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金の籠  作者: 溝口智子
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 異形との暮らしは慣れてしまえば快適だった。ただ座っているだけで飲み物にも食べ物にも苦労することはない。異形は優しく、依子が独り言を話すたびに喜んでくれる。以前の日常とは大違いだった。


 依子には両親がいない。中学生の時に事故で二人一度に亡くなってしまった。二年間だけ施設で暮らし、高校入学と同時に一人暮らしを始めた。学校とバイトと寝るだけの生活。人間が苦手な依子には親しい友人もいない。依子が突然いなくなっても誰も困っていないだろう。

 金の紐にもたれて座り、ぼんやりとそんなことを考えていると飼い主が部屋に入ってきた。その後をぞろぞろと見知らぬ異形たちが続いて入ってくる。依子は立ちあがり異形たちの方へ歩いていった。異形たちはそれぞれ手近な椅子に腰かけ依子を見つめている。その目はやはりどろりとして感情も分からないのに、なぜか依子を品定めしているように感じた。


「どうしたの、この人たちは誰?」


 異形たちの間の空気が張り詰める。緊張感にいたたまれなくなり、言葉は通じないとわかっているのに依子は不安で声を出さずにいられなかった。


「ねえ、なにが始まるの?」


 飼い主は依子の声にいつものような反応を示さず、異形たちの方を向いたままだ。異形のうちの一人が飼い主の方に向かって口を開いた。


「!!」


 依子はあわてて耳を塞ぐ。異形の口からは金属を引っ掻くような高く不快な音が出た。全身に鳥肌が立った。異形たちは次々に口を開き手を高く上げ指をたて、飼い主に何かを言い募る。飼い主は一人一人の言葉を聞き、うなずき続ける。依子は耳が痛くなるような騒音の渦の中、魚市場で行われている競りに似ているとぼんやりと思った。


 それまで一言も発せず黙っていた異形が静かに手を上げた。指を一本あげただけで場をシンと静まらせた。異形たちはその指を見つめ口を閉ざし、飼い主は金の籠を取り上げ、指を上げた異形に渡した。

 ぐらぐら揺れる籠の中、依子は金の紐にすがりついて振り落とされないよう必死で踏ん張った。飼い主が先導して部屋を出る。籠を持った人物は部屋の出口で懐から出した金のコインのようなものを飼い主に渡した。飼い主は満面に笑みをたたえるとその人物を建物の外まで案内した。


 建物の外は灰色の世界だった。地面も空も灰色で、見渡す限り木も山も建物もない。雲もなければ風もなかった。

 籠を持った異形は建物のすぐ前に停めてある乗り物に乗った。馬がついていない馬車のような形の白い乗り物だった。異形は籠を膝に置き、飼い主に向かって軽く手を上げて見せた。飼い主は深々とお辞儀して、動きだした乗り物を見送った。依子は籠を抱く異形の顔を見上げた。異形は依子になど関心ないような風で前だけを見ていた。


 乗り物は静かに進んだ。時おり風が吹き抜けるような不思議な音が聞こえたが、それ以外に乗り物がたてる音はなかった。外をずっと眺めていると、遠くところどころに植物か遺跡からしい影が見えた。それは灰色をしていて地面と区別するのも難しかった。


 乗り物が停まったのは大きな白いモスクのような建物の前だった。丸い建物の上に球状の飾りが乗っている。正面には金で縁どられた丸い扉のようなものもある。

 異形はその扉に近づくことなく建物の裏手に回った。巨大な建物だった。異形の足でも一周するには十分以上かかるのではないだろうか。まして小さな依子ならどれだけ歩かねばならないか想像もつかない。

 建物を挟んで扉の真裏に当たる部分につくと、異形が壁に手をあてた。するとその部分から壁が開き、異形は建物の中に入った。異形が入ってしまうと扉は音もなく閉まった。しばらくまっ白な何もない通路を進む。真直ぐな通路の先はどこまでも白で、壁も床も白く果てしないように思われた。

 突然ぴたりと異形が止まった。あいかわらず辺りは一面、白いだけで何もない。何の目印もない壁に異形が手を触れると、そこにぽっかりと丸い穴があいた。そこは扉だったのだ。異形は籠を抱きかかえ部屋の中に入った。


「あっ!」


 依子は叫ぶ。


「助けて! 助けて下さい!」


 部屋の中には大勢の人間がいた。彼らはみな黒い布で体をすっぽりと覆い、籠に閉じ込められることもなく各々、床の上に座っていた。


「助けて!」


 しかし依子がいくら叫んでも彼らは誰一人として動こうとはしない。異形は部屋の中心に進むと、依子の籠を床に下ろし、金の紐を掻き分けた。依子は開いたところから外へ飛び出し、すぐ近くにいた青年に駆け寄った。


「ここはどこ!? どうして私はこんなところにいるの!?」


 青年は迷惑そうに眉をひそめると、依子が聞きとれない言葉で何かつぶやいた。


「外国人……」


 依子は幾分か落ち付いて部屋の中を見渡した。雑多な人種がいた。肌の色もさまざまで言葉が通じないだろう人がたくさんいた。人間の見本市のようだった。

 三十人ほど集められた人のなかに、日本人らしき女性を見つけ、依子は駆け寄った。


「日本人ですか!?」


 飛びつきそうな勢いでたずねた依子を、その女性はやはり迷惑そうに見やった。


「昔はそうだったわ」


 依子は久しぶりに聞いた日本語に、ほっと温かなものが胸にこみあげて涙を流した。


「よかった……、よかった……」


 依子がささやく声に、しかし女性は冷たい言葉を返した。


「良い事なんて何もないわよ」


 依子は質問しようとしたが、その時金属を引っ掻くような音がして、耳を塞いだ。

 異形が口を開き何事か叫んでいる。人々は銘々に立ち上がると異形の足元に近づいて一列に並んだ。日本人の彼女も列の一番後ろに並ぶ。依子はわけもわからぬまま日本人女性の後ろについていった。異形は人間の列を従えて部屋を出ていく。列は静かに乱れず進んでいった。

 金色に縁どりされた丸い扉の前につくと、異形は扉を開けた。扉の向こうから目を焼くほどの強い光が射してきて依子は目を細めた。列は扉の向こうに進んでいく。依子も後につづいた。

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