エピローグ
私は、グランデル山の中腹にある小屋へと向かっていた。
まだ私がアンディとリンクとチームを組んでギルド仕事をしていた頃、集合地点の一つとして使っていた場所だ。あの当時は、この場所をまさか『こんな』使い方をすることになるとは思っていなかったが、特に問題もないだろう。年に数回訪れているが、ここで他人と鉢合わせたことはまだ一度もない。
森の中では、あちらこちらで鳥が鳴いている。最近だいぶ暖かくなってきた。数多の動物がいよいよもって活動を開始する、そういう季節なのだろう。
眼下には、グランデル村が見える。
一度、某秘密結社に蹂躙された地だが、復興はだいぶ進んでいるようだ。建物もすでにそれなりの数が立っている。元々が、大きな街を行き来する際の中継地点とされていた宿場村だったのだ。『懸念』さえ払拭されれば、人が再び集まるのにそう時間はかからないのだろう。元の活気を取り戻すのも、そう遠くはないはずだ。
一時間ほど山道を歩き、私は小屋の前にたどり着いた。
集合時間は午前十時。時間ぴったりだ。
彼が来るまでゆっくり待とうかと思い戸を開けると――意外なことに、今日に限っては私が後追いになった形だった。
窓際にある椅子に、Tシャツにハーフパンツにサンダルという、この時期はまだ少し寒いんじゃないかと思うような格好の男が座っていた。この七年――いや、出会ってからと言うなら九年――そのファッションセンスにはまったくブレのない男、アンディである。
「よう、久しぶり」
右手を挙げるアンディに、私は
「珍しいですね」
と答えながら、テーブルを挟んで彼の対面に座った。
「今日はヒマだったんだ」
とカラカラと笑うアンディ。次いで、脇に置いていたカバンから紙袋を取り出し、私にどさりと渡してきた。
「ほれ、ご所望のもんだ」
「どうも、ありがとうございます」
言いながら、私は袋を開けた。中には数十枚の写真が入っている。
私はパラパラとそれを見ていった。あちらこちらにダルクの顔が映っている。ギルドの中、町中、あるいはどこか遠征した時だろう野原や森の中。ロット君やルーさんと共に、各地を回っているようである。相変わらずというか、ロット君とルーさんは大概笑顔なのに対し、ダルクの表情は、大部分が怒っていたり、困っていたり、ため息をついていたり、疲れていたり、不貞腐れたり、といったものばかりだった。
「まあまあ、楽しそうにやってるぜ」
アンディはくすくす笑いながら言ってきた。
「なんだかんだ、もうしばらくギルドの仕事も続ける見てえだし。……お前的には、あんまよろしくねえのか?」
「そんなことはありませんよ」
私は写真をためすがえつ見返しながら答える。
「そこはダルクの自由です。家の体面としても、私が仕事をしていれば問題はありませんし。……まあ、私以上に適正のある子なので、もったいないと言えばもったいないですが」
「はは、そうか」
煙草に火をつけながら、アンディは気のないように笑う。
あとは今の根城に戻ってからゆっくり見ようと、私は写真をしまおうとした――ところで、紙袋の中にまだ何か入っているのに気付いた。
「これは?」
「それは、俺とリンクからだ――お前、そろそろ誕生日だろう?」
「ああ」
あと数週間で、私の二十四の誕生日が来る。私自身は忘れていたわけではなかったが、二人が覚えていたことが驚きだった。
「それはどうも、ありがとうございます――いや、悪いですね。私の方は特にそういうことをしていないというのに」
「はは、気にすんな。たまたま思い立ったからってだけだ」
アンディはぽっかりと煙を吐く。
一体中身は何だろうと思い袋の中を開けると――一つは最近アステルで評判だという饅頭の詰め合わせと、もう一つはだいぶ仰々しい手帳だった。……何とも二人の性格が出た贈り物だが(どちらがどちらのものか、言うまでもなくわかる)、誕生日プレゼントとして適切かどうかは少々疑問が残るものだ。
「リンクは元気にしてますか?」
「ああ、あいつも相変わらずだ」
アンディはカバンから自前の灰皿を取り出し、そこに灰をぱらぱらと落とした。
