イフェリアの日常
いってきます、そう挨拶をして、イフェリアはいつものように自宅の外へ出た。
朝陽が柔らかな陽射しを降り注いでくる。この季節にしては穏やかな空、暖かな朝だった。小春日和といってもいいかもしれない、そう思うと心が弾む。イフェリアは寒いのは苦手なのだ。
前庭の短い石畳のアプローチを、右足を引きずりながらゆっくりと歩いていく。以前は早く歩くことができなくなった自分に苛立つこともあったが、今はもう慣れてそんなこともなくなっていた。少し早く家を出て、散歩感覚で近所を歩きながら停留所まで行くことも、車を運転できなくなってバスで基地まで通勤することも、慣れてしまえば苦でもない。足が動くだけましなのだと思えば、それ以上嫌な気分も起こらなかった。
「あら、イアちゃん、おはよう。今日は暖かいわね」
愛称で呼びかけられてイフェリアはそちらを振り返った。顔馴染みの近所の主婦が、こちらを振り返って笑顔を見せている。彼女は小さな娘の手を引いていた。娘はこちらに向かって控えめに手を振ってみせている。隣の家に住むリアラちゃんだ。リアラちゃんはまだ三つ。人見知りの激しい女の子だが、なぜか自分にはよく懐いてくれる。道端で会えば必ずといっていいほど母親の陰に隠れながらも手を振って挨拶してくれた。それでイフェリアもリアラちゃんに会えば必ずにっこり笑って挨拶することを習慣にしている。今朝もそれで、屈み込んでリアラちゃんに笑いかけ、手を振り返した。バイバイ、また今度遊ぼうねと話しかける。それにリアラちゃんは笑ってくれた。なんとも愛らしい笑顔に、イフェリアはそれだけで幸せな気分になる。姿勢を戻した時に右足に痛みが走ったが、それも気にならなかった。
リアラちゃんと話すのは嬉しいし楽しい。しかしそのために屈んだりしゃがんだりするのは自分にとって苦痛だった。しかしそれを決して表情に出すわけにはいかない。せっかく懐いてくれてるのにそんなことで嫌われてしまうのは悲しかった。イフェリアは子供が好きなのだ。子供には、嫌われたくない。
右足の痛みを我慢しながら足を引きずり、イフェリアは歩を進めていった。停留所へと向かうために角を一つ曲がると、すぐ目の前にやたらと人の集まっている家があった。なんだろうと、思わずその家に視線を向ける。
その家の前には報道陣の腕章を身につけた男女がかなりの数いた。その周りをさらに取り囲むようにして野次馬らしき老若男女がたむろしており、さらに家の門前には警邏車両が停車して複数の兵士が頻繁に家を出入りしていた。いったい何があったのだろう。何か、事件が起きたのだろうか。
イフェリアは思わず足を止めてその人々が発している言葉に耳を傾けてみた。それほど騒然とした感じはない。どうやらこの家で誰かが変死したらしいが、事件性はないと思われているようだった。それなら病死か事故死だろう。突然亡くなったか死後しばらくして見つかったためにこうして騒ぎになっているのかもしれない。そういうことはよくあるとイフェリアは思い、そのまま通り過ぎようとしたが、続いて聞こえてきた言葉に再び足を止めた。
――シェリヴィナ。
いま耳に入ってきた言葉の主はたしかにそう言った。この家で死んだのはシェリヴィナだと。その名にはイフェリアも覚えがあった。他でもない、昨夜自分が受けた緊急通報の電話の相手だ。逆探知できた住所の居住者の名前が、シェリヴィナとなっていた。
――ではこの家が、あの時、彼女が電話をしてきた家なのか。
イフェリアは不思議な感慨にとらわれた。あの時の彼女は、ここから自分たちに助けを求めてきた、いや、犯した罪を償おうとしていたのか。フラワーレイン地区の三丁目、五番地と住所が出た時に、自宅の近所だとは思ったが、まさかこれほど近くだとは思わなかった。ここは、毎日自分が通勤のために通る道だ。家の佇まいも、意識せずとも毎日のように視界に入っていたはずである。この家に住んでいたシェリヴィナとは、いったいどういう女性だったのだろう。これほど近くに住んでいれば、一度や二度は、顔を合わせたこともあったかもしれない。そういう人物が、人を殺したのだ。そして、死んだ。
そのはずだったが、殺人が起きた家の前にしては報道陣の数が少なく、捜査車両の数が少ないように思えた。イフェリアは怪訝に思う。時刻がもう昼を過ぎているとはいえ、まさかもう撤収しようとしているのだろうか。殺人事件の捜査なら、たとえここが直接の現場でなかったとしても、それほど早くに加害者の家の捜索が終わるはずがないと思ったが、続いて聞こえてきた言葉に頷いた。
――ああ、シェリヴィナという女性は亡くなったのね。
