第五話「山小屋にて②」
小屋を出ると、私はすぐ脇にあった細い杉の木の枝に飛び乗った。そしてさらに何回か枝を飛び移り、木の天辺に到達する。
一気に視界が開けた。
少々冷たい風を頬に受けながら、ぐるりと周りを一周見渡してみたが、四方はすべて山で森だった。……まあ地図で見て知っていたし、ここまで来るのにも、一時間弱、山道をずっと歩いてきたのだ。当然と言えば当然の景色だ。
数十メートル離れたところに、木に寄りかかっている人影が一つあった。Tシャツに短パンというシルエット。右手を耳元に持って行き、何かを話しているような仕草――――アンディだ。見る限り、特に緊張しているような様子もない。ただの業務連絡で済んでいるのだろう。何か想定外の追加指示を受けているようでもないし、とりあえず一安心である。
次いで、私は再び周囲を見渡した。今度は神経を集中して。人影を見逃さないように。違和感を見落とさないように。我々以外の誰かがそこにいないか? そこにいた形跡はないか? 目を凝らし、気を張って、じっと観察した。一ヶ所一ヶ所注視していった。気配を探った。
――しかし五分後、この作業は徒労に終わった。
もちろんこれはありがたいことだ。小屋で捕まえた〈奴ら〉を駐在所へ連れて行く以外、この仕事にこれ以上の労力は必要ないということだ。この周囲に隠れている――あるいは、隠れていた――かもしれないそいつが私より数段腕利きだという可能性もないでもないが、私だってそれなりの訓練を受けてきた人間だ。その可能性は低いと自負するところである。
ふと見ると、連絡を終えたのだろうアンディが、獣道を通って小屋に戻ってくるところだった。
私は木から飛び降りた。そしてアンディの前にスタンと着地する。
私を見止めたアンディはぽかんとした表情になった。
「……何だ、お前、何してんだ?」
「周囲の偵察ですよ」
私は肩についた木の葉を払いながら答えた。
「奴らの協力者がまだ潜んでいる可能性もありましたからね」
「いや、そりゃそうだが…………だったら、俺に言えばよかっただろうに。そんくらい、ついでにやってやるっての」
「……ほう、珍しいですね。普段のあなたなら、『そんなん面倒くせぇ』とか言って私に押し付けそうなものですが」
アンディはむっとした顔になった。
「いや、そりゃ確かに、いつもはそうだがよ。……しかし、今は場合が場合だろ」
「場合が……場合?」
「あいつを一人にしといていいのかって言ってんだ」
「……ああ、リンクのことですか?」
言われて、私は腕を組んだ。
「それはまあ、復帰したてという不安はありますが。……でも、見たところ、理性もちゃんと働いているようですし。少なくとも簡単な仕事一つを遂行するくらいなら問題なさそうですがね」
「……だがよー」
アンディは渋面を作り、頭をがしがしと掻いた。
「あいつの本当の心内なんてのは、俺達には見えねぇじゃねえか。パッと見はまともそうだが内側が狂ってる奴なんざ、この世界じゃ珍しくもねぇし。今はまだ平静でも、何かのきっかけで〈それ〉が暴発しないとも限らんだろうが」
「まあ、その点は否定できません――――しかし、それは過保護というものじゃないですか? 彼女に『今日から復帰するから、よろしく』と言われれば、信用するのが仲間というものじゃないんですか。今回の仕事も、経験の浅い賊の下っ端の捕獲なんていう、結果的に至極簡単なものだったわけですし。我々はたかが三人のチームなんですから、一人にやたら気を遣う余裕なんてないでしょう」
「しかし、あいつが夜のギルドで具体的に何を探ってたのか、まだ聞き出せてねぇじゃねぇか。だからせめて、あいつが正常だってことがわかるまではだな――」
「――ぐぅぁぁああああっ!」
突如、低く野太い男の悲鳴が山中に響き渡った。
あちこちのカラスがばさばさと飛び立つ。森が一瞬ざわついた。
私とアンディは咄嗟に身構える。
声の方向は――――山小屋の方だ。
「ちっ…………言わんこっちゃねぇっ!」
舌打ちすると同時、アンディが走りだす。
――何が?
――なぜ?
そんな疑問を反芻しながら、私も続いて駆けだした。
お久しぶりです。
だいぶ間が空きましたが、何とか完結させられるよう少しずつ書いていきたいと思います。