第四話「山小屋にて①」
『色』というものそれ自体に、そこまで致命的な意味というのはないのだろう。
もちろん、ある種の動物にとっては求愛であったり、ある種の植物にとっては捕食者への威嚇であったり、あるいは迷彩であったり警戒であったり、そういった類の意味というのはあるのかもしれない。存在するのかもしれない。しかしそれが本質的、あるいは必要不可欠な意味を持つのかといわれると、そこまで力強く首を縦に振ることはできない。まだ味や匂いの方が、致命的な意味を――言い換えれば、致死的な意味を――持っているように思える。
――だから、単に〈いつもと服の色が違う〉というだけで、それを深刻に考え過ぎるのもどうかと思うが。
しかし、考えてみて欲しい。もし自分の周りに、二年前に初めて出会ってからずっと、昼も夜も、晴れの日も雨の日も、平日も休日も、年がら年中白の服ばかりを纏っていた女の子がいたとして(まあ、そうそういるものではないだろうが……)、しかしその娘がある日を境に突如黒い服しか着用しなくなったとしたら、それを気にするなという方が無茶というものだろう。
私は正直、今日一日仕事に身が入らなかった。
チームメイトであるリンクが約二週間ぶりに復帰し、おまけにそこそこ難度の高い仕事(普段ならマスターに止められるようなもの)への申請が通ったのだから、気合を入れて、全身全霊を注力して取りかかるべきだったのだが、気持ちの半分はずっと『それ』に取られていた。
――なぜ?
――何のために?
彼女を本日久方ぶりに目にしてからの六時間強、私はずっと頭の中で自問自答を繰り返していた。彼女は――リンクは――一体全体どんな理由を笠に来て、今までのポリシーを投げ捨ててまで、そんな極端なドレスチェンジを行ったのか? 一体何が彼女をそうさせたのか? もちろん私はリンクではないのだから、考えるだけでわかるわけもない、正解にたどり着けるわけもない問いかけなのだろうが……。
――とは言え、予想はついている。
多分恐らく、これは『喪服』なのだろう。この服の色が様変わりしたのは、弟の葬式からだ。式はすでに一週間以上前に終わっているが、彼女がまだ喪に服しているのなら、やはりそれは喪服ということになるのだろう。彼女の中ではまだ終わっていないということだ。
――追悼の黒。
――追憶の黒。
つまりはそういうことなのだろう。黒い長袖のシャツ、黒のレギンス、黒いソックス、黒いシューズ、そして黒いリボン。そこに黒いロングの髪も相まって、すべてがすべて黒だった。
私の視界の先で、リンクが飛び上がった。
まるで大きな鳥を下から見上げたかのような黒い影が中空を舞う。そしてその前方を逃げ走る覆面の男に向かって、リンクは青い刀を振り下ろした。
「ひっ……」
息のような悲鳴を上げ、、紺色のニットで編まれた覆面ですっぽりと顔面を隠した男は、横に跳び、転ぶようにごろりと地面を転がった。
――ガツンッ
リンクの刀は空を切り、路傍の石に叩きつけられ、耳障りな音を響かせる。その瞬間、ぱりぱりと、周囲数十センチが凍りついた。
「く…………くそっ」
男はその様に驚愕し、毒づきながら、右脚で思い切り地面を蹴った。その反動で、勢いで、立ち上がろうとした。しかし――
「――え、え?」
男の体はがくんと、地面に引き戻される。見れば、男が地面に就いた右手が、今さっき刀で叩かれた石と共に氷漬けになっていた。
「な、く、くそ! こ、この! ……う、おりゃ!」
男は、まるで木の根を地面から引き抜こうとするかのように、自身の右腕を引っ張った。ぐいぐいと。顔を歪めながら――――しかし、三度、四度、五度と力を入れても、手が地面から離れそうな様子はなかった。と――
――チキリッ
「ひ…………くぅ」
首元に刀を突き付けられ、覆面の男はピタリともがくのを止めた。押し黙った。首筋に大粒の汗をたらし、はあはあと呼吸を荒げるだけになった。
「…………ふん」
リンクはその様を見降ろし、男の左手に向かって刀のみねを振り下ろす。
ごん、という鈍い音と共に、その手首がぱりぱりと凍りつく。その腕と上着の裾が氷結し、もはや微動だにできなくなった。
その始終を後方で傍観していたアンディは、後ろ髪を掻きながら二人の方へ近づいて行き、
「よし、御苦労さん。じゃあ、こいつも『あいつら』のとこへ連れてくか――――おら、立ちな」
覆面の男の腕を引き上げた。その際、地面と共に氷づけられた右手を蹴りあげる。その衝撃で氷が割れ、その片腕が自由になった――――しかし、男はもう観念したのだろう、暴れることもなく、アンディに引かれるまま立ち上がり、歩き出した。