この家に住んでいた彼女は亡くなったのだ。イフェリアは了解した。それならこの様子には納得できる。どれほど大きな事件も凶悪な犯罪も、犯人が死んでしまえば訴追することはできない。ならば必然的に軍の捜査も形式的なものに終始してしまうのだ。手続き上必要な書類の空欄が埋まればそれで良し。イフェリアも同じ軍人として、その現実はよく知っている。
なぜ亡くなってしまったのだろう。昨夜の彼女は、自分を捕まえないのなら死ぬと何度も繰り返していた。まさか、それでだったのだろうか。警邏隊が到着するまでの僅か五分を待てなかったとは思えない。彼女は最初から死ぬつもりだったのではないのか。なら、なぜ基地に通報などしたのだろう。緊急通報で自殺などほのめかせば、自分のような交換手も警邏隊も、まずそれを警戒する。そうなれば自殺を止められる可能性、あるいは自傷後に救命される可能性が高くなるとは考えなかったのだろうか。結果的に成功したとしても、それはあくまでも結果論だろう。本当に死ぬつもりだったのなら、邪魔が入る恐れは、できるだけ回避したいのではないのか。
しかしそうは思っても、彼女が自ら生命を絶ったのは事実で、自分たち軍人が彼女を救えなかったのもまた、事実なのだ。
イフェリアはその場で静かに黙祷すると、踵を返して彼女の家を離れた。
「――だからねえ、助けてほしいのよ。分かるでしょ?こっちはたいへんなのよ。今日はお客さんが多くてさ」
受話器を通して愚痴のような文句が聞こえてくる。耳に入ってくるやいなやイフェリアは表情筋が引き攣るのを感じた。それはたいへんですねとかろうじて同意の言葉だけを返す。それ以外の言葉は言わないほうがいい。下手に言い返すとこの手の人間は後々まで煩いのだ、イフェリアはそのことを充分承知していた。こういう通報は、相手にとりあえず言いたいだけ言わせてさっさと通話を切るに限る。
だが電話の相手はそれで通話を切ろうとしなかった。そうでしょ、と同意を求めるように声が高くなる。さらに何かを一方的にまくし立ててきて、イフェリアは思わず受話器を耳から遠ざけた。距離が離れてしまえば、迷惑通報も単なる雑音だ。しかしこういう電話がいちばん切るタイミングをつかむのが難しい。叩き切ってしまえば楽なのだが、そんなことをしてしまえば絶対にこの女性は騒ぐだろう。緊急通報にかけたら交換手に一方的に切られた、重病だったらどうするのか、軍は市民を殺す気なのか等々。
――あんたの店の従業員が足りないのなんか、こっちは知らないっての。
この迷惑極まりない、自分の店が忙しいから手伝いの要員を寄越してくれなどというふざけた通報をしてきたのは、サウスリバー地区に住む女だ。おそらくサウスリバーの第三市場の料理屋の女将に違いないと、イフェリアは推測している。声の特徴や喋り方があそこの女将に酷似しているし、あそこの女将はこの種の迷惑通報の、いわば常連なのだ。頻繁に基地の緊急通報に電話してきては、店の前の野良猫をなんとかしろだの、店内の酔漢が騒いで困るだのとほざいてくる。基地の緊急通報を便利屋か何かと勘違いしているのだ。自分の店のことぐらい、自力でなんとかしてくれ。どうでもいい通話で緊急回線を塞ぐな。
しかしそう怒鳴れないのが通信室の交換手の悲しいところだ。通信室の交換手は市民にとって最も身近な軍人なのだ。電話一本で基地と繋がり、状況に応じて警邏隊や救急隊を采配し、治安と市民の生命を守る役目を担っている。交換手以外に接触できる軍人がいないという市民のほうが圧倒的に多く、故に交換手の対応が悪ければそれは軍全体の評判の失墜に繋がることもある。たとえいかなる部隊の兵士も出動させる必要のない、当事者の思い込みにすぎない迷惑通報だと分かっていても、交換手としては通報を受けないという選択肢はなく受話器を取らないという選択肢もない。誰がどんな大事で電話をかけてきているか分からないからだ。だからいっそうこの種の電話は腹立たしい。こんな傍迷惑な電話でも、受信している間は回線が塞がっているのだ。こんな不毛かつ無意味な電話を受けている時に、本当に一刻を争って救急隊の到着を待たねばならない人が、電話をかけてきたらどうするつもりなのか。
なのにそんな交換手の心情は電話線の向こうには伝わらないのか、基地の緊急通報を便利屋か何かと勘違いしているこの女のような市民はかなりの数いる。忙しいから手伝い要員を寄越してくれなんていうこの電話は正直、かなりましなほうだ。なかには腰を痛めたから庭の草取りをしてくれだの、仕事が長引きそうだから託児所に預けた子供を迎えに行けだの、あげくの果てには公衆便所を使おうとしたら紙がなかったから持ってこいというものまである。というより、イフェリアら交換手が一日のうちに受ける数多くの通報電話のうち、半数はそんな電話ばかりだ。着席してしばらくは我慢ができても、終業時刻が迫った頃くらいには癇癪を起こしたくなってくる。少しはこっちの、いやそれ以上に、本当に一刻を争わねばならない人々の身にもなってほしい。
