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第十六話「書斎にて⑤」

 どちらか、あるいは両方が声を上げると思ったが、しばらく何も聞こえてこなかった。

 ……そりゃそうか。

 いきなり、目の前で話している男の腹から刀の切っ先が生えてきたら、何もできないだろう。何も言えなくなるだけだろう。ただただ驚くばかりだろう。

 私は嘆息しながら、すくっと立ち上がった。

 ヴァルナークの背後、本棚の上から私の肩より上が覗く形。私と目が合い、アンディとリンクはびくりと肩を震わせた。


「……か、か、かは……」


 咳き込みながら、ヴァルナークも振り返ってくる。アンディとリンク以上に、その表情は驚愕に染まっていた。


「……き、貴様、仲間がまだ……」

「……てめぇ、何してやがる……!」


 アンディが怒気――いや、殺気すら籠っているような声で言ってくる。これまでの二年間の共闘の中、一応何度かは聞いたことがあるアンディの声音だが、今までのそれは、敵に向けられるだけのものだった。初めて、私に対して向けられたものだった。


「……何を考えてやがる。……そこにいたってことは、今までの会話も聞いてたんだろうが。……それは一番やっちゃいけねえやつだろうが。……リンクだって、ずっと、懸命に我慢してたコトだろうが……!」


 アンディの声がいくらか掠れている。それほどの怒りなのだろう。

 何と答えるべきか考えていると、


「……こ、この私に何ということをしてくれる!」


 口から血を零しながら、ヴァルナークが言ってくる。一応内臓を傷つけるような場所は避けて刺したため(声の位置からの予測でだったが)、今すぐ死ぬとかそういう負傷ではないはずだ。痛いだろうが。


「は、早くこの剣を抜け! 今すぐだ! さもなくば、貴様の家族もろとも、考えうる最悪の形で『終わらせて』くれる!」


 言われて、私は再度嘆息する。


「……何とも短絡的な脅し文句ですね。もし私が小心者だったら、恐れ戦いて、思わずこの刀で掻っ捌いてしまうじゃないですか」

「…………くっ」


 ヴァルナークは呻いた後、


「……いいから、早く、これを抜け。抜けば、命だけは助けてやる」


 声のトーンを落として言ってくる。


「もしここで私の命をとったら、一体どういうことになるか、わからぬわけもないだろう。その瞬間、貴様は犯罪者だ。殺人犯だ。指名手配犯だ。全世界のな。市議長を殺すということはそういうことだ。……わかったら、早くこれを抜け」

「殺さなくても、似たようなことになるのでは?」

「だから、命だけは助けてやると言っているのだ! 通報もしないでやる!」

「いまいち信用できませんね。表沙汰にはせずとも、あの手この手で我々を追い込んでくるのでは?」


 私の問いに、ヴァルナークは言葉を詰まらせた。と――


「――だから、言ってるだろうが」


 再度アンディが言ってくる。


「だから、それはやっちゃいけねえことだったんだ。殺っても殺らなくても、俺たちは終わりだ。さっきの交換条件も、こいつの采配次第だったんだ。なのに、こんな禁じ手を犯しちまったら、どうしようもねえじゃねえか。どうにもならねえじゃねえか!」


 アンディは私を睨みつけながら、首をふるふると横に振った。


「……どうしてだ? 何で、誰よりも冷静なはずなお前が、そんなことをするんだ? リンクが一生懸命堪えてくれたって時によ」

「……そういえば、アンディ。貴方、以前、良いことを言ってくれてましたね」


 私はふっと思い出した。

 いぶかしむような表情のアンディに向かい、私は説明を続ける。


「山小屋での時ですよ。ほら、覚えてます? 『お前が思う以上に、この世界はうまくできてる。不合理な力でのし上がったって、そのうち破たんするのが世の常だ。いつかは報いが来る。俺が保証する』ってやつです。あの時、何も言いませんでしたけど、私は凄く感銘を受けていたんです。良いことを言うなあ、と」

「……それがどうした?」

「つまり『そういうこと』なんですよ」


 私は言った。


「様々な他者を蹴落としてのし上がった市議長。パレードで厳戒態勢を敷くほどのこの御仁。そりゃあ、『敵』がいないわけがないでしょう? この方を消したいと望むような『敵』が」


 何かを予見したのか、眼前のヴァルナークが急にぶるぶると肩を震わせた始めた。


「そういった方から、『依頼』があったわけです。私に、ね。『ヴァルナーク氏を亡き者にしてほしい』と。それも複数からです」

「……依頼、だと? 何でそんなんが、お前のとこに……」

「あなた方には話してませんでしたが、一応『これ』が我がアーシム家の家業でしてね。縁というか、しがらみというか。アーシム家に生まれた者としては、どうしてもないがしろにできないんですよ。……それに、恥ずかしい話ですが、我が家の懐事情としても、どうしようもないところもあったのです」