「……はん、そんなびくつくな。一旦、『お前らの』アジトに戻るだけだ。そこでお前の仲間も待ってる」
連行――――というよりは、任意同行のような体で、アンディと覆面の男、そして黒服のリンクがこちらへ向かってくる。
――これで、この仕事も完遂か。
私は三人を眺めながら、安堵の溜息を一つこぼした。
こぼしながら、私の足元に置かれている『押収物』を見やる。
今回の仕事――――それは『密輸品売買の現場の取り押さえ』だ。
町の警備隊本部に、違法取引のタレコミが入ってきたのが発端だったそうだ。内容は盗品の売買。もちろん警備隊が直々に対応するのが当然であるはずだが、その出所といい内容といい、いまいち信憑性の薄い情報だったらしい。
町の警備隊は町を警備するのが第一の責務。それを蔑ろにしてしまうほどの人員を割くことはできない。まして成果の見込みが薄い用件ならなおさらだ。そんな理由から、取引現場の取り押さえという仕事がアステルのギルドに舞い込んだのだった。
山の奥地にある指定場所に私達三人が向かったところ、そこには山小屋が存在した。その周囲の木の陰に身を隠し、張り付くこと二時間。指定時間を三十分ほど過ぎた頃、そこに四人の男が現れた。
大きな荷物を抱えた二人。
そしてその荷物に興味深げな態度を見せる二人。
前者二人が売り手、後者二人が買い手側なのだろう。彼らの緊張感は見ている方にも伝わってくるくらいだったので、恐らくは場数をあまり踏んでいない人間のようだった。
そんな予見を抱きながら、私達三人は静かに男たちの様子を観察した。そして四人が山小屋のテーブルで頭を寄せ合い、荷物を広げ、その荷物の中から黄金色に煌めく指輪やネックレスが覗き、一人の男が抱えたバッグから札束を取りだしたところで――――私達は飛び出した。
四人の男は抵抗する素振りなど微塵もなく、ただ逃げ惑うだけだった。
四人中三人は小屋の中で何とか〈行動不能〉に陥れたが、一人が小屋から飛び出し、山道を走って逃げた――――そのため、私は三人の見張りのために小屋に残り、リンクとアンディがその男を追いかけて行ったのだ。
しかし密約の場に丸腰で来るような奴らだ、その動作は一般人並みかそれに劣るくらいのもので、リンクがすぐに追いついた。数百メートルもかかっていない。この小屋の窓からその様子が見える――そして、彼らの声も聞こえる――くらいの距離だった。
そこで最後の四人目も無事確保。あとはこの四人と押収物を警備隊本部に連れて行けば、ミッションはコンプリーテッドだ。取り調べ等は警備隊の人間がすることだろう。私達に残された用事は、報酬の受取くらいである。
警備隊からわざわざ依頼されてきた仕事だ、金額もいつもよりだいぶよかった。これなら、いつものようにあくせくと次の仕事を決めにかからなくてもいいかもしれない。少しばかりゆっくりする時間がとれるかもしれない。
……そうだ。何ならこの機会に、ダルクと少しばかり遠出してもいいかもしれない。どうせなら泊りがけで温泉でも行こうか? でも、そんな地味なところへ行ってもダルクにはつまらないだろうか? 子供が喜びそうな観光地はどのあたりだろう? と、そんなことをつらつら考えていると――――がちゃりと扉を開け、覆面男を連れたアンディが小屋に帰ってきた。
「おう、ラキ! こっちは問題ねえか?」
「ありませんよ」
私は慌てて意識を行楽から仕事に戻し、イスから立ち上がった。
「……貴方達が出て行ってから、五分と経ってません。彼らを縛り直す暇もありませんでした」
言いながら、私は壁や床に〈固定〉されている三人を見やった。各々足やら腕やらが氷漬けにされ、板張りの床と共に固められている男達。初めは必死にもがいていたのだが、今はもう諦めたように顔を俯けているだけだった。優男の腕力ではどうにもならない厚さの氷が、彼らの自由をことごとく奪っていた。
――いわずもがな、この三人をこうしたのもリンクだ。
リンクが携えている青い刀『雪崩』は、冷気を発する『青石』で作られている。この刀で斬りつけると、その斬撃と共に周囲数十センチが凍ってしまう。切れ味からすればその辺の市販品と大差ない武器ではあるが、この追加効果のおかげで我々もだいぶ重宝している一品である。
私達のような下っ端賞金稼ぎに割り振られる仕事は、大体が敵の『捕獲』になる。デッド・オア・アライヴの案件など(特異な状況を覗けば)それこそポーラくらいのレベルにならないとマスターの許可は降りない。だから、私達の仕事で要されるのは、敵をいかに無傷のまま素早く行動不能に陥れることができるか、と、そういう特技だ。