イフェリアは密かに溜息をついた。受話器の向こうの女の声が僅かに途切れた隙を見計らって、市場の手伝い屋を使ったらどうですかと助言し、返事を待たずに受話器を置く。手伝い屋とはどこの市場にも必ずある、市場の入居店が忙しい時に手伝いの人々を派遣する商売人のことだ。在籍しているのは子供や学生、一度は仕事を引退して隠居した老人が圧倒的に多く、それが一日だけ特定の店を手伝って小遣いを稼いで遊んだり、生活費の足しにしたりする。イフェリアも士官学校に入るまでは時々利用していた。この女が頼るべきは、本来はそういうところだ。
だがようやく受話器を置けたかと思ったら、間髪を入れずに再びコールが鳴り響いた。もはや条件反射の動きで受話器を取り、防衛軍第一基地だと応じる。またあの女がかけてきたかと思ったが、今度は女の声ではなかった。しわがれた男の声で、息子が学校から帰ってこないと訴える。
聞いた限りでは重大事件のような通報だった。だがイフェリアは男の訴え方に逆探知の結果を表す目の前の小画面に視線を向ける。そこにこの通報電話の発信元が表示されているのだ。この画面を見ればどこの誰がかけてきた電話なのか、交換手にはたちどころに分かるようになっている。通信室は学校の大教室のような造りをしており、整然と並べられた机に一つずつ電話が置かれ、この小画面が設置され、警邏隊や救急隊の待機室に繋がる緊急連絡装置が設けられているのだ。机の数は百をはるかに超えている。机一つに一人の交換手が着席しているから、それだけの人数がここで勤務しているのだ。それでも電話の音は途切れることを知らないほど、頻繁に鳴り続けている。第一基地が管轄している区域は車で移動すれば端から端まで何時間もかからないのだから、いかに迷惑通報が多いか分かろうというものだ。救急隊や警邏隊の出動が必要な傷病者の出る事件や事故などは、一日にそう何件も起きるものではない。
小画面に表示された住所はイーストレイク地区のものだった。番地までを正確に読み取ると、まただ、と内心で溜息をつく。これも事件通報などではない。迷惑通報常連客の電話だ。もっとも悪意がなく、当事者は真剣であるだけさっきの女よりはましなのだろうと思う。この電話をかけてきたのはイーストレイク地区に住む老人だ。かなり高齢の人物で、頭のほうがもう若干怪しくなっている。何年も前に死んだはずの妻や長男がいなくなった、誘拐ではないかと騒いだり、同居している娘や次男の嫁を親切な家政婦と呼んで家族と認識できなくなりその誤解から頻繁に揉め事を起こすことがあるのだ。それは、第一基地では知られた話だった。この老人は基地ではある種の有名人なのである。
しかし、頭が怪しいだけに対応は楽だと、イフェリアは失礼とは思いつつもどこかほっとして応じた。
「まだ夕方ですよ、心配するには少し早すぎませんか?息子さんはお幾つです?」
訊ね返すと、十二歳だという答えが返ってきた。やはり、と思う。この老人の息子は十年以上も前に病気で亡くなっているのだ。正確な年や死因はイフェリアでは分からないが、その時点で五十を過ぎていたことは確実であり、この老人の頭のなかがどこかおかしくなっていることが分かる。
「ならもう少し待たれてみてはいかがですか?十二歳のお子さんが帰宅するにはまだ早い時間ですよ。その年齢なら、お子さんは中等学校に通われているのでしょう?ならば、放課後はクラブ活動もあるでしょうし、図書館で宿題でもしているのかもしれません。中等学校では、生徒の帰宅が日が暮れてからになることは珍しいことではないんですよ」
そうかのう、受話器から老人の疑念に満ちた言葉が聞こえてきた。そうですよ、とイフェリアは力強く応じる。
「ですからもう少し待たれてみてください。深夜になってもまだ帰らないということになれば、私が基地の警邏隊に捜索を命じますから」
断言すると、老人は安心したのか礼を言って電話を切った。イフェリアは安堵の溜息をつく。この老人は迷惑通報の常連とはいえ、対応がいちばん楽な人物でもある。どうせ深夜になれば夕方自分が電話をしたことも忘れているのだ。今だけ適当に応対をして、納得してもらえばそれでいい。今までそれで問題が起きたこともなかった。なぜか、年を取ると最近のことほど忘れやすくなるらしい。
老人からの電話が切れると、いくらもしないうちに再び電話のコールが鳴り響いた。イフェリアは気持ちを切り替えて再度受話器を取る。老人のことは意識の外へ捨て去り、注意を電話の向こうへ注いだ。