「どこまでも公務員をしてやがるぜ、あいつは――ったく、採用された途端、『さん付けで呼べ』だの『敬語を使え』だの、やりにくいったりゃありゃしねえ。まったくもって慣れねえな」
「はは、まあ、周囲からの目というのもあるのでしょう。雇う側と雇われる側ですからね」
「だがよ、あいつ、今度、協会の本部に引き抜かれることになったみてえでよ」
「なんと! それはそれは、喜ばしいことじゃないですか!」
「そん時にゃ、俺とお前でちゃんと祝え、と遠回しに言ってきやがった。……手前勝手だろう?」
「はははは。まあ、元からそういう性格だったでしょう」
三人で組んで仕事をしていた頃を思い出せば、当たり前のように彼女が言いそうなことだ。今回のこの誕生日プレゼントも、きっとその時のお返しを見込んでのことなんだろうと思えてしまう。
――と、不意に、
「……で、そろそろ戻れるのか?」
アンディが神妙な顔で聞いてきた。
私は苦い顔を作り、
「うーん、微妙ですね」
と答える。
「でもよ、カザミドリもなくなったわけだし、そんな逃げ回る必要はもうねえんじゃねえのか?」
「私が敵に回しているのは、そのスポンサーだった方ですからねえ。コトはそう単純じゃないんです」
私はぎしりと背もたれに体重をあずけた。
「しかし、あとひと踏ん張りで何とかなりそうではありますよ。ぜひとも、リンクが旅立つ前には解決させたいところですね」
「おう、待ってるぜ。もし何か手が必要ならいつでも言え。できる限りのことはしてやる」
「はは、ありがとうございます」
「ダルクのことも心配なんだろう? こんな写真を依頼してくるぐらいなんだからよ」
「そうですね。まあ、あなた方も近くにいるわけだし、大事はないと思うのですが――ただ、あの家の管理はちゃんとできているのかは心配ですね。あの時は急を要していたので、ほとんど何も言わず出ていってしまいましたからね」
「ああ、それなら、最近はルーが開発したっていう全自動掃除機ってのを使ってるって話だぜ。……何度か爆発したとも聞いてるが」
「ええ? ……それ大丈夫なんでしょうか?」
…………不安だ。
「……ギルド仕事の方はつつがなくいっているようですか?」
「ん? ああ、それは問題ねえよ。ロットが今ガンガンランキングを上げていっててよ、ダルクとルーもそれについてってるって感じだ。……ダルク本人は上げたくねえみたいだが、チーム組んでる以上、そうはいかねえからな。それはそれで困った顔してるぜ」
「目立ちたがらない子なんですよ」
ふふ、と私は笑う。
笑いながら、窓の外の景色を見やった。
晴れ渡る空を鳥が舞っている。
――いつからか、私は「闇蛇」と呼ばれるようになった。
恐らく、私の『手法』が蛇を連想させたのだろう。
好んではいないが、別に嫌っているわけでもない――ただ、ある程度的を射ているとは思っている。
闇に潜み、獲物を狙う蛇。
ダルク同様、私だって、自分が表立って動きたいタイプではない。闇に紛れている方がまだマシだと思う、そういう人間なのだ。四分の一は同じ血が入っているのだ。そこはきっと同類なのだろう。
しかし、私は翼どころか手足もない蛇だ。跳ぼうにも、その場で跳ねるのがせいぜいだ。関の山だ。地を這い、空をただただ見上げるだけだ。その真っ青な天井に憧れ、空想を巡らせるだけだ。
だが、ダルクは違う。
仲間に引き留められ、今もまだその場所で飛び回っている。
私はそこに私自身の理想を重ね、眺めている。憧れを重ね、見守っている。彼がどこまで飛べるのか、彼がどんな世界を見るのか、胸の中で思い描いている。きっとそれが、私の幸せの形なのだろう。
彼が光の中で舞っていても、闇の中で舞っていても、それはさしたる問題ではない。
彼が自由であるならば。
ぜひともダルクには、思うまま、いつまでもその翼で飛んでいてほしい。
羽ばたいていてほしい。
それが私の、切なる願いである。
〈闇蛇のトビカタ END〉
ということで、闇蛇のトビカタでした。ありがとうございました。
間がだいぶあいてしまいましたが、何とかかんとか完結させることができました。
この勢いのまま、次にまた新しいものを一本書ければと思っています。機会があれば、そちらも読んでいただければと思います。