別の見方をすれば、もし私達が敵に対して無駄に痛みを与えてしまうと――あるいは流血させてしまうと――必要以上に敵の神経を刺激してしまうことになる。必要以上の抵抗を受けてしまうことになる。そういった危険を回避するためにも、過剰な痛みを与えることなく、しかし確実に行動不能に陥れることができるリンクの『雪崩』による攻撃は、至極効率的な対策手段となるのである。
アンディの持つ『赤石』の槍『ヒバシラ』は威嚇にしかならないし、私の持つ『紫石』のナイフ『ムゲン』は交渉でしか使えない。大体の案件に置いて、我々はリンクの刀に頼りきることになっている。そして今回もその例に漏れず、というわけだ。
「……何だ、こいつら。裏取引なんぞに手ぇ出してるくせに、根性のねえ奴らだな。肩すかしもいいところだ」
腕を組んで鼻を鳴らすアンディに、私は
「まあ、こっちとしてはありがたいことじゃないですか。……それより、ほら、早く解放しないと、彼ら、凍傷になってしまいますから。さっさとお縄につけましょう」
となだめるように言って、腰にさげているカバンからロープを取りだした。そして床に倒れている男の体を腕ごとくくっていく。緩すぎれば当然逃げられてしまうし、きつ過ぎたらあざを作ってしまう。力加減が難しいなと思いつつ、「痛くないですか?」と尋ねながら一人一人縛っていると、
「…………お、お前ら、な、何者だ」
私の所作を見降ろしながら、アンディが連れている覆面男が、恐る恐るといった風に尋ねてきた。
「……だ、誰の依頼で…………お、俺たちを、捕まえに、来た」
「私達はギルドの賞金稼ぎですよ」
私は最後の一人のロープをぐっぐと締めながら答える。
「依頼元はアステルの警備隊。なので、これから私達はあなた方をそこまで連行することになります」
「……俺達はただの雇われモンだ。だから俺達に対しては脅しも交渉も無意味だし、逆に言えば、これ以上俺達がお前らに何かを強要する義務もねえ。とりあえず警備隊の詰め所までは大人しくついてきてくれや」
アンディは相変わらずの気の置けない口調でからからと笑った。ターゲットにも馴れ馴れしい口を聞くのはアンディの癖――というか、悪癖――のようなものだが、もしかしたらこれは一つの予防策になっているのかもしれないと私は思っている。
いくら敵とはいえ、親しげに話しかけられると思うように敵意を抱けない、そういう人種も(特に、悪事に手を染めてから日が浅い輩の中には)存在する。フレンドリーに接するだけで扱いが簡単になる人員もいる。そういう人間をうまく扱うには、こういうアンディの口調は有効な手立てであるように思える。……もちろん、常時殺気だっている様な輩にはまったく意味のない対策だが――――では、今回の彼らはどうだろうかと思い、アンディに腕を掴まれている男を見ると、
「…………アステル……だと?」
と、そいつはそのどちらでもない、どころかアンディの話をまったく耳に通していないような呆けた体で、低い声で呟くだけだった。覆面のせいで表情は見えないが、その唇が震えているように見えた。
「……どうか、したんですか?」
そのリアクションに違和感を覚え、私は彼を見上げた。
「アステルに、何かあるんですか?」
「…………」
「何か、情報源に思い当たる節でも?」
「…………」
「もしかして、あなた方に不都合な要因が――」
「――やめとけ」
黙り込んだ覆面男に代わり、答えたのはアンディだった。
「仕事の内情に踏み込み過ぎない。これはギルド仕事の鉄則だ。俺達はただの賞金稼ぎ。賞金さえ貰えればそれだけでいい人間だ。情報なんざ、知れば知るほど自分の首を絞めるだけだ。あんま踏み込み過ぎるもんじゃねえ」
「……ええ、そうですね」
私は首肯した。正論だし、私だって一応のこと理解している理だ。ちらりと覆面の男にもう一度視線を投げてみたが、やはり彼は怯えたように黙りこくったままだった。
「さ、さっさとこの仕事も終わらせちまおうぜ。ちょっくら、雇い主のとこに連絡入れて来るわ」
そう言って、アンディは胸ポケットからトランシーバーを取り出した。そしてぶんぶんと手を振りながら小屋を出て行く。
私はぱんぱんと膝の埃を払って立ち上がり、
「……じゃあ、私は周囲の確認でもしてきますか。仲間が隠れている可能性もないわけではないですからね。…………リンク、ここ、お願いできますか?」
「うん、問題ないわ」
小屋のイスに腰を落ち着けたまま、いつもと変わらない笑みで頷くリンク。
私は「じゃあ、お願いします」と言いながら、アンディの後を追うように小屋を後にした。