溜息ばかりついていても仕方がない。これが、自分の仕事なのだ。
次は王立シアターホール前です、お降りの方は――
車内アナウンスの声が全て終わる前に、イフェリアは手を伸ばして降車ボタンを押した。
ブザーが鳴り響き、次の停留所では停車することを音が伝えてくる。やっと着いたとイフェリアは溜息をついた。いつものバスが、今日に限って長かった、そんなふうに感じる。
疲れてるのかと思った。夜通しほとんどが迷惑通報の電話ばかりを受け続けて、身も心も萎えているのかと。実際、気分はずっと凹んでいた。本当ならこんなはずじゃなかったと思えば、いっそう落ち込むものがある。
――士官学校を出て、通信室の交換手なんて、私ぐらいしかいないものね。
イフェリアは去年、上級軍人を育成する軍の士官学校を卒業した。士官学校は指揮官などの階級の高い軍人を育てるための学校だから、入学試験も難しく、簡単には合格できない。授業も難しく、卒業するのも至難の業だが、その代わり卒業すればすぐに一般兵士たちを指揮する二等指揮官の地位に就くことができる。イフェリアも本来なら、そうなるはずだったのだ。在学中には航空偵察隊か航空防衛隊のどちらかに所属して戦闘機のパイロットになるだろうと言われていた。実際、同級生の何人かには、航空防衛隊に配属された者もいる。しかしイフェリアは、そうはならなかったのだ。
――この足さえ、無事だったらよかったのに。
今さらながらに自分の足を恨めしく見る。イフェリアは右足をほとんど動かすことができない。車椅子が必要なほどではない、かろうじて歩くことはできるものの、二度と走ることはできないだろうと医者にも言われていた。足が利かなくなればもはや軍人としての将来に光はない。務められる地位もなく、本来なら退役を余儀なくされるところだ。だが、せっかく士官学校の卒業試験に合格できたのだからと指導教官が特例として通信室に配属してくれたのだ。通信室の交換手もいちおうは軍人だから、イフェリアも通信室での勤務を承諾するのならば軍に留まり続けることができる。イフェリアに選択肢はなかった。通信室の交換手は指揮官ではなく一般兵士で、昔からと揶揄されることも多い若く体力のない女性兵士ばかりが配属される職場だが、軍務に携われるならそれで満足だったのだ。士官学校を出て軍人になれないだなんて、考えただけで惨めな気分になる。
イフェリアがこの身体になったのは士官学校の卒業試験を終えた直後、帰宅途中に車に撥ねられたのが全ての原因だった。撥ねた車はとうとう見つからなかった。生命があっただけまだ幸運だったのだが、その事故の衝撃で足に後遺症が残ったのだ。あの車さえなければと今でもその車の運転手が憎たらしくてならないが、三年も経ってまだ車種すら特定されないと、もはや諦めが心を支配してくる。死ななかっただけまし、と思えば、まだ感情を抑えることができた。
それでも毎日毎日、理不尽極まりない要求や不毛に近いような問答ばかりを繰り返していれば、いい加減に嫌気もさしていた。特に今日のようなことは堪える。
シェリヴィナという人のことが脳裏に甦った。まだ、彼女の声は耳に残っている。自分が電話で話をした人が、数分後にはこの世にいない。自分が、生きているその人に最後に接したのだと思うと、それだけで心に重いものがあった。ましてやシェリヴィナは自殺したのだ、自分がもう少しましな対応をしていれば、彼女は死なずにすんだのではないか、そう思えてならない。
――だからってあれ以上の対応なんて思い浮かばないんだけど。
自嘲した。きっとそれで心が苦しいのだろうと思う。士官学校を出て通信室の交換手をしていることへの虚しさ、毎日毎日不毛な問答を繰り返していることへの嫌悪感、シェリヴィナのことへの後悔、きっとそれらが重なり合っていつもより疲れているのだ。イフェリアはいつでも、今の職場は辞めたいと思っていた。しかし辞めた後、不自由な足を抱えてどうやって次の仕事を探すのかと言われれば答えられない。それで決心がつかないまま、ずるずると今日まで来ている。
――私、これからどうしていこう。
ぼんやりとそう思い、思ったところで車窓を流れる景色が止まった。イフェリアははっと我に返る。手すりに摑まりながら慌てて席を立ち、通路を歩いて降り口へ向かった。ハンドバッグから財布を取り出し、運転手に代金を払ってバスを降りる。片足しか自由が利かないと、車の段差も降りるのは少し怖かった。もう慣れているから手すりを摑めば動き自体に支障はないものの、この感覚だけは消えてくれない。それで普通の人よりも少し時間をかけて道路に降り立った。バスが扉を閉ざして走り去ってしまうと、イフェリアは朝陽の昇り始めた空を見あげる。
