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金の籠  作者: 溝口智子
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 舞台に立ち口を開ければ勝手に口が第九を歌う。そうやってどれくらいの月日が経ったのか、短かった依子の髪は背中まで届くようになっていた。依子はその髪を三つ編みにして肩から前に垂らした。そうすると舞台を見ている異形の目が依子に集まるようになった。部屋に戻って観察してみると、他の人は皆、髪は伸び放題、男性はヒゲも伸び放題でまるで毛玉のようになっていた。

 翌日の舞台では依子は三つ編みを両肩に、お下げにして垂らしてみた。その翌日は布の切れはしを使ってポニーテールにしてみた。異形の目が必死に自分を見つめる姿が滑稽で、皆が歌い終わって舞台を去る中、依子は一人舞台に残った。

 ゆっくりと会場を埋める異形を見渡す。胸を張って声を響かせ歌い出す。しのぶが最後に歌ってくれた歌、カナリヤの歌を。客はざわめき、立ち上がるものもいた。一曲歌い終わって舞台から下りた依子を、いつもの異形が抱き上げ金の籠に入れると、廊下を駆けだした。依子は揺さぶられ籠の中を転げ回った。


 建物から転がるように駆けだした異形は近くに停めてあった乗り物に乗り込んだ。座席に置かれた金の籠の中、依子はやっと立ち上がり、異形のする事を見ていた。乗り物の壁についている赤いボタンを三つ順番に押すと乗り物は動きだした。続けてその下にある灰色のボタンを五つ押すと乗り物は方向を変えスピードを上げた。異形は手を離し金の籠を持ち上げると、依子の顔を覗きこんだ。目を細めキーと小さな声を出す。どうやらご機嫌を取ろうとしているように思える。依子は少しだけハミングしてやった。異形は何度もうなずくと籠を座席に置き、赤いボタンを一つ押し乗り物の速度を上げた。


 乗り物が辿り着いたのは劇場ほど大きくはないが、西洋の城のように装飾のある外壁をもつ優雅な建物の前だった。異形は籠を抱きかかえ乗り物から飛びおりると建物の正面に駆け寄り、金の装飾のある扉を叩いた。扉は内側へ開き、小柄な異形がちょこちょこと歩いて出迎えた。ふかふかした廊下を踏みしめ奥へ進む。廊下の壁は白かったが、ところどころに金の装飾をほどこされた円形の扉がある。そのうちの一つの扉をくぐると、そこは色彩にあふれていた。茶色の床、空色の壁と天井、うすいレモン色のテーブルと椅子。白と灰色ばかり見てきた依子は明るい色彩に目がちかちかするように感じた。依子の籠をテーブルに置くと、大きな異形は壁際まで下がった。


 部屋の中にいた背丈の大きな異形は立ちあがり歓迎するかのように両手をゆったりと広げた。テーブルの上に置かれた依子の籠を見もせずに、依子を連れてきた異形に金色のコインを数枚手渡した。そのまま二人は部屋を出ていってしまった。依子は籠の中にうずくまり何かが起きるのをただ待った。

 しばらくすると、家の扉を開けた小柄な異形が金の籠を抱えて入ってきた。小さなその異形には籠が大きすぎ、よたよたと歩いている。なんとか籠をテーブルの上に置くと、小さな異形は目を細め依子と隣の籠の中の人物を見比べ嬉しそうに飛び跳ねながら部屋から出ていった。


「よう、俺の花嫁さん」


 声をかけられ驚いて振り返ると、隣の籠に入っているのは黒髪、黒いひげの若い男性だった。布を腰に巻き、上半身裸で寝そべっていたが、だるそうに起き上がった。


「はなよめ?」


「そ。俺たちはつがいにされたんだ。それより、その食い物こっちにくれないか、腹が減って死にそうなんだよ」


 依子は籠ごと振り回されたおりに隅に散らばったクッキーを取って金の紐の隙間から差し出した。男性は手を伸ばして受け取り、むさぼり食った。男性の籠にはお椀も平皿も入っていなかった。クッキーを三枚食べ終わったところで大きなげっぷをしてから男性は話しだした。


