬を冷や汗が伝うのが分かる。こんなとこまで再現されてるのかよ。そんなどうでもいいことに今更気を回しているのは、間違いなく一種の現実逃避でしかない。
初撃とは正反対に、今度は静かに距離を詰めてきていたキャプテングリズリーは、後ろ足で立ち上がると両腕をフックの様に使いこなして怒涛の連撃を繰り出してきた。錦からのアドバイスを生かして、出来る限り横に抜けられるように跳んだり転げたりと必死に動き続けることになってしまった。
攻撃をかわした際に体力を確認すると、一気に5分の1は失っていた。すかさずポーションを取り出して飲み干すと、全速力で距離をとる。
「これは本当に洒落にならないな」
敵の攻撃を捌きながら攻撃の隙を窺う余裕は、正直なところまったくない。そこで、まずは敵の攻撃を学ぶことから始めることにした。
全力で走り、全力で跳び、全力で転がる。それを5分程繰り返すことになった。
今のところキャプテングリズリーの攻撃はしっかりと躱しているが、風魔法の威力は凄まじく、余裕をもって回避したはずなのに服にかすっていくことも1度や2度じゃない。こっちはまだ1発もいれてないのにポーションは3個も減っている。そろそろどこかで突破口を見つけたいところだ。
大振りの攻撃の隙に木立ちの陰に走り込み、時間を稼ぎながら装填を行う。しかし、メリメリと音が聞こえたかと思うと木が突然裂けて茶色の物体が伸びてくる。首元を掴まれたと思うと体が浮いていった。
息苦しさと一緒にダメージが入っていく。目の前にはキャプテングリズリーの顔があり、その口がゆっくりと開かれた。
食われる。そう思う前に自然と体は動いていた。取り落とすことなく掴んでいたニードル銃を構えて顔面に突きつけると引き金に指をかけ、一気にを引き絞る。くぐもったような炸裂音と共に首は解放され、キャプテングリズリーは顔面を抑えてよろける。
その場で装填を行うと態勢を立て直す前にさらに1発打ち込むことができた。2発目は右の後ろ足に着弾してさらにたたらを踏む。その間に煙玉を炸裂させて距離をとった。これで2発、ようやく戦闘が始まった。
「さて、ここからが猟師の本分だな」
戦闘は長引いた。敵が剛腕を生かして連続攻撃をしてくるのに対し、こっちは僅かな隙をついての散発的な反撃に終始している。そしてそれよりも問題なのがこれだ。
「グルフゥアア!」
「またかよっ」
銃撃を察知したのかキャプテングリズリーは俊敏な動きでローリングして避けてしまう。これがもう4度目だ。これでは戦闘も遅々として進まない。ここから先に進むには撃つ以外の猟師の知恵が必要だ。
煙玉を使って大きく距離を取ると、そこは最初に背負箱を降ろした場所だった。ニードル銃はホルスターにしまい、左上に詰め込んでいたアイテムを取り出すと一目散に走り出す。そしてここからは単純な追いかけっこになった。
中央に鎮座する大きな樹木を中心に、キャプテングリズリ―の攻撃を横に躱しながらぐるりと回っていく。
手にしたアイテムからはロープが伸びており、それを樹木に1周させることが目標だったのだが、敵の動きを躱しながらだといかに困難なことか。気付けば樹木から離れてしまっていることに気付き慌てて戻ることが続いていた。
幸いにも、10分以上にわたって攻撃を避け続けたことで、今ではそこまでのダメージはうけずに戦闘を進められるようになっていた。それが悪かったのかもしれない。
高く跳躍してキャプテングリズリーの右フックを躱して着地した場所は、根が地上に露出している場所だった。足をついた瞬間、体が滑るような感覚を覚える。俺は木の根で足を踏み外していた。
「やっべ」
油断していたつもりはなかった。それでも攻撃を躱し続けるのは困難であり、いつかは被弾もあるものとは思っていたがまさかこんな流れでやってくるとは。
あと少しで1周で、もう目の前に落ちているロープを掴むだけのところまできていた。それがキャプテングリズリーへの意識を集中させ、足元の確認がおろそかになる原因となったのだろう。
態勢を崩してふらついている俺は、避けることも出来ず、強烈な右フックを見舞われることになってしまった。
体がボールの様に浮き上がり、地面に叩きつけられると弾んでいく。システムのおかげで痛みはないが、衝撃を受けて呼吸がとまる。すぐに咳き込みながら顔を上げると敵は既に眼前にいた。今にも食らいつこうとその瞳には獰猛な光が宿っている。
体力を確認することも出来ず、とりあえず煙玉で姿を隠して走りだした。そのままポーションを飲み干し、体力が回復したことを確認すると、追いかけっこを再開する。
大樹の周りを1周して、まずはアイテムを拾う。あとはもう1周するだけだ。これまでと同じで、時折木から離れてしまったが、今回はきっちり周ることが出来た。
アイテムを握りしめると、落ちているロープの端を掴み、付いているフックをアイテムに掛ける。死にかけたが、これで準備が整った。ここからが反撃だ。
走りながら様子を窺い、両腕の振り下ろしを横に転がって避ける。転がりながら竹筒から煙玉を取り出し、炸裂させた。
煙の中でも俺は“気配察知”で位置を特定できる。位置さえ把握できれば後は投げるだけだ。全身の力を込めて、掴んでいたアイテムを“投擲”する。鉄心から渡されたのはこのアイテムだ。
≪上質鉄の携帯とらばさみ レア度1 重量3≫
上質な鉄を使用した携帯サイズのとらばさみでロープは蜘蛛の糸製。携帯タイプのため設置するだけでなく、投擲して対象にぶつかった衝撃で作動させることも出来る。
効果:移動阻害(小) 継続ダメージ(小)
製作者:鉄心
ガシャリと重々しい金属の擦れるような音とともに、キャプテングリズリーの絶叫にも似た雄たけびが響きわたった。