――この時間に早く家に帰って寝ようなんて考えてる私って、よく考えてみたらけっこう特殊かも。
イフェリアは空を見あげながらふっと笑った。いま走り去ったバスは始発だった。普通ならこれから仕事に行く人を乗せることはあっても仕事から帰る人を乗せることはないバス。乗客も、降りた時に乗っていたのはイフェリアの他には数人だけ、それも全員が帰宅途中の基地の軍人ばかりだった。通信室は勿論、基地に昼夜はないから終バスで出勤する兵士も、始発で帰宅する兵士もけっこういる。そういう時、自分は普通の人とは違うことを実感する。
停留所を離れて歩道を歩きだした。帰って寝たら、明日は休暇だ。その後はまた七日ほど夜勤が続く。昼夜が逆転したような生活リズムにもいい加減に慣れていたが、たまには陽光の下を歩いてみたいと思った。太陽の光を、思う存分浴びてみたい。
気が変わった。イフェリアは歩道で身体の向きを変えて自宅とは逆方向に歩き出す。シアターホールに隣接している、百貨店へと向かった。百貨店の屋上には簡易ゴルフ場が作られている。ネットで周囲を覆われたそこは単にクラブでボールを打つだけの、試合も何もできない練習場にすぎないが、それでも昼の光を思いっきり浴びながら、競技を満喫できるのは素晴らしいことのように思えた。本当ならテニスのラケットでも握りに公営の球技場まで足を伸ばしたいところなのだが、あいにく今は一人で一緒に競技に興じてくれる相手がいない。一人で壁を相手にボールを打っても面白くはないし、わざわざ料金の高い私営の球技場に行って従業員に相手を頼むのも気が進まなかった。この時間なら百貨店も混み合っていたりしないだろう。簡易ゴルフ場も空いているはずだ。ならばそちらに行ったほうが楽しめる。自分のような人間でも迷惑になることはないだろう。
それでイフェリアはシアターホールの横を歩く。歩きながら何気なくシアターホールの外壁を眺めた。シアターホールの外壁は看板も兼ねている。上映中や今後上映する予定の映画の宣伝ポスターが何枚も貼られていた。看板絵師が一枚一枚丹精を込めて描き上げた、柔らかな色合いの絵画のようなポスターが目を惹く。映画を見る前から想像力を広げてくれるそれらのポスターに、イフェリアは前を通りかかるたびに目を奪われていた。映画を見ずともポスターだけでストーリーを広げられるなら安上がりだという自覚はある。今もそれらのポスターが描き出す世界に惹き込まれ、やがて一枚のポスターに目を奪われた。
もっともその一枚に惹かれたのはストーリーにではなかった。もちろんストーリーも胸がときめきそうなきららかなロマンスに感じられたのだが、惹かれたのはいかにも見目麗しい男優や女優の絵姿にではなかった。それらの下に書かれた共演役者の名前にだった。脇役や端役を務める役者の名前が、主演の絵姿や名前を霞ませない程度にひっそりと、しかし隠れてしまわないように小さく書かれている。いつもであれば、イフェリアでなくても普通の観客であれば見落としてしまいそうなそれらの名前の一つに、イフェリアは目を奪われた。隅のほうにひっそりと、シェリヴィナと書いてある。
――シェリヴィナ、これ、昨夜の・・?
ふいに二日前の電話の声が耳に甦ってきた。あの不気味な哄笑と、人を殺したにもかかわらず冷静な声が。そういえばシェリヴィナという女優がいるのだと、昨日の昼に父が話してくれた。勤務医の父は、イフェリア同様に勤務時間が一定していない。それで昼間でもよく自宅で話すことはあった。その父が教えてくれたのだ。昔、人気のあった女優に、シェリヴィナという女性がいるのだと。
――ものすごく綺麗な女優さんだよ。清楚という言葉をそのまま具現化したような女性でね。父さんたちが若い頃には男はみんな憧れたんだ。ああいう女性を嫁さんに貰いたいもんだってね。でも映画に声がつくようになって一気に見なくなった。声が全然美しくなかったんだよ。それで、なんというか急に醒めてしまったんだな。
父はそう言っていた。シェリヴィナという女優の名にまるで覚えのないイフェリアは、それを言われても満足な相槌も打てないのだが、通報をしてきたシェリヴィナがそのシェリヴィナだと思えば、なんとなく納得できるものはあった。たしかにあの女性の声は美声とは言い難かった。彼女が世間に知られている年齢のとおりの年なら、まだ五十にはなっていない。にもかかわらず声は低くて嗄れていて、まるで老女のようだった。緊急通報にかけてくる人は、総じて混乱しているのが普通だとしても、それで声質まで変わってしまうとは思えない。彼女は普段からああいう声だったのではないか。それなら今時の女優としては、たしかに致命的かもしれない。