「ああ、助かった。もう少しで飢え死にするところだった。あんた、名前は?」


「立花依子、ですけど」


「依子。俺は雷三」


「雷三? 変わった名前」


「かっこいいだろ?」


 雷三はどっかりと胡坐をかくと頬杖をついて依子をじろじろと見回した。


「な、なんですか」


「うん。なかなか悪くない。あんた、俺の子を産む覚悟はできてる?」


「ええ!? こども!?」


 依子は驚いて目を見開いた。


「できてるわけないよな。もう何人も女が連れて来られたが誰もそんな気にはなってくれなかったよ。モテないってつらいぜぇ」


「な、何の話ですか?」


「だから、俺たちつがいにさせられるんだよ。つ・が・い。オスとメスを一緒にして繁殖させる」


 依子はぽかんと口を開けた。


「つがいなんて……、そんな。私は動物じゃないわ」


「あんたまさか、あいつらが俺達に人権を認めてくれるなんて思ってないよな」


「それは……、思ってないけど。もちろん」


「俺たちはやつらのペットだ。なにもかもやつらの思う通りにさせられるだけだ」


 他人の口から『ペット』という言葉を聞いて改めて自分が置かれた境遇に思い至る。籠にとらわれ何もできない自分。どこにも誰にも頼れない自分。


「で、あんたこのまま俺と暮らすか?」


 問われても依子には返事ができない。たった今出会ったばかりの男性とつがいにさせられて一生を過ごすなど、実感がわかない。迷っていると雷三は言葉を継いだ


「そんな気はないよな。だったら逃げださなけりゃならない」


「逃げだす? どうやって?」


 雷三は白い扉を顎で示す。


「もうすぐ使用人がエサと水を取り替えに来るだろう。その時に俺をそっちの籠に移動させるはずだ。その隙を見て使用人を食い殺す」


「そんな! まさか食い殺すなんて、そんなこと……!」


 雷三は厳しい目を依子に向ける。


「かわいそうだなんて言うなよ。俺たちはやつらの気まぐれ一つで殺されちまう、ちっぽけな生き物なんだ」


 依子は劇場で聞いた話を思い出す。人が殺された、残酷な方法で。


「逃げなければ、俺たちはいつ殺されるか分からない」


 扉が開き、一人の異形が入ってきた。


「使用人だ。籠の扉を二つとも開いたら外に飛び出すんだ。あいつは俺が何とかする。このテーブルから飛びおりて外の扉へ走れ」


 依子はテーブルの高さを確認する。どうやら自分の身長と変わらないくらいらしい。床はふかふかしていた。できるかもしれない。

 使用人が雷三の檻を開け雷三を片手で抱き上げた。一度テーブルの上に下ろし、依子の籠を開ける。雷三が駆けだし異形の腕に噛みついた。金属音のような悲鳴が耳をつんざく。


「依子! 走れ!」


 依子は耳を塞いだまま、がくがく震えて動けずにいた。雷三の口には異形の緑色の血がつきヒゲをしたたり落ちていく。異形は自分の手を抱きかかえ血を流し叫び続けている。


「早く!」


 雷三が依子に向かって手を伸ばした時、異形が雷三をつかみ上げ、壁に叩きつけた。


「きゃああああ!!」


 壁に赤い染みができ、雷三の体が壁を伝って床に落ちた。見る間に床に血だまりができる。


「雷三! いやああ!!」


 依子は目を見開き雷三の体を見つめ続けた。使用人は腕を押さえたままふらふらと部屋を出ていき、それからすぐ小さな異形が部屋に駆けこんできた。床に伏した雷三の体をつかみ揺さぶる。雷三の体はがくがくと、生きている人間にはあり得ない動きで揺れた。

 部屋に戻ってきた使用人は布で自分の傷口を押さえていた。小さな異形は使用人に近づくと、その腹を何度も何度も叩いた。その小さな目から薄水色の涙がこぼれていた。


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