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第一話「アーシム家にて」

 今日は久方ぶりの快晴だ。

 空には雲一つない。日もさんさんと照っていて、まだ冬が終わって間もない時期だというのに、日向に立っていると汗ばんでしまうくらいだ。恐らく町内の九割方の主婦の皆さんが「今日は洗濯日和だ」と呟いたことだろう。太陽の恵みというのは本当にありがたいと、こういう時によく思うものである。

 シャツにパンツに靴下と、私は朝のうちに洗い終わっていた洗濯物を庭先に干していった。

 五日ぶりの洗濯ということで結構たまっていたが、まあ、男二人のものだ。そこまでの量でもない。十五分もしないうちに、一通り全部干し終わった。

 洗剤の香りが春風に舞い踊っている。心地よい日差しと相まって、なかなかに爽やかな日和だ。実に気分がいい。

 私は腰に手を当てうんと一つ頷くと、部屋の中に戻った。今日は一応ギルドの仕事は休みということになっているが、だからと言って時間が有り余っているわけでもない。午後から、ダルクと隣町の大きい公園に遊びに行く予定なのである。今リビングで昼寝をしているダルクが目を覚ます前に、掃除と昼食作りを済ませておかなければならない。

 お昼のメニューは一体何にしようかと考えながら、私はキッチンに戻り、冷蔵庫に手を掛けた――――ところで、


 ――ぴくり


 ふと、妙な感覚に襲われた。違和感と言うほどのものでもない。もしかしてそうなのかもしれないと疑って行くと何となくそうかもしれないと思えてくるような、あくまでその程度の感覚。まるで〈ここ〉とそう遠く離れていない場所に、誰か、その場にいると予想だにしない人物がいるような、そんな感覚だ。

 気のせいか、とも思った。

 ここはただの一般人の民家だし、今は真昼間だ。こんな時間に入る強盗なんてそうそういるものだろうか。それに我が家は、傍から見ても別段裕福というわけでもない。探し回ったところで、盗む価値のあるものなどほとんど覚えがない。

 しかしまあ、気になるは気になる。

 もしこいつが誘拐を企てている悪人で、ダルクが狙われたりなんかしたら目も当てられない。叔父さん叔母さんに申し訳が立たない。私は足音を立てないようつま先立ちで、こそこそと気配のした方――――リビングへと向かった。

 リビングのドアの前に立ち、聞き耳を立てる。

 ――いる。

 確かに、誰かがそこいる。招いた覚えのない、招かざる客が。物音は聞こえないが、何となく気配は感じる。

 私は腰元からナイフを取り出し、静かにドアを動かし始めた。十センチほど開いたところで一旦手を止めると、ふうっと一つ深呼吸。そして覚悟を決め、


「覚悟!」


 ドアを一気に開いた。そして三歩ほどその人物の方へと駆け寄ったところで、そいつの外見が私の視覚に映し出される。それは、すやすやと昼寝をしているダルクの寝顔を、へらへらとしたしまりのない笑顔でのぞき込んでいる、真っ白なブラウスに純白のロングスカート、そして白いリボンを黒髪の上にちょこんと乗せた少女――


 ――リンク=ザックナーガだった。


「り、リンクっ?」


 私は慌てて立ち止まった。

 リンクはこちらを振り向くと、慌てたようにニヘラとした笑顔を引き締めた。そして取り繕うように、いつもの凛とした表情を作り直して、


「へ? ら、ラキ? な、何よ、いきなり……」

「それはこっちのセリフです!」


 私はナイフを腰元のホルダーに戻しながら叫んだ。


「な、なんであなたが、今日、ここにいるんですか! びっくりするじゃないですか! 何の用ですか!」

「いや、何の用って、単にダルク君の顔を見に来ただけだけど……」

「だったら玄関のチャイムくらい鳴らして下さい!」

「いや、だって、あんたも家事で忙しいだろうし、手間取らせちゃ悪いかなと思って……。別に、あんたの顔見に来たわけじゃないし……」

「不法侵入ですよ! 犯罪ですよ!」


 ここまで叫んで、私はハ―と、気を落ち着けるように大きく息を吐いた。

 リンクは相変わらずきょとんとこちらを見ている。まるで私が怒鳴っているのがまったく理解できないと言っているような表情。それでころか変人でも見るような視線を私に向けている。

 私は続けざまもう一つ嘆息して、


「……あのですねえ、リンク。いくら顔見知りとはいえ、ギルドのチームメイトとはいえ、守るべき礼儀というのはあるでしょう? ここは一応私たちの家であって、貴方の家ではないんですよ?」