少し前まで、映画といえば声がないのが普通だった。映画館のスクリーンに映像だけが投影され、弁士が台詞をいいストーリーを説明し、劇場専属の楽団が伴奏となる音楽を奏でる。それが普通のことだった。同じ映画でも弁士が異なれば全く違うストーリーに感じられることもあり、弁士の人気が映画の人気を決定づけることさえあったという。人気のある弁士は劇場間で取り合いになることもあり、弁士は映画において役者以上の職業だった。しかしイフェリアが幼い頃にはすでに映画は声が出るのが普通になっていた。イフェリアは映画館で弁士も楽団も見たことはなく、かつて無声映画では通用した美貌の役者が、声が出るようになったことで声に魅力がないと引退を迫られていったり、主演が当たり前だった役者が声のせいで端役に成り下がっていったりしたのも、お話のなかでしか知らない。
しかしその変遷が、自分の人生そのものを決定してしまった彼女は己の運命をどう思っていたのだろうか。イフェリアはポスターに記された彼女の名前を指でなぞった。ポスターの、これほど端のほうに記される役者は通常、完全な端役であることが多い。台詞があるだけエキストラよりはまし、という程度の役の俳優の名が記されることが多いものだ。劇場によってはポスターを画鋲で留めることもあるものだから、こんなに端のほうに記載しては、上映期間が終わる頃にはポスターの端が裂けて名前が切れてしまうこともある。父によればかつては同世代の誰もが憧れたという彼女は自分のこの処遇を屈辱に感じなかっただろうか。それだけ人気のある女優なら、今でも主演を飾っていておかしくないからだ。
――だから、彼女は思い詰めた?
彼女が誰を殺したのかはイフェリアは知らない。しかし自分の意思ではどうにもならない自分の欠点が、自分の人生を決定的に狂わせたのだとしたら。それで彼女は自暴自棄になったのではないだろうか。そして人として最悪の形で、人生の幕を下ろすことになったのではないのか?
イフェリアは首を振った。そして、ついつい暗いほうへ傾いていく自分の思考を頭から追い払う。
――いけないいけない。いちいち思い悩んでいたら、交換手なんか務まるわけないんだから。
気持ちを切り替え、イフェリアはシアターホールの前を通り過ぎた。早く陽光の下で爽やかな汗を流し、職務で鬱々と沈みこんだ心を引き立たせたかった。
――ちょっと、調子に乗り過ぎたかな。
イフェリアは身体の痛みを感じながら家路を急いでいた。久しぶりすぎて少し無理があったのかもしれない。士官学校では厳しい訓練も耐え抜いてきたとはいえ、最近のイフェリアはめっきりスポーツとも縁遠くなっていた。通信室の交換手ともなると戦闘訓練に参加する機会もそう多くなく、筋肉が鈍っていたのかもしれない。全身が痛く、筋肉が悲鳴を上げていた。こんなことなら百貨店の屋上で、偶然会った馴染みのアイスホッケーチームの練習試合などに、混ぜてもらわなければよかったと思ってしまう。
――けっこう、楽しかったんだけどね。
アイスホッケーは足の不自由な人々でも楽しめる数少ないスポーツのうちの一つだ。右足が動かなくなってからはイフェリアも時々は馴染みのチームの練習試合に混ぜてもらっている。以前はもっぱらフィギュアスケートを愛好していた。だが片足しか自由に動かせない今の状態でジャンプなど、わざわざ好んで怪我をするようなものだ。もはや怖くて靴も履くことができない。本当は当初の予定通りゴルフだけを楽しむつもりだったのだが、そのチームと百貨店の店内で出会ったことで急遽予定を変えて屋上のゴルフ場から屋内のスケートリンクに移ったのだ。一人でひたすらボールだけ打っても面白くない。試合ができるなら試合がしたかったのだ。それでこそスポーツだ。
だからこの苦痛は仕方がないのだと、イフェリアは自分に苦笑し、自宅へ向かう最後の曲がり角を曲がろうとして足を止めた。静寂のなかに佇む一軒の家に視線を向ける。今はもう兵士も野次馬も報道陣もいない。物音ひとつ聞こえず、本来あるべき家事の喧騒も消え、静けさのなかにその存在自体も忘れられそうだった。じきにそうなるだろう。彼女が独り暮らしだったのなら、ここは今や空き家だ。じきに新たな所有者が現れて、解体なり売却なりされることだろう。そうして新たな誰かがここに住み着くはずだ。そうやって人は姿を消していく。そして徐々に、忘れられていく。
――彼女も人気が絶頂の頃に死んでいたのなら、今こんなに静かなんてありえないのだろうけど。
