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第二話「アステル教会にて」

 いわゆる葬式に参列したのはこれが初めてではなかったが、しかし相変わらず嫌なものだ。慣れないものだ――――人の号泣をただ黙って聴き続けるのは。

 これが天寿を全うした人のものならばもう少し落ち着いたものになるのだろうが、しかし今回は違う。違い過ぎる。

 天寿を全うどころか、自覚すらしていない歳で死んだのだ。

 何のために生まれてきたのか、わからない。

 どんな運命を担って生を受けたのか、わからない。

 わからな過ぎる。

 不条理にもほどがある。

 ――私は耐えられなくなり、外へ出た。

 外は快晴だった。空を見上げれば、ちらほら煙雲が見える程度で、ほとんど一面が真っ青。こんな時でなければ、私は両手をあげて深呼吸でもしていただろう。

 しかし教会の中からは、今もむせび泣きがうっすらと聞こえてくる。

 そのためなのか、今日のこの空は、ただの単なる空っぽな空間にしか見えなかった。春風も、ただの生暖かくて不快な温風でしかなかった。顔を上げ、この雄大なはずの景色を眺めてみても、気持ちは一向に上向かなかった。

 ふと教会の壁際に、ぽっかりと白い煙が浮かんでいるのが見えた。

 すたすたとそちちらへ歩いていき、角を越えたところで左向け左をすれば、まるで隠れるように壁により掛かり、タバコをふかしている男がいた。

 TシャツにGパンにサンダル。おおよそ教会に出入りするには不釣り合いな格好をした彼は――――アンディ。私にとっては顔見知りであり、人となりもよく知る間柄であり、私のギルドチームの一人。つまりはもちろん、リンクのチームメイトでもある男である。

 こんなところまでこんな格好で来るなんて、この服装には確固たるポリシーでもあるのかと思ったが、よくよく見れば、Tシャツだけは黒い柄無しのものだった。果たして気を使えているのかいないのか、微妙なところだ。


「何だ、お前も逃げ出してきたのか?」


 アンディは大口を開け、ぽっかりと大きな煙を吐きながら聞いてきた。


「まあ、そんなところですが……」


 私は答えながら、アンディの隣で、同じように壁により掛かる。寄りかかってみて、改めて彼の身長が私より十数センチ高いことに思い至る。私もそこまで低いわけではないが、彼の大きさは殊更だ。十六歳で、すでに大人と大差ない体格である。羨ましい限りだ。


「……お前も、ということは、あなたもそうなんですか?」

「ああ。…………やっぱり、こういう神妙な行事は柄に合わねえ。開始五分で飛び出しちまった」


 ――まあ、葬式が柄にぴったりという人の方が希だと思いますが。


「……しっかし、何でかなあ? 人間いつかは死ぬものだってちゃんと理解しているし、実際俺達は死と隣り合わせの仕事をしてるってのに。いざ死人と向き合おうとすると、どうにも息苦しさというか、虚しさというか、不条理な感が否めねえ。ったく、手前勝手な性分だ」

「まあ、その気持ちはわかります」


 ――あなた以上にわかります、とまでは口に出さず、しかし心の中で呟く。

 わかりすぎて困っているくらいに、私にはわかりきっている。『実地研修』の時、人がその生涯を閉じる瞬間を、私は果たして何回見ただろう。『見せてもらった』だろう。私の人生の師である、あのお二人に……。

 アンディは、相変わらず空を見上げながら、独り言を呟くように、


「本当は、できれば来たくなかったんだがなあ、葬式なんてよ。喪服なんて持ってねえし。リンクの弟とも、そんな会ったこともなかったしな」


 まあその点は、私も同じだ。リンクの商売仲間でしかない私達がリンクの家族と相対する機会なんて、実際ほとんどなかった。リンクが家族連れで買い物している所にちょうど鉢合わせたのが何回かあったくらいだ。あとは、先日のようにリンクがうちに押し掛けてきて、ダルクに構い尽したくらいか……。

 しかし、そうだ。一つ懸念が残っていた――――このザックナーガ君の死を一体ダルクにどうやって説明したらいいか、という問題だ。

 過去何度か、彼とダルクを一緒に遊ばせてやったことがある(まあ大概は、リンクがスラン君と遊びに行く際、ダルクも連れ出していったというだけだが)。公園でサッカーをしたり、ハイキングに行ったり。まるで兄弟のように、二人は仲良く遊んでいた。当然ダルクの中にも、大好きなお兄さんとして深く心に刻みついているはずだ。

 そんな人が死んでしまったなんて、まだ七歳のダルクに受け入れろというのは、あまりにも酷だろう――――恐らく将来は人一倍(もしかしたら私以上に)『そういう場面』に立ち会うだろう彼だが、しかしそれにしても、まだ早い。早すぎる。……まだしばらくは、黙っているべきだろうか?