「でも、だからって、もう二年の付き合いなのに、そうそう他人行儀になることもないでしょうに。今まで散々共に闘って、苦楽を共にしてきた仲じゃないの。どんぐり一個を三人で三分割して食べたあの日を忘れたって言うの? そんな私に対して、あんた、隠したいものが何かあるって――――ん? ああ、そうか!」


 リンクはぱーんと手を叩いた。


「なーる。そうか、そうか。あんた、もしかしてもしかするまでもなく、〈あれ〉を心配してるのね? 〈あれ〉を気にかけているのね? まったく、やーらしんだから。ふふん。大丈夫よ。あんたの部屋のベッドの下とか、本棚の裏側とか、別に漁ったりはしないから。安心して。というか、そういうダルク君の教育に悪影響のありそうなものは、極力自粛し――」

「――そういうことじゃありません!」


 私は「まったくもう……」とガシガシ頭を掻きつつ、


「……で、リンク。今日ここに来たってことは、明日我々が請け負う仕事はもう選び終わってるんですか? 今回はあなたが選定する当番だったでしょう?」

「うっふふん。大丈夫よ」


 リンクは得意げにどすんと胸を叩いた。……やたらにいい音が響いたのは、多分恐らく、そこがほとんど平面に近い形状だからだろう。当人には口が裂けても言えないが。


「私って、普段の行いがすこぶるいいからね。きっと神様もすっごいお得なのを選んでくださったわ」

「…………は?」


 急に出てきた『神様』という単語に、私の中の猜疑心がぷっくりと膨らみ始めた。


「……えっと、『選んでくださる』って、あなたが選んだんじゃないんですか?」

「もちろん私が選んだわ。私のこの神聖な右手を使ってね。でも、最終的な判断を下したのは天におわす神様よ。この世で一番信頼に足る存在だわ」

「ええっと、リンク……」


 じわじわと沸いてくる嫌な予感のせいで、背中に嫌な汗をかきつつも、私は恐る恐る尋ねた。


「……あなた、何を使って、決めたんです?」


「――アミダッ」


 まるで太陽のような眩しい笑顔になるリンク。

 両肩に漬物石が落ちてきたような感覚と共に、私は


「……アミダって、縦線を横線で繋ぐ、あのアミダですか?」

「決まってるじゃない」

「……それで、もう申請してきちゃったんですか?」

「そりゃそうよ。だって私も、午後から予定があるし」

「……ちなみに、その依頼名はなんてやつですか?」

「んー? よく覚えてない。まあ、明日のお楽しみってことで」

「…………はー」


 私はがっくりとうなだれた。


「最初はサイコロ、二回目は靴飛ばし、三回目はカードめくり、そしてアミダとは……。あなた、懲りないんですか? 今までの三回とも死にかけてるんですよ?」

「そうだっけ?」

「そうですよ。特に私がね! まったく、古代竜に追いかけられたり、古代遺跡が崩壊したり、殺し屋六十三人に追いかけられたり……。何で今私が五体満足なのか、不思議でなりませんよ」

「ねー?」

「ねー、じゃありません!」


 私はこめかみを押さえながら、


「で、こんな時間にうちに来て、お昼の催促でもするつもりなんですか?」

「お昼? ああ、そう言えばちょうどそんな時間ね」


 リンクは時計を見ながら、


「でも、今日は違うわよ。このあと予定があるから」

「予定? …………ほう、それはそれは。興味ありますね。仕事選びを投げやりにやってのけた後の予定とは、一体なんです?」

「目が怖いよ、ラキ。そんな気が短くっちゃ、彼女なんて当分できないわね」


 リンクは黒髪をさらりと撫でながら言う。


「今日は、あたし、弟とパレードを見に行くのよ」

「パレード?」


 聞き返しながら、私は今日の日付を思い出した――――そうだ。今日は収穫祭の日だった。城門前の大通りで、アステル市議会の議長がパレードを行う予定だったのである。


「しかし、このところ物騒な事件が続いていて、パレードの警備もナーバスになって危険らしいですよ? 去年なんか、野犬が二十匹も撃ち殺されたと聞きますし」

「まあ、変に暴れなければ大丈夫よ」


 リンクは高笑いした。


「それに、弟が一週間前からはしゃいでてね。パレード初めてなもんだから。すごく楽しみみたい――おっと」


 リンクは腕時計を見た。


「もうこんな時間か。早くしないと遅れちゃうわ。早くいかないと、前の方に出れないし。じゃあ、いくわね」


 リンクはぱちりとウィンクすると、その真っ白なスカートをなびかせながら、玄関を出ていった。

 そしてこれが、私が彼女の真っ白な服装を見た最後になったのである。


 ――その日の午後、先月十一歳になったばかりの彼女の弟、スラン=ザックナーガは、警備隊の銃に撃たれ、その短い生涯を閉じたのだった。


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