ふと、何年も前に交通事故死した、当時人気絶頂だった歌手の葬儀の様子を思い出した。彼女の葬儀はすごかった。本来ならせいぜい家族か、ごく親しい友人ぐらいしか参列しない儀式に、何万人もの群衆が押し寄せることになったからだ。あまりの人出に、軍としては集団転倒などの事故を警戒せねばならなくなり、それでイフェリアたち士官学校の学生たちが臨時召集されて警備にあたったのだ。警邏隊の人間をそのために割いて、街の治安が疎かになってはならぬというわけだろう。士官学校は学費がかからないが、代わりに学生には兵役が課せられることになっている。軍の予備役として有事の際には召集され、軍務に就かねばならない義務を負うのだ。イフェリアの予備役として最初で最後の務めが、その警備だった。平和な昨今では、そういう時でもないと予備役の召集などない。いかに凄まじい人出だったのか、誰でも分かろうというものだろう。
彼女も女優であるのなら、人気が絶頂の頃に死んでいたら今これほど自宅が静かであるなどありえなかっただろう。かつては国中の男を虜にしたほどの美貌の持ち主だったらしいのだから。だが映画の上映技術の進歩が彼女の運命を変えた。技術の進歩が、一人の女性を誰からも省みられない存在に変えたのだ。
技術の進歩。全員にとって喜ばしいものが、誰にとっても喜ばしいものであるとは限らないというその象徴を、まざまざと見せつけられたような気がした。そういえば、イフェリアの母もかつては劇場の演奏家だったのだと聞いたことがある。弁士の傍にあって映画の劇中歌の曲を伴奏し、話を盛り上げるのが仕事だったのだ。それが映画に声がつくようになって音楽も声とともにスピーカーから響くようになると、職を失った。母は女だから、まだ結婚して夫と娘である自分の世話をすることで暮らしていけたが、男が圧倒的に多かった弁士は誰も、転職に際して相当な苦労を強いられたらしい。弁士の能力を活かしてできる仕事は、弁士以外にない。せいぜい、商家の売り子として商品の売り文句を喚き立てるのに培った肺活量が発揮できるだけだ。しかしそれでは、どれほど屈辱的な思いがするものだろうか。商家の売り子なら、手伝い屋の子供でもできることだ。むしろ客の呼び寄せという意味で、若い娘のほうが向いている。
いたたまれない思いがして、イフェリアは顔を伏せながらその家の横を通り過ぎようとした。すると、ふいに聞こえた唐突な葉擦れの音に、足を止める。
――なんだろう?
そちらを覗き見た。音がしたのは例のシェリヴィナの自宅だった家の門からだった。煉瓦の柱に鉄柵の門扉が嵌まっただけの簡素な門は閉まっている。その門の内側で不自然に植え込みの葉が擦れる音がしている。風が吹いて葉が揺れているのではない。何かが植え込みのなかにいるのだ。それが枝葉に触れて音を立てているのだろう。
怪訝に思ってイフェリアは門扉の内側に視線を向けた。鉄柵の門扉は庭の様子がよく見える。いったい植え込みに何がいるのだろうと思ったからだ。この家は住人を失ったばかりだ。何者かがいるはずもなく、人が隠れているにしては植え込みの高さが低すぎる。
しばらく音の正体に興味をもって、それを見定めようと目を凝らしていた。意識せずとも緊張していたらしい。本能的に、まさか空き巣かと警戒していたのだろうか。だから植え込みの隙間から音の発生源が出てきた時には思わず安堵の息を吐いてしまった。
――なんだ。
現れたのは一匹の猫だった。首輪をしている。どこかの飼い猫なのは間違いないようだった。それが庭の内側、植え込みで音を立てていたのだろう。事実、猫が植え込みを抜けると、不自然な葉擦れはぴたりとやんだ。
イフェリアは猫に微笑んでみせた。バッグからビスケットの余りを取り出し、おいでおいでと手招きしてみると、猫はあっさりと鉄柵を登ってきた。イフェリアは猫を抱き取る。ビスケットを与えながら、猫を撫でた。
庭のなかにいたこの猫は、おそらく死んだシェリヴィナの飼い猫だろう。そうでなければ他人の飼い猫が庭先に入り込むとは思えない。猫は普通、家のなかで飼うものだ。野良猫ならともかく、飼い猫は外をうろつかない。この猫がシェリヴィナの飼い猫だったのなら、庭先にいてなんの不思議もなかった。家のなかから、鍵のかかっていない窓を開けて外に出てきたのだろう。餌を求めて庭を徘徊していたのかもしれない。だからビスケットを持つ自分に、こうも簡単に近づいてきたのではないか。空腹なのだろう。そうでなければどれほど人に慣れていたとしても、初対面の自分にこうも簡単に懐くとは思えない。イフェリアは猫を飼ったことはないから、よく分からないのだが。
――連れて帰ろうかな。
この猫がシェリヴィナの飼い猫なら、飼い主を失ったこの猫は野良となるしかない。それならば自分が連れて帰っても構わないのではという気がした。遺族が引き取るにしても、その間は誰かが世話をしてやらねば猫は野良となるしかない。飼い主が亡くなったというのにこんなところに放置されているのだ、放っておけばそうなるだろう。ならばいったん自分が預かり、後で遺族に引き渡しても悪くはないはずだ。