 言いながら、私は左手で頭をぽりぽりと掻いた。


「実は、あの家のローン、まだ少々残っていましてね。今月分の支払いがだいぶ危なかったんです。それに従弟(おとうと)も食べ盛りですし。チームでのギルド仕事ができなくて、大幅な収入減となっては、我が家は火の車です。大変です。大問題です。……そんなわけで、私としてもしぶしぶ、この仕事を引き受けることにしたのです。責任転嫁をするつもりはありませんが、あなた方にも要因のいくらかはあったことを理解していただけると嬉しいです」


 私としてはできるだけわかりやすく説明したつもりだったが、アンディは――そしてリンクも――呆気にとられたような表情のままだった。

 私はヴァルナークの耳元に顔を近づけ、


「というわけでですね、貴方が先ほど言ったような点は問題ないんですよ。通報なり、指名手配なりは、ね。昔なじみの情報屋もバックにいまして、その辺の対処も万全です。心配はありません」

「ま、待ってくれ!」


 ヴァルナークは慌てたように叫んだ。


「た、頼む! 命だけは助けてくれ! 職も辞する! この街からも消える! だ、だから! 頼む!」

「……そう言われてもですね、これも仕事ですし。何と言っても客商売ですので……」

「だ、だったら、か、金はどうだ! 私の持っている限り、すべてをくれてやる! お前に譲渡する! この家も、本邸も、すべてだ! 常人には一生かかっても手に入らないほどのものだ! どうだ!」

「う~む」


 私は考え込む。そして、


「……うーん、まあ、そこまで言うのなら、私にも思うところはあります」


 と続けた。


「ただし、いくつかの条件があります。……まず一つは、さっきも言った通り、これは相手のいる仕事なので、貴方はこの後この地を離れ、誰にもわからないように消えてください。表からも、裏からも、ね。あなたが生きていると知られたら、私の信用はガタ落ちです」

「わ、わかった」

「そしてもう一つ――謝ってください」

「わ、悪かった」

「いや、私にではなく、リンクに対して、ですよ」


 いきなり名前を出されたリンクは、目を見開いて私を見てきた。


「彼女とは二年間の付き合いでして、苦楽を共にしてきた仲なんです。私としても、彼女のあの苦悶は見るに忍びないのですよ。だから、彼女に謝ってください。誠心誠意。彼女が許すと言うまで」

「わ、わかった」


 プライドの高いヴァルナークのこと、いくらか渋ると思っていたが、二つ返事で承諾した。プライドよりも命の方が大切だということだろう。当たり前と言えば当たり前だ。


「わ、悪かった! 申し訳なかった! た、頼む! ゆ、許してくれ!」


 ヴァルナークは唾を飛ばしながら、リンクに対して謝罪の言葉を並べる。


「気が済まないというのであれば、この後、私を殴ってくれていい! 袋叩きにしてくれていい! この刀を抜いてくれれば、いくらでも土下座をする! 家族にも謝罪に行く! だ、だから! 頼む! 許してくれ! この通りだ!」


 目を血走らせながら、ヴァルナークは叫んだ。

 あんまりな変わりようだと思った。こいつの内心が見えない以上、これが本音かウソかなどわかりはしない。しかしどちらにしろ、謝罪し、土下座し、地位も財産もすべて捨てるというなら、これがリンクが最も望んだ結末には変わりないだろう。

 果たしてリンクはどう感じるかと思っていると、


「……もう、いい」


 リンクはぽつりと言った。


「……わかった。わかったから、もう黙りなさい。これ以上、あんたの声は聞きたくない。あんたが謝ったところで、弟は帰ってこない。あんたが苦しんだところで、うちの家族に笑顔は戻らない。何も戻りはしない。だから、もういい」


 次いで、リンクは私の方を見てきた。


「……早く、そいつを放しなさい。ここでそいつを殺したら、それこそそいつと同列になってしまうわ。それだけは、やっぱり嫌だわ。弟に顔向けできなくなる。だから、早く」

「…………了解」


 私は頷いた。

 眼前のヴァルナークは、「……す、すまない、ありがとう」と呟くように言っている。見ると、床にぽたぽたと滴が落ちている。そして背後から見るヴァルナークの頬にも滴が流れている。どうやら泣き出してしまったようだ。……悪人とはいえ、数十も年配の人間を泣かせてしまうとは、どうにも申し訳なく感じてしまう。

 室内には、今度はヴァルナークの嗚咽が響く。

 リンクのため息が聞こえる。

 アンディは、いくらか苦い顔をしつつも、


「……話はついたな。さあ、帰るぞ」


 と言って立ち上がった。


「そうですね」


 私はそう応え、緊張を解くように肩を落とした。そして――



「――まあ、嘘なんですが」



 そう言いながら、腹部に突き刺したままの刀を上方に振り切った。


 飛沫が飛散する。

 ヴァルナークの体は、ごとりと床に倒れた。

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