 私がそんな物思いにふけっていると、アンディはきりきりとタバコを噛みながら、


「……だがやっぱ、心配は心配だからよ。仕方なく俺も、この葬式、出席はしておくことにしたんだ」

「心配?」


 私は問い返した。


「何がです?」

「決まってんだろ――――リンクのことだ」

「ああ、リンク……」


 と、ここで私はようやく思い至った。そういえば今日は、まだリンクの姿を見かけていない。彼女の両親――つまりはもちろん、ザックナーガ君の両親でもある二人――は式場の最前列でハンカチを握りしめていたが、その近くにリンクの姿はなかった。言うなれば親族の中でも一番と言っていいほど近しい間柄だったはずの彼女が、しかし親族席にいなかったのである。


「……何でしょう? 式場の中にはいませんでしたが…………ショック過ぎて外にも出られないくらい、なんでしょうか?」

「……だといいがな」


 呟きながら、アンディは摘むのがやっとなくらいまで吸いつぶしたタバコを地面に落とした。見ると、そこにはすでに七、八本くらいの同じような吸い殻が転がっていた。彼は一体何十分間、ここで時間を潰していたのだろう。


「――だといい? って、さらに最悪な事態でも考えてるんですか? ……どんな?」

「いや、特に、具体的に何か考えてるわけじゃねえよ」


 ズボンのポケットから新しいタバコを取り出しながら、アンディが答える。


「ただまあ、リンクの悲しみは俺達じゃ推し量れねえってことさ」


 マッチを擦り、タバコに火をつけるアンディ。

 ――と、

 がちゃりという重い金属音がし、次いで教会の扉が開かれる音が聞こえた。壁の端からのぞき込むと、教会の玄関から棺が運び出されるのが見えた――――どうやら式が終わって、これから埋葬が行われるらしい。

 白い外観に青の装飾が施された棺に、親族の人たちがすがりついている。しかしやはり、その中にリンクの姿はなかった。


「本当に、リンクはどうしたんでしょう?」

「……どら、帰りしな、あいつの家に寄ってみるか」


 アンディがそう提案してきた、その時だった。



「――あんた達、こんなところで何やってんの?」



 壁際に顔を寄せていた私たちの背後から、急に声がした。

 まるでいたずらを仕掛けてる最中に見つかってしまった子供のようにびくっと肩を強ばらせた私とアンディは、恐る恐る後ろを振り返る。

 そこにいたのは、リンクだった。


「あんた達、不審者みたいだわよ。式には呼んでるはずなのに、なんでまたこんなところで盗み見なんてしてるのよ?」

「いや、盗み見をしてるつもりはないんですが……」


 私は驚かされた反動及び図星をつかれたような焦燥感から、返答がしどろもどろになってしまう。


「……というか、あなたこそ、こんなところで何してるんです? これから埋葬でしょう。……見届けなくていいんですか?」

「う~ん、まあ、そうなんだけど……」


 今度はリンクがばつの悪そうな顔になった。


「見届けるのが家族として、姉としての責任だとは思うんだけど、やっぱり、その、なんか、あんまり、見てられなくて……」

「……まあ、その気持ちもわからないでもないですが」


 段々顔をうつむけていくリンクに、慰めるような口調で私は答えた――――実際、両親が命を落としたはずの場所を一度も訪れたことがない私に、彼女を諭す資格はないように思えた。近しい人間の死と向き合うというのは、こと十数年しか生きていない若輩者には極めて酷なことだ。私自身、その辺はよく理解している。理解できている。

 私とリンク、二人とも無言になっていると、


「……・お前、大丈夫なのか?」


 アンディが口を開いた。


「大丈夫、って?」


 リンクが聞き返すと、


「いや、まあ、こんな時に元気なわけはねえと思うが、その…………あんまり思い詰めてねえかってことだ。なんつーか……変な行動起こすような」

「変な行動?」

「いや、具体的にはよくわからねえが、その例えば…………自殺、とか?」

「じ、自殺ぅ……?」


 復唱しながら、リンクは目を丸くした。次いで苦笑になり、


「や、やだな。さすがに、そこまで見失ってはいないわよ。大丈夫。……まあ、ここ三日ずっと泣きっぱなしで、だいぶ目は痛いんだけど。……うん、大丈夫。何とか気持ちは保ってるよ」


 そう言うと、リンクは墓地の方を見やって、


「……埋葬、終わったみたい。じゃあ、ここにもう用はないし、あたし、帰るわ」


 と、墓地とは逆方向へと歩いていった。

 去り際、


「一週間後くらいには仕事に復帰するつもりだから。その時はまた連絡するわ」


 と一言付け加えて。

 しかし私とアンディは、戸惑いながらその姿を見送った。明らかに、どうしても、違和感だけは拭えなかった。


「……弟が死んだ、殺されたにしては、明らかに立ち直りが〈早すぎる〉な」


 アンディが低い声で呟く。

 私は小さく頷いた。

 ……確かにそうだ。あんなに溺愛していた弟が殺されて、落ち込むのがたった三日というのは短すぎる。私たちと冷静に会話できていることが逆に異常だ。

 そして、何よりの違和感――


 ――髪留めから靴まで、すべてが真っ黒の装束に身を包んだリンクの姿は、あまりにも見慣れなかった。

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