腕のなかで鳴き声がした。愛くるしい瞳で見つめてくる猫に、イフェリアは微笑みかける。
「うちに帰ろう。これだけじゃ足りないでしょ」
イフェリアは猫を抱えたまま自宅に帰り着くと、なんとなく緊張して玄関に入った。
――よかった。お父さん、今日は日勤だわ。
自宅玄関の狭いエントランスに両親のコートはなかった。どちらも外出中だ。父は今日は日勤なのだろう。親とはいえ勤務時間まで正確に把握していたりはしないが、この時間に家にいないのであれば仕事のはずだ。母が出ているのは買い物なのかもしれない。母はいつも正午過ぎぐらいに買い物に出る。いつもそれぐらいがどこも店が空いているのだと、以前に聞いたことがあった。夕刻にはどの店も混み合うから、空いている時に買い物をしたほうが楽だと。
それでイフェリアは安堵して、エントランスを通り抜け、足早に猫を自分の寝室に運んだ。小物入れとして使っているバスケットボックスのなかにショールや膝掛けを敷き詰めてそのなかに猫を入れ、机の引き出しにしまってあった間食用のクッキーなんかを与える。ついでに自室に据え置かれた自分専用の小型の冷蔵庫からミルクを取り出し、キッチンから持ち出してきたスープ皿に入れて与えた。紅茶に入れるために常備してあるミルクだが、思いのほか役に立った。これで、しばらくはこの猫の世話ができる。とりあえず先に部屋に入れて、「店で買ってきた猫」ということにすれば、うまく両親を誤魔化せると思った。両親はどちらも、イフェリアが他人の飼い猫を無断で預かることには反対するはずだからだ。
野良猫や他人の飼い猫を街で保護した場合、本来であればその街を管轄している役所に連れて行って、そこで保護してもらわねばならない。一定期間内に飼い主が現れるまで、役所が公の名の下に世話をするのだが、その期間内に飼い主が現れなかったり、現れても引き取りを拒否したりすれば、役所は猫を殺処分することになっている。自分で見つけた猫がそんな目に遭うかもしれないとなると、イフェリアは耐えられなかった。自分で預かれば、万一引き取りを拒まれたとしても、そのまま自分が飼うことができる。
しかしイフェリアの両親は、イフェリアのそういう行動を良しとはしない。どんなに不満があったとしても、公で定められているルールにはきちんと従うべしというのが二人の考え方だからだ。公で定められているルールにきちんと従い、不満があればルールに則って異議を申し立てるべきだと。感情に流されて行動してはならないと、イフェリアは幼い頃からそう躾けられてきた。そのためか、イフェリアの両親はとても理性的で、とくに父は感情に流されることを嫌った。冷静さを棄てれば失うもののほうが大きいと。イフェリアは両親が感情を露にしたところを見たことはなかった。
そう思うと、イフェリアはやや緊張してくる。もう十八になったというのに、両親の前に立つとイフェリアはまだ幼児から成長していないように感じた。子供の頃から隠し事や誤魔化しをして成功した例もない。両親に本当に猫を入手したのが店なのかと問われたら、嘘を突き通せる自信はなかった。
――どう言おうかな。
イフェリアは巧く両親を言いくるめるための言葉を探し、そうしながら一心にミルクを飲んでいる猫を撫でていた。柔らかな毛並みが心地いい。温かな生き物の感触は無条件で人に安らぎを与えてくれる。ささいな悩みなどその安らぎに吹き飛んでしまいそうになった時、ふと指先の感触が気になった。イフェリアは猫の首輪に指を這わせる。首輪の感触が、一部だけ他と僅かに異なっていた。
――なんだろう。
首輪を指で探り、異変を察した猫が身を翻して逃げようとすると抱きかかえた。猫の動きを封じると、イフェリアは首輪を指先でまさぐる。するとすぐに首輪に付けられていた飾りから、何かが手のなかに落ちてきた。
イフェリアは猫を放すと、落ちてきたそれを見た。それはたたまれた小さな紙片だった。猫の首輪につけられた飾りは、一昔前に流行したペンダントのように二つに分かれるようになっている。ペンダントなら小さく切った想い人の写真を入れるところに、挟まっていたものらしい。その飾りが僅かに外れかかって中身が見えていたところに自分の指が触れたために、違和感を感じたようだった。
――なんの紙だろう。
好奇心が湧き上がってくるのを感じて、イフェリアは指先を使ってその紙片を慎重に開いてみた。紙片は小さな紙を四つ折りにしたものだった。簡単に開き、開けると黒いペンでアップルワイン、12、48、36、クロックパークと書いてある。
――なに、これ。
イフェリアは思わず呆気にとられてその紙を見つめていた。